第2章 1 「鋤のヒース」改め「火焔のヒース」
軽く腹ごしらえした後、早速二人はロアンヌ村へ様子を見に行った。
人口は数十世帯ほど。村人たちはほとんどが農民で、パン屋や鍛冶屋など、必要最低限の職人がいるのみ。建物はレンガや木で造られ、質素だが丁寧に手入れされており、木の扉や窓枠には手彫りの装飾が施されているものもある、こじんまりとした村だ。
やがて村の入り口が見えてくると、鼻をつくような異臭が漂ってきた。――血と腐敗が混じったような、獣とは思えぬ臭気だ。
異形獣特有の生臭さ。それが何体も重なれば、空気そのものが濁る。
「うへぇ――……」
ヒースが顔をしかめ、鼻をつまみながらも刀の鍔に親指をかける。ミツヤはそれを見るや、溜め息混じりに手を伸ばし、ヒースの首根っこを掴んだ。
「ああ――! 待て待て、早まるなよ。こりゃあ……想像以上だ。なあヒース?」
人気はなく、代わりに軒先や庭先をうごめく影が徘徊していた。
「見ろよ、あれ全部……」
民家の陰に身をひそめたヒースが、小声で指差す。見ると、そこには異形の影――10体を超える異形獣が村の路地や広場を練り歩いていた。
今回の討伐対象はとにかく皮膚が頑丈のようだった。大きさは三~五メートル。二足歩行のトカゲ型や、背中に無数の棘を持つ熊型、さらには足が十本以上もある蜘蛛のような巨躯――タイプ4と呼ばれる上位個体まで確認された。
「これは……彼らにはハズレくじだったな」
ミツヤがぼそり、呟いた。
彼ら――民家の裏手に身を潜めて周囲を見守るのは、かつて名を馳せた自警団「不屈の狼」の一人。体には無数の擦り傷と、恐怖に引きつった目。
「もう無理だ……奴らタイプ1とは言え皮膚が硬くて何をやってもダメだ。しかもこの数。おまけにタイプ4までいる……! このままじゃ、いずれ俺たちは……」
報酬を求めてか、大切な誰かを守る為か、村には既に10組を超える自警団が集まっていた。が、どのチームも異形獣の猛攻の前に戦意を失い、ただ建物の陰に隠れて息を潜めるしかなかった。
「報酬が高いからよもやとは思ったが……。まさかこれ程数も多いとは……」
「オルレオンの青い旗」など名の通った大所帯でさえ、もはや尻込みしているほどだ。
そんな中、ミツヤは肩を竦めてヒースに告げる。
「なるほどな……僕達はまだ公的には無許可だ。まずは村長から正式な討伐許可をもらう。それに、ちゃんと報酬も欲しいしな」
ミツヤは手順を守るタイプだ。
「ええ? この状況で!? もうやっちゃおうぜ! あー、ミッチーってあれだよな。規則とかキマリにうるさいよな」
ヒースは手順はどうでもいいタイプだ。
「はい、却下。待ってろよ――っ!」
と、釘を差してミツヤは依頼書に記載のある避難場所へ、村の責任者に契約を確認しに急いだ。
「電光石火!」
空気を裂くように、黄色の光を残して駆けていく。あっという間に見えなくなったミツヤの黄色い残像を、ヒースは羨ましそうに見ていた。
「あれだよ、あれ。ミッチーの《ライ・フラ》、やっぱカッケーわ」
避難所は村の中央から少し離れた丘の中腹にあり、レンガ造りの古びた小屋だった。
ミツヤの《電光石火》で十数秒程度だ。
早速、避難小屋のドアをノックするとドアが開く。中はそう広くなく、60人程の村人でパンパンになっていた。
すぐに奥から責任者らしい、少し身なりのいい老人がミツヤの前に出てきた。どうやらこの村の長老的存在らしい。
この一大事に何事かと尋ねてきたので、ミツヤは自警団だと伝えて討伐の許可を求める。すると老人は、火急の問題として小さい子供が一人行方不明になったまま親の元に戻ってないという話を持ち掛けてきた。老人の隣でその子供の母親であろう女性が不安に取り込まれ、張り詰めた表情をしている。
「そうかぁ、じゃあ急がないとですね」
「因みに君のところは何というチームだね?」
老人が尋ねてくれたので、ミツヤは少し照れながら名乗った。
「『青い疾風』です、今日から」
「今日から!?」
長老が目を剥く。今朝結成したばかり――それを聞いた避難民たちは一斉にどよめいた。
「今朝結成でこれが初仕事ですが……勿論優先してお子さんを探します。ただ、僕達は二人組なので少し手間取るかもです。そこを……」
老人はミツヤの言葉に耳を疑い、狭い小屋の中で叫んだ。
「なんじゃと、初仕事の上に、たった二人でやるというのか!? ま、まさか君のような子供も……?」
老人は呆れて、その後は二の句が続かない。それもそのはずだ、数日前から10組近く、総勢百人以上もの自警団がやって来たのに手も足も出ないのだ。
