7アルの早起き騒動記
いつもありがとうございます。
絶世の美貌のイケメン、アルさんの寝坊の物語です。
どうぞお楽しみください!
砂漠に、夏の嵐が吹き荒れる季節。
アルには人には言えない、悩みがありました。
それは、毎朝いつもより一時間早く、起きなければならないことです。
薬草師はこの時期、お屋敷中の人が飲む熱病予防の薬湯を、毎朝作らなければなりません。そのために早朝から、前の晩に水と薬草を入れておいた鍋を火にかけて、タジと交代で焦がさないように三十分ずつ混ぜ続けます。
元々朝の弱いアルは、薬草師養成所時代も、毎朝同室のタジに起こしてもらっていました。月に一度の神殿の掃除の日には、夜明けとともに叩き起こされるのが、何よりも苦痛でした。
しかし、美貌の青年なのにフレンドリーなアルには、アルを慕うたくさんの後輩達がいたので、あらかじめ掃除しておいた場所をそっと譲って楽させてくれたり、ちょっと遅刻してきてもこっそりアリバイを作ってくれたりなど、陰日向に助けてくれる人たちが、いっぱいいました。
ところが、ハマド様のお屋敷の見習い薬草師になってからは、タジと二人きりです。
しかも、薬湯作りは毎朝、約一ヶ月もの間続くことから、だんだん朝起きるのが辛くて堪らなくなっていました。でもそんな日々も、今日までの辛抱です。
「おい、アル起きろ。今日で最後だぞ」
「………ん」
頭では起きなければならないことが分っているのですが、どうしても体が言うことをききません。
「起きろ、起きろって、アル。おい、アル!」
何度も、何十回も体を揺すられて、ようやくアルは目を覚ましました。
「……何、もう朝か?」
大きく腕を伸ばして欠伸をすると、長い睫毛を指で擦ります。
「ああ、朝だ。でも早起きは今日で終わりだ。明日からはいつも通り、少しゆっくりできるぞ」
タジが言うと、アルはベッドから下り、やっとの思いで着替えを始めました。タジは焦げつかないように注意しながら、薬湯の鍋を混ぜ続けています。そんなタジの様子をぼーっと見ながら、何でこいつはこんなに朝からシャキッと起きられるんだ?とアルはいつも思っていました。養成所時代から、タジが寝坊したところなど、一度も見たことありません。それどころか、起きた瞬間からまるでずっと前から起きていたみたいに、テキパキ行動できるのです。
「お前、いつも元気だよな。毎日一時間半も早く起きて、平気なの?」
アルが鏡の前で髪を梳かしながら聞くと、タジは鍋を混ぜながら、当たり前のように頷きました。
「平気だよ。でも流石に一ヶ月も続けると、夜早めに眠たくなるけどな」
「ふーん、そうなんだ。いいなぁ、俺なんて、もう眠たくて倒れそうなのに」
アルはそう言うと、髪を束ねて手を洗いました。
「さ、交代の時間だ。これで来年まで早起きしなくていいと思うと、頑張らなくちゃな」
「ああ、そうだな」
二人は顔を見合わせると、嬉しそうに微笑みます。
いくら早起きが得意なタジだって、毎日一時間半も早く起き続けるのは、体力的に辛いものです。
でもあと一日の我慢。しかも、今日は待ちに待った給料日です。
「なあ、今日久しぶりに晩飯、市場で美味いものでも買って食わないか?」
鍋を混ぜるへらをタジから受け取ったアルが提案すると、タジも目を輝かせました。
「実は俺も、同じこと思っていたんだよ。今日はひと月薬湯作りを頑張ったご褒美に、ちょっとだけ贅沢するか?」
「しよう、しよう!俺は、肉の煮込みと、ナツメヤシだな。タジは?」
「俺は、甘辛い豆の炒めたのとナツメヤシだ」
二人はちょくちょく市場へ出かけますが、いつもは節約のために自炊なので、食材を買って帰るだけです。しかし、仕事終わりの夕方の市場には、お腹がぐーぐー鳴りそうな美味しそうなお惣菜の香りが、あちらこちらから漂ってきます。いつかご褒美に食べてみたいな、といつも見るだけだった美味しそうなお惣菜が、今夜は食べられる。そのことを考えると、二人はごくんと唾を飲み込みました。
