第１章 ５ イントルーダー
「誰だ！？」
かつて感じたことのない凄まじい殺気にヒースは凍りついた。
「君達ですね？ 我々の仲間を救ってくれた少年というのは……」
森の奥から現れたその男はヒースより背は高く、シャツの上に紺色の制服を袖を通さず肩掛けで羽織っている。腰に装備したブロードソードの革鞘の装飾が横向きの獅子であることから護衛隊の一員だと判った。
垂れ目気味で茶色のくせ毛が肩で風に揺れており、一見すると柔らかい雰囲気の30代半ばのようだが見据える視線は恐ろしく鋭い光を放っていた。
護衛隊にもかかわらず、足元はブーツではなく、どういう訳かビーチサンダルを履いている。
「誰だお前、『救ってくれた』なんて言ってる割には、敵意丸出しじゃねぇか」
ヒースは男を睨みながら、心の中で警戒を強める。
（コイツ、多分強い……！ 今まで見てきた護衛隊員とはまるで違う雰囲気だ……！）
瞬時に鋤を胸の前で構え、臨戦態勢に入る。
その時ミツヤはビーチサンダルの男の後ろにもう一人護衛隊員を見つけ、ここぞとばかりに嫌味をぶち撒けた。
「ほらな、だから余計な事すんなって言ったんだ。あんたが助けてやった奴、ご丁寧に上官にチクったようだ」
「上官……だと！？」
ヒースの表情が一段と険しくなる。
「ああ。あいつ護衛隊の第三隊隊長、『ビーサンのクロード』だ……！」
ミツヤの目に緊張の色が浮かぶ……。クロードと呼ばれた男はヒースから視線を外さず腰に手を伸ばし、ゆっくりと剣を抜いた。
「……黒髪の少年、あなたは少し下がっていなさい。私はこちらのオレンジの髪の少年に用があります。昨日の試験会場での暴挙で手配が回っていますが、大人しく投降するなら危害は加えません」
クロードの冷静な声が響き渡る……。
「ミツヤ、どいてろ……！」
一人で引き受けたヒースだったが、左肩の傷のせいで鋤を握る左手に力が入らず、その先端は震えていた。
「お前そのケガでまだ相手すんのか？ そいつ、ランクＡを超えるって聞いてるぞ」
「ランクなんか関係ねぇ、俺はじっちゃんの仇をとるまで倒れねぇよ！」
そう言ったあと、クロードにその視線をぶつけた。
「たとえこの体がどうなっても、諦めるわけにはいかないんだよ！」
クロードは目を見開き、低く呟く。
「……いい覚悟です」
ヒースの覚悟を聞いたミツヤは少し口を尖らせて言った。
「出たよ、根性バカが……！ けど、ここまでくると賞賛ものだな……」
「しかし……驚きました。皆の話のとおり本当に農具で我々の仲間を倒したのですね、実際に自分の目で見るまで信じられませんでしたが」
ヒースは警戒しつつ右足を一歩後ろに引く。
「ただ、私はそうはいきませんよ」
（来る……！！）
ヒースが身構える。クロードは右足を大きく踏み出し、剣を左から一文字に描いた。
「春・一番……！」
剣筋から突風のような風が空気を断ち切るように走る！ その刹那、ヒースは大きく後ろへジャンプでかわす。地面に着地すると中腰姿勢でザザーッと土煙を上げながらも、左手を伸ばすようにして滑る足を止めた。
完全にかわしたつもりだった。が、腹部のシャツに一の字の切り込みが入っていた……！
「ウッ……す、すげぇな……だがその剣筋、知ってるぜ……」
剛腕により瞬時に鋭い風を巻き起こすクロードの剣は、距離があっても斬撃が当たるのだ。ヒースにとって、じっちゃん以外の剣の相手でヒヤリとした瞬間はこれが初めてだった。
「なるほど、それで避けられたのですね」
シャツが裂け、数秒経ってから血が滲み出した。避けていなければ腹も裂けていただろう。容赦なく次の攻撃が来る。
（まずいな、今こんなところでやられる訳にはいかない……！）
クロードが大きく振りかぶり、上から斜めに下ろしてくる瞬間ヒースは地面を蹴って宙高く飛んだ――。
「どういう訳か知らねぇが、その太刀筋が相手なら尚更負けられねぇ！」
