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和国世崎の生ひ成り帳  作者: 六曲
7/12

澤村と古賀

浪人二人のお話

 小僧騒動の終わりと共に、稲は付き添いの任を解かれた。あれからというもの同じ城内にいるとはいえ、佳乃と稲は顔を合わせたことがなかった。それは勿論稲が未だに御三の間で雑用をせっせとこなしているのに対し、佳乃はといえば御庭番として御代様にお仕えなさるため国へ戻って来たのだから、恐らくは本丸に腰を据えているのだろう。本丸にも入れぬ一端の小娘と合わせる暇などないのだ。

 あの騒ぎの最後に稲が目にしたものは、恐ろしくも相手めがけて豪腕を振るう佳乃の姿が笑っているように見えた、温情のあるお方ではないとは思っていたがそれでも噂に聞いた『佳乃様が何故北国へ飛ばされていたか』の話はどうやら噂ではなかったようだ。それは小僧騒動が終わり、久しく感じる自分の寝床へ戻ると、唐突に部屋子の皆々から労いの言葉をかけられたことから始まった。やれ恐ろしいことをされなかったかだの、怪我はないかだの、蓮城様にも言えぬようなことはなかったかだのとそれは半分好奇心も混ざっていたのだろうが、本気で心配している声もあった。

 遡るのは佳乃が長屋を拳で叩き割る半刻ほど前。佳乃と二手に分かれ、奉行所へ足を運んだ先での話である。


 ここらを賑わせている『柳の小僧』について何か一つでも新しい策の為になるものはないか、手がかりを聞いてはみたもののお奉行様にも皆目見当が付かないらしく、数人に聞いて回ったがどれも同じような話ばかりである。「細くて屋根と屋根を飛んで伝っていく」「顔のない面をかぶっている」嘘か真かわからないものばかりだが、「一人にしては手の回りが早い、集団での窃盗ではないか」という意見には稲も少し納得した。


「ああ、帰って来たってな……噂は本当だったらしい」

「噂?」

 『与力』である初老の男がふうと息をついて話し始める。

「あんた生まれはどこだ、この町じゃないだろう。六年前……不平不満を募らせた奉公人や辺りの村民らが城の門まで詰めかけた、一斉にだ。それもどうしてか警備が手薄な頃を見計らったように、まんまと城に入り込まれた」

 六年前、稲はたしか前にもどこかでその数字を聞いた覚えがあると思った。

「奇襲とはいえ踏み込んだのは侍じゃない、鍬や金物を武器にした農民ばかり、ざっと百はいたんだろうが大抵が城で守りを務める兵にやられた。生き残った者たちは打ち首……それでも晒し首にされなかっただけでも先代上様の温情があると思うね」

「それが、佳乃様とどういったご関係が」

「……その民らに上様への反感を差し向けた者がいる、そして城内部に通じている者がいたのは確かだ。奴らは結局負けちまったが、城に仕えるお侍達の命もだいぶん奪っていった。一民の思いつきだとしてもあまりにも作戦が出来過ぎている、そうして名前が挙がったのが……」

「……それが佳乃様だと……?」

「あの方は今でこそ城に仕える人間だが、本来そういった身分じゃない。拾われて、御子が為されない上様と御代様のご寵愛を授かっただけだ。だからこそ死罪を受けず、ひとりのうのうと生き延びて、あまつさえ再びこの世崎に帰っているじゃないか」

 稲は初めて聞くその老人の言葉に唖然とした。春だというのに手先が冷たく感じられた。

「あんたも貧乏くじを引かされたね、まあ、せいぜい警戒するこった」

 そういうと与力の男はどっこいしょと腰を上げて門の外側をふいと見た。ちょうど下手人が捕まったまま手を後ろに暴れてこちらへ連れて来られる様子だったので、稲は会釈をしてから静かに奉行所を後にした。奉行所で聞いた話は、これまで。


 その直後だ、稲が駆けつけた瞬間に見えたその表情は、あれは。逃げ惑う若者めがけて叩きつけた拳には何か一心を込めているようで、猛威を振る舞う姿はそれはそれは恐ろしく。その後駆けつけることすら躊躇うほど。


