第5話 3人分の補強
棚町愛華は、最初こそ渋っていたが、金額の多さと吉保大吾に見捨てられたと思ったのか、すぐに了承してくれた。
彼女という、優秀な頭脳を伴って、千葉に戻った私は、今度は、「彼ら」と対峙することになるのだが。
その前に、彼女の引っ越しの身支度を手伝いながら、3日間、福岡に滞在した私は、彼女、棚町愛華と語り合うことになった。
もちろん、「チーム編成」についてだ。
そこで、彼女の持論が展開されることになるのだが。
「野球というのは、究極的にはどうすれば勝てると思いますか?」
という話から始まった。
「どうするって、そりゃ点を取られなければ勝ちではないですか?」
「違います。逆です。いかに点を取るか、で決まります。先発陣がたとえ0点に抑えても、点が入らないと勝てません」
「そりゃ、そうかもですけど」
「それでは、どうすれば点が入りやすい、と思いますか?」
「打率や本塁打が高い選手が多くいればいいのでは?」
「それは感覚的な問題です。統計学的には、塁を埋めればいいと考えるわけです」
「塁を埋める?」
「ええ。塁を埋めて行けば、それだけ本塁に到達する選手が増える、つまり点が入る確率が上がります。そのためには、とにかく塁に出る選手がたくさんいればいいのです」
「出塁率ですか?」
「ええ」
実は父が残したノートを見て、私もそこには着目していた。打率や本塁打数、打点数よりも、最も重視するのが「出塁率」。これはいわゆるセイバーメトリクス理論でもよく言われていることだった。
統計学的には、確かに彼女の理論が正しい。
だが、面白いことに、彼女の理論はそこだけではなかった。
「投手陣は、WHIPを基準にします」
「WHIP?」
さすがに聞いたことがない単語に、私が疑問符を投げかけると、彼女は冷静に説明してくれるのだった。
「Walks plus Hits per Inning Pitched。つまり、投球回あたりの与四球・被安打数の合計です。1投球回あたり何人の走者を出したかを表す数値ですね。これは与四球数と被安打数を足した数値を投球回で割ることで求められるんですが、問題点もあります」
「問題点ですか?」
「野手の影響を大きく受ける被安打を内容に含んでいるので、WHIPの高低は投手の働きだけでなく、実は野手の守備に左右されるのです。ショートリリーフの投手の場合、投球イニングが少なく、ワンポイントとしてイニングの途中で交替することが多いので、自分の残した走者を後続投手が返すか否かで防御率が大きく変わってきます。そのため、そもそもWHIPはショートリリーフの投手の評価により適してますが、セイバーメトリクスでは疑問を持たれてます。その証拠に、この値を日本プロ野球では採用していません」
愛華によると、「一般に先発投手であれば1.00未満なら球界を代表するエースとされ、1.20未満ならエース級、逆に1.40を上回ると問題」らしいが、このWHIP自体が、あくまでも「指標」の一つ程度にしか使わないが、それでもワンポイントリリーフなどでは、有益な値になる、と私は考えた。
他にも、彼女とは色々なことを話した。一見、冷静で冷たい人に見えるが、彼女の「野球への情熱」は本物だった。
来たるべき時がようやく来たと言っていいが、それが1月の「編成会議」だった。
これは言わば、「チーム編成」を考えるための、戦略会議で、オーナー以下、GM、監督、コーチ、スカウトなど様々なチーム関係者、いわゆるフロントたちが集まって、話し合いをする。
当然、一番若手で、高校生の私の意見などナメられて誰も聞かないことが想像される。私はその場に、彼女、棚町愛華を同行させた。
「じゃ、始めるぞ」
早速、仕切っていたのは、この中で一番権力があるオーナーだった。
「まずは、北浦の穴を埋めないといかん」
から始まって、その場にいた、主に複数のスカウト担当、監督、打撃コーチ、投手コーチなどがそれぞれが色々な意見を述べるが。
「パイレーツの大友はどうだ?」
「あれはいい選手だが、年俸が高い」
福岡パイレーツの大友正樹。29歳。三塁手。「天才」と言われるアベレージヒッターで、同時に守備の名手。昨年の成績が、打率.325、28本塁打。驚くべきは盗塁数が35も数えていた。惜しくもトリプルスリーを逃していたが、それでもまさに5ツールプレイヤーと言っていい。年俸は3億5000万円を超えている。
「ビッグボーイズの米本は?」
「米本も高いだろ」
東京ビッグボーイズの米本大輔。32歳。一塁手。ビッグボーイズは、「中央リーグ」に所属する歴史と伝統のあるチームで、デビュー以来、ほとんどそこの3番を打っている。
昨年の成績が、打率.310、20本塁打、80打点。同じく年俸は3億円を超えている。
その後も、色々と話が出ていたが、私は無言だった。どうにも納得がいかないからだ。
「GMはどう思いますか?」
