邂逅
王国の第三王子・ロイドは目を奪われていた。
馬車から飛び降りて、ヒールで野盗を蹴り倒したのは守るべき対象である伯爵令嬢―兄の婚約者だ。
彼女は倒れている王宮騎士の剣を拾うと、自分に襲い掛かってくる刃を受け流し、返す刃で野盗を昏倒させた。
そのまま次々と敵を倒していくたびに舞う刀とドレスは美しく、目を奪われた。
白磁の肌に、絹のような漆黒の髪が踊る。
気が付けば、野盗は全員倒れていた。
中央に立つ彼女と目が合う。
彼女は無表情だったが、その瞳だけは赤く濡れていた。
♦♦♦
「よくきた。レイス・グランデ」
第一王子アレクは目の前で片膝を折っている、件の令嬢を見下ろして言った。
王宮の大広間にはシャンデリアが光を受けて輝き、真紅の絨毯はどこまでも広がっている。
王国の第一王子の誕生祭とあって、多くの貴族が祝いにー社交に華を咲かせていたが、今は皆、レイスに視線を注いでいた。
「道中、大変だったようだな。そなたに怪我がなくてなによりだ」
「ご心配には及びません」
「そうか。ところで、なぜお前がここにいる?ロイド?」
王宮の壁にもたれ掛かっていた俺は姿勢を正すと、頭を下げた。
「たまたまレイス嬢の護衛の任についておりました」
「お前が?直接?」
アレクはいぶかしげに弟を見つめる。
「私のことはいいでしょう。どうぞ、レイス嬢とお話の続きを」
「ああ、そうしよう。……レイス」
「はい」
「そなたとの婚約を破棄する」
大広間に一瞬の沈黙が降りた。
が、すぐに観客たちの声でざわめく。
「兄上!?正気ですか?」
「……わかりました」
レイスの無表情は変わらず、焦り一つない。
その冷静さに逆にアレクが焦りだした。
「こ、婚約破棄だぞ!?そなたは素直に受け入れるのか!?」
「では、理由をうかがってもよろしいでしょうか?」
レイスが当然の質問をしたときだった。
「あたしと結婚するからに決まってるじゃな~い」
見事な金髪をカールさせた女ー隣国の王女・リオナが走ってきてアレクの首に腕を絡ませた。
「こら、リオナ、今は大人しくしてくれ」
制止したアレクもまんざらではないようで、頬を赤くしている。
俺はしかたなく頭を下げた
「リオナ様。お久しぶりでございます」
「あら、ロイド……今は騎士団長だっけ?大きくなったわね」
「恐縮です。しかし、兄上と結婚という話は初めてお聞きしましたが?」
「そぉなの!学園でアレス様と仲良くなって~、永遠の愛を誓ったのよ~!」
話にならないと小さく首を振り、俺は兄に目を向けた。
「……学園でご学友だったリオナ嬢と親しくなったのは理解しました。しかし、婚約者がいるのにも関わらず、いきなり別の方と結婚とはどうしたものでしょうか?」
「婚約者といっても、幼いころに一度会っただけの関係だ。しかも、今まで病弱で手紙のやりとりもしていなかった」
「そうは言っても、これは一大事ですよ!婚約は王宮と神殿が決めた神聖なもの。そもそも父上……国王はお許しになったのですか?」
「ロイドったら、お堅いのねぇ。政略結婚より、真実の愛の方が優先されるに決まっているでしょう?」
レイスのほうをちらと見る。
身じろぎ一つせず、事の成り行きを見守っている。
まるで、自分が当事者ではないかのようだ。
「父上には了承済だ。だからこそ、レイスをこの場へ呼んだのだ」
「……では、本当にレイス嬢との婚約を破棄されるのですね?」
「ああ」
「ならば…」
俺は、ゆっくりとレイス嬢の前に歩み寄ると跪いた。
「レイス嬢、私と結婚してください」
無表情だった顔に驚きの表情が広がっていく。
レイス嬢の手を取って、口づけをすると、会場中から驚きの声があがる。
「どうして……」
赤い瞳が大きく見開かれる。
俺は優しく微笑むと、レイスの手を引き、パーティー会場を後にした。
「どういうおつもりですか?」
王室の客間に通した途端、レイスが口を開いた。
「まぁまぁ、まずはソファに座って」
ロイドが促すままにレイスはソファに、そっと腰掛ける。
ーほう。
ロイドは改めて感嘆した。
レイスがソファに座るときの優雅さ、座った後の佇まい……すべてが美しく、可憐だった。
まさか、野盗を倒したのがこの少女だとは思えない。
「まずはメイドにお茶でも……」
メイドに紅茶を頼もうとした時だった。
「殿下」
レイスの真っ赤な瞳が見据えている。
無表情だが、この瞳は雄弁だ。
「……そうだな。本題に入ろうか。君と婚約したのは、君の力がほしかったからだ。僕に協力してほしい」
「協力……ですか、あいにく私にはなんの力もございません」
レイスがうつむく。
「僕は王国騎士団長だぞ?僕が認める剣の力を持ち、しかも伯爵令嬢という後ろ盾。なんの力もないとは、少し傲慢ではないかい?」
「それは……」
レイスの表情が曇る。
この人も他の人と同じ……
「勘違いしないでほしい。僕は君を利用したいわけじゃない」
レイスはハッと、顔を上げた。
「今日の君の姿を見て、僕は心底君に惚れたんだ。」
ロイドはレイスの前に立つと、レイスの頬をそっと撫でる。
「君の嫌がることはしたくない。でも、どうしても君の協力も必要だ。だから、君も僕に要求してくれ」
「要求?」
「ああ、当然の対価だ」
レイスはどう答えたものか、悩んでいるようだった。
「私になにを望んでいらっしゃるのですか?」
「単刀直入に言おう。僕は王になる。その手伝いをしてほしい」
レイスの目が大きく見開かれた。
「馬鹿な兄から王位継承権を奪いたいんだ」
「それは……謀反ではないのですか?」
「事実上はそうなるかもしれない。でも、国にとって、兄は害悪にしかならない。君という婚約者がいながら、隣国の王女に現を抜かす程度の男だぞ?」
「……しかし、私になにかできるとは思えません」
「君はそのままでいい」
不思議顔のレイスにロイドはそっと囁いた。
「……!」
「君には簡単なことだろう?」
ふっと笑うロイドの顔は悪戯をする子どものようだ。
「さぁ、次は君の番だ!僕に何を望む?なんでも叶えよう!」
「では……ひとつお願いを聞いてくれますか?」
「ああ、なんだい?」
レイスの瞳が赤く輝く。
「私を殺してください」