「子供……?」
ミツヤの顔が曇ったのを見ると老人は言い方を変えた。
「と、とにかく許可は出すがの、いいかね、わしはあんたを心配しとるんじゃよ。わしらは報酬を出すことしかできんぞ、悪いが何かあっても……」
「あー、それでいいです! ありがとう、約束ですよ!」
老人の言葉を最後まで聞かず返事をすると、ミツヤは再び黄色い光に包まれ、あっという間に現場に戻った。
ミツヤがロアンヌ村に戻ると案の定、ヒースは元居た場所から忽然と姿を消していた。
「はい、居ない――。……ったく、ヒースどこに行きやがった。やな予感しかしないって、こういう事だよ」
眉根を寄せてミツヤは一軒一軒、民家の影に身を隠しながらヒースを探し回る。
大勢の戦意を失った自警団のメンバー達は全員、住人が避難した後の民家の中に避難していて、外に出る勇気は微塵も残っていない。そんな中、彼らが恐る恐るドアの隙間や窓から外を覗いていると、仲間を探し回るミツヤが視界に入ったようだ。
「お、おい! あれ見ろよ……大変だ、子供じゃないか? 一人で外をうろついてるぞ」
「何だと? ダメだろ、逃げ遅れたのか? 誰か早く中に入るよう言ってやれよ!」
「そうだよ、すぐ誰か行った方がいい、ここから大声出して奴らに気付かれでもしたら終わりだぞ?」
ドアの隙間から、手に負えず見守るだけになった自警団員の不憫そうな視線と囁き声が、痛いほどミツヤに集中していた。
その時だ。村の端にある空き地で、三本の角を持つ巨大な蜘蛛型のタイプ4が、二歳ほどの子供を前脚で吊るしているのが見えた。
突出した牙にはどこで何を捕食したかわからないが何かの生肉が引っかかったままだ。窓から覗いている自警団の男がその光景を固唾を飲んで見ていた。
「ど、どうすんだ。あの三本ツノ、タイプ4の昆虫系だぞ? あんなの噂だけで実際に見たの初めてだ……!」
「ダメだ、もう助からない。惨すぎる……」
緊張が走る。口を開けるタイプ4。泣けず、叫べず、ただ怯える子供。
「くそっ!」
ミツヤは三本ツノが大きな口を開けているのを見て、急いで飛び出そうとする。不意に、隣の家の壁際に人影が見えた。体がオレンジ色の光に包まれたヒースだ。
刀の柄に手をかけて構えている……!
「ヒース……! おまえ、その光……!」
「悪ぃミッチー、また待てなかった!」
「バカ野郎! 当たり前だ!」
二人はどちらからともなく飛び出した。
待っていたかのようにそこら中にいた大小様々な異形獣たちが二人に襲い掛かろうと集まってくる。ヒースの方が三本ツノに、より近い場所にいたのでミツヤは援護に回ろうとし、声を掛けようとした時だ。
ヒースが視界から忽然と消えた。
――と思った次の瞬間、三本ツノの正面に立っていた。じっちゃんから習得した技だ。
腰を落とし勢いよく刀を抜いて前脚を斬り落とすと、反対の腕で子供をキャッチする。
それを見届けたミツヤは雷のキックをタイプ4の頭部に叩き込んだ。
頭部に電気ショックを当てられた三本ツノは呻き声をあげ、地響きと共に巨体を地面に横たえた。
すると、子供も緊張の糸が切れたのか泣き出す。
「よぉし、偉いぞ。あいつら全部やっつけるまで……そうだな、もう三分待っててくれるか?」
ヒースはニッコリして子供の頭をくしゃっと撫でた。
「この子を頼むぞ。二人で全部片付ける。ここで一緒に待っててくれ」
そう言って、民家の中で怯えてじっと隠れている自警団の一人に男児を預け、すぐに外へ飛び出そうとすると、自警団の男はヒースを全力で止めにかかってきた。
「君達確かに腕利きのようだが、たった二人でこの数をやるのか? 自殺行為だぞ!」
「大袈裟だぜ、まあ見てろって」
ヒースは止める自警団の男を軽くあしらうと、再びミツヤのもとに駆け付けた。
「やっぱ刀って凄ぇ、鋤とは大違いだ。思ったより早くカタ付けられそうだぜ?」
背中合わせで、既に臨戦態勢の全身黄色い光を帯びたミツヤに、ヒースは余裕すら感じる声色で言った。するとミツヤが、長めの前髪をかき上げてニヤリとする。
「三分て言ってたか? 時間取りすぎだろ。僕、カップ麺も三分待てないタチでね」
ミツヤは足を開き、両手のひらを上に向けると、バチバチッと音をさせて手の平に光を集める。周囲の電気を集めて雷のエネルギーを発生させたミツヤは、両手の中でバレーボール大の大きさになったエネルギーの塊を左手で空中に放つ――。
高く打ち上げられたエネルギーの塊の中でビリビリと光が走り回る……!