「でもお小姓でもないのだし、もう佳乃様に付き添うことはないわよ。安心しましょ」

 任を解かれた稲に、同僚の者たちは同じような言葉をかけた。

 そう、そうなのだけど。

 きっとここにいる皆が想像している以上に佳乃様はもっと人間らしいのだと言いたいのだけれど、喉に突っかかるのは何故だろう。それをぐっと飲みこみ、稲は最後の灯かりを消して布団へ入った。



 明くる日。佳乃は再び城下に降り、一人町を歩いていた。もはや滅多なこともなければ町人達も佳乃の顔を見ようと、驚きはしまい――そう思っていたのだが、先日降りた時よりも人がちらちらとこちらを見ては避けていく気がして佳乃は元々のしかめっ面を余計にしかめた。何か顔に落書きでもされているような、そんな気分である。嫌に馴れ馴れしく人だかりができるより歩きやすくて良いが、この反応は一体何なのだろう。そう思っていた矢先、小僧騒動解決よろしく、一枚の瓦版が長屋の隅にひっかかり、ぱたぱたと煽いでいるのを見つけた。そういえば自分を見ていた町人どもは何か紙に書かれたものと自分を見比べるようにしていたのを思い出し、ふと拾い上げてみる。

『その拳は熊をも殺す』

 瓦版には達筆な文字でそう書かれ、横には熊にも似た大男と、それに立ち向かう髪の長い袴姿のちぐはぐな人間が描かれていた。髪型と服装が当時のそれとは一致していることから、それは恐らく佳乃の姿なのだろう。

「……なんだこの絵は」

 呆れてつい零れた言葉に反応するものは風一つないと思われていたが、なんとも目里らしく聞きつけて現れた者がいた。

「ややっ! その声は佳乃さまじゃありませんか! 今日はまたどういった用件で城下へ?!」

 長屋の陰から飛び出て来たのは嫌に陽気で懐っこい声色で、佳乃は眉をひそめた。

「なんだお前は気持ちが悪い」

「ご冗談を、先日お世話になった澤村じゃありませんか」

 佳乃は顎をさすった後、斜め上を見上げああと呟いた、本当に忘れていたのだ。それが長屋から出て来る顔の見知った浪人であるにも関わらず。それもまた以前よりうんと態度が変わっているのだから余計不審でならない。それでも澤村はめげずに満面の笑みで寄ってくると、佳乃の手にある瓦版を覗いてまたまた笑みを浮かべた。

「ああこれ、よく描かれているでしょう! 佳乃様のお強さ凛々しさがようっく表れてると思いませんか?ほらここ、この拳の力強さ、御髪の流れ……。うん、惚れ惚れしちまうなぁ」

「寄るな」

「はい」

 不機嫌さを孕んだ一声に澤村はさっと距離をとった。それでもまだ何か考えているらしく、その目はじっと佳乃を見つめている。

「先立って不逞な輩を捕まえたとはい、お前にはやる褒美はないぞ」

「いえいえ、まさか、褒美を頂こうなんて思っちゃいません。ただ……」

 ただ、の後の間がやけに長い。澤村の首はゆっくり右に傾げたかと思えば左に傾げ、佳乃を見たかと思えばまた視線を逸らし、佳乃は苛立つばかりだ。

「私は行くぞ」

「ああっ待ってくださいよ!言います、言いますからぁ! ただ……その……、か……佳乃様に弟子入りさせていただきたくっ!!」

 ぽくぽくぽくと木魚の音が聞こえるような間があり、それからその言葉にぴくりと眉を動かした佳乃の顔が徐々に敵意を帯びてくるのが澤村にもわかった。

「……何が目的だ」

 一段と低く牽制するような声。澤村は慌てて何も目的などないと手と首を振ったが、信用に値するものとはとられていないようだ。すると狭い長屋の奥からまた一人、今度はぬうっと背丈の大きい男が現れた。眼鏡をしている男はさすがの佳乃も覚えている、その男の描いた瓦版で小僧を捕らえることができたのだから。男は確か、古賀といったはずだ。古賀は外で澤村の大声がしたものだから出て来たのだろう、佳乃の顔を見ると会釈をし、澤村がなぜ態度を変えたのかを説明し始めた。

