表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
イノベイトブルー  作者: 九重ユリ
第一章
3/17

海のエージェント 2

 ──百五十年前。

 夜空から大量の流星が舞い降りた。しかしこれはきっかけにすぎない。

 その後まもなく大水害が発生したのだが、この原因は流星群──否。空からの未知なる飛来物、竜だったと言われている。現存する資料にもその写真が残されており、当時も相当騒がれていたらしい。何しろ竜なんて存在は、それまで単なる夢物語の末端でしかなかったのだ。

 竜は墜ち、海に沈み、世界に魔法を撒き散らした。

 これを『魔動粒子』と呼ぶ。

 魔動粒子は細菌のように世界に蔓延し、人々に感染した。大気に、海に超常的な力が充満し、そうしてある日ぽつりとその人間は現れた。超能力と呼ぶにはあまりにファンタジックで現実味のない、それこそ魔法使いのような力を行使する人間だったという。

 時代が進むにつれ、その類の人間はほんの微量だが数が増え始めた。

 同時に科学や理工学の発展に伴い、彼らは百五十年前に着床した魔動粒子によって異能を得たことが確認された。魔動粒子は世界中の人間の体内に常にあり、条件の揃った人間のみが力を開花させる。といっても、現時点において適合、発現条件は不明のままだが。

 とにもかくにも、胡散臭い幻想を交えるならば、百五十年前墜落した竜はその死骸から魔力を発生させ、おそらく制御不能となり未曾有の災害が起きてしまった。のちに、僅かな生存者は浮島で新たに暮らし始め、魔力と相性の良かった人間は魔法使いとなった。

 この変異した個体は、人類の新たなるステージを開拓する可能性、革新者という意味でマギ・イノベーターと名づけられた。

 Magi Innovator.

 研究を手がけている学者たちは、頭文字を取ってMIと呼んでいる。

 ──以上が現代の初等、中等教育でも教示されている『世界の歴史と仕組み』の概要だ。



 私は、自分がマギ・イノベーターだと自覚していても、吹聴するつもりはさらさらない。

 魔動粒子の分析は確かに進んでいる。しかしMIに関しては未だ謎が多く、何らかの条件下において覚醒し、ヒト為らざる身体能力を得る、としか解明されていないのだ。

 何より、数が少ない。

 希少である以上、存在が認知されれば平和な生活とはグッバイフォーエバーだ。噂では、全アクアトピアを総括する国家行政局の研究所で人体実験の材料にされるとも聞いた。いやいや、まったく、謹んでご辞退申し上げますよこのやろう。

 私は平和に生きたい。円満な余生を過ごしたい。

 けれどそんな私の心情などおかまいなしに、先生は笑っている。

 活きのいい魚を釣ったような、心が弾んでいる笑みを。

「特殊枠は三年前から実施されているが、まだ試験段階でね。君が知らないのも無理はない。これまでは水面下で未成年を対象に観測が続けられていたが……数年ほど前から、MIによる事件が頻発している。ニュースで見かけたりしないか?」

「……まぁ、それなりに」

 うち、貧乏なんでテレビありませんけど。

 市街地を歩けば、通り際に巨大な街頭テレビでニュースやCMを目にする。確かにここ何年かの間に、MIによる凶悪な殺人事件や、客船を襲うといった海賊行為が取り上げられるようになった。能力的に優れた異能者が主犯格となり、残りはスローガンに賛同した一般人で構成されたグループがいくつも結成され、犯罪行為に及んでいるらしいのだ。

 勿論、警察組織とて負けてはいない。確実性とスピードに富んだ対応で事件を未然に防ぎ、あるときは変異個体との直接対決で勝利し、検挙率も上がっている。

 近頃の評論家たちは、口を揃えて「MIという存在を早くから認知し、倫理的育成が必要な時代だ」とコメントしていたが。

 ……あぁ、なるほど。

「グレないように、若いうちから躾しようってことですか」

「身も蓋もないが、半分正解だ」

「半分?」

「あぁ、半分だ。もう半分は──毒をもって毒を制す。わかるか?」

「……MIの事件はMIの力で解決しろ、と?」

「Exactly」

 さすがは英語教師。美しい発音だった。

「そこで国家行政局が打ち出した策が、アクアトピア内全高校に『特殊枠』を設置し、初等、中等までの間に発見した特殊能力者を倫理的に教育することだった。その一環として対MIを想定した戦闘訓練を行い、優秀な戦力を育て上げ海と浮島の安全を守ろう、というのが計画の本質なんだ。

 ちなみに環境美化委員会というのは、君たちの任務には海上、海中の清掃も含まれているゆえの枠組みだ。悲しいことに大なり小なり、ゴミをポイ捨てする馬鹿も多くてね。清浄な海を保護するという意味で、美化委員らしく掃除もしてもらう。ま、ミッションの多くはどちらかといえば後者で、本格的な殲滅戦に借り出されることは少ないだろう」