「食らえトカゲ野郎、雷神砲――ッ!」
右手でサーブの要領で爬虫類系タイプ2――二足歩行する大トカゲのような形態――に向けて打ち込む……! するとタイプ2は叫び声を上げ、巨体は地面へ叩きつけられるようにして倒れたのだ。
民家に避難して籠ってしまった自警団はその一部始終を窓の脇に集まって見ていた。
「い、今の見たか? 何だあれは! 光の玉をぶつけたぞ」
「あの少年、恐らくドナム系イントルーダーじゃないか? それにしても一撃とは……!」
「ミッチー、なんだそれ! すげーな!」
先程のアジトでのヒースとのやり取りで浮かんだ遠距離攻撃の新技だった。
「くっそ、見てろよ……」
ヒースは大きく息を吐くと、柄を握る手に力をいれて集中した。すると刀から前回よりも激しい炎が舞い上がったのだ……!
「うぅぅぅぅぅ――火焔の刃――っ!」
刀身から燃え盛る炎が立ち昇る!
(よっし出たぜー!)
成功した思ったその瞬間だった。
ヒースの目前に突如、数十センチの長さの鋭い四本の爪が出現する。二足歩行する五メートル級の獣系――熊のような形態――が腕を左から斜め下へ振り下ろして来たのだ。咄嗟に柄を口に咥え、ジャンプで背後の枝にぶら下がる。
しかし的が外れて怒りを爆発させた熊似の標的は、足に噛みつこうと口を開け牙をむく。
「タイプ3の獣系か、確かにデカいな。だが今日の俺は一味違うぞ」
手を離して飛び降りると、躊躇なく右足を大きく前へ踏み込む。腰を落としたままタイプ3の腹部に、左から横一文字を描く斬撃を打ち込んで胴の半分ほどを切り裂く……! 緑色の血が噴き出し、周辺の木の幹を緑に染めた。
獣系タイプ3は大きな叫び声を上げて横倒しになると、ゆっくりとその動きを止めた。
「一匹ずつは面倒だ。まとめてかかって来いよ……!」
その目には、未知のチカラを使いこなせた気でいる、薄っぺらな自信の色が映っていた。
そんな二人の討伐ぶりの一部始終を、民家のドアの隙間から見ていた自警団のメンバーが思わず声を上げる。
「い、一撃だと……?」
「な、なぁ今の剣士見たか? 炎の剣だったぞ?」
「見た見た! あんな硬い巨大熊をまるで果物切るみたいに……!」
ヒースは村中を休む間もなく走り抜けた。
走りながら息する間もない程に次々と異形獣に斬りつけていった。横から、時にジャンプで高い位置から。火に弱い性質を持っていたのか、村一帯の異形獣達はヒースの炎の刃で焼かれ、次々と倒れていった。
黄色とオレンジの閃光が異形獣の集団の中で縦横無尽に暴れ回り、気が付けばあっという間に村に静寂が訪れていた。
二人の会話を聞いていた自警団の一人が手持ちの懐中時計で測った時間は、かっきり二分だった。
「やったなぁ!」
と、ヒースが右手を頭上に上げると、既にミツヤの片手の平もそこにあった。
「とーぜんだろ!」
パァン!