「楽しみだな、タジ!今日一日頑張れば、晩飯はご馳走だな!」
「ああ、わくわくするな!」
そんなことを話しながら、二人は、今年最後の薬湯の鍋を、煮詰めていました。
まさか、そんな楽しい晩ご飯の後、とんでもないことが起きようとは、まだ夢にも思わない二人でした。
その日はお屋敷のみんなも、いつもよりちょっとだけご機嫌でした。
あのいつもは厳しいファイサルも、今日は奥さんや子どもに、市場で何やらいいものを買って帰るみたいです。日が暮れ仕事が終わりになると、わざわざ離れにある家に帰る前に、薬草師部屋へ顔を覗かせました。
「見習い薬草師殿。薬湯作りご苦労さまでした。くれぐれもお給料を市場で無駄使いしないように。何なら私がご一緒してあげましょうか?」
勿論、タジとアルが丁重にお断りしたのは、言うまでもありません。
「ファイサルさんが一緒じゃ、せっかくの給料日がつまらなくなっちまうよな」
仕事部屋を片付けたアルは、ささっと身なりを整えて、もらったばかりの金貨一枚を小さな袋に入れました。タジも同じ金額を袋に入れると、用心深くベルトの下に隠します。本当は二人の見習い期間中のお給料は、一人金貨十枚ですが、金貨八枚は、毎月の給料日にお屋敷からそれぞれの実家へ送ってもらうので、残った金貨二枚を一ヶ月分の生活費としてやりくりしていました。タジの実家では、毎月金貨三枚から四枚で家族九人が生活していたことを思えば、金貨二枚で一人分の生活費というのは、決して少ない金額ではありません。
しかしここは王都、実家のある田舎とは物価も違うので、色々なものが高いもの事実です。
「さて、ちょっと見てから、念願のご馳走を買いに行くか?」
市場に着くと、アルは慣れた様子で、顔馴染みの店主に次々と人懐っこく話しかけては、笑い合っています。タジはいつもその後ろを、周囲を色々見ながらついていくのがお約束です。アルは背こそ平均的なものの均整の取れたスタイルに、細面の顔、切れ長の美しい目には長い睫毛が艶やかに伸びていて、髪は風になびけばサラサラと音を立てるんじゃないかってくらい、サラサラです。田舎にいた時も、養成所時代もそうでしたが、道行く人全てが振り返るだけでなく、何人かの女性がその美しさにため息を漏らしているのを、タジは知っていました。今日も市場へ行くと、いつも市場で働く女達だけでなく、偶然買い物に居合わせた女達も、みんなアルを見てうっとりしています。しかも、着ている衣服からどこかの貴族のお屋敷の薬草師だと一目で分るので、今やアルの人気は絶大です。
しかし本人はそんなことは一切お構いなしで、ふんふん鼻歌を歌いながら、市場を楽しんでいます。
「アル、そろそろ憧れの晩飯を買わないか?」
「あ、もうこんな時間か」
気分良く市場を楽しんでいるうちに、いつの間にか、すっかり夜になっていました。
二人は来た道を足早に戻ると、ずっと憧れだった肉の煮込みと豆と野菜を炒めたお惣菜、焼きたてのパン、毎月楽しみにしている、ナツメヤシを銅貨一枚分ずつ買って、お屋敷に戻りました。
薬草師部屋に戻ると、さっそくお惣菜を入れてもらった器の蓋を開けました。
ふわっと美味しそうな香りが、部屋いっぱいに広がります。
「美味そうだな、アル」
「ああ、最高に幸せな気分だよな」
二人は神に感謝を述べると、いただきます!と勢いよく、お惣菜を頬張りました。憧れの味は思わず目を瞑りたくなるくらい、堪らなく美味しいものでした。
焼きたてのパンも、ナッツやバターがまだ温かく、口にする度に身震いする程、幸せな味がしました。全部平らげると、お腹もいっぱいになったので、毎月のお楽しみで買うナツメヤシは、明日からの楽しみとして、大切にそれぞれの引き出しにしまいました。
