そのみなしごは、エルフになりたかった
昔、ある国で火山の災害が起きて、広い範囲の森が焼けてしまいました。災害の混乱の中、1人のエルフの赤ん坊が人間達に拾われました。
エルフの赤ん坊は古代の文字が書かれたお守りを身に着けていましたが、その文字は人間達には読めません。
親はついぞ見つからず、そのエルフは人間の孤児院で育てられることになりました。
◇
少年は孤児院の子どもたちの中でも、少し浮いた存在でした。
エルフ、エルフと言われているけど当の少年はエルフについてはよく知りません。
漠然と、自分は他人と何か違うのだ、と理解しながら育ちました。
孤児院には、実の親を知らない子供が他にも大勢いました。
そういった子供達はまだ見ぬ本当の家族に憧れました。
ある日、エルフと同い年くらいの女の子が1人で泣いていました。
エルフの少年がわけを聞くと、病気の母親の病状が良くないと言うのです。エルフは女の子を慰めました。
しかし、あとで他の子がそっと教えてくれたのです。
あの女の子の母親は病気などではない。女の子を捨てて男と逃げてしまったのだと。
女の子は、いつも違う嘘を並べては、めそめそ泣いているのだということでした。
エルフにはその気持ちが少しだけわかるような気がします。
胸の奥にぽっかり空いた寂しさに、彼はお守りを握りしめました。
◇
エルフのいる国は、長らく戦争をしていました。
戦況は芳しくなく、男性達はみんな戦場へ出て行きます。
エルフが12歳になったとき、孤児院の子どもたちにも徴集がかけられました。
少年兵として、12歳以上の男の子は戦地に行くことになったのです。
エルフも連れて行かれ、エルフなら魔法が得意だろうということで、魔術師で構成された部隊に入ることになりました。
エルフの出会った兵士達は意外にも、厳しくも優しい男達でした。
皆、故郷に家族、息子や弟などを残してきているのです。少年兵達を家族に重ね、懐かしむ者が多くいました。
特に、一人の伍長がエルフの世話を焼いてくれ、魔術を知らないエルフにも丁寧に教えてくれました。
そして、お守りの文字を少しなら読めるという彼は、あとできちんと調べてなんと書かれているか教えると約束してくれました。
彼もまた、故郷に幼い息子と妻を残してきていると言っていました。
訓練の中エルフの魔術は、みるみるうちに上達していきました。
◇
エルフは戦場で魔術を使い、その魔術は敵兵を倒していきました。
仲間が喜び、褒めてくれるのは誇らしいけれど、本当はエルフは恐怖を覚えていました。自身の影に、黒い靄が見えるようになったからです。
靄は敵兵を倒せば倒すほど、その敵兵にも家族がいたのだと考えるほど、濃く大きくなりました。
しかし、不思議なことにその黒い靄はエルフ以外には見えないようなのです。
漠然とした不安を抱きながらも、エルフは何も考えないようにしました。夜、焚き火のそばで眠りながら、黒い靄から目を逸らし続けました。
◇
戦争はやがて終局に向かいます。
エルフのいる部隊が属する軍隊は、大敗を喫しました。
エルフは伍長に庇われて無事でしたが、多くの仲間が死にました。
伍長も深手を負っています。
故郷で家族が待っていると励ますエルフに伍長は言いました。
「家族が待っているというのは嘘だ。妻も息子も敵兵に殺された。俺は復讐のために志願して兵士になったんだ」
続けて伍長は言います。
「国境の森に、人間の入れない結界を張ったエルフの集落がある。あのお守りはエルフの子供の成長を願う祝詞だ」
伍長は祝詞の読み方を教えてくれました。不思議とそれは一回で、エルフの胸に染み込みます。
「かつてお前の幸せを願った者がいることを忘れるな。さあ、行け」
そう言ってこと切れた伍長を置いて、エルフの少年は戦場から逃げ出したのでした。
◇
深い深い森の中。森に溶け込むように、エルフの集落はありました。
必死にたどり着いた少年でしたが、なぜかそこにいたエルフ達は少年に弓を向けます。
女子供は逃げ隠れし、男達は警戒の目線を緩めません。
少年は、自分が怖がられているようだと気づきました。
エルフの長老が出てきて少年に言いました。
「人間の中で育った幼子よ。そなたにもその影の黒い靄が見えているだろう。それはそなたが奪った命から得た怨念だ。
命を繋ぐため必要な分だけ獲物を狩るのとはわけが違う。
想像して欲しい。家の戸を叩いた者が、血にまみれた刃物を携えていたら、家に入れるわけにはいかぬだろう」
エルフの少年は肩を落として、集落を去って行きました。
◇
エルフの少年は森を彷徨います。
やがて雨が降ってきました。冷たい雨に打たれながら、エルフは樹の下に身を横たえます。
エルフの里には受け入れられなかった。
黒い靄を見ないふりしたことで、エルフはあれほど焦がれた自身の来歴に迫るチャンスを、いつの間にか失ってしまったのです。
そして脱走兵となった今、人間の軍隊にも帰れない。
このまま、凍え死んでしまうのも良いかと思ったエルフの目に、懐から落ちたお守りが止まります。
『かつてお前の幸せを願った者がいることを忘れるな』
伍長の言葉が思い出されます。
エルフの故郷は見つからずとも、それは真実でした。
伍長は確かにエルフに向かって「さあ、行け」と言ってくれたのです。
◇
エルフは雨が止むのを待って、歩き出しました。
国境を越え、南の国へ。
やがて出会った隊商達に話しかけます。
「我はこの度、エルフの集落から出てきてのう、こう見えても百歳は超えておる。里の暮らしに飽きたので、人間の街に行こうとしていたところじゃ」
名乗るのは本名ではなく、あのエルフの祝詞の言葉。
これはとあるエルフの少年が、生きるために嘘つきになるまでのお話です。