バルバ帝国
読んでいただいてありがとうございます。バルバ帝国編です。
~ユージーン&オーレリア~
温かく逞しい腕の中からするりと抜け出すと、オーレリアは小さく震えた。
「……寒い……」
まだ夜明け頃といったところだろう。何となく目が覚めたオーレリアは、ベッドからそっと抜け出してカーテンを開いた。
「あら、雪がこんなに積もったのね」
窓の外は雪が降っていて、バルコニーにはすでに積もっている。
昨夜、寝る前は寒かったが降っていなかったので、夜中にでも降り出したのだろう。
「ふふ」
小さく笑うと、窓をほんの少しだけ開けて雪に手で触れた。
さらさらの雪が体温で冷たい水に変わる。
「寒くないのか?オーリィ」
「ごめんなさい、起こしてしまいましたか?」
後ろからオーレリアの身体を抱きしめてきたのは、寝ていたはずのユージーンだった。
「これだけ寒い日に、急に温もりがなくなったんだ。さすがに気が付く」
「確かにそうですね」
くすりと笑うと、オーレリアは夫に身体を委ねた。
「雪が好きなのか?」
「リンドではあまり降らなかったので、ちょっと珍しくて。空からこんな白いものが落ちてくることが、信じられないんです……でも、綺麗ですよね。冬にしか見ることが出来ない、自然からの贈り物です」
「あまり続くと災害になるが、まぁ、この程度ならそうだな」
「ユージーン様は見慣れているかもしれませんが、私はほとんど見たことがなかったので」
ほとんど見たことがなかったから、知らなかった。
雪が降った時、オーレリアを包む温もりが一番心地良いことを。
雪が降るほどの寒さから守ってくれるこの温もりを、もう少しだけ堪能することを許してほしい。
「オーリィ、これから先は、毎年一緒に見られるぞ」
ずっと、毎年、一緒に。
「……はい……」
見よう、二人で。
離れることなく。
~リュシアン&レティシア~
「リュシー、雪は大丈夫だった?」
普段は、皇后付きの女官として皇宮内の部屋で暮らしているレティシアだが、休みの日には貴族街にあるリュシアンの屋敷で過ごしていた。
レティシアは仕事が終わってすぐ来たので雪は降っていなかったが、リュシアンが帰って来たのは夜遅くだった。
「まだ、降ってはいないけど、夜中には降り出しそうだね。レティこそ、寒くなかった?」
「私も大丈夫よ。でも、廊下は寒いわね」
「部屋で待っていればよかったのに」
「出迎えたかったの」
そう言うと、レティシアはリュシアンへ抱きしめた。
「身体が冷たいわ」
「帰ってきたばかりだから。レティは温かいね」
「こうしてくっついていれば、リュシーも温かくなってくるかしら」
レティシアは、この温もりを一度は失ったのだと思っていた。
遠い異国で、なくなってしまったのだと。
まさか、自分がその異国に来ることになるとは思ってもいなかった。
故国と生まれた家を捨てて、リュシアンを選んだことに後悔はしていない。
もう二度と失いたくないのだ。
次にこの温もりをなくした時は、レティシアの命も失う時だ。
「レティ、大丈夫だよ。僕はもうどこにもいかないから」
「どこかにいく時は、必ず私を連れていってね。あなたがいない場所には、もういたくないから」
「うん。もちろんだよ」
幼い頃は姉と弟として分け合った温もりを、今は婚約者として分け合っている。
リュシアンは、レティシアを一度強く抱きしめると、未練がましく身体を離した。
「抱き合っていたいけど、さすがにこれ以上はね。このままお風呂に入ってくるよ」
「そうね、本当に風邪を引いてしまうわ」
「そうなったらレティが看病してくれるんだろう?」
「もちろんよ。でも、心配だから、なるべく病気はしてほしくないかな。ゆっくり入ってきてね」
「そうするよ。……離れたくないなら、一緒に入る?」
リュシアンがそう言うと、始めはきょとんとした顔をしたレティシアだったが、意味を理解した瞬間に、顔が赤くなった。
「ま、まだしないわよ!もう、私は先に部屋に戻っているからね」
顔を赤らめて急いで部屋に戻っていくレティシアに、リュシアンはくすくすと笑った。
「まだ、なんだね。じゃあ、その内一緒に入ってもらおう」
上機嫌に笑いながら、リュシアンは歩き出していた。
