第3話 魔王城にて
魔王城の謁見の間。
本来であれば、世界を恐怖に陥れる禍々しい魔力の残滓が渦巻いているはずのその場所は、今、かつてないほどの静寂と胃の痛くなるような緊張感に包まれていた。
玉座に深く腰掛けた魔王・ゼノスは、眉間に深い皺を刻み、目の前の水晶球を凝視している。
そこに映し出されているのは、魔王城の正門……ではなく、その真裏に建つ、場違いなほど優雅な木造の屋敷だった。
「……報告せよ。あの『歩く天災』の動きは」
ゼノスの掠れた声に、跪いていた筆頭幹部――死霊術師のバルザスが、冷や汗を拭いながら口を開いた。
「はっ。……カイトと名乗るあの召喚者は、先ほど正門前に現れ、門番のサイクロプスを……その、指一本で細切れにした後、風圧で跡形もなく消し飛ばしました」
「……な、なに!? 門番を粉砕しただと! あれほど手を出すなと言っただろうが! この馬鹿者め! やられたのは誰だ?」
魔王ゼノスは歴史の織田信長に手を出したかのようにはぁはぁと口をパクパクとさせて心配で必死にお腹を痛めている。
「いえ、どうやら行き倒れの聖女を助けたようでございます。……なお、副次的な風圧により、聖女の装備一式も粉塵となって消滅。現在、彼女はあの男の『パーカー』なる奇妙な法衣一枚を纏い、屋敷へと連れ込まれました」
沈黙が流れる。魔王城の幹部たちは全員、一様に顔を青くした。
彼らにとって、カイトは戦うべき相手ではない。絶対に触れてはいけない、そんな存在なのだ。
「……馬鹿な、サイクロプスだと?」
魔王ゼノスが頭を抱えた。
「あれほど『城の裏手には近づくな』『あの男の視界に入るな』と全軍に徹底させていたはずだ。なぜ正門にあんな知能指数の低い個体を配置した!」
「申し訳ございません! 勇者軍の侵攻に備え、形だけでも門番を置かねばと……。まさか、あの男が『裏山を越えて表側にまで散歩に来る』とは計算外でした!」
バルザスが必死に弁明する。
カイトがこの地に現れてから数日。彼は魔王城を攻略するでもなく、ただ城の周りを毎日周回していつ襲ってくるかもわからない非常に恐ろしい緊張感を与えていた。魔王の寝室から目と鼻の先の崖裏に、物理法則を無視した豪邸を建てて居座り続けているのだ。
一度、血気盛んな魔将軍が掃除してくると意気込んで向かったが……ここは魔王城の外だ! この地に居座るというならこの私が相手をしようという将軍に対して。
「あー、だりぃ……。なに? 君。うざいんけど」
という呟きと共に放たれた空気へのデコピン一発で、肉塊にすらなれず塵となり消滅した。
それ以来、魔王軍は彼の様子を探りどうやら攻めてくることはなく、彼の生活を妨害しなければ攻撃されることはないことを理解した。魔王軍の第一教義は『カイトの家から半径5キロ以内は聖域(物理的な意味で)とし、一切の干渉を禁ずる』となった。
「……バルザス。直ちに全軍へ通達しろ」
ゼノスは震える指先で指示を下した。
「あの男、カイトはもちろんのこと……一緒にいる全裸の女、いや、聖女にも絶対に手を出すな! 彼女が服を買いに村へ行くなら、街道の魔物を一匹残らず撤退させろ。彼女の足元に小石一つ落ちていても許さん! もし彼女が不快な思いをして、あの男がだりぃから城ごと消すかというようなことがあれば……我々は終わりだ!」
セノスは冷や汗と息が切れるのを必死にこらえていた。
「はっ! 直ちに、隠密部隊を配置し、彼女の進路を徹底的に清掃させます!」
「……ところで、魔王様」
もう一人の幹部、吸血姫のリリスが、水晶球を見つめながら頬を染めて呟いた。
「あの男、聖女に自分の服を着せて、髪まで洗ってあげているようですわ……。しかも、あのオリハルコンを適当な石と言い切り、薬湯で呪いすら解く勢いの治癒を施している。あれはもはや、慈悲深い神なのか、それとも底知れぬ悪魔なのか……」
「どちらでもいい! とにかく、機嫌を損ねるな!」
魔王ゼノスは玉座を叩いた。
「いいか、我々の任務は世界征服ではない。アイツが、飽きてどこかへ引っ越していく日まで、ひたすら息を潜めて生き延びることだ!」
魔王城の裏庭から、ふわりとシナモンの香りが漂ってくる。
それは、世界で最も恐ろしい「隣人」が、優雅にティータイムを始めた合図だった。
魔王はそっと胃薬(魔界産)を飲み込み、深い溜息をついた。
「何者なのだアイツは! 引っ越そうかな。アイツが出ていかないのなら、アイツにこの城を譲るのも視野にいれよう。はぁ、この城を移してもいい。アイツにだけは関わりたくはない」