快音が響いた。
ヒースとミツヤがハイタッチする場面を見て、その自警団の男は懐中時計を握りしめ、民家の中から外に飛び出して来て叫ぶ。
「あの少年二人組、本当にやりやがったぞ!! なんてこった、信じられん!」
それを聞いて安心した他の者も次々と民家から飛び出してきた。
「おい、見たか? あいつらどこから来たんだ?」
「自警団だって言ってたぞ? ブルーなんとかって」
「ええ? だって少年がたった二人だぞ、何かの聞き間違いだろ?」
すぐにその知らせは避難先の小屋まで届いたようだ。当初、ロアンヌ村の長老はあの少年が本当にやったのかと首を傾けた。しかし嘘ではないと分かると軽いステップで外に飛び出し、たった二人でしかも二分で16体の異形獣を討伐してしまった少年コンビの話を、他の者に隣村まで伝えに行かせた。
隣村には避難していた他のロアンヌの村民もいて、その話が耳に入るなり大騒ぎになる。そして、その村に居合わせたある年寄りにもその騒ぎが伝わっていた。
70代半ばのその老人の顔から首にかけて、火傷の跡が目立っている。紺色の着流しを着て、肩幅より広く足を開いて立っている為、足の間から赤いふんどしが風にはためいていた。こんな格好はこの国では見かけない。彼は腰の帯に差した刀の鞘を外すと満面の笑みで呟いた。
「ほほぅ。わしの出番ナシだったか、ではそろそろ拵えてやらんとな。なぁ、ちょっくらお遣いを頼まれてくれんか」
強健な体格を具えたその年寄りは、隣に立っている女性にメモを手渡した。
「ええ、任せてください。わざわざ何日もかけてまで南端からやって来た甲斐がありましたね」
ニッコリ微笑むと、瞬きに合わせて長いまつ毛がふわりと上下した。彼女はその年寄りに不似合いな出立ちで、ミニ丈のシャツワンピースに身を包み、背にブロードソードを装備している。ブロンドの髪が美しく、サンダルを履いているがその八センチもあるハイヒールでどう立ち回るのか不思議だ。
一方、ついさっきまで戦々恐々としていたロアンヌでは、今まで見たことのない異形獣の数にも異臭にもゾッとしながら、隠れていた自警団のグループがわらわらと出て来た。
「お、おい……本当に終わったんだよな?」
「そうだよ、オレたち助かったんだ!」
「見ろ、タイプ1から中型爬虫類系のタイプ2、大型獣系のタイプ3、昆虫系のタイプ4まで全種類いるぞ。こんなの見たことない」
「お前ら珍しそうに見てる場合じゃない。こいつらまだ死んではいないんだぞ、動きが止まっているうちに早く近くの護衛隊の駐屯所に連絡だ!」
国内各地には護衛隊の駐屯所がある。
異形獣などの脅威から国や民を護るために設置されていたのだ。命が助かって大喜びの自警団たちに加え、避難所の小屋に隠れていた村人も出て来て騒ぎに拍車がかかった。護衛隊への連絡は村人に任せ、ヒース達は報酬を受け取ると、逃げるようにその場を後にした。
「ヒース、護衛隊が到着する前にさっさと退散するぞ!」
「了解! なぁミッチー、皆んなに喜んでもらえるって、結構いいだろ?」
「……ま、あれだよ。これはビジネスだからな……」
そう言いながらも、村人や自警団からの感謝と称賛の声に包まれたミツヤの表情には、満更でもないといった気配が漂っていた。
「はん? 可愛くねぇヤツだな。ま、せっかく大金が入ったし、他の街へ生活必需品を買い出しに行こうぜ!」
「ああ! それよりヒースやったな! あの炎の剣、どうやったんだ?」
軽い足取りで歩いていたヒースは立ち止まると、眉間に皺を寄せる。
「うーん……なんかよく分らんけど、なんか神経を研ぎ澄ましてみた。次も上手くいくかは自信ないな」
ミツヤは両手をポケットに突っ込み、口をへの字にする。
「なんだそれ、カッコ良く言ってみただけだろ。偶然ぽいな」
「ところで、お前の言った『カップメン』て何だ? あれからずっと気になってたんだが」
「あの場面でか? お前には緊張感というものは無いのか」
ミツヤは呆れた顔をした。
◇ ◇ ◇
「しかし初仕事、上手くいってよかったなー」
ヒースは上機嫌で、報酬の入った麻袋を不用意に手に持ったり放ったりして歩いていた。
初報酬をもらった二人が買い物と食事、次の依頼を探すべく、村から数キロ西にあるビアンヌという街へ行く道中だった。
「お前ら、カネを置いて行け」
数々の自警団も歯が立たなかった、このロアンヌ村での異形獣討伐を、たった二人で二分で終わらせた一件は、今後長く各所へ噂となって広がることになる。