柳小僧を捕まえろその5
春の陽気が降り注ぐ、縁側へころりと横たわり、日向ぼっこがしたくなる心地よさが漂うそんな昼前。しかしそんな陽気に乗ってやってくるものが心地よさだけとは限らない。
掃除の真っただ中、雄々しい足音が聞こえてくると女中らは顔を上げた。音が止んであらわれた姿に皆が一斉に振り返ると、佳乃が長い髪を垂らしたまま立っている。畳の目に沿って雑巾をかけていた女中がいそいで体を起こし、道を開けるが佳乃はそれを通り過ぎるわけでもなく、何やら部屋の面々を見渡し、顔をしかめながら首をひねっていた。目付役なのだろう若い娘に混じった中年の女中が、集中の途切れた女中らを目線で厳しく正して、佳乃の元へと寄る。
「これは佳乃様、何事でしょう」
「以前付き人として宿下がりした者を探している」
それでしたらあの子でしょうと、奥で埃を落としていた稲が佳乃の前に呼び出された。その手にははたき、着物はしごきを外してたすき掛けにし動きやすいよう両の腕が肌をさらしている。埃をかぶる恰好で前に出るわけにはいかない、慌てて自分の肩や裾をぱたぱたはたいている稲を佳乃の瞳がじろじろと見つめ、しばらくして確かにこれだと口が開いた。確認しなければ記憶と一致しなかったのだろうか、稲はその難しそうな顔つきにやや怖じ気づく。中年女中が佳乃へ尋ねた。
「何用でございましょうか、この者がなにか粗相でも」
「いいや、今から城下へ降りる、そのためこれを借りていこうとしたまでだ」
「藤様のお許しを得ているのなら、どうぞひとりやふたり、お使い下さいませ」
自分を介されず事が進んでいくのを見た稲は、ぱちくりと目をしばたたいた。
家族の危篤や暇をつかわされない限り城下へ下るなど、それもこの短い期間のあいだに二度も、通常ではありえない。ましてや稲はいっかいのお小姓、突然の指名に稲は自分が職を解かれるのではないかと肝が冷えた。しかし佳乃に聞けば上の許可は得ているとのこと、この場合は藤に話をつけているのだろう、ならば稲はその命を無視するなどできず、出かける支度を急ぎで済ませなくてはならなかった。
「お、お待たせ致しました、」
表門の前で腕を組んでいた佳乃は、待ち人が来るや顔を上げ、何も言わずにさっさと門を抜け先へ行ってしまった。稲は小走りで駆けより、そのすこし後ろでふうと息をつく。
しかしこうして度々城の外へ出るとよくわかる、自分の働く城の広大さそして何よりもこれほどの城を担う城主の力。今の形に落ち着くまで幾度と建て直してきたという城内はもとより、そこまで辿り着くことが困難である、高い石垣が天守閣への攻撃を防ぐだろう、なにより門前は道幅が狭くてそう多くの人間が通れない上にここで無駄足を踏んでいると城内から集中的に狙われる造りでもある。この構造は先代城主の案と聞くが、この城が如何に難攻不落かという話は働き始めてすぐの頃、何度も重ね聞いたため嫌というほど知っていた。
「ところで、何用で城下へ参るのか、お聞きしてもよろしいですか?」
「……小僧が堀田の家に現れたらしい」
えっ、と稲が目を丸くする。その驚きには「また」現れたことへの驚きなのか、そのためにわざわざ自分を呼び出したのかという複雑な驚きなのか。どちらにせよ佳之が外出する際にはお付きの者がいなくては、うかうかと外を出れもしない。そのため先日同様に稲が呼び出されたということなのだが。
「佳乃様、お髪が」
「……またそれか、なんならここで坊主にしとくか」
「い、いえいえ、よろしければ、わたくし結紐を持ち歩いております、……そこに腰を下ろせるほどのちょうど良い岩もありますし、一度お休みになられて、髪を結われるは如何かと……」
木々は緑で色づき、坂道は木陰でおおわれている。日に照らされた道ではないが、つい先ほどまで掃除に手を動かし身支度を急かされ、小走りでここまでやって来た稲はすこしでも休みを求めていたのだ。佳乃も気付くほどの下手な言い訳ではあるが、乱れた頭でおりるのがみっともないのもまた事実。
城を下りた頃には、佳乃の長い黒髪はずいぶんと綺麗に束ねられていた。ゆらゆらと上から下へ下がった髪の束が歩に合わせ揺れ動く。城と城下町の行き来は言うほど遠くはないが、手続きから身支度と中々に面倒なものであった。
城の門前から城下へは半刻もかからずにくだることができる、そこから武家の屋敷が並ぶうち堀田家の屋敷まではもう四半刻歩かなくてはならなかったが、それより離れた町人長屋へ行ったり来たりを繰り返すよりは幾分楽であった。
屋敷の見えた道先、門前にて到着を出迎えたのは堀田家の女中だろう、待ち人が来るや志の字に結われた頭が深々とさがる、女中は糸のような細い目だった。連れのまん丸な両目と比べ、狐のようだと佳乃は思った。
