滅国の王と救国の騎士
リンドヴルム王国。
大陸の西方をほぼ占める広大な国土を持つ大国で、内陸を縦断する山脈が竜の背のように見えることがその名の由来になったとも言われる。山脈から注ぐ豊富な水を運ぶ大きな川と肥沃な大地に恵まれた豊かな国だ。
それを統治する王家は数百年の歴史を持ち、民は長く平和な繁栄を享受していた。
だが、長すぎる平和はしばしば人を腐らせてしまうものだ。
国の豊かさにあぐらをかいた貴族達は徐々に腐敗を極めていき、やがて国を食い潰すまでに増長していく。貴族の浪費のために民には重税が課され、豊かな大地の恵みすら搾り取られ、農民達の口には入らない。
そんな状況に民の不満は爆発し、とうとう反乱軍が組織された。
それを皮切りに怒りに燃える民達は全国で団結、結集し、とうとう王家を倒すほどの大規模な内乱へと発展していく。
義憤に立ち上がった民達を率いるのは、農民出身の若き騎士。救国の騎士とも讃えられるルーク・フォン・クラーヴィッセン。
それを迎え討ち容赦のない弾圧を加えたのはリンドヴルム王国の十三代目の王、ユリウス・リンドヴルム・フォン・オーバースフェルト。後に無能の王、滅国の王とも呼ばれる希代の暗君であった。
*****
「王よ、覚悟!思い上がった王侯貴族の栄華も終わりだ!虐げられてきた民達の怒りを思い知るがいい!」
広い玉座の間で、二人の青年が向かい合っている。
玉座を睨みつけ王を糾弾しているのは、白銀の鎧に身を包んだ金髪の青年だ。
「これはこれは。僕は愚かな民を統治してやってただけで、虐げたつもりなんてないね。久しぶりに顔を見たと思ったら、ひどい言いがかりじゃないかルーク」
嘲るような笑みを浮かべて、金髪の騎士、ルーク・フォン・クラーヴィッセンに応えるのは、この国の王、ユリウス・リンドヴルム・フォン・オーバースフェルトだ。
国民が食べるものもないほど追いつめられている中、王が身につけている衣服や装飾 品はどれも豪奢な物ばかりで、それがさらにルークの怒りを煽る。
「…民がパンを買うことすらできない中、大層な御身分だ。虐げたつもりはないだと?自分達の贅沢のために国民に重税を課し、困窮した民がたまりかねて声を上げれば村ごと焼きはらっておいて!」
「知らないね。どんな理由があれど、平民風情が我々王侯貴族に逆らうのは重罪なんだ。食べる物がないのは奴らが怠けているからだろう。救国の騎士なんておだてられて義賊気取りかい?君が本来守るべきは愚かな民衆なんかじゃなく、僕のはずだろう?そう誓ってくれたじゃないか」
王は自分こそ被害者だとでも言いたげに、芝居がかった仕草で悲しんでみせるが、その口元は嘲笑に歪んでいる。顔にかかる長い黒す髪がその笑顔に陰惨な影を落としていた。
その言葉に、ルークはさらに怒りを募らせ歯噛みするが、それと同時に、ふと寂しげな色がその瞳に浮かぶ。
「なぜだ…、ユリウス…!お前は…、いや、あなたは…、そんな人ではなかったのに。幼い日に、共にこの国を良くしていこうと約束したじゃないか…!」
ルークは 怒りと悔しさ、そして寂寥を滲ませた声を、玉座へと叩きつけるようにして叫んだ。
ルークはかつては王の護衛騎士だった。幼い頃から同い年の王の側で、護衛として、また友として過ごしてきたのだ。
「農民出身の俺にも、分け隔てなく接してくれた王族はあなただけだった。二人で、身分などない、誰もが豊かな国を作ろうと語り合った…。なのに、そのあなたがなぜこんな事を…」
在りし日の思い出が蘇り、ルークは苦しげに呻く。
ルークは、元々貴族ではなく辺境の村の農村の出身だった。その村が山賊達に襲われたところを、たまたま辺境に駐留していたクラーヴィッセン公爵の軍に救われたのだ。
勇敢な武人であり人格者としても名高い公爵は、壊滅状態の村の中で大勢の山賊相手に怯まず、たった一人で立ち向かおうとしていたルークの勇気に感心して、彼を保護して自らの養子にしたのだった。
公爵の元で貴族としての教育を受けたルークは、ある時、養父である公爵に連れられて王城に上がり、王子の遊び相手になるよう言われた。
それが、今目の前にいる後の国王。この時はまだ、王位継承権から最も遠い妾腹の第三王子であり、周囲から「忘れられた王子」と呼ばれていたユリウスだった。
王位継承権から遠いこともあり、病弱でもあった彼を、母親の第二王妃でさえ疎んでいた。王宮の一室からほとんど出ることもなく過ごす、この不遇の王子に取り入る貴族もいなかったが、割れ鍋に閉じ蓋とばかりに選ばれたのが「成り上がり」のルークだったのだ。
