第1章 8 アバロンのアジト
護衛隊の追跡を逃れ、森を抜けた二人にようやく落ち着きが戻って来ていた。広い街道の端でミツヤはヒースに炎の剣の経緯を聞いていた。
「うーん、悪いが全然覚えてないな……」
ヒースは腕組して記憶を辿る。しかしあの時はミツヤを失うかもしれない恐怖と怒りで僅かな炎など目には入っていなかったのだ。
「まさか、ヒース、お前もイントルーダーなのか……!?」
「いやぁ、そんなはずはないぜ? だって生まれてからずっとここに住んでるし……まぁ、とにかくどこか安全なところでちゃんと手当しようぜ」
その言葉にミツヤは視線を外し、ほんの数秒、何かを考えるように黙り込んだ。
「それなら、僕のとこ来ないか? ちょと歩くけど」
ミツヤの案内で向かったのは、彼の住んでいた村の近く――かつて異形獣の襲撃で壊滅した街、アバロン。
今ではスラムと化し、国からも見放された廃墟だ。ミツヤは数週間前にその地を偶然見つけ、それ以来、誰の助けも借りずに一人で暮らしていたという。
二人は背後に気を配りながら、静かにそこへと歩を進めた。
◇ ◇ ◇
街道を外れ森を抜け、アバロンに到着した頃には、既に空が白み始めていた。
風が、立ちすくむ二人の間を吹き抜けていく――。
「ふうぅっ、さぶ」
春とはいえ、明け方の空気は冷え込む。ヒースは両腕を何度も擦った。
アバロンはヒースが想像していた以上に荒廃したエリアだった。かつて小さな街が存在していたであろうその場所は、住居らしき建物は瓦礫のように崩れ、周囲を見渡す限り、荒野が広がっていた。
「人っ子一人いないな……」
街の中心にはかつて憩いの場となっていたであろう噴水の跡がある。噴水の中央にある馬のシンボルが崩れ、今は辛うじて形を残しているだけだった。
「……だろ? そのせいで、護衛隊も用事がないし、異形獣もここに獲物がいないから寄りつかない。でもな、このシティーホールが案外いい状態で残ってるんだ」
ミツヤが入口脇にいつも置いているマッチを手に取り燭台の蝋燭に火をつけると、二人はかつて賑わっていたであろう二階建のレンガ作りの大きい洋館に入っていった。
外から見るよりも内部は意外にも整然としており、小綺麗で品のいい調度品が揃えられているのが暗がりでも分かった。
一階ホールの中央に、幅二メートルほどの階段が鎮座している。ヒースは感嘆の息を漏らしつつ、奥の客間へと案内された。目に入ったのは中央に置かれたソファーの応接セットだった。格子の硝子窓もまだ割れておらず、カーテンも無事だ。
「なんと言ってもこの屋敷がいいのは、ガスはもう配給されてないけど、水道が通ってることだ」
「水道!?」
ヒースは驚きと、少しの高揚感で声が上ずった。
「ここは廃墟になる前は結構な金持ちが暮らしてたんだろうな」
この国では宮殿内と、一部の富裕層エリアしかガスと水は供給されていない。一般民衆の灯りとりは、油に火をつけるか蝋燭の火だ。水道管とガス管は富裕層の多い街には割合多く設置されているが、ほとんどの街や村は井戸なのだ。因みに、水道代についてはこういった廃墟であっても毎月定額で水道設備のあるエリアの貴族がまとめて支払っていることはミツヤも知らない。
奥のキッチンに入るとヒースは初めて見る珍しい水道の蛇口をひねってみた。
「すげー!! ミッチー! 水が出るぞ!」
「ああ、ヒース、僕もこれにはすっげー助かってんだ。なんたってシャワーもできるからな」
「シャワーって何だ?」
「まぁ、後でゆっくり見ればいい、まず休もうぜ」
ミツヤは一階奥のもう一つの客室――最も広い部屋へとヒースを案内する。シャンデリアや壁のブラケットに灯りがともり、重厚な空間が明るく照らされた。
「おお〜。明るくていいな」
ミツヤがゴブラン織のような厚手のソファに体を横たえると、ヒースは部屋の隅に赤い刀を置き、じっちゃん秘伝の薬と薬箱の包帯でミツヤの応急処置を済ませた。
「ふうーっ ここいいな、落ち着くし。しかもまだ使えそうな物が結構残ってるじゃないか」
ヒースは、安堵からか疲労感が一気に押し寄せ、ミツヤと向かい合うソファに腰を下ろすと、あくび混じりに笑った。
「まずは礼を言わないとな。ありがとう、助かったよ」
あまり表情を変えないミツヤが少し照れくさそうに礼を言った。