「どうぞ、中で旦那様がお待ちしております」
言われるがまま中へ上がり女中に通された一部屋にて人を待てば、父の彰房が姿を現した。その顔つきは以前見たものとは一変しており、それは深刻そうである。
「妻が床へ伏しておりまして、息子は奥の間でそれの面倒を見ております。どうかこのような格好でお目にかかることをお許しいただきたく」
「奥方様はご病気にかかられたのですか?それとも小僧に……」
「いえ、気を失い床へ倒れこんだのです。幸い、医者によると妻は怪我もなく軽い気うつにかかっているだけとのこと」
「お怪我がないようで何よりでございます」
「妻はそうは思っておらないようで。まず要件をお話ししなくては……しかし、どこから話すべきなのでしょうか」
どこから、というのは一体どういう意味なのか。眉間にぐっとしわを寄せた佳乃の様子を見た秋房は、間を置きながら早速事のいきさつを話し始めた。
昨今、この町を騒がせている柳の小僧。そもそも世で小僧の盗みが始まったのは約ふた月前、被害にあったのはいずれも武家屋敷ばかりで町民の元に現れたことはないらしい。町の人間が瓦版をこぞって欲しがり、危機感がないのはそのためである、小僧を義賊だなんだのと面白がるばかりでその正体を明かそうなどと言い出す者がいないのだ。逆を言うならば武家の人間は枕を高くして眠れないということでもある。
そのうえ二度めは蔵の中まで入り込み、まったく偶然の事故とはいえ火事が起こったのだ。
「門の番二人だけならず城の人間が手を貸してまで警護に回っていると知れば、危険を冒すような真似はそうそうしないはずということだったが。随分と大胆な輩だ」
そう言うと秋房は驚いた顔をみせた、佳乃はその妙な顔持ちの意味などわからず、稲も同様にしてすぐ口に出す性分であったので、何がおかしかったのかと秋房へ尋ねた。秋房が失礼ながらと前置きを入れこう続けた。
「佳乃様はつい最近戻られたばかりですのでご存知ないのも無理はありません。これは町民の間では知っての通りなのですが、小僧はひとつの屋敷に二度、姿をあらわすのです。一度目は何も盗まず、そして二度目は蔵や屋敷の中をやたらと引っ掻き回していくというのがやり口でして」
小僧が二度も立て続けに入り込むというその話は、この町にいる者であれば知るのが当然らしい。とはいえ、佳乃はひとり他所から戻ってきたばかりであり、稲もまた城に仕える身、城下の人間にとって聞きなれた噂も城まで全ては届かない。佳乃は腕を組みため息をついた。
「柳というわりには、随分と目立っていやしないか」
「申し訳ありませんが、名付けの元は定かではございません」
「それはどうでも良い。だが先だって二度来ることが分っていたのなら策を立てられただろう」
「……あなた方がお越しになられた日、あれは小僧の二度目の盗みだったのです」
だから今回の三度目はないと思っていた、彰房が面目なさそうに口ごもる。
つまり、小僧は一度目に何も盗らず姿のみをあらわす、そうして警戒させた上で二度目に堂々と盗みを終えるのがこれまでの手口だった。今までの手順であれば佳乃が番へ来たあの日が二度目になる、それで盗みは終わりのはずだった、だが、哀れにもこの屋敷には三度目があったというわけだ。
けれど、と稲が頭をひねりながら疑問を投げる。
「二度目三度目とそれを抜きにしても、蔵は火で黒焦げになったのではありませんか? 一体どこから何を盗むというのでしょう」
「はあ、ええ、ですので……此度は屋敷内で……」
黒焦げにした張本人を目の前に物怖じせず、稲は丸い目で悪意なく問いただした。だが彰房は顔を上げるどころか口ごもり、それ以上開くことはなかった。
「それに関しては決して口外できないのです。例え佳乃様とて、申し上げることがかないません。私は如何様な処罰も受ける所存でございます、しかしどうか店は、代々受け継がれてきた店と妻子だけは」
「……馬鹿を言うな。わたしはお前を罰せやしない」
蓮成直々の部下であるとはいえ佳乃はそれほどの力を持ってはいないのだ。それは慈悲や情けの声ではなかったが、同時に堀田家がどうなろうとも興味がないと言っているように、稲には聞こえた。
しかし、あれが二度目だと聞いたところで、この場にいた人間にどのような手立てを打つことができただろう。大して変わらないのではないか。ならばこの屋敷の警備が甘かっただけのこと、というよりこの街の武家屋敷全体の自己防衛が足りないのだ。