翌朝、タジは満ち足りた気持ちで、とても気持ちよく目が覚めました。
しかし、着替えをして、カーテンを開けて窓の外を見ると、ん?と一瞬目を疑います。
いつもは日の出とともに起きるのに、今日はすっかり日が昇り、窓の外には見事な青空が広がっていました。
「……今、何時だ?」
薬草師部屋に置いてある時計を恐る恐る見ると、時計の針は七時を少し過ぎていました。
「どうしよう!!寝坊した!!!」
吠えるように叫ぶと、まだベッドですやすや熟睡しているアルを、乱暴に揺すりました。
「おい、アル、すぐ起きろ!朝飯まであと十五分だぞ!起きろ!!」
しかし、アルはびくともしません。
タジは時計をちらちら見ながら、生きた心地がしませんでした。
アルを叩いたり、揺すったり、耳元で怒鳴ったり、色々やってみるのに、一ヶ月間の薬湯作りの疲れが出たのか、アルはむにゃむにゃ言うだけで、全く起きる気配もありません。お屋敷の重役が集まるミーティングを兼ねた朝食は七時二十分からで、気がつけば、あと五分しかありません。
「どうする?こうなったら、俺が着替えさせて、力づくで背負って連れて行くしかないな」
タジは覚悟を決めると、アルの毛布を剥ぎ取り、黙って寝間着を脱がしにかかりました。最初は夢の中にいたアルも、さすがに着ているものを脱がされて、目を覚まします。
「……おい!タジ、何すんだよ!」
上半身をすっかり裸にされたアルは、慌てて飛び起きました。
「アル、すぐ着替えろ!あと三分で朝飯だ!!」
「はあ?マジかよ!!!」
アルは慌てて寝間着を脱ぎ捨てると、手足をこれ以上はない早さで動かして、着替えを済ませました。髪は櫛も入れずに適当に束ねて、二人は食堂へと慌てて走っていきました。
「遅いですよ!何時だと思っているんですか!!」
二人が食堂へ着くと、ファイサルが怖い顔で睨んでいます。すでにハマド様や夫人たち、お子様たちもみんな揃って、朝食が始まっていました。
「申し訳ありません!ちょっと寝過ごしてしまいまして・・・」
二人で謝りながら頭を下げるも、ファイサルは鬼の形相のままです。
「薬湯作りの疲れが出たのだろう。一日くらい、いいではないか?」
ハマド様が温厚な笑顔で、助け舟を出してくれましたが、舟はあっさりファイサルによって、沈められてしまいました。
「いえ、いけません!今までも何人もの薬草師が同じ仕事をしてきたのに、寝坊した者は初めてです。朝食が終わったら話があります。ここへ残ってもらいます。いいですね?!」
「はい……分りました」
そして朝食後、ファイサルに食堂に残された二人は、「ハマド様じゃなければとっくに命は無い」とか「今度やったらどうなるか分かっているのか」だの、しばらくファイサルの顔を見るのが恐ろしくなるような説教を、長々とされたのでした。
その頃、イルハーム家の薬草師部屋で、ヤズィードは着ていた衣服を、脱ぎ捨てていました。
「これでこのボロ小屋ともおさらばだな。明日から俺がこの屋敷の主だ」
そう呟くと、ニヤリと不気味な笑みを浮べながら、執事の衣服に袖を通します。
前の執事だったブルハーンが王宮に裁かれていなくなってから、イルハームに上手に取り入ったヤズィードは、明日からイルハーム家の執事として、格上げされることになりました。
代わりの薬草師は、また養成所から派遣されます。
養成所を出る時に貰った、大切な薬草師の衣服を足で踏みつけると、ヤズィードはふふっと獲物に襲いかかる、毒蛇のような目をしました。
「これで仕事もやりやすくなる。見てろよ、裏切り者は必ず俺が仕留めてやる」
不穏な影が、再びハマド様のお屋敷に、忍び寄ろうとしています。
いつもありがとうございます。
これからもよろしくお願い致します!