「こいつは見た目の通り頭は空かもしれませんが、人を見る目は確かです。澤村はあなた様のご解決なされた一件、そしてあの大男に見せた闘志に気を当てられたのだとあれから毎晩話してくるのです。それならいっそ弟子か弟分にでもしてもらえと私が適当な返しをしてやると、それを鵜呑みにしたというわけで」

「……つまりはお前のせいか」

 まあまあ立ち話もなんですので、と澤村の勧めによって近くの茶屋に腰を下ろすこととなり、三人は外の縁台(長椅子)に腰かけ、抹茶と串団子を注文する。相変わらず、城下の賑わいは佳乃にとって城内よりも居心地が良かった。


 茶筅結いをした袴姿、鞘を携えたお侍の姿に、茶屋の若い娘は何かを勘違いしたのか気があるようでちらちらと視線をやりながら茶と団子を三人分置いていった。当の本人である佳乃はこれっぽちも気付いておらず、早速串団子を掴むと一粒串からむしり取った。

「ああ、そういえばその瓦版ですがねぇ。それ、書いたのこいつなんです」

 先ほど拾った瓦版の残りを見せると、澤村が隣の眼鏡を指さしそう言った。咎めるような目つきで佳乃は一番奥に座っている古賀を睨む。

「お前か」

「……恐縮です」

「褒めとらん」

「いやぁこれが案外評判よくって。書き物の才能ってやつっすかねぇ、オレは学もねぇし能足りんなんすけど、太一は頭がいい! そんでこないだの話を元に……その……ええと、なんだっけ?」

「随筆」

「そう、そのずいひつってやつをね、瓦版にしてもらったつぅわけです」

 古賀は飄々としている上に、頭も良い。少なくともこのお喋りな澤村という男よりは。だが双方まったく懲りていないというわけだ。

「二度と称賛するような記事は書くな」

「ええっでも、どうせなら、佳乃様だって町民にはウケが良いほうがいいじゃないですか」

「いらん。わたしはお前らに良く書けと頼んだ覚えも、他人に良く思われたい一心で小僧を捕らえたわけではない。いいか、二度と、書くな。金づるを探しているのならさっさと別を当たれ」


 だがしかし、その言葉は澤村を諦めさせるには至らなかった。それどころか、澤村はより一層に目を輝かせてそれはそれは佳乃にとって鬱陶しいほどの感嘆ともなる言葉を出したのである。

「やっぱり、オレが見込んだお人だけある。佳乃様、オレをあんたの舎弟にしてください!」

 開いた口が塞がらないとはこのことだ、胡散臭さを通り越し佳乃はもはや呆れて団子も口に入らなかった。半開きの口に持っていった串団子はそのまま冷えて固まるかと思われたが、間をおいた後に佳乃はやっと白い団子を串からむしりとった。答えを返さぬ佳乃と、それでもちょこまかと首を動かし顔を覗き込む澤村、そしてその横で止めもせず黙々と茶を飲む古賀。

「佳乃様、真に受けていませんね?」

「……。」

「オレぁ本気ですよ、騙そうって魂胆もありませんよ。ただあなた様の弟分になりたいってだけで、何も悪いことしようってんじゃありません」

 澤村は、佳乃の眉間が徐々に狭まっているのを気付いているのだろうか、古賀は横目で見て気付いてはいるが何も言わない。一人合点がいったように、ああ!そういや!と澤村。

「きちんと名を名乗っておりませんで、俺ぁ澤村実利(さねとし)です」

古賀太一たいちと申します」

「……名を知れば良いというわけではない」

「ならどうしたらあなた様の弟分にしてもらえるんです?」

「何もいらん」

 えっ、と一度歓喜の表情を見せた澤村だったが、団子の串を空になった皿に投げ捨て、さっと立ち上がって二人を見下ろす佳乃の目は、暗く、まるで侮蔑の眼差しを含んでいるようであった。

