第6話 カイザーのステージ
この神聖なステージの上で一度ソレになったが最後、そこからなんとか見かけは安定し保たれていた彼の日常は崩れていき……きっと元の関係性じゃいられなくなる。
思考は焦燥とジレンマの泥の中を必死で泳ぐ。そしてまたたどりついた天秤に、その答えを乗せてみる。やはり天秤はバランスを失い、大きく傾いて泥の中へと深く深く沈んでゆく……底無しに……。
奏でつづけた日常を易々と捨てることなんてできない。
半田夢露は覚醒をしない。
彼は生身で黒パーカーを被るのっぺらぼう男に殴りかかった。
ひらりひらりと彼の力を込めた拳を躱す黒い怪人は、嘲笑うかのようにカウンターの蹴りを入れた。
吹き飛ばされ盛大に倒れた夢露に向けて黒い怪人はパチリと指を向けて鳴らした。すると殺気をキャッチした夢露はくるくると体を横転させながら、そのステージ上を抉った見えない攻撃を紙一重で避けた。
何故彼はカイザーにならないのか。
傍目に彼の無謀なやり方をみていた黒セーラーの女は分からない。
彼がなんのためにそうしていて、彼がなんで頑なに拒むのかが彼女には分からない。
だが彼がカイザーに覚醒するためには何が必要なのかを黒セーラーは、ただそれだけをじっとその戦い様を見据えて考えていた……。
そしてついに動き出し彼女は導き出した────
「これでカイザーの舞台、半田ロメ」
息切らすステージ上から客席に振り向いた半田夢露は目撃した。
スタンガンで眠らされたLEOの王様の姿と、彼女の見つめる痛いほどの眼差しを────。
彼女が導き出した答えは誰も見ていないステージ。
いつも彼が背にみていてギターをかき鳴らしていた金髪の絶対的な主役もいない。
観客は時が止まったように動かない……まるで違う時間軸に迷い込んだような。
このセカイには少女と己と……怪人と、ただそれだけ。
そんなものは彼の生きてきた日常とはとてもいえない。
両手でべたつく緑髪をゆっくりとかき上げた。まるでごちゃごちゃと考えていた頭ん中を、ひどくシンプルな造りにリセットするかのように。
「カイザーの…………ハッ、あぁそうだな!!! 創造…ジュゾウ、 ────覚醒!!!」
熱帯び始めた拳を一気に天へと突きあげた。天から降り注いだ一筋の光の糸はやがて太く太く柱のように膨れ上がり、緑髪の体をのみこんだ。
「ここは舞台…運の悪ぃカイザーの舞台。そして俺が──〝カイザーレオ〟だ。今から間に合う地獄ゆきのチケット代は払ったか? 悪運怪人」
日常を投げ捨てるように投げ捨てたギターピックは、これから屠る怪人へのチップ。
いつかのようにいつものように、白い指を差し挑発する。
困り果てた末に、たどりついた答えは黒セーラーの女のいうカイザーのステージに立つこと。
泥のように重くへばりついていた思考と焦燥を拭い去り、半田夢露は拍手と歓声もなくカイザーレオへの覚醒を果たした。
カイザーに覚醒した半田夢露のその白い獣を彷彿とさせる姿を見て、怪人は遅ればせの自己紹介をはじめた。
「私は死神のクン。あなたみたいな活きのいいカイザーの魂を頂戴しにやって来ました」
「マネキン野郎は呼んでねぇ ヨ!!!」
ご丁寧に右手をさげ礼した黒パーカーの表情の読み取れないのっぺらぼうに、お呼びでないと超速で懐に入りカイザーレオは蹴りを入れた。
鋭く迫った白獣の思ったより伸びた蹴りは咄嗟にさがった怪人の腹の真ん中へと決まった。
「まぁ、そう言わずにここは既に死の舞台。死するそのときまでお互いの魂の価値を高め愛ましょう。あなたに相応しい価値は──このぐらいでしょうか!」
