17,000人の散歩症候群
どうしても、外を歩きたくなってしまう。そんな気分になることは、誰しもあるだろう。しかしここ日本では、「そっちじゃないですよ」と腕を捕まれ、無理矢理に連れていかれてしまう。
「お家はこっちじゃないですよ」
「今日はここにいましょうね」
「さぁ、おやつ食べましょ」
本人の気持ちはさておき、エプロンをつけた20代の、もはや孫とも言えるような年齢の知らない人から「おばーちゃーん!こっちー!」と叫ばれることもある。
17,000人というのは、年間における徘徊の件数である。届け出があった数なので、実際はもっと多いだろう。新井医師は、考えた。「徘徊」だなんて名称をやめて、「散歩症候群」にしたらどうだろうか。誰だって、散歩をしたい時はある。一人でぷらっと出かけたい時もある。いつもいつも誰かに見張られていては、心から楽しめないだろう。
例え何らかの疾患を持っていたとしても、「その人自身」は変わらない。散歩症候群だから、散歩がしたい。それだけだ。
周囲の心配が度を超すと、本人にはストレスである。「見張っていなければ」と、いつも目を光らせていては、周囲の人間もまたストレスである。
新井は、とある家族の協力を得ることにした。あくまで新井個人の考えではあるが、「徘徊」という表現は一切せず「散歩症候群」という表現に変えてみることで、スタッフや家族の心境に、何らかの変化は起こるのかどうかを実験したのだ。
単に名称を変えるだけ。それが、どれほど人間の行動に影響があるのかを、新井は知っている。どんなふうに考えるのか、どんなふうに捉えるのか、全て自由だからこそ、新井は「より良く、楽しく」したいと思っている。
5年後、新井発案の「散歩症候群」が、医療の世界で当たり前に使われている…かもしれない。