第1話 散歩
魔王城の正門前。夜明けから数時間が経過し、日は既に高く昇っていたが、戦場を覆う瘴気と地鳴りは一向に収まる気配がなかった。
そこには、180cmの長身を誇るパラディンの聖女、エルナがいた。昨日、朝食と宿代を残し全財産を投げ打って購入した、高額なパラディンの鎧と、黄金槍。今ではボロボロになっているその槍を杖代わりに、彼女は震える膝を必死に支えている。
白銀の鎧はサイクロプスの無慈悲な一撃でひしゃげ、豊かな双丘を支える装甲には無残な亀裂が走っていた。高価な鎧さえあれば何とかなると踏んでいたが、予算をケチったその下は、心許ないほど薄い下着一枚きり。次の一撃を喰らえば、鎧は完全に砕け散り、彼女は戦場のど真ん中で全裸に剥き出しにされるだろう。
「…………こんな、はずでは……っ」
押し寄せる死の恐怖に、彼女の指先が激しく震えた。
すべては、彼女のあまりに楽観的な計画が招いた悪夢だった。今朝、朝分として残していた小銭で最後の朝食を食べ。道中の魔物を片っ端から狩って金を稼ぎ、装備代を精算する。そんな行き当たりばったりな皮算用を信じて、一文無しのまま魔王城まで突き進んでしまった。
街道には魔物の一匹すらいなかった。
一銭の稼ぎもないまま数時間、引くに引けず、勝てると過信して挑んだサイクロプス。その圧倒的な暴力を前にして、彼女の頭の中には後悔の念だけが渦巻いていた。
「……来るんじゃ、なかった……。勝てるなんて思ったのが、間違いだった……っ!」
逃げる力すら残っていない。巨人の棍棒が、彼女の命と尊厳を粉砕せんと振り上げられた、その時。
カツ、カツ……と、およそ戦場には似つかわしくない、底冷えするようなスニーカーの足音が響いた。
現れたのは、異様に個性的なフード付きパーカーのジャージを羽織った影。パーカーには、どこで売っているんだそんなパーカー!俺もほしいぞそれそんなデザインのパーカー欲しいと突っ込みをいれたくなるようなすごいデザインだ。
そこへ、カツ、カツ……と場違いな足音が響いた。
現れたのは、ファンタジー世界には存在しないはずの、異様に個性的な帽子付きパーカーのジャージを羽織った影。
「だりぃ……」
本来の体格は168cm。だが、両手をポケットに突っ込み、極限まで腰を曲げて歩くその姿は、158cm程度の小柄な少年にしか見えない。
「え!?……」
聖女の叫びを、俺は耳掃除をしながら聞き流す。
「ふぁあー……。なんかたのしいことないかなぁ」
あくびをしながら、サイクロプスと彼女の間へふらふらと歩き出す。その瞬間、サイクロプスの標的が俺へと向いた。振り下ろされる巨大な棍棒。聖女が絶望に目を背けた刹那――。
俺はポケットから片手を出し、人差し指を立て、サイクロプスの足に向かって、サッと腕を払う。
「……よっと」
再び、ポケットに手を突っ込む。
――スパッ。
音もなく、サイクロプスの巨大な両足が膝下からスライドして切断された。同時に、払った方向に強烈な風が生まれ、巨躯が紙屑のように吹き飛ぶ。
「うわ、汚ねぇな。……よよごれないように、っと」
眉をひそめ、フードを深く被り直す。
跳躍。空中を蹴り、物理法則を無視した加速でサイクロプスの脳上へ。右手を縦に振り下ろすと、目に見えない刃がサイクロプスを縦にまっぷたつ。それだけでは終わらない。
着地と同時に発生した凄まじい風圧が、肉の塊もあふれでた血も、すべてを魔王城の彼方へと吹き飛ばした。
後に残ったのは、埃一つついていないジャージ姿の俺と、その風圧で高かった彼女のボロボロの鎧と薄い下着と高い黄金の槍が塵となり吹き飛んで、全裸となり呆然とする聖女だけ。
「ん?」
眼前には、呆然と立ち尽くす完璧な全裸の聖女。先ほどまで体を支えていた槍はないが、絶望的な最後の瞬間に吹き荒れた突風の為、体制はそのままだった。180cmのナイスバディな白い肌が、隠すものなくさらけ出されている。
