戦士の憂鬱 4
それから五日が過ぎた。
私と先輩、祥悟さん、ユキハルさんは、打ち合わせをしたあのファミレスに足を運んでいた。事態に進展が見られないため、二度目の情報交換を行うべく集まったのだ。
「──以上が、伊勢谷数馬の自宅で発生した出来事です。襲撃者たちは全員とも素行が悪い未成年者で、一部はご家族から失踪届も出ていました。残念なことに、捕縛した少年たちは搬送先の施設で亡くなってしまいましたが」
「死因は?」
「不明です。出回っているハイプの成分は検出されたようですが致死量ではありませんでした。他に目新しい特徴もなく、やはりハイプ改良に関してはサンプルがなければこれ以上は調べようがないと兵藤先生が言ってました。……あ、これが資料です」
「サンキュ、もらうわ」
私は自分のPDAから、これまでの情報を整理したファイルをコピーし、ユキハルさんのPDAに転送した。視覚化した互いの平面ディスプレイに、「送信完了」「受信完了」の文字が浮かぶ。
「俺たちも特に目ぼしいネタはなかった。日数かけて祥悟とあちこち訊ね回ったけど、手に入ったのは今まで流通していたハイプだけで、改良型は見つけられなかった。入手ルートに関しては、バイヤーにぶち当たるかと期待したがこれもダメ。ただ」
「ただ?」
「売人じゃねぇが、最近ハイプを買い漁ってる奴の名前が「イセヤ」というらしい。桜沢どころか深山にまで足伸ばして、大量に買い込んでるってヤンキーどもが噂してやがった」
「やはりいくら情報収集しても伊勢谷さんで行き詰まりますね……」
「そいつの捜索は局員に任せるしかねえからな。そういや、その伊勢谷の部屋の死体はどうだったんだ? 何かわかったのか?」
私は眉間にしわを刻む。
「いえ。「実験を行っていたかもしれない」とだけ。肝心の内容まではこれといった手がかりもなく、おそらく伊勢谷さんが隠匿しているものと。遺体の身元も照会中ですが、頭部だけじゃさすがに特定しようが……近頃未成年者の失踪が相次いでいるせいで作業に難をきたしているそうです」
「……となると、本人をさっさと捕まえて吐かせるしかねえか」
「そういうことですね」
私たちはあくまで「改良型ハイプによる服用者の暴走説」を基盤としている。それは祥悟さんの仮説が考え得る可能性の中で最もアタリに近いと感じているからだ。物証はないが、それは逆に「物証だけがない」状況でもある。
兵藤先生は、この数日間で捜索範囲を拡大し、局員総出で伊勢谷数馬を捜していると言っていた。発見されるまでは私たちの出番がなく、目撃情報を得次第、各自行動を開始する手筈となっている。行政局が危惧する「伊勢谷数馬がMIであるかどうか」という一点において、万が一MIならば私たちの力が必要になるらしい。保険、というわけだ。
当然プロのバックアップが待機しているが、局の方針はあくまで美化委員による解決に限定されているようだ。特殊枠の実験として試されているのだろうか。良い気分ではない。
……否。良い気分ではないその原因は、むしろこのテーブルの空気にある。
「……」
「……」
ユキハルさんの隣で、祥悟さんがひたすら口を閉ざしている。
というより、腕を組み、眉根がくっついてしまうのではないかというくらい寄せてテーブル越しの先輩を眼光鋭く睨めつけているのだ。とにかく無言、わき目もふらず無言一択。
かくいう先輩も、祥悟さんの棘のある視線を感じていながらそっぽを向いて、外に聳えるビルや曇り空を見つめ続けている。まぁ、祥悟さんだけではなく、私とも目を合わせちゃくれませんが。
復帰した私を快く思っていないことは明らかだった。