「だが、プランBが台無しだ」
「あーあれな、悪い。目の前で誰かが襲われてて見捨てるとか、やっぱできないんだよ。ごめん」
「……あのとき、関知しないって約束したはずなのに……。まぁ、助かったけどな……」
「あの場面で仲間を見捨てるとか無いだろ」
(……仲間、か。こいつ、まだそんな風に思ってんだな)
心の中では呆れ半分だったが、どこか悪い気はしなかった。言葉にならない感情が、ミツヤの中で少しずつほぐれていく。
「ところでミッチー、これなんだ?」
ヒースはこの部屋のキャビネットの上に飾ってあった黄と青のツートン色のボールを持ってきてミツヤに手渡す。
「ああ、それか、こっちの世界にはないんだろう? バレーボールだよ。僕小・中・高とバレー部だったんだ。て、分からんか」
ミツヤがボールを受け取ると、背中の痛みも忘れた笑顔でボールを上に放り、右手で軽く床に打った。痛みが背中の傷にダイレクトに走る。
「うぐっ、背中ぁっ!」
床でバウンドしたボールはヒースの肩にヒットし、ベクトルを変えて更にドアにぶち当たった。
「いてぇ! え? びっくりした、なんだミッチー、すげー! なんの武器だ!?」
「お前、面白いな! 笑わすなよ、背中が……!」
気づかないうちに、ミツヤは久しぶりに――心から笑っていた。
「お前の世界から持ってきたのか?」
「ああ。このボールは僕が落雷に遭った時、手に持ってたか傍にあったのは覚えてる。他にはポケットに入ってたグミと小銭くらいなんだが……」
「グミ?」
「悪ぃ、もう食った」
「他にも以前に街でイントルーダーらしき人物に会ったことあるんだが……どうやらこっちの世界に来た者は、その時手に持ってるか傍にあった物もいっしょに持ち込んでるようなんだ」
「へぇー」
「お前、着火ライター持ってたろ」
「これか?」
ヒースはデニムパンツのポケットに手を入れた――が、次の瞬間、表情が曇る。
「あの影響で剣から炎が出たんじゃないかって……」
ミツヤはヒースの手元を見ながら着火ライターがポケットから取り出されるのを待っていた。
「あれ? ……ない。どっかで落としたかも……!」
「なんだよ~。ま、いずれにせよガスが切れたら終わりだしな」
その後ヒースはミツヤに言われ、刀から炎が出るかどうか刀身に穴が開く程見つめてみたが、炎が灯る気配はなかった。
「うーん、やっぱ僕の見間違いだったんかなぁ……」
二人はじっと、顔を見合わせて暫く沈黙が続く。
「……なぁ、腹減ってないか? 資金あんまないけど何か食いもん持ってくるぜ」
ヒースが先に沈黙を破って切り出す。
「悪いが僕もお金ないんだ。でもあの森、また異形獣が出るかもしれないから、行くなら他ルート当たった方がいいぞ」
「そういやぁミツヤに助けてもらったベルニーの森、思い出してもこえーよ。犠牲者の遺体も散乱してたし」
「自警団の遺体だろう。護衛隊が全然機能してないから、民衆が自衛のために武装するしかないんだよ」
「俺……護衛隊ってもっと頼りになるモンかと思ってた。でも、あの異形獣の数。あれじゃぁ……」
実はこの国の王は数年前から不在となって以来、実権は全て宰相リシューの手中にあった。
リシューが執政を始めてから30年程前、民衆による政変未遂を機に、武器の所持は全面的に禁止され、異形獣に対する防衛体制は崩壊していたのだ。
そしてリシューが国の軍事的な事をトージに一任してからというもの、異形獣から民衆を守る体制は全く機能していないのが実情だった。
ヒースの護衛隊に対する落胆の表情に、ミツヤも頷く。
「だよな。少し腕に覚えがあるってだけじゃ、昨日のあれは太刀打ちできない。ヒースや僕みたいな奴が数人いれば別だけど」
ミツヤの言葉で突然、ヒースがソファから身を乗り出す。
「……それだっ!」
「な、なんだ?」
と、ミツヤが思わず素っ頓狂な声を上げると、ヒースは目をキラキラ輝かせて叫んだ。
「自警団だよ――!!」
ヒースの言葉で、ようやく物語が動き始めます! このアバロンのアジトになる洋館は二階建ですが、一部屋がかなり広く、ホテルの部屋でいうと、3ベッドルーム程の広さの洋室が一階に2部屋、二階に二部屋あります。今後、女子も同居になります!(ここで言ってよかったかな)