~ノア&ドロシー~
最近、朝の一時をノアとドロシーは一緒に過ごすようになっていた。
ノアは今までよりほんの少しだけ早く皇宮に来て、与えられた部屋で紅茶を淹れる。
ドロシーも皇妃の執務室に出勤する前にノアの部屋へ来て、朝の紅茶を飲みながらノアと少しだけおしゃべりをしていた。
「見事に積もったね」
窓から見える一面の雪景色。
庭師によって綺麗に整えられている庭も、白い雪で覆われていた。
それに今も降っているので、解けることがない。
「そうですね。ノア様、出勤は大丈夫でしたか?」
「俺は大丈夫だったが、何人かこけている人を見かけたよ。今日は、皆、時間通りに出勤するのが難しいかもね」
こういう日は、多少の遅刻は仕方がない。
だいたいどこの部署でも雪を見越して、昨日の内に出来るところまで書類は終わらせているだろうから、大きな混乱が起こることもないだろう。
可哀想なのは、武官の方だ。
どれだけ寒くても、見回りや門番などを止めるわけにもいかない。
「今日は、レティシア殿が休みなんだっけ?」
「はい。婚約者のリュシアン様の屋敷に行くと言っていました。雪が降る前に出て行ったので、大丈夫だとは思いますが、帰ってくる時は、まだ雪が積もっていそうですね」
「そうだね。二、三日は、雪が降ったり止んだりする天気になるみたいだよ」
ドロシーは、ノアと会話しながら、雪が降る様を見つめた。
どれくらいぶりだろう。
雪を見ながら、こうして誰かと紅茶を飲むのは。
生まれた家でも、嫁いだ家でも、ドロシーはいつも一人だった。
暑かろうが寒かろうが一人でいることの多かったドロシーに、そのことを感じる余裕なんてなかった。
毎日毎日、ただ、部屋の中で出来ることだけを考えていた。
外を眺めるなんて発想も出なかった。
「寒いですが、こうして雪を意識して見るのは初めてです」
「生きるのに精一杯で、季節を感じることなんてなかった?」
「はい、ありませんでした。だから、何か嬉しいんです。こうして、冬を感じられるのが」
「じゃあ、春になったら花を見に行こう。夏は暑いと文句を言いながら湖にでも涼みに行けばいいか。秋は山の恵みでも食べに行こうか。そしてまた季節が巡って冬が来たら、こうして一緒に温かい紅茶でも飲もう。時間が出来たら、温泉に遠出するのもいいね」
ノアの語る四季計画はとても魅力的なのだが、二人で一緒にというのが大前提になっている計画だった。
「いいですね、それぞれの季節にあった催しです。今まで家に籠もってばかりだったので、外の世界がこんなに季節を感じられるなんて思っていませんでした」
「当たり前と言えばそうなんだが、俺は今までそんな風に思ったことはなかったな。ドロシーに言われると改めてそれぞれの季節の良さを感じようと思ったよ」
「余裕があるっていいですね。季節を感じられないのは、もったいない気がしますから」
「全くだ。仕事に埋もれていたら、そんな風にも思えないな。四季?そんなのあったかな、って思う程度か」
外の世界を感じる余裕なんてきっとなかった。
ドロシーがこの当たり前がとても大切なことなのだと教えてくれた。
「ドロシー」
「はい」
「今度、休みを合わせてどこかに行こう」
「……はい」
ノアはドロシーに向かって微笑んだ。
その約束は小さな、それでも確実に前に進み始めた証だった。
~おまけのノア&クレイル~
「ノア、ノア、雪だよ」
「クレイル、はしゃぎすぎて、雪を食うなよ」
「え?やだなー、僕がそんなことするわけないでしょう?」
「他の司書に聞いたぞ。お前が部屋から出るのをめんどくさがって、窓際に積もった雪で水分を補給していたって」
「……あれ?そんなことは……した覚えはないけど、うん、きっとやったんだね」
「やったんだろうよ。子供か、お前は」
「……えーん、えーん、ノアパパがいじめるよぉう」
「そんな感情が一切こもっていない棒読みは止めろ」
「感情をこめていいの?」
「だめだ。俺の心はドロシーの方にしか向いていない」
「ちょっとだけこっちにも向けてほしいかな」
「諦めろ」
これはこれできっと仲の良い友人同士のコミュニケーションの取り方なんだろうな、と聞いていたリュシアンは思っていたのだった。