そう言った時、ヒースはもうクロードの頭の上で狙いを定めていた。
クロードは振り下ろしかけた剣の行き先を変える間はなく、凄まじい風圧はヒースの代わりに地面を切り裂く。地面には10メートルにわたり一筋の深い溝が出来た。
今度はクロードが頭上のヒースの鋤を避ける番だが、後ろに体を外らせて回避するのが精一杯だった。バランスを崩したクロードは左膝をつく。すぐに額の上に両手で支えたブロードソードが、がっちりとヒースの鋤を止めた。
その衝撃でヒースの左肩と腹から血が噴き出す。
「ゥウッ……！」
（なんて力だ、ヤバいな。さすが護衛隊だ、こんな強い奴がいんのか……！）
クロードはそのまますぐにヒースの鋤を振り払った。
「おとなしく投降しますか？ 今なら命までは取りません」
剣を下段に構えてヒースの返答を待つ。
「……」
返事がない為、次の攻撃をしかけてきた。
「では遠慮しませんよ……塵旋風！」
剣を下から上に腕をひねりながら振り上げると突風が渦巻き状に立ち上がり、鋭い斬撃となってヒースを襲ってきた……！
「うわっ！ なんだこの風は！」
鋤を盾代わりに弾き飛ばそうとしたが風圧で押し戻される。胸元に出来た一筋の太刀傷から鮮血が噴き出す。風圧で地面に投げ飛ばされ地面を転がるヒースに、そわそわし始めたミツヤが声を掛けた。
「ヒース、目の前で殺されても寝覚めが悪い。手を貸そうか？」
「手ぇ出すなよミツヤ！」
鋤を杖代わりに立ち上がり、肩で息をしながらクロードを見据える。
「ハァッ、ハァッ……マジ強いな。けどあんたの技、俺の知ってる刀くさいぜ。誰かに教わっただろ」
「私も君の太刀筋を見たことがあります……。そもそも、『刀』の使い手はこの国では一人だけです……！」
ハッと気付いたヒースとクロードは数秒睨み合った後、同時に口から同じ人物の名が出た。
「じっちゃんのことか？」
「まさか、教官ですか？」
「……なるほど、そういう事でしたか」
クロードはそう言うと、ふうっと一つ息を吐いて剣を腰に収め、落ち着いた声で語り始めた。
「チョー教官……いえ、もう教官ではないのでチョーさんと呼びましょう。彼が引退した時、私たちには理由を言ってはくれませんでしたが、よほど大切なものが出来たのだと考え、皆黙って送り出したんです」
クロードはすぐに柔らかい表情に変わっていく。
「君、名はなんと……？」
ヒースも鋤を地面に刺し、名乗る。
「俺はヒース」
クロードはその凛とした目を見つめた。そのヒースの瞳は、恩師から剣技を受け継いだものだと悟るに充分な光を放っていた。
「ヒース君、覚えておきます。さすがチョーさんの子だ。君が鋤の代わりに帯刀して尚且つ負傷していなければ、あるいは……いや、万に一つもその可能性はない、と思いますがね」
「あんたもな。じっちゃん以外でヒヤっとしたのはあんたが始めてだぜ。だが勝負を続けてても俺は負けねぇよ」
強がってはみたものの、異形獣の爪で負傷していたところにクロードの剣で深手を負い、出血でふらついたヒースは地面に両膝をつくとそのまま崩れ落ちてしまった。
「けど、ちきしょう。悔しいがもう立てねぇ……」
「ヒース君、悔しいですか？ ですが、その悔しさがあれば君はもっと先へ行けますよ」
（……もっと先へ……？）
満身創痍のヒースの胸に涼やかな風が吹き抜けていく。
仰向けになり、空を仰いで暫く沈黙した後、クロードの方を向いて言った。
「やられた相手に励ましてもらって情けねぇが、いつかお前も超えてやる」
「ええ。いつでもお待ちしてますよ」
「ところで何でビーサン履いてんだ？」
「これはチョーさんが履いていた、草鞋の代わりですよ。あれはどこにも売ってない上に誰にも作れませんからね」
「なんだ、そんなにじっちゃんの真似したいのか」
ようやく緊張が解けたミツヤは、その言葉で口元が少し緩んだ。