 ここで、私は隣へと視線を移した。

 退屈だ、と顔面いっぱいに表現している先輩は、どこからともなく取り出した棒付きキャンディーを口に含みながら天井を眺めている。ぼぉー、っという擬音が聞こえてきそうだ。

 神前涼太郎。彼は、委員長だと言った。

 つまり彼も私と同じ覚醒した者。魔法使い、ということになるが……。

「あぁ、その男は見た目頼りなく中身も真実頼りないというか呆れるほどだらしないが、間違いなくMIだ」

 私の視線の意図を感じ取った先生が、補足する。

 しかし、とてもじゃないがそうは見えなかった。「自室にひきこもってゲームに没頭しています」と豪語する方が断然似合っているし、外に出て犯罪者と戦う姿など最も遠いイメージなんだけど……あ、思ってる傍から携帯ゲーム機で遊び始めた。あれは新発売されたハードじゃないか、羨ましい。

 ……さて、ひとまず状況は理解できた。

 どうやら私がMIであることは、学校どころか行政局にまで筒抜けらしい。六年前の海難事故もそれなりにメディアで議論されていたし、どれだけ巧妙に隠してもいつかはこうなってしまうだろうとちょっとした予感もなきにしもあらずだった。

 だが、問題は私自身がどうするかなのだ。

 変異を遂げた人間は最早人間ではない。超常現象のブラックボックスだ。

 兵藤先生の話を受け入れるのであれば、私はその新人類と戦わなければならないのだ。正義の味方よろしく、もっともらしい大義名分を掲げて。

 けれど、当たり前だが私は格闘技の経験などない。せいぜい幼少期に友達とチャンバラごっこをした程度ではなかろうか。不良と喧嘩をする機会もなく、とにかく平穏無事に生き抜いてきたのだ。掃除メインだと説明されても、疑念は募る。

 試しに先生にその辺りの疑問をぶつけてみた。

「問題ない、一ヶ月の訓練機関が用意されている。実戦投入前に海上保安隊のプロがみっちり指導してくれるから安心していいぞ」

 安心ってナンデスカ。私の希望は木っ端微塵に吹っ飛んだ。

 これはしらばっくれても通りそうにない……困った。大変、困った。

 すると先生はさらに私の思考を読んだらしく、意味ありげに笑いながら携帯型情報端末、通称『PDA』を操作し始める。薄っぺらい手のひらサイズのパネル型マシンで、トントン、と軽快に画面を弾くと、小規模なバーチャルディスプレイが出現した。

 高画質で映し出されたのは、……これは、校門前の防犯カメラの映像だろうか?

 映像は二倍速で進む。右下には、入学式翌日の日付。時刻は朝。

「あまりこういう手段は好まないが、我々としては君をこのまま一般大衆の中に紛れさせるには惜しいのでね。さっき忘れ物があると言ったな? この映像のことだ」

「……な、なんですか……」

 その喋り方は穏やかではない。

 たらり、と額から汗が滑り落ちる。

 ──そのときだった。

 防犯カメラに一瞬ブレが生じた。いや、それは映像の乱れなどではない。ピンボケでもない。

 何かが『目にも映らぬ速さで駆け抜けた』のだ。

 先生はもう一度パネルを弾く。ディスプレイは一瞬暗転を挟み、今度は別の角度に設置されていたであろう防犯カメラの映像を表示した。

 一度目は校門前のみを捉えていたが、二度目は校門までの直線距離を手前から奥まで遠近法で映している。そしてやはり例の時間になると、およそ百メートル前方から神速で駆ける異質な影が登場し、映像が乱れた。

 時刻は──八時十九分。

 ああああああ、と私は項垂れた。先生の噛み殺した笑い声が心底憎い。

「覚えているようだな。では、スロー再生だ」

 もういいですもうやめてあげてください後生ですから。

 映像はゆるやかな速度で再生された。

 やがてその瞬間は訪れ、一人の女子高生の姿が明確に、鮮明に映り込む。

 我が高の校門は不審者対策のため八時二十分に閉められ、施錠が義務付けられている。その日も教師の手により、頑丈な白塗りの門扉が自動式で今にも閉じようとしていた。

 高さは四メートルを超えるだろう。しかしその後先考えない愚かな女子高生は、のちにどんな苦境が待ち受けるとも知らず、百メートル手前付近から猛ダッシュを敢行。そのときの彼女にとっては、登校初日に遅刻者の烙印を押されることの方が恐怖だったのだ。

 両開きの門扉が、人一人分の隙間も許さなくなった、その一瞬だ。

 スローでも明らかなほど──女子高生の脚力は異常だった。

 幸いにも周辺に人はいない。在校生は既に校舎に入り、目撃できるとすればその日校門を閉じた教師だけだろう。だが、それは無理な話だ。彼女はただの人間では一生到達できない速度で駆けたのだから。