蹴られた勢いのままにさがり怪人は指を構えた、そして蓄えたその指のしなりを離れた白獣に向けて鳴らした。
また感じ取った殺気のリズムにカイザーレオは反応する。
見えない攻撃のベクトルを読み取り、白獣のステップはかろやか。
次々に打ち鳴らす指をはじく音にノリ踊る。
「お前の鳴らす乾いたメロディーは俺にはひとつも響かねぇ──ハッ」
ステージには幾多の引っ掻き傷が描かれる。それはまるでフィギュアスケート、氷上の盤の上を踊り滑り描いたように。怪人の怪しげな指弾く危険なマジックの全てをカイザーレオは避けてみせたのだ。
「フフフあなたの価値、なかなかお高いようですネェ!! ビギナーズラックでなければ」
「運の尽きって知ってるかァ!!」
そしてすかさず反撃をと白獣は前へと飛んだ。前方へと一回転しながらトリッキーに着地した危険な踵落としを怪人はまた後ろへと反応し避けた。
──が、一回転していたのはリーチを誤魔化すためか……ディスクを刃代わりに装着した右足が怪人の胸元を鋭く切り裂いた。
急襲した技【ディスクトー】が怪人が羽織っていた黒いパーカーを真っ二つに裂く。
「この黒、5番目にお気に入りでしたが。──残念、フフフ」
「次は真っ赤なのが似合うんじゃねぇか、ハッ。五流の怪人の血は何色か、そうだな? ぶっ潰せば…確かめられるぜ!!!」
降り立ったカイザーレオは勢い前方にそのままに逃げる怪人に追撃を仕掛けた。
そしてまた指を弾くあの見えない攻撃がカイザーレオの猛追を阻害しようと、連続で鳴り響く。
しかしなんのその豪語していた事は本当なのか、指を幾度弾くも、その白獣の踊りを止めることはできない。
「運の尽きだ! こいつで決めるぜ《ディスクセット3》【パンジーパンチライッ──」
開いた腕部に花柄ディスクをセットし繰り出した左の拳はその黒ののっぺら怪人の顔面へと届く前に──カイザーレオは見えない何かにその身を打たれた。
「ガハッ!? な、なんだ!?? っ──逃がすかよ!!」
アクシデントにもめげずに再度仕掛ける。
怪人のする指弾く殺気のリズムを読みながらカイザーレオはまた同じように至近まで迫り拳を振るおうとしたが──またも、失敗する。
リズムを読み違えその二度の攻撃は失敗に終わってしまった。
▼
▽
それからというものの、カイザーレオは以前見せていた軽やかなステップと鋭い読みの調子を取り戻すことができない。
ミエナイ攻撃にその身を打たれ続ける。まるで透明な蜂を相手するようにそれを躱すのは凌ぐのは不可能で困難。
延々追いかけられては、あらゆる方向からわけもわからず打たれ刺されつづけた。
(クソっ!! なんでだ…あの黒マネキン野郎のリズムが狂った? さっきまで読めていたリズムが合わねぇ…。なんで……いや待て。もしかしてこいつのマジック──)
「あの怪人ふつうじゃない。運が尽きたらきつい、でも──」
客席から動かない客たちを浮かぶ魔法の傘で運び別の場所に退避させながら、黒セーラーは苦戦するカイザーのことを見つめる。
読めないましてや視えない攻撃の雨をつづける怪人はふつうじゃない。
でも──
地獄の責苦の中、手も足も出ない間に合っていない白獣の身を刺しつづける透明な蜂たちは────全て叩き落とされた。
「さぁさぁ運の尽きはお知り合いですかァフフフふふ……フ──!?? な、ナニ!?? 今、ナニをし」
「ナニをだと? ハッ、ただ…てめぇの運が先に尽きたって訳さ。はぁはぁ…ハハハはッ──チョコっと先にな」
怪人死神クンも驚愕する離れ業をやってのけた、それは運か実力か悪戯か。