「何をしようと、私はお前たちを舎弟にする気にはならん。二度と近寄るな」



 去りゆく後ろ姿を眺めながら団子を咀嚼するため口を動かし、古賀の皿は空になった。それまで喋るのに忙しかった口が、残りの団子を食らうためだけにもくもくと使われると澤村は静かだった。砂を踏む足音が行き交う通りを眺めれば、とっくに仕事を始めている者はせわしくあっちへいったりこっちへ行ったりとしている時刻である。古賀は空の天気を眺めて聞いた。

「それで?どうするつもりだ、今日の仕事は。今の刻限なら問屋にでも行けばまだ荷下ろしのひとつやふたつ」

「佳乃様、」

「まだ諦めてないのか」

「……佳乃様は、なんで城下なんかに来たんだろうか」

 澤村はへこんでなどいない。一体どのような環境に置かれればこれほど鍛え上げられた精神が出来上がるのだろう。澤村の精神はまさに鉄でできていた。負けん気だけは強いというのは数年の付き合いで分かっていたが、だがその考えていることは古賀にもよく掴めていない。

「今、上様がお参りにお出でなさっている間。お留守の番もせず……わざわざ人がごった返してるこんなきったねぇ茶屋で団子食って、城にいりゃあ相応のお膳だって出されるだろうに……。これはよ、もしかすると……もしかするな」

 普段はそこまで頭が回らないというのに、一体どうしてそこまで佳乃にこだわるのか。澤村が何か心当たりに目を光らせているその後ろで、古賀はまた厄介なものに目を付けられたなと佳乃へのほんの少しの同情心と、それに付き合わされる自分の身をどう守ろうか首を捻りながら、やれやれと頭をかいていた。

「あっ、そういえば団子の代金……」

 正気に戻った澤村がはっと呟く。一番最後に食べ終えた澤村に、茶屋の娘がにっこりと意味のある笑顔でやってくる。城仕えの佳乃様も噂に劣らず手厳しい



 世崎に戻って早二週間が経つ。人の噂も七十五日というが、ここでは三日もすればまた新たな噂が流れては消えていくのだ。もちろん、佳乃がこの街へ下りてくることで歓迎されることは一つもないが。


 小さな橋をひとつ、大きなものを一つ渡って街の賑やかさから離れた長屋の並びに差し掛かる。そこまで来ると街の中心部とは打って変わり、人ひとりにしても暮らしが貧しいのが見てわかるほどである。三年ほど前だろうか、佳乃が追放の命を受け心を入れ替えるようにと送り出された先の寺で修行僧達が話していた、『飢饉が起きた、百姓の一部は街に流れるらしい』その言葉の通りでいけば大凡この町人達は北から流れて来た者の集まりなのだろう。この辺り一帯はその飢饉の直前に建設された、『被災した民が住む』為の住宅街である。この法を建てたのは御台所の夫、先代将軍である。

 しかし中心街では慣れてきた佳乃の姿も、ここでは流石に異形に見えるようで、人々が佳乃を見る目もまた違ってくる。ひそひそと声が聞こえてくる、「あれが噂の出戻りの」「上様にご寵愛なされていたおかげで」「一体何をしにこんなところへ」耳には聞こえてくるが、佳乃は素知らぬ顔だった。噂や後ろ指を指されることはとうに慣れていた。


「ほぅ、今日は珍しいお客が来たものだ」

 庭を掃いていた坊主が、その手を止めて佳乃のほうを向いて首を傾けたその両目は白い。

「相変わらず良く見える目だ」

「ひひひ、ようまたお帰りなすった」

 周りの笹のざわつきがいくらか収まり、二人の会話を遮ることなく静まった、緑の竹々は新しい葉が生え変わっている。もう少しもするとここまで来る道のりも、青々とした葉で埋め尽くされるだろう。平地には枯れ葉となった竹の葉がはらはらと舞い落ちる。色褪せ黄ばみに侵されている葉はそこら中に散っており、草鞋の履いた足先でくしゃりと踏んでしまう。

