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イノベイトブルー  作者: 九重ユリ
第一章
2/17

海のエージェント 1

 三ヶ月前、私は単なる貧乏学生だった。

 生活が一変したのは、今年の四月に桜沢北高校に入学してからだ。

 ちなみに志望動機は、家から近いから。進路や未来設計にこれといった具体的なビジョンを抱かぬ人種にしてみれば妥当な理由だろう。あとはないのかと問われ、しいて回答するならばこれまた単純明快、私の頭のレベルで確実に合格できるからだった。

 この世界はニ〇〇一年に一度水没している。未曾有の災害が発生し、多くの命を巻き込み大陸は海の底へと沈んでいった。百五十年ほど昔の話である。

 生き残った人類は、それまでの文明と己が知恵を駆使し、海上に新たな生活スペースとして人工島を建築した。これらの浮島は『アクアトピア』という名が総称であり、私が生まれ暮らしている土地は第三アクアトピアと呼ばれ、総人口は約二十万人。ここは島内をさらに区分けしたうちの一区、桜沢区なのである。

 アクアトピアは、大水害が発生した二〇〇一年に比べ文明の発展が著しい。

 海底に眠っていた新しいエネルギー資源を活用することで、生活を豊かにしつつ自然の保護も可能となった。気候は安定し、優れた設計により人工島はあらゆる災害を防ぐ不可侵の城塞となり人々を守った。

 概ね、世界は平和だと言えよう。

 当然、その平和とは、体を張り守護する者たちの功績によって得られる安穏である。

 しかし平和の守護者など、一介の苦学生には何の関わりもない話だ。警察組織や国家公安といった職種に就きたいのならまだしも、私は今、この瞬間、明日以降の食費をどう切り詰めて確保するかを最優先に思考するバイト女子高生なのだ。

 ところが、慎ましやかな人生を望む私を待っていたのは──海溝の闇をも彷彿とさせる未知なる可能性。いや、人生の落とし穴。それもリカバリーさえ不可能な。

 ──入学して一週間が過ぎた頃だ。

「…………………………なんぞこれ?」

 入学と同時に新調したカーディガンを翻しながらエントランスホールに出た私は、掲示板の前にできている人だかりを発見し歩みを止めた。

 一般教室の揃う第一棟の玄関には、三階まで吹き抜けとなっている中央階段があり、その吹き抜けの真下に連絡事項を知らせる掲示板が設置されているのだ。といっても玄関前は人目につきやすいというだけで、校内のいたる所に点在しているのだが。

 しかしここまで生徒が集まっているのも珍しい。たった一週間しか通っていないものの、お菓子に群がる蟻たちといったこの光景は初めてお目にかかった。私も思わず掲示板前に向かってしまうほどだった。

 一体どんな告知がされているのやら。

 今日から新しいバイトを始めることすら忘れ去り、私は人ごみをどうにか潜り抜けて掲示板前に立つ。けれど予想に反して貼り紙は小さく、内容はごくシンプルだった。


     下記の生徒を 桜沢北高校 環境美化委員 に任命する

                    一年C組 茅ヶ崎ナノ


 ……え。

 肩からショルダーバッグが滑り落ちる。がくん、と腕がバッグごと落ちる。

 茅ヶ崎ナノ。間違いない、それは私の名前だ。クラスもそうだ。クラスメイトに同姓同名が存在しない限り、貼り紙にででんと記されたその名は、私のものだ。

 環境美化委員とは何だろう? 確かに入学後、クラス内の一部の生徒には各々役割が分担されていた。ただし学内で活動する委員会の数は少なく、全員を割り当てるには少々無理があったため半数の生徒は余分な労働を免れていた。私もその一人だった。

 そもそもホームルームで提示された委員会の中に、美化委員など含まれていなかった筈だ。

 なのになぜ、私が指名されているのだろう?