俺は心底だるそうに眉を寄せ、自分の帽子付きパーカーの襟元を掴んだ。
「……アンタ、こんなところで何してんの? 服、完全にねーじゃん。とりあえずこれ、着る?」
「え、全裸!?」
脱力した動きでパーカーを脱ぎ、全裸の彼女の豊かな胸の前にパーカーを押し付けた。その瞬間、丸まっていた背筋がスッと伸び、本来の168cmの体躯が露わになった。視線の高さが不自然に変わり、聖女がえっ?と目を見開く。
「道に迷った? 近くの町まで案内してあげようか? それか、俺んち近くだから町を歩けるような服貸そうか? そのパーカー俺のオキニなんだ。後で返してね」
彼女は突風とあまりの出来事に多少混乱していた。体を隠す前に彼が、パーカーで体を隠してくれていた。
「えっと。ありがとうございます。助かりました」
彼女はブカブカの個性的なデザインのパーカーを受け取り、上に羽織った。着る方法が分からなかったのか、初めは胸が開くデザインなのか!?と不思議に思い、大事なところを彼にさらけ出しているところで、見かねた彼がパーカーのチャックをさっと閉めてくれた。ブカブカのパーカーは彼女の下半身も隠してくれている。彼は彼女の体よりもパーカーを着ている様子にこだわりがあるようだった。
「これでよし!」
「あ、あの。勇者の方ですか?」
その問いかけに対して全く反応がなかった。
「ん? あ、俺のこと? 俺は散歩してただけ」
「えっと。いや、ここは、魔王城の前ですよね? 」
「え? そうなの? そんな危ないとこじゃないよ 」
「私は先ほどの戦闘で死んでしまったのでしょうか?」
「俺んちあっちにあるんだ」
俺は、家の方向を指差した。
「は、はい」
彼女も指差した方角を見るが何もない。森が広がっているだけだった。
俺は、ブカブカの個性的なTシャツ姿にジャージのポケットに手を突っ込みながら家の方に歩きだした。
「……カイト」
足を止めずに、ぼそりとそれだけ返した。
「え?」
「俺の名前。……カイト、でいいよ」
めんどくさそうに片手で後頭部を掻きながら、腰を曲げ歩き出し、158センチの脱力モードに戻った。
「だりぃ……」
正直、名乗るのも億劫だったが、俺のお気に入りのパーカーを貸している手前、呼び名くらい教えないと後で回収する時に不便だ。
「カイト、様……ですね。私は聖騎士のエルナです。あの、先ほど仰っていたお家というのは……」
彼女はブカブカのパーカーの裾を必死に押さえながら、トコトコと俺の後をついてくる。180センチの長身美女が、個性的なデザインのパーカー一枚で歩く姿は、客観的に見れば相当にシュールだ。
「あっち。あの崖の裏。静かでいいんだわ、あそこ。星もよく見えるし」
「崖の裏って……そこは魔王城の本丸のすぐ裏側では!?」
「え、そうなの? 知らねー。適当にあそこに家建てたんだ」
段々と大きな豪華な木製のお屋敷のような建物が見えてきた。その建物は、正にハリウッドに出演している芸能人が住むような門があり、壁で建物が囲われ、庭があり、豪華な建物が建てられていた。
「はぁ。やはり私は天国に来てしまったのですね」
「ん? 天国? まあ、そうだね。異世界でこんないい家建てられたからここは俺の天国かな」
「はぁ。やはり天国でしたか。ではあちらには私が全裸となって誰かに発見されるのを待っているのですね。今更後悔しても仕方ないですね」
「え、えっと、あなたが建てられたんですね」
「うん。適当にその辺に生えてる木を切って、1日くらい
かかったけどね」
「い、1日でこのお家を!」
「ゲームしてたから、結構簡単に作れたんだって言っても分かんないか」
「ゲーム? 天国にはそのようなものがあるのですね」
「あ、お湯沸かすけど。風呂はいるよね? 薬湯にしてあげるよ。俺んちの風呂生き返るような気持ちよさなんだ」
「は、はい、生き返ることが出来るのですね!」




