第7話 リリスの失態
「…………」
エルナの視線が、カレーの皿をピカピカに平らげたリリスへと注がれる。
カレーのうまさがリリスの恐怖心を完全に取り除いていた。その時、エルナが天然なのか、寝ぼけているのか分からないが素朴な疑問をそのまま彼女へと向けた。
「えっと……それで、どちらからいらしたんですか?」
エルナの控えめ、かつ核心を突いた質問に、リリスはビクッと肩を揺らした。隣の魔王城ですなどと言えるはずもない。
「……そ、そうですね。方角はあっちの方かしら」
「はぁ、あっちですか……もしかして、結構遠いところから来られてますか? 近くの村の方角ではないですよね?」
「へぇ、あっちに村があるんだ。もしかして、結構遠い? 俺散歩行ってるけどあっちに村なんかあったかな?」
「ええっとですね。結構隠れたところにあるので……」
リリスは視線を泳がせながら、必死に答える。エルナはジト目でリリスを見つめるが、リリスはこれ以上追求されたら不味いと察したのか、サッと椅子から立ち上がった。
「そろそろ帰らせていただきます。……ごちそうさまでした。美味しかったわ。人の食事にもこんなものがあるのね。用も済んだし、そろそろ帰らせてもらうわ」
「送ろうか?」
カイトが鍋を洗いながらのんびりと声をかける。
「いえ。すぐ隣なので、そろそろ帰ります。見送りはいりません。では、失礼します」
リリスは一刻も早くこの奇妙な空間から脱出すべく、丁寧な口調で言い捨てて出口へと向かった。
しかし、その言葉を聞いた瞬間、エルナの顔が真っ青に染まる。
「……え? いま、『お隣』って言いました……?」
エルナの脳裏に、この家の周囲の地図が浮かぶ。
この断崖絶壁の地において、カイトの家の隣――その先にそびえ立っているのは、禍々しい暗雲に包まれた【魔王城】しかない。
「お隣って……え、まさか、魔王城……!? 隠れたってもしかして……」
エルナが震える声で呟き、部屋の中に凍り付くような静寂が訪れた。リリスも口を滑らせたという表情で固まり、冷や汗が頬を伝う。
(終わったわ、最後に美味しいものを食べれたし。最後の食事としては十分だったわ。一番騒がしく強い魔王軍最強の幹部が瞬殺されたという報告を聞いたときは勇者でもなく何が来たのかと思ったわよ。私も遂に終わりを迎えるのね。ええ。香りに引かれたばっかりに……)
戦慄するエルナ。正体がバレて臨戦態勢に入りかけるリリス。
張り詰めた空気の中、ただ一人、カイトだけがパチンと手を叩いて明るい声を上げた。
「あぁ! なんだ、お隣さんだったのか! てか、隣に何かあったっけ?」
「「…………え?」」
エルナとリリスの声が重なる。
カイトは全く動じた様子もなく、爽やかな笑顔を浮かべている。
「引っ越して来たばかりで、隣に家があったなんて知らなかったよ! いやぁ、結構散歩したんだけどなぁ」
「カ、カイト様!? あっちにあるのは建物っていうか、人類の敵の本拠地……!」
「ほおほお、隣に家が! あっちかぁ」
カイトはリリスの方を向き、親しみ込めて手を振った。
(魔王様すみません。魔王様まで巻き込んでしまうかもしれません。この歩く最悪。であれば魔王様いえ、魔王城ごと、邪魔とか言って腕の一振で消し飛ばしてしまうに決まっているわ)
「そっかー、今度遊びに行ってもいい?」
「…………」
リリスは、あまりの噛み合わなさに、口をパクパクとさせることしかできなかった。この男、天然なのか、それとも魔王城をなんだと思っているのか。
「……ええ、いつでもお待ちしております」
(出来れば、二度と来ないでほしい)
リリスは逃げるように扉を開け、全速力で魔王城の方向へと走り去っていった。
「隣かぁ」
「…………」
エルナはガックリと机に突っ伏したが、カイトは外に出て、魔王城の壁を見ていた。