「──ようやく捕まえたぞ、茅ヶ崎」

「はひっ?」

 呆然とする私の後頭部が、何者かの手により無遠慮に掴み取られた。

 反射的に肩を竦めると、横からにょきりと第三者が顔を出す。

「一年の茅ヶ崎ナノだな?」

「え、あ……はい?」

「肯定なのか否定なのか判断しづらい返事だな。だがその顔は名簿で見た通りだ」

「は、はぁ」

 第三者は淡々と語る。嫌味なほど美しい、妙齢の女性だ。

 一本に結い上げた髪、豊満な肉体を強調するブラウスやスカート。目は一重で鋭さがある。あなたは一体どこのビデオにご出演なさっている女優様ですかと嘆きたくなるほど輝かしい美貌を持つその人とは、この一ヶ月に一度も顔を合わせた記憶がなかった。

 彼女の登場に、周囲がざわめき始める。「兵藤先生だ」「すっげーマジ美人」「あれって英語教諭の兵藤先生でしょ?」様々な囁きが耳に滑り込んでくる。

「私は兵藤冬香(ひょうどうふゆか)。英語を担当しているが、まだ初対面だったな。私の授業は二年次からだからな」

「はぁ……なら、兵藤先生は一体何のご用で……?」

「おや、貼り紙を見ていないのか? 君が美化委員に抜擢された旨が記載してあるだろう?」

「そりゃそうなんですけど、いやだから、兵藤先生が何で」

「私が美化委員会の顧問だからだ。さて行こうか、予定が詰まっている」

 言い終わるや否や、兵藤先生は私の手を攫い歩き出した。女性にしてはわりと背が高いせいか、リーチの違いからこちらが駆け足になってしまう。背後からは拍車のかかったどよめきが迫り、理由も分からぬまま肩身の狭さを強いられた。

 先生は第一棟から渡り廊下を抜けて第二棟へと歩いていた。私も引きずられるままにその後をついていくのだが、他の生徒とすれ違うたびに好奇の視線が刺さる。これはたまらん。

「あの、先生、事情がまったく読み込めんわけですが……!」

「それは今から説明する」

「今からって、どこに向かってるんですか? あの私、もう帰るところで……」

「申し訳ないが今日からしばらく帰宅部は返上してもうらうぞ」

「いや別に帰宅部ってわけじゃなくて、私はこれからバイトがありまして!!」

「うむ、そうだな。急がなければ時間がもったいない」

 ……先生、見事なスルースキルっす。

 兵藤女史はこちらに目もくれず第二棟を進んでいく。聴こえている筈の訴えは彼女の耳から耳へと通り抜けてしまっているようだ。だからといってこのまま理由もその目的も明かされぬまま連行されるというのは、当然だが納得いかない。

 しかし彼女からは、他の教師からは感じない強烈な威圧感を覚える。

 顔面リア充、いや全身リア充。ちくしょう、ド迫力な美人はこれだから困るんだ。

「さて、着いたぞ」

 ようやく足が止まった。

 第二棟の三階、一番端の教室。スライド式のドアの上に、教室名を示すプレートが掲げられている。社会科講義室、と明記されている。この棟は学科ごとの実験室や講義室が並んでいるため、ここもその一つなのだろう。

 先生はブラウスの胸ポケットから鍵を取り出し、開錠する。

 しかしそこで、ドアを開ける彼女の手が止まった。

「しまった、大事な物を忘れてきてしまった」

「はぁ……」

「すまないが中で待っていてもらえるだろうか? すぐに戻る」

「……はぁ」

「楽にしていてくれ。気兼ねすることなく、仲良くな」

 最早抵抗を諦めた私はどうにでもなれ精神で教室に入る。

 ……ん?

「ちょ、先生!? 仲良くってどういう──」

 無常にも目と鼻の先で扉は閉まる。ピシャン、という音がまるで私を世間から切り離してしまったかのようで、妙な冷や汗が額から噴き出た。足音は遠ざかり、改めて室内を見渡しても無音が漂うのみ。

 講義室だが、授業に使うというよりも物置として扱われているようだ。教室の端にはダンボールがいくつも積み重なり、「理科実験道具」「年度別教材その一」といった風に中身が判別できるよう油性ペンで書かれている。ココ、明らかに倉庫だろ……。