「それで、後ろにおられる二方はあなた様の隠者でございますかな?」

「……。」

 後ろと言われ振り向いた佳乃の顔といったら、恐らく蓮城がこの場に居たら面白がって手を打っただろう。苦虫をかみつぶす直前のような、なんとも言えぬ表情と坊主の前に、石段からひょこっと顔を出した二人の男が頭を下げた。

 二人とは勿論、澤村と古賀以外ほかにない。


「拙僧、名を木喰もくじきと申す。この寺の和尚でござい」

「……寺ぁ?」

 澤村がその後ろにある『寺』と呼ばれた建物を見るが、どう見ても掘っ立て小屋にしか見えない上に肝心のお堂が見当たらない、あれだけ石段を登ったはいいが広げられた敷地は狭く、とても信心深い坊さんが開いている寺には見えなかった。周囲は竹に囲まれ、庭らしき平地は雑草だらけである、緑が豊かといえば聞こえはいいがつまるところ手入れがされていないのだ。

「そいつは目が見えていない」

 小屋の入口を覗きながら佳乃が言った。えっ、と目を見張る澤村がいる一方で、やはりと古賀が木喰の白く大きな目を見つめた。木喰は大きく今にも転がり落ちてしまいそうな真っ白い目を持ち、坊主頭でおんぼろの袈裟をまとっており、袈裟がなければ坊主だとも思われないだろう。物乞いと見られても可笑しくない。

「相変わらず弟子の一人もとっておらんのか」

「ひっひ、誰がこの坊主の下で修行につきたいと思いますかね」

「それもそうだな」

 ふ、と笑ったあと佳乃はさっさと草鞋を脱ぐと小屋へ上がった。表は長屋の九尺二間とさして変わらぬ間取りで、清潔さで言えば澤村と古賀の住まいのほうがいくらかましである。間は三つ、表、中、そして奥にお堂と呼んでよいものか、仏様が祀られた唯一何もなければ塵もない井草の香りがすんと身に染みるような一室があった。佳乃は中室にあるものを一瞥するがそれも数十秒のことで、小屋から再び顔を出すと、未だに突っ立っている澤村と古賀を顎で指した。

「丁度良い、木喰、こいつらを使って庭の手入れでもさせればいい。どうやら暇人のようだからな」

「おや、よござんすか。ではお言葉に甘えて庭の雑草狩りでも頼みましょうかね」

 外は晴天、だが竹が伸び茂り庭で影になっているのが幸いであった。


 腕をまくりよいしょよいしょと雑草を根っこからむしり取る、依頼でも庭掃除や雑草抜きは何度も頼まれたが、ここまでしっかりと根の張った強靭な草たちは初めてで、澤村は無数の小さな敵をそらそらと抜き捨てていく。その様子は渋っていた作業が途中から楽しくなってきたように見える。

 だが縁側に腰かけている木喰にその働きは見えていない、仮に手を抜こうとわからぬのだが澤村は馬鹿に一生懸命だった。

「白内障ですか」

 隣に座った古賀が、濁った白い目を見つめて言う。その目は確かに見えないのかもしれないが、片方はうっすらと瞳の黒い部分が透けていた。

「さあ、お医者に診せていないんでね」

 こんな林の中、小屋とお堂、妻子もいないようで木喰はどう生活しているのだろう。縁側は部屋と部屋を外から回るための廊下でもあり、古賀がいる位置からはちょうど中室が見えた。

 そこには絵筆や小皿の重ねたもの、大きな一枚の下書きが薄暗い部屋の奥に立てかけられているのが影になって見えた。他にも彫刻刀や木屑、彫りかけの仏像が子供でも抱けるほどの大きさで横たわっている。不思議な空間である。