遊び相手といっても、この頃のユリウスはほとんど部屋から出られなかったし、無表情でろくに口も開かなかった。そんなユリウスにルークは毎日、外の話をしたり、季節の花や珍しい虫をとって見せてあげた。
「…そんなに僕に取り入ったって、君に何の得があるんだい?公爵に言われたから仕方なく来てるんだろう」
ある時、珍しくユリウスが口を開いて尋ねた。
久しぶりに聞く声に少し驚きながらも、ルークは素直にこう答えた。
「得とか…、そういうのじゃありませんよ、王子。たしかに、義父上に言われて来たのは本当ですが、俺はあなたと仲良くなりたいんです。俺…、ここでは一人だから」
公爵の養子になったものの、身分制度の強いこの国では、ルークを好意的に見る貴族などいなかった。同じ年頃の貴族の子息達は皆、農民出身のルークを見下して馬鹿にするのだ。
言ってから、さすがに馴れ馴れしすぎたかと思ったが、ユリウスは少し驚いたような表情を浮かべた後、初めて見る柔らかな顔で笑った。
「僕も一人なんだ。父上も母上も家臣達も、誰も僕なんか気にかけない…。君さえよければ、僕と、友達になってほしい」
差し出された手を見て、今度はルークが驚く番だった。
「と、友達だなんて!農民出身の俺なんかが…、いいんですか⁈」
仲良くなりたいとは言ったが、まさか王子がそこまで言ってくれるとは思っていなかった。
「身分なんて関係ないよ。王子なんて言ったって、僕なんか使用人にまで軽くみられてるんだ。僕に優しくしてくれたのは君だけだ。…ダメかな?」
「いえ、俺も…王子と友達になりたいです」
「二人だけの時は名前で呼んでくれ。よろしく、ルーク」
「よろしく、ユリウス」
そうして幼い二人は固く握手をした。
それからは、いつも一緒だった。共に語らい、学び、ユリウスの体が少し良くなってからは剣の稽古もした。十五歳の成人の歳には、正式にユリウスの護衛騎士として、ユリウスから剣を授けられ、必ず彼を守ると誓った。
貴族という地位にあぐらをかいた傲慢な人間が多い中、王子という地位に驕らず、卑しい身分の自分にも平等に接してくれるユリウスの公正で真摯な人柄をルークは友として、主君として尊敬し心から慕っていた。
「あなたが王になった時、あなたならきっとこの国を豊かにしてくれると確信したのに…!」
歯車が狂い始めたのは、正妃が産んだ兄王子が病気や事故で相次いで死に、忘れられた王子ことユリウスに王位が転がり込んできてからだ。王になったユリウスは、しだいにルークを遠ざけるようになり、国は見る見るうちに傾いた。
王城を離れ、民衆の近くで彼らの暮らしを身近に見て、苦しむ彼らに心を痛めたルークは、王を止められるのは自分しかいないと思った。
それでも、何年も側で共に過ごしたユリウスは聡明で、決して欲に溺れるような愚かな人間ではなかったはずだ。王を倒すと決意を固めたはずのルークだったが、やはりかつての無二の親友を前にすれば、話をすればまだ分かり合えるのではないかという希望が灯ってしまう。だが、
「まったく笑わせてくれる。いつまで子供みたいなことを言ってるんだい?僕はもう”忘れられた王子”じゃないんだよ。僕はもうこの国の王なんだ。誰も僕を馬鹿にできない。農民上がりとの友達ごっこなんて終わったんだ」
そんなルークの思いを、耳障りな哄笑がかき消した。
「あの頃の僕は後ろ盾もなかったからね。汚らわしい農民風情でも護衛くらいにはなるだろうと思ったのさ。本当は嫌でたまらなかったよ!土で汚れた手で王子である僕に馴れ馴れしく触れられるのはね!」
愕然とするルークを、ユリウスはおかしくてたまらないという顔でなおも嘲笑する。
その声はもう、血の通う人間のものとすら思えなかった。
「わかった…。もういい」
項垂れたルークの顔から表情が消えた。
やはり、自分の知る、賢く公正で誇りある親友はもうどこにもいないのだ。
その事実を認めた時、ルークは自分の中で何かが凍りつき、壊れてしまうのがわかった。
「…もうお前は主でも友でもない。欲に溺れた愚かな王よ。民のために滅びることだけが、王としてのお前の唯一の功績だ」
感情の消えた目で王を見据え、ルークは剣を構えると玉座の王に向かって勢いよく踏み出した。
「覚悟!」
剣を振り下ろす刹那、嘲笑を貼り付けていたユリウスの表情が、悲しげな笑顔に歪むのをたしかに見た。
肉を貫く感覚と血の臭い。
剣はたしかに王に致命傷を負わせたが、一瞬の迷いが太刀筋を乱し、即死はさせられなかった。
今のは一体…?