ヒースは本題に戻し、クロードに真剣な目で自分にかけられた嫌疑について切り出す。
「だが、言っとくがこれだけは事実だ。あんた昨日の入隊試験の一件で俺を手配中で来たんだろ？ だが俺は無実だぜ？」
ヒースとミツヤはお互いの大切な人の仇がトージであることを、一か八かの思いで伝えた。
「…… 俄かには信じがたいですが……」
そう言いかけて、この先の話を隊員に聞かれない方がいいと考えたクロードは、ここまで案内をしてくれた第五隊の隊員に、一旦駐屯所に戻って荷馬車を五台率いて来るよう指示を出した。
「それが本当なら由々しき問題です。ですが、教官が育てた少年、君を信じてみようと思います」
ヒースはホッと胸を撫でおろし、ミツヤまでが肩の力が抜けたようだった。
「ですが……」
そう言いかけ、一度目を閉じた。そして目を開けるとクロードは厳しい表情でゆっくりと続けた。
「あの場で総隊長が君を指名手配犯として指定した事に対し、他の隊員が疑うことはありません。護衛隊の掟の上で総隊長の言葉は絶対なのです。残念ながら今は私もこればかりは力及ばずです。姿を変えられるドナム系イントルーダーであるかどうかも見極めようにも、誰も配下の者を近くに置かない総隊長を見破ることは難しいでしょう」
「だよなぁ」
ヒースとミツヤは同時にガックリと肩を落とす。
「ですので……。今から私が言うことは、独り言です。誰も何も聞かなかったということでお願いします。護衛隊本部駐屯所の場所ですが、王宮内に正門から入った場合、まず右へまっすぐ……」
ヒースとミツヤは顔を見合わせた。ヒースは眉をひそめてクロードに向き直る。
「お、おい、あんたそれ……」
さっきまで剣を交えた相手、第三隊の隊長が自分の身に危険が降りかかるのを覚悟で味方してくれているのだ。クロードは簡単ではあるが、王宮敷地内の護衛隊本部の駐屯所の位置、武器庫兼宝物庫の場所を明かした。
「……そこに倉庫があります。刀が本当に盗まれたのであれば、そこか、もしくは総隊長執務室でしょう。信じがたい話ですが本当にチョーさんが総隊長に殺害されたのであれば、これが私にできるせめてものチョーさんへの恩返しになるかもしれません」
「ありがとう！！」
ヒースは精一杯お礼を言った。
「おやおや、何の礼でしょうか？ 先ほども申したとおり、誰も聞いていないはずですが」
すっとぽけた顔を繕って、クロードはヒースに剣の傷によく利く薬をケースごと手渡した。
「これは以前にチョーさんから教えてもらった処方で作った薬です。異形獣の爪の傷を放っておくと化膿しますよ」
クロードは現場の遺体や異形獣の後処理を引き受けると伝え、先に返した隊員の後を追って急ぎ足で去っていった。
「おい、ヒース！」
クロードが去るとすぐにヒースは気を失い、その場に倒れて動かなくなった。
「だから無理するやつ嫌いなんだよ」
ヒースに言っても今は聞こえないが、独り言を言い始めた。
「悪いが僕はこんなところで止まっていられない。ここでぶっ倒れるのもあんたの宿命だ。僕の知ったことじゃない、恨むなよ」
そう言って踵を返し王宮方面へと数歩、進む。
「…………」
そして立ち止まると、ミツヤはまた、地べたに転がったままのヒースの傍まで戻って来る。深手を負ったヒースを見下ろしながら、無意識のまま倒れているヒースを放っておけない自分に辟易とし、舌打ちする。
「ったく、しょうがねぇな！ こういう面倒事に巻き込まれるのが嫌で、誰とも関わらずにやってきたのに……！」
そうぼやきながら、ミツヤは数百メートル先に長いこと誰も使っていない小さな山小屋があったのを思い出す。丸太を合わせただけの急拵えの小屋だが、人目は避けられそうだ。なんとか意識のないヒースを引きずっていき、その小屋までたどり着くと中へ運び込み、床の上で手早く薬と包帯で応急処置を施した。