立ち上がり、こんなもんかと額の汗を拭い、腰を反らしながら澤村が首をこっちへ向けてくる。

「坊さぁん、なんでこんなとこに寺なんて作ったんだよぉ、目が見えねぇったって経は唱えられんだろ?町にいりゃもっと楽に住める場所の一つや二つあるぜ」

 木喰は見えない目をぎょろぎょろとさせて、おかしそうにくつくつ喉の奥で笑い始めた。

「お前さんらはよほど世俗に疎いと見える」

「なんだよぉ、オレだって坊さんたちの肉食が認められたり、お奉行の下で働かなくたっていいようになったのが最近だってことぐらい知ってるぞ」

「それよりいいのかい、佳乃様は下へおりていくよ」

 年寄り坊主の言うままに石段のあるほうへ二人が顔を向ければ、いつの間にかその後ろ姿がさっさと段を下りていくのが見えた。

「あーっ佳乃様、待って待って!」

 かくんと傾げ奇妙に揺れ動く頭は、絡繰り人形のようだなと古賀は振り向きざまに思うのであった。



 用を終え、何も言わずに静かに降りていけば気付かれることもないだろうと思っていた佳乃の後ろにはまたいつの間にやら、二人がくっついてきている。乾いた土を踏む三人分の足音は、辺りの人の目を集めた。小さな山を下り、此処は再び『仮設住宅区街』である。

「木喰って名前も変わってるが、あの坊さん自体変わったお人ですねぇ」

「ところで今日この先のご予定は?」

「あの寺へはなんの御用だったんですか?」

 うんともすんとも言わない佳乃にめげない澤村の問いかけは風に流されていた。だがこれ以上やたらめったら口うるさく構われても堪らない、眉間に皺を寄せた佳乃はため息と共に返答をやった。

「……使いだ、使い。薬を届けにやっていった」

「今日のお仕事はそれだけですかい?」

「……。」

 詳しいことは他人に喋る必要はないらしい、古賀が二人からまた一歩下がった場所からやり取りを眺めている。次にあっと声を出したのは、またもや澤村であった。

「そうだ、薬といえば、堀田の旦那が畳に頭こすりつけて佳乃様に頼んだって言われてるお宝は取り返したんですかい?」

 その質問に佳乃は無言で歩きとおした、と共に何か良くない気配を察知した古賀は一人納得したが、察することが出来ていない澤村は後ろにいる古賀に視線をやってくる。古賀は小さく頭を横へ振った。どうやら触れてはいけぬ話題であったらしい。


 そう、堀田家が頭を下げてまで取り返してほしいと言われた『ある物』は取り戻すことができなかったのである。そもそも捕らえられた若い衆達は知らぬ存ぜぬの一点張りで、どこをどう突いても吐き出す様がないので、本当に知らぬものとされた。堀田はどうにも納得がいかなかったが、そこは蓮城が今後引き続き佳乃に探させると約束を取りつけた。佳乃もそれには意義を唱えなかった。

 それは佳乃が、捕まった童衆らを以前自分の追った小僧ではないと断言しているからである。長屋を挟んでの追いかけ合い、小物を使って逃げる手段、顔をちらりとすら拝ませなかったあの男。あれこそが本物の『柳の小僧』だと佳乃は言い張る。


 遠くで貸本屋の声が聞こえるがどこも取り合ってはくれないらしく、『貸本、貸本屋ぁ』と春の空に吸い込まれていく。

 すると急に、道の真ん中に牛蒡のような真っ黒な子供が一人。藁で編んだかご、大きさや深さでいえばザルだが、泥のこびりついた小銭が入っているそれを持ち、じっとりした目でこちらを睨みつけているのがいた。

「追い払いましょうか」

 古賀のつんとした声が非情に聞こえたのは、いくら廃刀令が為されていたとしても油断ならぬ時代であるからだ、子供といえど何をどうして生き延びているのか、浪人として生きる澤村や古賀がそれを知らない訳がなかった。