 カーテンが締め切られているからか、薄暗い。私は窓際にある会議用テーブルにバッグを置いて、少し黄ばんだカーテンを一気に横へと滑らせた。

 本日は快晴ナリ。陽光は温かく、背の高い木々の葉が踊っている。

 換気のため窓も開けてみた。全開にすると風が吹き込み、私の髪や制服の裾を扇いでいく。五月に入ったが風はまだ涼しすぎるくらいだ。鼻先や頬がひんやりとする。

 眼下では校舎から出た生徒たちが次々と校門へと向かっていく。あぁ、いいなぁ。きっと今からカラオケで発散したり、ショッピングを満喫したり、青春らしい放課後を過ごすんだろうな。男女のペアならこれからデートか、このやろう末永く爆発しろ。

 窓辺で頬杖をついてぼんやりしていると、──足下で何かがもぞりと蠢いた。

「……っ!?」

 まさか虫? ゴのつくあれとか?

 条件反射で身を引くと、上履きのつま先が異物を弾く。それにも驚いてたたらを踏み、早鐘を打つ胸元に手を当てながらゆっくりと下を見た。

 ……いた。

 何かが、いた。テーブルの細い脚と脚の間に、黒くて長い、やたらとモコモコした物体が横たわっていた。膨らみは規則的に上下し、思わずB級ホラー映画の死体袋を連想してしまった。よくあるあの、横を歩いたら中から手が伸びて足首を掴んでくるとか、ああいうの。

 脳裏をよぎったホラーの恐怖に青ざめる。血の気が引いた。

「……んー……?」

「ほぁッ!?」

 自分でもアホだろと落胆せざるを得ない奇声。即座に口を覆う。

 もぞもぞ。もぞもぞ。口に出すのもおぞましいが、芋虫のようで気色悪い。

 だが、それは死体袋でもなければ巨大芋虫でもなかった。ジジジ、とジッパーの音が鳴り、隙間から人間の頭らしき物体が出てきたのだ。どうやらこれ、寝袋だったらしい。しっかり観察すれば一目瞭然で、情けないことに自分は相当混乱していたようだ。

「……おはよ」

 男子生徒だった。

 つか、第一声がそれかい。

「お、おはようございます……?」

 かくいう私も、釣られて律儀に挨拶を返す。

 彼は眼鏡をかけていた。寝袋に完全に引きこもっていながら眼鏡をかけているというのも奇妙だが、とりあえずこれまた記憶にない顔だ。髪は散髪後そのまま伸ばしたような野暮ったい長さで、寝癖やら何やらで軽くうねっている。眼鏡はしゃれっ気のない黒縁。大体、その長すぎる前髪が邪魔ではないのだろうか。目許が隠れているせいで表情が把握できない。

 寝袋の主がのっそり這い出る。隣に並ぶと、随分と背が高かった。

 寝惚け顔で欠伸をしながら、跳ねた髪を掻く。その様子を見ての第一印象は、クラスに一人は存在しそうなインテリ系寡黙少年、といったところだろう。

「今、何時?」

「は?」

 訊ねてきたくせに、彼は自分の腕時計で時刻を確認している。

「なんだ、まだ四時前か……もうちょい寝れんじゃね」

「……あ、あのー……?」

「うわ眩し……誰だよカーテン開けたの……」

「あ、あの」

「つーか寒。腹減った……」

「~~~~~ッ、あの、もしもし!?」

 語気を強めると、ようやく彼は私を見た。

 兵藤先生といいこの男といい、とにかく人を無視してくれる。私はそこまで短気ではない(つもりだ)が、さすがに苛立ちが勝り男子に詰め寄った。加えてこのとき既に、私の脳内からはアルバイトの五文字が完全に消去されており、とにかくこの理不尽な状況を説明して欲しい歯痒さが頭と心を占めていた。