 それだけではなかった。

 間に合わないと判断したのか、無謀な少女は片足で跳ね柵を掴んで上へ昇り、勢いを殺さずさらに高い門柱の頂上へと手のひらを当て、そのまま一回転をやってのけたのである。

 一秒にも満たない、突風。

 カメラの位置からスカートの中が丸見えであったりとか、あぁ、あの日は水色のレースをあしらったショーツを穿いていたんだったなとか、走馬灯のように蘇る。

 なんて無謀ではちゃめちゃな女子高生だろう。

 ……私なんですけどね、それ。

「シラを切れるわけがない。逃げられると思うなよ、茅ヶ崎?」

「……やっちまった……そうか防犯カメラが……っ」

 私は頭を抱えて唸った。

 この運動能力、MIのものと見て間違いはない。今さら否定もしない。

 ただなるべく騒がれたくもなかったし、一般人としての生活を望む身としては隠しておきたかったのだ。だがあの日だけはどう足掻いても遅刻で、担任が風紀に厳しい人物である以上目をつけられたくなかった。その一心でつい本気を出したら、なんてザマ。

 先生の言いたいことも察している。言い逃れもできない。

 できないというか、しないので……そのパンモロ動画をそろそろ消していただけたらと……。

「そんくらいにしときましょーよ、センセ」

 ガリッ。飴を噛み砕く音がやけに耳に残る。

 今の今までゲームに熱中していた神前先輩が、おもむろに口を挟んだ。

「男ならまだしも、茅ヶ崎さんは一応女なんだし」

「いえ、一応どころか立派な女です。これでも!」

 ツッコミを入れても一瞥すらくれない。せめて反応してほしい。

「第一、いくら数が少ないっつったって、人手は十分足りてるじゃないすか。行政局が戦力増強を掲げてるのは、暴走するバカどもへの牽制と抑止のためのうたい文句で、新たなMIの数を把握する以上の意味はかえって逆効果じゃないのかなぁ」

 先輩はゲーム画面から目線を移さず淡々と指摘する。

 専門的に鍛えられた能力者が増えれば、その分反発が大きくなったとき逆に寝首をかかれる可能性を示唆しているのだろう。国と新人類は、まだ友好的な関係を築いているとはお世辞にも言えなかったように思う。ならば尚更、警戒してしかるべきだと。

 ……もしかしてこの人、すっ呆けてるだけで実は賢いのではなかろうか……?

「っあー、ミスった。残機減った」

 ……気のせいか? 気のせいなのか!?

 携帯ゲームの電源をオフにし、先輩は続ける。

「とにかくさ。高校で義務化されてるって言っても、ほとんどの生徒は美化委員の活動なんて認知してないし。世論のおかげで俺ら……MIの評判ガタ落ちなんだから、今はまだ非協力的な人材はサクッと逃がしてやるのが正解だと思うんですけど、どうです?」

「あれほど派手に呼び出しを受けた彼女が、後戻りできるとでも?」

「去年同じように名指しされましたけど、一年経っても俺はまったく目立ってないっすよ」

「そ、れ、は!! お前があまりに不真面目だからだろうが!!」

 怒鳴り声。

 ハイハイ降参、とばかりに肩を竦めて受け流す先輩。

 ……どうやら委員会顧問である兵藤女史は、見た目通りやる気のない先輩の消極的な対応に苦労させられているようだ。うん、ちょっとだけ同情してしまう。

 先生は端末をしまい、溜息を吐いた。

「神前の話もわからなくはない。今のは、教育計画の致命的欠陥というヤツだ。……だが」

 今度は、開いたブラウスの胸元から折り畳んだプリントを一枚抜き出した。

 あなたの胸は別の次元にでも通じているのですか。嫌味ですか、大平原のなだらかな胸を持つ私に対する挑戦状か何かですか。人生不遇すぎるよ神様。

 机上に広げられた紙面に記されているのは、……これは、値段? 金額?

「私たちとてタダで労働を強いるわけではない。仮にも学生である君の時間を勉学以外に割けと申し渡すのだから、それなりの報酬も用意させてもらっている」

「報酬!?」

 私は音速でプリントを鷲掴み、目をひん剥いた。

「日給制、平日休日残業手当付き、学費を全額負担、目的地までの交通費支給……!!」

「さらに、登校日に出動要請がかかった場合は公欠扱いで授業を免除だ」

「あの、あの、お給料はいかほど……!?」

 訊ねると、先生は私の手からプリントを摘み取り、赤ペンで賃金の箇所をマークした。

「今年からはさらにアップするらしくてな、少々イロをつけてまぁ、このくらいだな」

 ──脳内で札束が踊る。

「犬とお呼びください!!」

「決まりだ」

 私たちは席を立ち、がっしりと握手する。

 ──ガリッ。

 とどめの一発でキャンディーを砕いた先輩の嘆息は、私の耳には届かなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