（こんなこと、性に合わないんだが……何やってんだよ、僕は）
ため息をつきながらも、手を止めることなく包帯を巻き終えた。
「マジ、呆れるよ。自分の力量も測れず敵に突っ込んで行って大怪我して。逃げるって選択肢も準備しとけよ、バーカ」
ミツヤは愚痴を並べながらも、しっかりと手当てを済ませたその瞬間――。
「誰がバカだ？」
突然の声に、ミツヤは飛び上がるように驚いた。
「うわっ、ビ、ビックリした！」
余った包帯を思わず宙に放ってしまい、包帯は長い帯をつくりながら床を転がっていく。
「何だお前、気付いてたのかよ、脅かすな」
ミツヤは腕を組み、少し不貞腐れたような顔で窓の外に視線をやった。
「……それで、その体で立てんのか？」
ヒースは痛みを堪えながらも、薄く笑って答えた。
「ま、どうにかなるだろ」
「そういうことなら……。ここまで来たらしょうがない、一緒に行ってやるよ」
「一緒に？」
一瞬で笑みがこぼれるヒースに、ミツヤは横目で睨みながら待ったをかける。
「王宮に侵入するまでだぞ。せっかくビークロが教えてくれた情報だけは共有しないとな」
それを聞いたヒースにだけは、すっかり仲間意識が生まれていた。
「なんだよその嬉しそうな顔……勘違いすんな、中に入るまでだ。じゃぁ計画立てんぞ。いいか、まず……」
ミツヤが腕を組んで説明し始めると、ヒースは起き上がって言った。
「ありがとう……助かったよ。ミッチー」
「……え？」
「今日からお前はミッチー。友達だ」
「げっ！ うっぜぇ……もう勝手にしろ」
眉間に皺は入りつつも、ミツヤの胸がキュッとなったのを単細胞のヒースは分かるはずもなかった。
◇ ◇ ◇
時は少し遡り、昨日の夕刻。
王都オルレオンの護衛隊駐屯舎の救護室では、応急処置のみでベッドに放置されているランドがいた。部屋はランプで比較的明るく照らされている。意識不明のランドの傍らには、斬り落とされた腕がゴロンと無造作に置かれている。
一人の白いジャケットを着た、見た目は20代前半の青年がその部屋へ入って来てベッド脇に立った。
短めのダークグリーンの髪に同じくグリーンの瞳で、ジャケットの袖を腕まくりし、両手をポケットに入れて無表情でランドを見つめている。
程なく彼は棚にある消毒液のビンをとり、ポケットの革サックを取り出す。セットの中にはメス、鋏、鉗子などの最低限の手術器具が並んでいる。
彼はランドの腕と器具に消毒液をかけ、持針器を持つと目にも留まらぬ速さで腕の縫合を始めた。
そして部屋のドアを開けて周囲に誰もいないことを確認すると、右手を出してランドの右腕の縫合部に当てた。差し出した青年の右手には火傷のような傷が見える。
右手の周囲がうすいグリーンの光に包まれた。少しずつランドの腕の皮膚の色が変化していく……！
数分が経ち、右腕がすっかり元に戻ると今度は口元の裂けた箇所にも同様に手を当てた。ランドの顔は元通りになったのだ。
しばらくしてランドは意識を取り戻したがその時、そこにもう青年の姿はなかった。
すぐにメモに気付く。
「『腕の縫合糸は抜糸不要。今なら君が起こした事件で手配犯を追うため、隊員達はほぼ出払っている。このごたごたに乗じて早くここから立ち去ることだ』って……手術したのか？」
ランドは腕を動かした後、両手を顔にあて、確認する。
「この手紙、誰だ？ それにさっき斬り落とされたはずの腕が、どういうことだ？ すっかり元通りだ。口も……」
その後、ランドは大急ぎで駐屯舎を出た後、走って走って、無事に王宮から出るとまた走った。そしてその後、二度と護衛隊と関わることはなかった。
この異世界はこのエピソードでミツヤが言ったように、フランス17世紀をモチーフにしております。
地名や建造物、一部歴史上の実在人物の設定もそれに因んでおります。
さて、ヒースとミツヤの話は誰かに聞かれていたようだが・・・？
