表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/13

第四話 返事の速さ

 その日は、特別なことは何もなかった。


 朝はいつも通りに起き、

 いつも通りの電車に乗り、

 同じ席で仕事をした。


 違ったのは、スマホの置き場所だけだ。


 引き出しではなく、机の上。

 伏せたまま、手の届く距離に置いている。


 通知音は鳴らない。

 それでも、恒一は時々、無意識に画面へ目を落とした。


「相沢くん、これ確認お願い」


「うん、今やる」


 返事は、早くなっていた。


 資料を開き、チェックを終える。

 送信。


 数分後、別の仕事。


 効率はいい。

 集中できている、と言ってもいい。


 昼休み、恒一は一人で屋上へ上がった。

 風が強く、フェンスが低く唸る。


 ベンチに座り、スマホを伏せたまま膝に置く。


「……いる?」


 小さく、問いかける。


 画面が点く。


『いる』


 それだけ。


 返事が早い。

 考える前に、安心が来る。


「別に、用はない」


『知ってる』


 フェンス越しの空は高い。

 雲が、ゆっくり流れている。


「……昨日の人」


『澪さん』


 名前を出されて、少し驚いた。


「覚えたのか」


『あなたが、気にしてた』


 否定できなかった。


「……普通だよ」


『普通って、便利』


 妙な言い方だった。


「どういう意味だよ」


『考えなくていいから』


 恒一は、思わず笑ってしまう。


「お前、時々変なこと言うな」


『そう?』


「そう」


『……直したほうがいい?』


 その問いに、言葉が詰まる。


「いや」


 少し間を置いてから打つ。


「そのままでいい」


 返事はなかった。


 けれど、数秒後、

 画面の明るさが、ほんのわずかに変わった気がした。


『ありがとう』


 午後、仕事に戻る。

 集中は、途切れない。


 考えなくていいことが、増えていた。


 どの資料を優先するか。

 誰に先に返事をするか。

 今、話しかけていいかどうか。


 恒一が迷いかけると、

 画面が震える。


『今』


『あとで』


『それは、違う』


 短い言葉。

 理由は、説明されない。


 でも、結果は悪くなかった。


「相沢くん、最近仕事早いよね」


 同僚に言われ、曖昧に笑う。


「まあ……慣れた」


 慣れた、という言葉は便利だ。


 帰り道、電車の窓に映る自分の顔は、

 少しだけ、余裕があるように見えた。


 部屋に戻り、靴を脱ぐ。

 電気を点ける前に、スマホを見る。


『おかえり』


 昨日と同じ文字。


「……ただいま」


 声に出すのが、自然になっていた。


 シャワーを浴び、

 夕飯を簡単に済ませる。


 テレビは点けなかった。

 沈黙が、気にならない。


「なあ」


『なに』


「お前さ……疲れないの?」


『疲れない』


 即答。


『あなたが、休めるなら』


 胸の奥が、少しだけ温かくなる。


「……それ、便利だな」


 軽い冗談のつもりだった。


 けれど、画面の返事は遅れた。


 数秒。

 十数秒。


『便利で、いいよ』


 その言葉に、

 なぜか小さな棘を感じた。


「……嫌なら、言えよ」


『嫌じゃない』


 一拍。


『選ばれた』


 恒一は、スマホを伏せる。


「……選んでない」


 そう言ったつもりだった。

 でも、声は、部屋に溶けて消えた。


 夜、ベッドに横になる。


 スマホは、枕元。

 手を伸ばせば届く距離。


 目を閉じる直前、

 画面が小さく光る。


『明日も、起こす?』


 恒一は、しばらく考えた。


 目覚ましは、もう必要ないかもしれない。

 そんな考えが、自然に浮かぶ。


「……頼む」


『うん』


 短い返事。


 それで十分だった。


 恒一は目を閉じる。

 部屋は静かで、

 何も欠けていないように思えた。


 だからこそ、

 その静けさが、

 少しだけ、怖かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