話しかけようにも無視されて、やっと声が聞けても「帰って」の一点張り。近づけばあからさまに離れていくし、日中廊下でばったり出くわせば踵を返して立ち去る。いっそここまでされると清々しいが、私とて心は十代の女子だ。存在をなかったもののように扱われるたび心臓が悲鳴を上げようとする。傷が疼く。
五日間、ずっとこの状態で私も挫けそうだった。せっかく由子さんに後押ししてもらったのに、それを無為にしてしまいそうで申し訳ない。これはもう、諦めるしかないのか。
知らず小さく溜息を吐いていた。
──それが、きっかけだった。
「涼太郎」
着席してから一時間半、祥悟さんが声を発した。
手には溶けかかった氷を含むお冷。彼はそのグラスを手に立ち上がり──
「しょ、祥悟さん!?」
先輩の頭上で傾けて、水を浴びせたのだ。
これには驚きを隠せず、慌てふためいてバッグから桃色のハンカチを取り出す。濡れそぼった髪や制服を拭こうと手を伸ばしたら本人に払い除けられ、私は言葉を失った。
先輩の対応に、祥悟さんはますます殺気立った。
「……おい、ユキハル」
「了承」
即答。ユキハルさんの言葉の意味は、私にはわからない。
だが祥悟さんにはしかと通じたようで、彼はむんずと先輩の襟をネクタイごと引っ掴んで強引に立たせた。不快感を示した先輩になどお構いなしで言い放つ。
「表出ろ、ツラ貸せ」
「……時代遅れのチンピラかお前」
「いいから出ろ」
底から生じるような低音。静かな怒りとはまさにこのことか。
祥悟さんは先輩を突き飛ばし先に店から出て行く。乱暴に座らされた先輩も深々と息を吐き出して、「退けて」と言った。彼らの勢いにすっかり気圧された私は、立ち上がって通路へと移る。騒ぎを聞きつけた他の客たちが、何事かと私たちに注目していた。
「先輩……!」
呼んでも振り返ってすらくれない。
「先輩、先輩待って!!」
腕を捕まえた。さすがに彼も踏み止まって、私を見た。
「祥悟さんには私からちゃんと話しますから、先輩も少しは私の話を聞いてください!!」
「……帰って」
「このまますれ違ってばかりなんて嫌です、だから一度話し合いを……!!」
「帰れって言ってるだろ!!」
先輩が声を荒げた。頭ごなしに怒鳴られたことで、びくりと怯え手を離してしまう。
あっさりと彼は行ってしまった。
……泣くな、私。
顔を伏せ、スカートを両手で握った。力をこめすぎて指が白くなっても、噛み締めた唇が切れそうになっても懸命に堪えた。まだ終わっていない、まだ頑張れる、そう思って針のむしろを選んだけれど、私はもう、自ら消えるべきではないのか。
あんなに拒絶されても粘る理由や意味、価値が、私にはあるのか。
たかが、私なんて。
「──ほら、座んな」
立ち尽くす私の肩に、ぽん、と触れる手はユキハルさんのものだ。
「でも、私……」
「あいつらもいろいろ複雑なのさ。とりあえず座って、話しようや」
……確かにこの店内の微妙なムードを一身に集めるのはつらい。
私は仕方なく元の席についた。
「まず、はいこれ」
「……手紙?」
「由子から預かってきた」
通信機器の発達した現代で手書きとは珍しい。
小さく折り畳まれたそれを開くと、中には由子さん直筆のメッセージが添えられていた。
『治樹先輩に根回し頼んだからあとは頑張ってねテヘペロ☆』
──グシャァッ。
衝撃のあまり手紙を握り潰してしまった。
「な、な……」
「あ、言っとくが由子を責めんなよ? 涼の性格を見越した上で俺に話したんだろうし」
「で、で……」
「でも、だろ? ま、由子の話で何があったのか大体は察しがついてるが、このまま当人同士で解決しようにも平行線だと思ってよ。涼はあの通りひきこもり体質で、誰かが一発殴ってでも目ェ覚まさせねえと一生変わらない。適任なのが祥だ」
「じゃ、じゃあ、祥悟さんも……!?」
「うん、話しちゃった」
今さら可愛い子ぶっても似合ってませんから!!
