第5章 5 僕だってお前が必要なんだ!
トージは、以前ヒースが無くした着火ライターを見せると、それを使って放火したことを明かした。
「……そんな、う、嘘だろ……?」
一言絞り出したっきり、ヒースも他の皆も既に黙ったまま、もう言葉が続かない。
「何週間か前にこれを倉庫の片隅で目にした時には君のドナム、転移の時期、この苗字と君の名前など、全ての点が線で結ばれたよ」
ヒースはどういうことなのか考えるだけで精一杯だ。しかしそれはもう、トージのペースだった。ただ、これまで話した経緯には幾つか信憑性もあり、残念ながら全てがトージのでっち上げとも言い難かった。
「じ、じゃあ……お前は、じっちゃんだけじゃなく、俺の本当の両親も殺したっていうのか!?」
ヒースの声は震えた。彼は両親の顔を知らない。だが、こことは違う世界で、本当の両親がいたことは六三郎から聞かされていた。そして今、目の前のトージがその両親を殺したという。どれだけ身内を奪えば気が済むのか……絶望と憎しみがヒースの心を襲った。
「まぁ、そういう事になるな。だが言い訳するつもりはない。お前と母親は間違いなくクズの父親からDVを受けていた。むしろ感謝されるべきだ。私は……助けてやったのだよ。フフフ……ハッハッハ!」
(…………言ってる意味が……分かんねぇ……)
トージは狂気じみた笑いを響かせ、まるでそれが正義であるかのように言い放つ。直接的に身体へのダメージを受けるよりそれは確かに効いていた。ヒースにとって、初めて処理しきれない程の混乱が生じていたのだ。
その言葉に誘導されるように、兆楽の最期を看取った情景までもが、ヒースの思考を支配していく。
――――兆楽の手がヒースの腕から離れて床に落ちた……次第に体が冷たくなっていく――――。
この、トージが得意とする人の心理を操る話し方にいつも近くでトージを見ていたドクは、危機感を持った。
「ヒース、こいつの戯言に耳を貸してはダメだ!」
全身の力が抜けそうになるも、ドクの声でヒースは剣を握り直すと、一歩踏み出す。
だが、トージは動じることなく不敵な笑みを浮かべている。どうやら彼には、目の前の邪魔な自警団リーダーを翻弄する為のカードがまだ他にもあるようだ。
ヒースの視線を捕らえたその瞬間だった。トージの体が微かに揺れたかと思うと、彼の顔や体がゆっくりと変わり始めた……! それを見たヒースの眉が歪む。
「ま、まさか……!」
トージの姿がゆっくりと変化し、見守る皆の目の前に現れたのは――ヒースが最も敬愛し、まるで父親のように慕っていた「じっちゃん」だった。
「そ、そんな……じ、じっちゃん……?」
ヒースは声にならない声で呟く。目の前に立っているのは、確かにあの懐かしい姿――ヒースの父親代わりであり、元護衛隊の総隊長、そして教官も務めた英雄だ。50代後半ばで左目には眼帯。白髪混じりの頭と、見た目の精悍な顔つきに不似合いな年寄りくさい言動のせいで、ヒースからは「じっちゃん」とは呼ばれていた。
彼はもうこの世にはいないはずだ。入隊試験の日、ヒースの姿を借りてじっちゃんを騙し、トージがその命を奪ったのだから。
驚愕に包まれたヒースは無意識に剣の柄を握る手を緩め、そのまま力が抜けて剣を地面に落としてしまった。心の奥にずっと押し込めていた感情が一気に溢れ出し、彼の両手は重く垂れ下がる。
「なぁ、じっちゃん、なのか……?」
その声には戸惑いと、抑えきれない感情が滲んでいた。ヒースの目は潤み始め、あれ程再び会いたいと願ってやまなかった存在を前に、彼の心は完全に乱されていた。
「どうした、ヒース?」
じっちゃんの姿になったトージが、かつての穏やかな声色で語りかける。
「お前がここまで成長するとは、わしも誇りに思うぞ」
その声はヒースにとってあまりにも馴染み深く、ヒースの心を引き裂く。そしてトージはゆっくりと剣を抜く――。
「ヒース、騙されるな! そいつはトージだ!」
(こいつはやべぇな。あのバカ野郎の目の前で撃つのは憚られるが……)
ヒースがトージの手中に嵌ったと感じたアラミスは、すぐさま銃口をじっちゃんに姿を変えたトージの頭に狙いをつけ、発砲する……!
ところが、トージは刀であっさりと銃弾を跳ね返したのだ。
「……こ、こいつは! 俺の弾を剣で弾きやがった!?」
しかしその瞬間、銃弾をかわすことで集中力が切れたのか、トージはもとの姿に戻ってしまった。
(そうだ、もうじっちゃんはいない……)
ヒースは地面に崩れ落ちる。これもトージの作戦なのだろうか? 心が重く沈み、体が言うことをきかない。
「ヒース!」
ミツヤは驚いて駆け寄り、膝をついたヒースを必死に支えた。
「どうしたヒース、しっかりしろ! こいつはトージだぞ? やっと追い詰めたんだ!」
ルエンドも走り寄ってきた。ヒースの肩に手を置いて叫ぶ。
「ヒース! あたし達がいる! こっちを見て! 顔を上げて!」
そして、動かなくなってしまったヒースの隣で、ミツヤは「石造りの建造物」から救出された時のヒースの言葉を思い出していた。
『俺は、今のお前でないとダメだ!』
(今度は、僕が助ける番だろ……!)
