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 仕事を終え、後楽園ホールに到着したのは午後七時前だ。


 ところで僕の両親は無類のプロレス好きである。1995年10月9日、東京ドームで開催された新日本プロレス対UWFインターナショナル団体戦の記憶を父はしばしば語って聞かせた。最終試合、武藤敬司(むとうけいじ)高田延彦(たかだのぶひこ)の一騎打ち。武藤のドラゴンスクリューで負傷した高田が足四の字固めをキメられてギブアップした五分後に、僕が誕生した。母が病院で戦っているころ、父は東京ドームで歴史的瞬間を目に焼き付けたのである。とんでもない父親だ。病院に駆けつけた父に開口一番、武藤高田戦の結果を訊ねた母もとんでもないひとである。


 両親は僕にプロレスの英才教育を施した。といっても選手としてではない。彼らは観る楽しみを授けてくれた。物心ついたときには毎日、テレビでプロレスの試合が流れていた。父親が入手したビデオが延々と再生される家庭で僕は育った。


 プロレスは物語だ、とは父の言である。連綿と紡がれるプロレスの歴史。試合ごとに新たな因縁が生まれ、勝敗の結果が次の物語を生む。たとえば、1995年。総合格闘技に近いスタイルを持つUWFインターナショナルの看板選手である高田延彦が、古典的なプロレス技である足四の字固めに敗北宣言をしたのは、あまりにも物語的であろう。その後のUWFインターナショナルの衰退もまた、物語の一部である。そんな世紀の一戦の勝敗がブック、いわゆる台本で決まっていたと知っても、父の評価は揺るがなかった。結末が決まっていようとも、生まれ落ちた物語は損なわれない。社会人になり、毎週のようにプロレスイベントに参加する僕としても、全面的に同意だ。


 後楽園ホールは想像していた通りガラガラだった。立ち見もあわせて約千八百人のキャパを持つ格闘技の聖地は、感染症の影響により席数を半分以下に減らしている。昨今の爆発的な感染者数増加の煽りを受けてキャンセルが相次いだのか、この日は確実に二百人を割っていた。女子プロレスのイベントだから、という理由もあるだろう。


 発声を自重し、拍手でしか応援できないのは観る側としても胸苦しい。それでも選手側の感情には遠く及ばないことは分かっていた。プロレスは観客と選手が一体になって作りあげると言われて久しいが、コロナ以後、客と選手のあいだに距離が生まれてしまったように感じてならない。拍手だけで生まれる熱は微量で、自制や自重は貴重な熱を簡単に冷ましてしまう。否応なく、参加者ではなく観客なのだと意識させられる。プロレスは周囲の熱を吸い上げて伝説となるのに。静かなプロレスもまた歴史となるのは間違いないが、それは今のところ、僕の望む物語ではない。


 着席したのは、第四試合と第五試合のインターバルだった。今日のイベントは女子プロレス団体『ビクトリア』内のチーム対抗戦である。『悪女連合』対『スターガールズ』。計五試合で、すべて一対一のカード。公式サイトの速報によると、二勝二敗で競っている。最終試合に間に合ってホッとしている自分がいた。


「それでは第五試合、大将戦。赤コーナー。スターガールズ、レイナ!」


 場内にピコピコした音楽が響き、巻き舌のアナウンスが流れた。赤を基調としたヘソ出し短パンの選手が颯爽と花道を駆け抜け、リングにあがる。衣装のスパンコールが照明を反射していた。


 ビクトリアは『ド派手に強く美しく』をモットーとした団体で、なかでもスターガールズはアイドル活動を並行している。歌って、踊れて、戦える女の子。ビクトリアの看板チームであり、公式Youtubeチャンネルでは彼女たちの試合がもっとも再生回数を稼いでいる。リーダーのレイナは元アイドルのプロレスラーで、アイドル時代に獲得したファンを引き連れてビクトリアに電撃加入した。彼女が選手として地道な努力を重ねてきたことは、現在の肉体が証明している。適度な脂肪と筋肉。加入当時の華奢な体からは考えられない。彼女はプロレスラーに必要な肉の鎧を獲得していた。


「青コーナー。悪女連合、ゴア・ビースト!」


 デスメタルが流れ、照明が消えた。代わりに花道にライトが灯る。薄闇のなか、重たいドラムのリズムにあわせて巨躯が歩みを進めた。リングインと同時に、再び照明が灯る。ゴア・ビーストはボロボロの茶色い布を胸元と腰にまとい、露出した肌のあちこちに呪術的なペイントを施していた。緑色の短髪の下で、見開かれた瞳が会場をぐるりと睨みつける。


 リングにいるのはケーコではない。二十世紀末、アマゾン奥地で発見された全長百七十センチの類人猿。触れるものすべてを傷付ける最悪のモンスター。ゴア・ビースト。それが彼女に付与された物語だ。

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