「私、一年の茅ヶ崎ナノです。ここって何です?」

「何、って……物置兼社会科講義室」

 物置の方が用途的な意味で上位なのか……。

「そうではなく。兵藤先生に連れて来られたんですけど、ここって何をする場所ですか?」

「センセーに? ……あー、ああ」

 理解しました、と言わんばかりに彼は手を打った。

「あんたか、新しい美化委員って」

 ……美化委員。まただ。

 個人を呼び出すためにわざわざ公共物に晒される『美化委員』とは一体何か。

 私はさらに距離を詰め、問うた。

「美化委員って何です? 何をするんです?」

「そりゃ、学内外の環境についてのもろもろ。あと掃除」

「それなら掲示板で堂々と名指しする必要ありませんよね?」

「まー、うん。ただの美化委員会なら、普通やんないねそんな嫌がらせ」

「じゃあその嫌がらせじみたことをする委員会って何なんですか? 私が選ばれた基準って何なんですか? そもそも初対面です初めましてどちらさまですか!!」

 後半はヤケクソだった。

 緩んでいるネクタイを毟り取るが如く引っ掴む。気圧された彼はそれまでの呆けた無表情にほんのり驚きを滲ませながら、私が身体を寄せた分だけ後ろに仰け反りつつ答えた。

「に、二年の神前涼太郎(こうざきりょうたろう)。一応、美化委員会の委員長。多分」

「多分? 多分って……」

 すると、私の言葉を遮るようにして出入り口の扉がスライドした。

「おぉ、ものの数分で打ち解けたのか。若さとは素晴らしいな」

 空気が読めない人間その一の再登場である。この際相手が大人だとか教師だとかは関係ない。

「待たせてすまなかった」

「せんせー、彼女が新入りさんっすか?」

「あぁ。自己紹介は済ませたのか?」

「自己紹介っつーかなんつーか……」

 神前……先輩は、自らの状態を見下ろしながら困ったように笑った。

 そこで私も、初対面の男子生徒、それも先輩相手に近づきすぎであることを自覚して、途端に恥ずかしくなった。慌ててネクタイを離して二、三歩下がる。

「す、すみません……」

「いや、いいよ別に。気持ちわからなくもないし」

「え?」

「兵藤先生、強引だろ? 俺も最初そうだったから、イラっとするのも仕方ないかなって。えーっと、茅ヶ崎サン、だっけ?」

「はい」

 先輩は手と手を合わせ、なんまいだ、と拝んだ。

 ご愁傷様、という意味だろうか……って、ご愁傷様!? 何ですその、すこぶる不穏な感じは!!

「さて、では事情を説明させてもらうが、いいかな?」

「むしろそれを待ってたんです。何が起きてるんですか、これは」

「まぁまぁ、ひとまず適当に座ってくれ。神前はその寝袋を片付けろ、踏むぞ」

「へーい」

 先生が座り、私はその向かい側に座る。寝袋を片付けた先輩も私の隣に腰を下ろした。

 話の内容如何によっては、ちゃぶ台返しばりの暴走でもやらかして帰宅してやろうかとすら企んでいた。ところがどっこい、先生が語り出した内容は、私の予想の遥か斜め上までぶっ飛んでいた。

「最初に。まず美化委員についてだが、主な活動は学校内外の清掃、改善点の提示などが主な内容だ。よくある学生のお仕事というやつだな。しかしこれはあくまで表向きであり、真の目的は別にある。私はそのために派遣された教員なのだ」

「真の目的……?」

 兵藤先生の切れ長の瞳が私を見据えている。

 ……異様なプレッシャー。私が唾を呑み込むと、先生は言った。

「環境美化委員会は、アクアトピアにある全高校に配置された、いわゆる『特殊枠』でね。本来の目的はマギ・イノベーターの育成だ」

「……マギ・イノベーター……」

「身に覚えがあるだろう? 何しろ君は」

 ──気がつけば、そこは一面の青い世界。空を泳ぐ魚たち。

 視界は染まる。思い描く。私が体験した、過去の残滓。

 先生の眼差しは雄弁に語る。君を知っているのだと。

「何しろ君は、六年前の海難事故で孵化した能力者だからな」

 ──嗚呼。

 圧しかかるのは、現実の重み。

 このまま何者にも知られることなく秘めておきたかったが、そうもいかないらしい。

 私はふと視線を下げ、誰に向けるでもなく、微笑んだ。

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