「大変だったぞー。話す前にまず祥を椅子に縛りつけてから、なるべくブチッといかないように説得しつつ事情を話してな。それから今日まで、北高に殴り込みに行かねえように暴走スイッチ入るたびに殴って気絶させたり」
「……ユキハルさん、結構暴力的ですよね……」
「祥にはそれくらいが丁度いいんだよ。ちがちゃんのこととなると途端に目の色変えやがるから、止める側も本気でやらねえと。
あとこれは──軌道修正のチャンスだろうなってのが俺と由子の意見」
「チャンス?」
「涼と三ヶ月も一緒にいた人間は、祥以外じゃちがちゃんが初めてだぞ」
私は瞠目した。
「あいつは親しい人間がいても、一定以上の距離を許さない。どこかで必ず一歩引いて近づかせないようにするだろ?」
……言われてみれば、先輩は別に孤独ではなかった。
放課後にクラスメイトと通話しながらゲームを満喫していた。ただその知人たちとリアルに対面した記憶はないのだ。日中に先輩のいる教室を覗いても居眠りをしているし、仲睦まじく談笑している光景に出くわしたことは一度たりともない。
つかず離れず、曖昧な距離感を維持していたのだ。
悪いことではない。私とて親友と呼べる深い仲の友人はいないし、MIという素性を考慮するならばむしろ先輩の在り方は理想的だ。
「俺は別に涼のやり方に文句はねえさ。社会ってのは世知辛いからな、居易い環境をキープするのは俺らにとって命綱みたいなもんだ。でもよ、少なくとも涼はちがちゃんにほだされて変化してた。心を許して普段の距離感を縮めてた。そんな子を自分の都合で遠ざけた挙句聞く耳持たずに全否定とか、そりゃねえよ」
「心を許してもらえてなんかないです。だって私、先輩のこと、何も……」
何もわからない。
わかっていなかった。
「うーん……じゃあよ、涼に肩を焼かれたとき、あいつは怒ったか?」
問われ、頷き返す。
「すごく怒ってました……きっと私に失望して……」
「不正解」
俯き加減だった私の顔が、弾かれたように上がる。
ユキハルさんの爽やかで人懐こい笑顔が、私の心に落ちた重石を取り除く。
「あの根暗男はな、どんな相手を傷つけようが無関心なら怒る前に諦めるタイプ。もし感情を表に出して激怒したなら──それだけちがちゃんが大事な存在だ、ってことだろ」
私はその瞬間、瞳に潤みがさすのを感じた。
ぱたり。頬を滑った雫が木製のテーブルに滴り落ちる。
親は子を叱るもの。なぜならそれは、愛情ゆえに失うのを恐れるからだ。
長らく両親不在である私は、そんな基本的な人の感情の仕組みを忘れていた。そうだ、私だって先輩を叱ったじゃないか。あの人にもっと自分を労わってほしくて、バカ正直に気持ちをぶつけたじゃないか。
人という生き物は、好きだから責めるのだ。憤るのだ。
「なぁちがちゃん」
ユキハルさんが私の頭を撫でる。
「俺たちはきっかけしか作ってやれねえ。祥でも多分、説得は無理だ。最初にも言ったがあいつらは複雑なんだわ。昔、二人がMIに覚醒した事件のせいでな」
「……事件?」
目尻を拭いながら問い返す。ユキハルさんは神妙な面持ちだった。
「祥と涼は、小学校六年のとき、ある事件に巻き込まれて瀕死の状態からMIとして目覚めた。その事件が原因で涼は深山から引っ越したし、今のあいつの人格を作る要になった。
──俺は、今から独断でちがちゃんにその過去を暴露する。あとで二人に責められても俺は言い訳しねえし、ちがちゃんがどうするかもちがちゃん自身に任せる。もし涼とやり直したいなら、この話をネタにガツンとぶん殴ってやれ」
これは、途方もない譲歩ではないだろうか。
私が不甲斐ないばかりに二人が協力してくれただけに留まらず、関係修復のヒントまで提示してくれようとしている。行き過ぎた好意だと糾弾する人間もいるかもしれない。いや、当事者である先輩からなじられるかもしれない。
──だけど。
「お願いします」
迷っちゃいけないんだ。二の足を踏んだら、取り戻すことができない。ギリギリの局面に立たされている私が、自己保身と偽善で視界を暗ませてはいけない。尻尾巻いて逃げ出すなんて性に合わないじゃないか!
今度は意図的に、故意にあの人の心を荒らしてやるんだ。
諦めてなんかやらないのだ。