 しかし佳乃は何も言わず、横を抜けて通り行こうとしたその時、子供がぼそぼそっと言った。

「金、くれよ」

 あまりにも率直な言い方に三人は目を見張る。小さくぼさついた頭を佳乃は見下ろした。

「……親はどうした」

「お母は死んだ、お父はいない」

「それでお前は物乞いか」

「なあ、金、ないってことはないんだろ、おさむいらいはえらいお方だ、たっぷり給金だってもらってるって、ここの爺さんばあさんらが話してた」

 ちらと見てみれば、周囲の物陰から大人たちが覗いている。この子供のたかりに乗じて自分たちもと思っているのか、それとも侍に物乞いをする子供の切り捨てざまを見に来ているのかは分からないが、ただの情だけで集まっているとは思えなかった。澤村はそんな大人の様子に、あからさまにケッと口を曲げている。

「子供の物乞いで日銭を稼ぎ、飯を食らい生きているか」

 佳乃の声はやや大きな声であった、物陰に隠れ身を潜めている大人達へ恥を知れと言っているように、古賀には思えた。だが子供は違った。それ以上の大声を張ってこう言うのだ。

「やい、ごくあくにん、上様におんぶにだっこされてるだけで、こどもひとつも切れないのか」

 それは明らかに虚勢の台詞であった。まったく相手にされぬ子供の言葉は『ごくあくにん』と示唆した相手に届いたらしく。通り過ぎようとした髪の房がゆれ、切れ長の目が、また侮蔑するかのように子ども一人を見下ろすのだ。そうして佳乃は言い捨てる。

「お前を切ってなんになる」

 たった一言のそれに、子供は何も言い返せなかった。その命に価値はないと、その意味を知った大人達は皆、顔を伏せってまた長屋の中へすごすごと戻るだけだった。


 道を戻る間に物乞いや病気持ちの長屋娼婦に誘われ、三人は一向に無視を続けた。ちょっと良さげな女のはだけた項に、澤村一人は釣られそうになったものの、ぶんぶんと頭を振って二人の後に戻ってくる。ようやく区外へ出る橋に行き着いたところで、澤村が先ほどの話を引っ張り出してきた。

「しかし、佳乃様に金をくれだなんて命知らずな子供もいるもんだ。それにしたって、もう少しマシな稼ぎ方だってあるだろうになぁ。そのうえ、金が貰えなかったら切れだなんて」

「それ以外の生き方を知らないんだろう」

 応えたのは古賀である、佳乃はどんな話題にもだんまりを通したままなのだ。

 古賀はそれまでの言動や行動を見ていて思った事がある、自分の知らない『六年前の事件』に関与していたのは明らかだが町の人間が言うほどの『罪人』ではないのではないか。無論、あの俊足に加えて豪腕とくれば何か騒ぎを起こしそうなものではあるが、だからこそ罠にはめられたのではないか。これは戯曲家を目指している自分だからこそ捻くれた見方をしてしまうのかもしれないが、小僧を捕まえる際、この方は適当に誤魔化すことをしなかった。何かしら事情がある堀田の断りならば、断ることも出来ただろう。善人とは言い難い、しかしこの世に善人が歩いているような人間こそ最も胡散臭いのだ。佳乃という人間がどういう人間なのかはまだ定かではないが……。


 橋の中腹を渡り切り、唐辛子売りが横を過ぎていったところで、黙りとおしていた佳乃の口が静かに動いたのを、澤村は聞き逃さなかった。

「お前らはこの先の区にある長屋に住んでいたな」

「あっ、やっとお話ししてくれましたね!はい、そうですよ、あそこは俺たちと佳乃様が初めてお会いした運命の……」

「聞かれた事だけ答えていればいい。この地区を担当している奉行所や役人で、きな臭い噂を聞いた事はないか」

 橋の下をちゃぷちゃぷと川の水が揺らぐ音が聞こえ、さっき通り過ぎた唐辛子売りの「とんがらしぃ、とんがらしはいらんかねぇ」と伸びた声が、人の雑踏の中で伸びて聞こえた。

 澤村と古賀が顔を見合わせ、にぃっと口角を上げ、どちらともなく声をそろえた。

「そういう事なら、お任せください」

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