床に倒れたユリウスを見下ろし、怪訝そうに眉を寄せるルークは、消え入りそうな懐かしい声を聞いた。
「ありがとう…、ルーク…」
先程までの傲岸不遜な王とは打って変わった、等身大の優しい親友の声だ。
「ユリウス…?」
おそるおそる抱き起こし、顔を覗き込む。
ユリウスは苦痛に顔を歪めながらも、昔のままの柔らかな表情を浮かべていた。
「おめ…でとう…。これで…君は…、英…雄…だ…」
「何を…言ってるんだ…⁈」
英雄になりたい。それは、かつてルークがユリウスによく語っていた夢だった。
一緒にこの腐った国を救おう。身分のない時代がくれば農民出身の自分も英雄になれる。二人でそんな国を作ろうと約束した。
だが、先程それを否定し嘲笑ったのはユリウス本人ではなかったか。
「僕は…無能…で…、君との…約束は守れなかった…けど…、君の、夢…だけでも…」
国王になったユリウスは、はじめから権力など求めてはいなかった。
王になれる見込みは遠い生い立ちでも、幼い頃からルークと共にこの国を良くしようと、誰よりも書物を読み、国政や経済について学んできたのだ。
だから思いがけず王位に就いた時は、今までの知識を活かして国を立て直し、ルークと共に思い描いていた夢を実現できるという喜びこそあれ、私欲など欠片もなかったのだ。
だが、実権を握る先王からの大臣や宮廷の貴族達はそうではなかった。ユリウスは、以前から問題視していた貴族達の腐敗を正そうと奮闘したが、彼らは病弱な第三王子を軽視する姿勢を改めようともしなかった。それでも、ユリウスは理想の国のため、ルークとの約束を果たすために頑張ったのだが、誰も彼の言葉に耳を貸す者は居なかった。
心労のために持病は悪化し、ユリウスは政務もこなせない日が増えていった。その間、貴族達はますます好き勝手に振る舞うようになり、ユリウスの心は徐々に疲弊していった。
腐敗した貴族達、何もできない無力で無能な自分…。
現実に絶望したユリウスは、ひとつの破滅的なやり方を思いつく。
いっそすべてを壊してしまおうと。
「なんで…!なぜ俺に相談してくれなかった⁉︎二人で夢を叶えようという約束だったじゃないか」
「ごめ…ん、けど…、君に…みっともない姿は…見せたくなかったんだ…」
ユリウスは、ルークを心から信頼していた。
だが、活発で武術に優れ、何事も器用にこなし、誰からも好かれる親友の存在は、病弱で勉強しか取り柄のないユリウスには少し眩しすぎた。ルークが自分を尊敬の眼差しで見つめ、対等な親友だと言ってくれるたびに、こんな自分が王族というだけで高い地位にいるのが恥ずかしかった。
だから、せめて彼の主君として恥ずかしくない人間でいたかった。自分の無能を知られたくなかった。
それに、民衆からの人気が高く、ユリウスの信用も厚いルークを宮廷の人間達はひどく疎み、排除しようとする動きもあった。
「君を…巻き込みたくは…なかったから…ね…。けど、君なら…きっと…止めに来てくれると…思ってたよ…。僕は無能…だけど…壊す才能だけは…あったみたいだ…」
そう言ってユリウスは切なげに微笑む。
国を立て直せないのなら、いっそ腐り落ちるまで腐らせて壊す。ルークなら、おそらくそんな事は許さない。必ず自分を殺してでも止めてくれるだろうという確信があった。
そうすればルークは、国を傾けた悪王を討った英雄として人々に讃えられ、腐敗した王政を打ち倒した民衆を中心に、身分のない真に豊かな国を作ってくれるだろう。かつて二人で夢見た通りの理想の国を。
「俺だけ英雄になったって仕方ないだろう…!二人で…ッ、二人で夢を叶えようと言ったじゃないか!なぜ一人でそんな事を決めるんです⁈」
なぜ?