僅かに茶色に汚れた無機質な残骸がステージ上に無惨に転がり、不可解だった透明マジックの種は今……カイザーレオの拳の前にスベテ台無しになり解かれた。
「このカイザー、もっとふつうじゃない」
黒セーラーの見つめるそのカイザーはふつうじゃない。
その能力、その戦い様はふつうじゃない。
透明な蜂に幾度も刺されながらも、甘く苦い隠し味をその身に忍ばせ、寛大自由に空へと放つ。また刺しにこようものならば彼は敵にも察知されないほんの僅かなマーキングと匂いをたよりに、全ての蜂を捕まえてみせた。
やがて喉元に迫っていた最後の一匹、その悪あがきの隠し針をもその手に今握りしめて、カイザーレオは笑いながら砕ききった。
《ディスクセット1》 珈琲チョコレコード
「ピクシスウインドをスベテ…何故急にカイザーの動きが……??」
「指を鳴らしてあそんでた悪戯な風の正体ってのはこれで全匹か? ハッ、ナラ──!!!」
派手には見せずにひそかに、最後は派手に叩き落とし。
マーキングした悪戯な風の正体、透明に偽っていた無機質なそれを全部その拳で破壊した。
指を鳴らせどもう風は起こらない、はじめから風など起こっていなかった。
スベテとおののきつつ偽った最後の一匹を握りつぶし、白獣は駆けた。
そして風すら吹かせないその黒のインチキマジシャンを急襲し蹴り上げた。
さっきまで闘いのテンポを取っていた怪人は、攻守交替、今度は一転出遅れてカイザーの餌食になる。
鋭く迫り蹴り上げられ、その身が宙に浮き上がった怪人はもう逃れられない。
カイザーレオは足に装着したディスクの爪を光らせ、翔んだ。
間抜けに浮かんだターゲットを切り裂く白獣の爪は────不意に失せた敵に決まらない。
決まった手応えはない。しっかりと見据えていたはずの宙をただよっていた黒マネキンが、いない。突如はっきりと怒った奇妙な現象に、着地したカイザーレオは辺りをさがすが──いない。
「うおおおお──オッ?? 消えっ!? ──ハ?どこいきやがった!?? ァガッ──」
必死な眼で見失った敵怪人を探すが、そんなとき突然後ろから殴打される。
すかさず殴り返そうと振り向くが、その拳の先は虚空…なにもいない。
そして行き場のない拳を戻す間もなくまたも後ろから攻撃された。
「ぐぁっ!! んにゃろう!? どうなってやがる!!」
倒れた態勢を立て直したカイザーレオの離れた目先に、突然空気と光がゆがみ現れる。
見失い必死で探していたあの黒マネキンの怪人だ。
「あなたの価値は存分に分かりました。ここからはこの死神クン、その死神たる所以、あなたの上がった死の舞台にてどっぷりとゾンブンにお・た・の・し・み、ください。──もっとも、お見せはできませんがフフフフふ────」
背景になじみ、向こう側の景色が透けてみえる。
いつかのように右手で優雅に一礼をしながら黒マネキンが透明に溶けてゆく。
透明マジックをスベテ粉々に見破ったかと思えば、今度は怪人ごと透明になり彼の視界からぼやけ失せてゆく。
立つ舞台は死の舞台、カイザーの舞台ではないのか、はたまたそれが怪人と闘う先に行きつく一人のカイザーの犠牲であるのか。
乾く口に思わずつよく舌打ちしたカイザーレオは透明人間へとその握る拳を迷い……構えた。
悪戯な風を暴いたときと同じような打たせてマーキングするやり方が何故か通用しない。
透明化した怪人本体にいい様にやられつづけていたカイザーはすぐにもうひとつの思い立った対応策を敷いた。
汗のように流れたのは汗ではない、チョコ。滴り続けたそれはやがてカイザーレオ自身を中心とし円形に広がった。
透明化対策で敷いたのはまさかのチョコの水たまりか。
