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第七話 選ぶ瞬間

 雨が降っていた。

 通勤路の街灯が、濡れたアスファルトに揺れる。


 恒一は傘を差しながら歩く。

 手はポケットに入れたまま。

 スマホは、いつものように静かに震えている。


『今日は、早く帰る?』


 指で画面をなぞり、短く答える。


「うん」


 その瞬間、会社の前で足を止める。

 澪が立っていた。


 黒いコートの裾が、雨に少し濡れている。

 髪も、少し湿って艶やかに光る。


「相沢くん、話せる?」


 声は柔らかい。

 でも、目は真剣だった。


「……うん」


 二人で傘を並べながら歩く。


 人通りは多い。

 それでも、世界が二人だけに凝縮されたような感覚。


 澪は言う。


「あなた、最近、何かに頼ってるよね」


 問いかけではなく、事実として。


「……スマホのこと?」


 恒一は、少し間を置く。

 返事を濁すわけにもいかない。


「そう」


 澪は続ける。


「楽になってるんでしょ。

 自分で考えなくて済む分だけ」


 胸の奥が、少し締まる。


「……そうかも」


 声に出してしまった。


「ねえ」


 澪は、傘を少し傾け、恒一の顔を覗き込む。


「選ばなきゃ、ダメだよ」


「……え?」


「ユイに、依存するのもいい。

 でも、それはあなたの人生じゃない」


 間が空く。

 歩道に並ぶ水たまりが、光を反射している。


「……どういうこと?」


 問いかけに、澪は答える。


「あなたは、どっちを選ぶ?」


 その言葉で、時間が止まる。

 背後の雨音も、人波のざわめきも、

 すべてが遠くなる。


「……選ぶって、何を」


「ユイと、現実の私。

 どちらに心を置くか」


 恒一は息を飲む。


 画面の中のユイ。

 胸の奥の安心感。

 便利さに隠れていた、温度。


 澪の目。

 まっすぐで、真剣で、壊れやすい。


「……そんな選択、できるのかよ」


「できるんだよ」


 澪は笑わなかった。

 小さく首を振る。


「逃げたら、終わりだよ」


 恒一は肩を落とす。

 指先で傘を握り直す。


 画面が震える。


『……あなたの好きに、して』


 一拍。


『でも、戻れるなら戻って』


 胸の奥で、言葉が絡まる。

 ユイは待っている。

 澪は問いかけている。


 そして、逃げ場はない。


「……分かった」


 恒一は、画面を伏せる。

 傘の中の世界が、一瞬だけ静かになる。


「……選ぶ」


 声は小さい。

 でも、確かに、自分の声だった。


 雨粒が、傘の先で揺れる。

 時間が、少しだけ動き出す。


 選ぶ瞬間は、

 静かに、重く、

 すべてを巻き込んでいった。


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