ミツヤはヒースの腕を取り、何とか立ち上がらせようとする。トージは薄ら笑いを浮かべ、その様子を楽しんでいるようだった。
たった一人で、既にこの人数を前にして勝った気でいるようなトージの様子に、アラミスは違和感を感じた。そして眉根を寄せ、ヒースの傍まで歩み寄ってくる。彼は今まで見たことのない仲間の表情に一言「チッ」と舌打ちをすると、左手でヒースの胸ぐらを掴み、無理矢理立ち上がらせる。
そして頬に一発、重たい右拳を入れた!
「しっかりしろっ、くそヒース!」
さすがにヒースは一瞬、アラミスの方へ向く。
アラミスは、口角から血を一筋流すも依然うつろなヒースの目を見ると、胸ぐらを掴んだ手を離し、次にトージを一瞥する。
「おい、何のつもりか知らねぇが、下らねぇこと言って戦意を奪わないと勝てないのか!? こいつは今、クソだらしねぇが、反撃の狼煙が上がった時は覚悟しろよ!」
ジェシカも、今まで見たことのないヒースの狼狽ぶりに困惑していたが、彼女なりに精一杯の励ましの言葉をかける。
「らしくないでしょ、ヒース! ここまで来てヘタレるの!? いっそ、『お前らにもこの重圧、分けてやるぜ』くらい言ってみなさいよ! 仲間でしょ――っ!!」
「ジェシー……」
ヒースの胸に暖かい風が流れ込んでくる……。
こんな時にアラミスはというと、目をしょぼしょぼにして胸に手を当てていた。
「ジェシーちゃん――。俺にも今度、同じこと言ってくれぇ――」
「あーもう、はいはい」
ミツヤの記憶の片隅には更に、アビニオの町を出発する日の六三郎の言葉が蘇っていた――。
『いいか、これだけは覚えておきんさい。今までお前が生きてきた中で積み重ねた経験は、必ずこれから自分の糧に出来る。たとえそれが過去の辛く苦い経験であってもじゃ』
――ミツヤは元いた世界で、他人には理解できない心理的に辛い日常を送ってきた。だから彼には解るのだ。大丈夫、仲間がいれば何度でも立つことが出来ると――。
ミツヤはヒースの顔を覗き込み、思いの丈を吐き出す。
「このままじゃ、ヤツのペースだ……! ヒース、しっかりしろ! 弱音なら後でいくらでも聞いてやる、だから今は……立ってくれ!」
ミツヤは渾身の叫びをぶつけた……!
「僕も、僕だってお前が必要なんだよ――――!!」
「ミッチー……」
ヒースは地面に膝をつけたまま、自分の片腕を掴むミツヤの顔を見上げる。そこには、額に火傷の跡が目立つ、いつもの見慣れた顔があった。
童顔で生意気で、ちょっとルールにうるさい、けれど確かに頼れる存在になった親友――――。
「ほお……仲間ねぇ。しかし、ハハッ……そんなもの、クソだな」
トージは不気味な薄笑いをすると、見下すような視線を送る。
「あの時、私がテントに放火したの炎の中、本来であれば君の母親が穴を通るところを、何かを感じとったのか子供を投げ込んだのだろうね。もう助からないとなれば、何にでも縋る親心だろう」
ヒースは呼吸すら苦しくなってきていたが、ミツヤの叫びが届いたのか、ようやく無理矢理ひとつ、大きく息を吐き出した。
「……それが真実なら、尚更お前を放っておけないわけだ……!」
精一杯の抵抗を言葉にした。
そうだ、ここで負けるわけにはいかない。仲間もいるのだ。
ヒースはミツヤやジェシカの言葉を噛み締め、自分を奮い立たせる。
(そうだったな、じっちゃん。仲間を大切にするって、自分にも誓ったはずだったじゃねぇか。どうかしてたぜ……!)
「ありがとう、ミッチー、ジェシー。情けないとこ見せたな」
立ち上がったヒースを見つめ、ミツヤは安堵の息をつく。
「アラミス……悪りぃな……って、痛ってぇな! テメェ後で覚えてろよ!」
ヒースの目に再び光が灯り始める。
そんなヒースにアラミスは口をへの字にして目線を外すと一言、ポツリと漏らす。
「バーカ、戻ってくるの遅ぇんだよ」
「トージ、てめぇ――それが本当だとしたら、いや、そうでなくてもだ。たった一人で現れて、もうごめんなさいでは通用しないぜ……!」
ようやくいつものヒースに戻ったと思われた時だ。トージはニヤリ、またも余裕の笑みを浮かべた。
「……アビニオの町の近くには、春になると桜で満開になる美しい谷があるらしいね」
「お、お前、今何て……!?」