なぜ話してくれなかった。なぜ頼ってくれなかった。なぜ自分は気づかなかった。なぜこんな事になった。
行き場のない問いと、怒りとも悔恨ともつかない涙が感情と共に溢れ、ルークは叫ぶ。
温かな涙が、ぱたはたとユリウスの頬に落ちた。
「本当は…こんなこと…、話すつもりじゃなかったんだ…。でも…、やっぱり僕は弱いから…。君が、苦しむのはわかってたのに…ごめん、ルーク…」
「謝らないでください…!俺が…、俺の方が…!そうだ、事情を話せば、きっとみんなわかってくれます!今からでも手当てをすれば…」
まだやり直せる。
そう言って、傷口に布を当てて止血をしようとするルークの手を、ユリウスが止める。
「駄目だよ」
弱々しくも、否を言わせない強い意志のこもった声で、ユリウスはまっすぐにルークを見つめて言った。
今まで見たことのないほど優しく、晴れやかな笑顔に、ルークは魅せられたように一瞬動けなくなった。
だから、次に起こった出来事に対処することが遅れてしまった。
「どうか、僕達の夢を…頼む」
その言葉と共に、ユリウスが側に落ちていた自分の剣を掴んだのを止めることができなかった。ユリウスがその切っ先を自らに向け、白銀の煌めきと共に噴き上がった真紅が視界を染めるのを、ルークは声も出せず、ただ呆然と眺めていることしかできなかった。
「ルーク様!ご無事で!」
呆然と座り込むルークの背後から、明るい声が響く。
反乱軍の仲間達だ。
王城の兵士や貴族達の制圧も終わったのだろう。
だが今のルークには、彼らの声は聞こえていない。
それには構わず、反乱軍のは兵士達は血溜まりの中に倒れた王の亡骸を見て歓喜の声を上げる。
「おお、さすがルーク様!見事に王を倒されたのですね!」
「これで貴族達の圧政も終わり、皆救われるでしょう!英雄ルーク様万歳!」
「英雄万歳!救国の騎士様!」
皆が歓喜に沸く中、なおもルークは我を失ったように座り込んでいる。
「違う…。違うんだ、俺は…」
王が討たれたという知らせは、瞬く間に城の外まで伝わり、王城が、街全体が民衆の歓呼の声で沸き返った。
その中で、ルークの慟哭の叫びはかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。
*****
王の死によって、数百年続いたリンドヴルム王国王家の歴史は終わった。
反乱軍の代表者達は穏健な政権交代を望んでいたが、積もり積もった民衆の怒りは一部で暴走し、王の遺体は城壁に吊るされた後に広場で燃やされ、残った王族や貴族達も掠奪や私刑の憂き目にあったりと、新政府の始まりは血生臭いものであった。
しかし悪王を討った英雄にして救国の騎士ルーク・フォン・クラーヴィッセンを議長として団結した民衆達の政治は確立されていき、リンドヴルムは再び豊かで自由な国として歴史に名を残していくことになる。
後世、救国の英雄ルークの物語は数多くの絵画や物語として語られるが、万人に讃えられながらも、革命後生涯笑うことはなかったという彼の人物像について知る者は少ない。
ただ、王都の外れの小さな教会の司祭が、頻繁に名もなき小さな墓を訪れる彼の姿を覚えているという。
それが誰の墓だったのか、英雄の心の内を知る者は誰もいない。