ようやく、仕方がない、という感じで、ベテランのスカウト担当が私に話を振ってきたから、私はようやく意見を述べることにする。
「話になりませんね」
そう口火を切ると、さすがに居合わせた年長者たちは皆、険しい顔になった。若造、女子高生の小娘が何を言っているという顔だった。
私は、その場の凍り付いた空気に負けず、言い放つ。
「いいですか? 我がチームが使える年俸は限られてます。なのに、高額の選手を取ってどうするんですか?」
「しかしGM。そうしなければ勝てませんが……」
早くも打撃コーチが突っ込んでくる。相良という名の、60がらみの細面の男だ。
「監督。去年の北浦選手の年俸はいくらですか?」
私が話を振った相手は島津宏樹。風采が上がらない、頭の後退した58歳の男だったが、これでも元・プロ野球選手で、二塁手だった男だ。現在、千葉ユニコーンズの監督をしている。
私はデータとして、北浦選手の年俸の額を知っていたが、あえてわざと彼に話を振ったのだ。それは金額の重さを皆に知らせるためだった。
「2億5000万円だが」
「であれば、最低限これより少ない金額で3人分取る必要があります」
「3人分? 北浦の穴を3人で埋めると? バカげてます」
打撃コーチが吠えるように反対の声を上げた。
「いいえ。棚町さん」
彼女に話を振る。
実はあらかじめ、彼女にはデータを取ってもらっており、出塁率が高い選手を、現在のプロ野球界からピックアップしてもらっていた。
その中で、「年俸が安く、そこそこ使えそうな」選手を、愛華に指示して、2人上げてもらった。
それが、
「大阪ドリームスの柏木俊太郎選手」
一人目だった。
「バカな。柏木は、ドラフト2位とはいえ、去年の成績が.182、2本だぞ。もう終わった選手だ」
今度は、比較的若手のスカウトが吐き捨てるように言う。
年齢は30歳の外野手。かつて、大卒ドラフト2位ルーキーとして、特にアベレージヒッターとして、守備力も合わせて期待されていた逸材だったが、プロ入り後は、ほとんど活躍せず。トレード要員としては簡単に手放しそうな選手ではあった。昨年の年俸は2000万円。
そして、
「福岡パイレーツの蒲生虎太郎選手」
二人目だ。
「蒲生? もう34歳のベテランだぞ。足も肩も悪い」
もちろん、予想されていたことだが、同じく国内スカウトから大反対されていた。
蒲生選手は、34歳の一塁手。昨年の成績は、打率.248、5本塁打。昨年の年俸は1500万円。すでに、落ち目に入っていると思われるベテラン選手だ。
「バカバカしい。そんな終わった奴を取るくらいなら、他の選手を……」
ついには、普段は選手の獲得には直接、口を挟まない、オーナーまで口を挟んでいたが。
「でも、2人とも出塁率は高いです」
「セイバーメトリクスですか。しかし、いくら出塁率が高くても、成績的には無理でしょう。で、3人目は誰です?」
もはや投げやりになって、聞いてきたのは投手コーチだった。
打撃コーチとは反対に、ビール腹が出ている、60近い中年男性だが、投手コーチよりは物腰が柔らかい男だ。名を山県という。
「3人目は、ブライアン・ロペス選手です」
「ロペス? 誰ですか、そいつは?」
「アメリカ人のメジャーリーガーです。つい先日、ロースターから外れてます」
ロースターと言うのは、メジャーリーグにおいて、チームの公式戦に出場できる資格を持つ選手登録枠のことである。26人枠と40人枠の2種類があるが、いずれにしてもここから外れると、トレード要員になることが多い。
「ああ。思い出しました。一昨年くらいに、ビッグボーイズが取って、すぐ帰った選手ですね。確か全然守れず、変化球にも弱かったはずですが」
「でも、出塁率が高いです」
監督の一言に、棚町がことごとく返していた。
「バカげてます」
誰もが反対する中、私は予想していたから、あくまでも冷静に一言を返す。
「言っておきますが、GMにはこれらの決定権があります。決めるのは私です」
そう言うと、さすがに場は静まり返った。
代わりに、怨嗟のような低い声が響いてきた。
「それで、誰をトレード要員として出すので?」
「勝山選手を大阪に、神田選手を福岡に」
そう発言したのは、すでに意見を合わせていた、棚町愛華だった。
勝山は素行不良が問題になっており、神田俊樹は25歳の若手だが、怪我が多い選手で、出場機会が少なかった。
「ロペス選手とは、年俸5000万円以下で交渉して下さい」
私の一言で、場は葬式のように静まり返り、彼ら中年男性は渋々ながらも、頷いて解散となった。
こうして、編成が行われ、私の決断で、千葉ユニコーンズは、柏木俊太郎を年俸1800万円で、蒲生虎太郎を年俸1400万円で、そしてブライアン・ロペスを年俸3000万円で入手した。
合計年俸が6200万円。2億5000万円の北浦選手の年俸の半分以下だった。