カイザーレオは耳を目を凝らし集中する。この敷いたチョコ色の範囲内に入り一度攻撃されようものならば、透明人間にも足跡がつくはずとにらんだのだ。
「なるほど、それでピクシスウインドがやぶられていた訳ですか。カイザーが予想外のおどけた能力を使うのですねぇ。しかしお生憎────こちらは汚れをはじく高級品でしてネ、フフフふ」
「ぅガ!??」
チョコの足跡すらない。敷いていたチョコ色の策は意味を成さず失敗し、カイザーレオは透明人間に殴られ蹴られつづけた。いくら受けても突破口を見出せない、タネも仕掛けも割れないさっきよりも断然出来の良い透明マジックが白獣を襲い続ける。
「泥遊びがお好きなようで、先程から足元ばかりをご覧になられてどうされましたか!! フフフフフ!!!」
無様などろんこに汚れる……。そんなカイザーが追う目線を嘲笑うかのようにあちこちから声を響かせ翻弄する。視覚も聴覚も、カイザーレオが取り入れる全てのデータが遅くて古い。必然挙動反応は遅く、拳はすかり当たらない、防御するポイントは見当違い。
ついに膝をつく……。カイザーの最後にふさわしい無様な色に染まった彼に、透明な脅威、ミエナイ死は容赦なく迫り来た。
そこまで迫る殺気のベクトルはどこからか──分からない。
されど死の間際、カイザーのそのうなだれ下げていた青い大きな瞳は前を向く。
「実力の…──グゥウウウウ!!!」
「ナ──へガッっ!??」
カイザーレオは白い拳をチョコ溜まりへと振り下ろし、ぶち込んだ。
一気にぶち込まれた拳は隆起する、幾多のチョコ拳が地から突き上がるように数多のアッパーをお見舞いした。
どこから来るか分からなければ分かるまで殴り続ける、彼の土壇場で導き出した答えはすごくシンプルだ。
まさかの地を揺るがすチョコ拳の乱れ咲く範囲攻撃に避けきれない透明人間は、蛙のように鳴きながら宙へと跳ねた。
「デッ、デタラメな!? シ、しまった!?? 【グラビティコート】もう一度──」
出鱈目な攻撃を受けてしまったからか、透明が解除された。
一瞬解除され現れたチョコ色に汚れたマネキンはもう一度自身本体の透明化を図る。
また光が輪郭がぼやけてゆく、そんなとき──
「逃がすか ヨッ!!!」
消えようとする一瞬を逃さない。
フリスビーのように投げられた青い円盤は途中展開される──そしてグルグルと巻かれていたコードを解くように、形を一本に伸ばし成す。
〝ぐるっとじゃんけんグミ(チョキ味)〟はカイザーが遠隔から出した変化球のフォークのようなサインで。上からしなるそのチョキ拳をぼやけた輪郭へと叩きつけた。
チョコ色のステージをバウンドする、透明でない存在をはっきりと見据えて逃がしはしない。白獣は耐え忍んだ末にやっと見つけた獲物を狩るように一気に駆けた。
「グぅぅぅッちょきぃぃぃ……【パンジぃぃいいいいいい】!!!」
叩き込む拳は咲き誇る拳、【パンジーパンチライブラリー】
怪人のどてっ腹へと炸裂した華拳は敵をドラムセットまで吹き飛ばした。
「よぉ、泥の怪人。こそこそはしゃぐ透明人間の倒し方、しってるか? ははハッ」
透明人間の姑息な戦い方をもその持ちうる能力を駆使アレンジし、ねじ伏せる。
カイザーレオの戦い方が死神クンを華麗に吹き飛ばし上回った────。
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《ディスク1》珈琲チョコレコード
《ディスク2》ぐるぐるグルービーグミ
《ディスク3》花柄ディスク
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