秋房は疲れた様子で肩を落とし、稲は小さな頭をひねってうんうんと考えあぐねている、佳乃は胡坐をかいた上に頬杖をつくと頼りのないこの状況に、ひとまずため息をついたのであった。
それから間もなく、三度目の現場に小僧を追う手がかりがあるかもしれない、そう言い出したのは稲である。秋房も物が盗まれたいま、見せたとて問題ないだろうとふたりを三度目の現場とやらへ案内した。そこは廊下を突き当たって正面に見えるなんの変哲もない物置の間であった、外からは広い屋敷の一部にしか見えないだろう。木製の扉に簡単な閂がかかってあるが、この閂というのに仕掛けが施されており、開け方は身内にしか分らぬようになっているのだとか。
物置は広さが焼けた蔵の半分ほどで、中はしっちゃかめっちゃかにかき回されていた。もちろん家の者が手をつけたわけではなく、これも小僧の仕業だという。乱雑に散らばる書物、くしゃりと足元で聞こえた音に佳乃はゆっくり片足を退かした。ちょうど暗がりで見えないが並んでいるのは外国の文字らしい、とりわけ高価な品ではないだろう、足先で隅へと払ってやる。葛籠は空となり、値打ちがありそうな小物金物、金目のものは一通り見当たらない。そこで佳乃は左奥になにかを見つけて歩み寄った。
「これは?」
肩ほど高さのあるくぐり戸のようだが、そこもまた錠がかかっているが、鍵は閉められていない。
「此処は……薬の保管庫でございます、高価であったり店に並ばぬものを置いております」
戸を横へ開けると、中には壁には取っ手のついた引き出しが何十とあり、隅には甕や壺が置かれていた。広さは今いる物置と変わらないかそれより狭いほどか。
「佳乃様、堀田様は薬種問屋でいらっしゃります」
そういえばそうだったか、佳乃は暗く冷えた地下室をのぞき込む。薬独特のすうっとした香りが鼻を打った。
佳乃が提灯を高くかかげると壁には切傷の跡が見えた、よくよく目をこらすと葛籠や織物にも裂かれたような傷がある。秋房が相変わらず憂いげなことは良いとしても、提案した本人が物置へ入りもせず小うるさいのには佳乃も多少苛立ちを覚えた。
「小僧を見たのは佳乃様だけでいらっしゃいますでしょう?本当に小僧が人間かどうか図りかねますし、もしも幽霊であったら」
「お前は戻って茶でも飲んでいろ」
「こ、怖いのではありません、入口を見張っているので……私の足元に何かおりますでしょうか」
じっと、佳乃の目が自分の足元を凝視しているのに気付いた稲はぴたりと動きを止めた。鼠だろうかと思ったがそれなら鳴き声や歩き回る音のひとつ聞こえるはず、稲は戸惑いで足元を見ることができない代わりに佳之の顔色を窺う。佳之は何も言わず、目を細く首をゆっくりと傾げるなり、低く落とした声で「動くな」とだけ言った。
硬直し、さっと顔を青くする稲。問いには答えない佳之が音を立てずに近づきその足元に手を伸ばす。すぅっと伸びた佳乃の手が稲の足の先へ、稲は下も向けずにかたく目をつむった。
どうか何もおりませんように、と祈ったその時。
「白い」
「えっ」
「白粉だ」
おしろい、と佳乃の言葉を復唱して稲はおそるおそる自分の足元を見下ろしてみる、すると確かに裾が白い粉で汚れており、屈んでいた佳乃は人差し指と親指をこすり合わせながらその粉の匂いを嗅いでいた。どっと疲れた稲は胸をなでおろして、粉を落とすように裾をはたいた。
「ああもう、驚いた。佳乃様が『白い』と言いだすのでわたくしてっきり『白い手』と続くのかと思い、ぞっといたしました、ああ良かった。汚れでしたら洗えば落ちるだけのことです、良かった良かった……佳乃様?何方へ参られるのですか?」
「……焼けた蔵へ行く」
「えっ」
「お前は付いて来んで良い」
またあの薄暗い蔵の中へ、と嫌悪が表れた稲の顔も見ずに佳乃はそう言い捨てて、物置きを後にした。残された稲は佳乃の意向が全くわからず首をかしげながらその場に立っていたが、やがて薬棚に囲まれた自分の状況に気が付くと、慌てて自分も物置きを去るのだった。
その後、宣言通り初めの土蔵へ足を運んだ佳乃はそこに長居することなく、中を見回しさっさと屋敷内にて秋房を待った。夕刻、すでに日の暮れ時になるだろう。遅れてやってきた堀田の息子が申し上げにくいのですが……と前置きをつけて頭を下げた。
「盗み出されたうちの蔵のものを取り返していただきたいのです」
「待て、私は小僧を捕らえろと申し付けられただけで」
「金物や刀、金になり得るものはすぐに流されてしまいます。中には私の祖父の代から受け継がれていた品もあるのです。どうかお願い致します佳乃様、どうか」
親子が先日とは打って変わって縋るように頭を下げてくるので、佳之は片方の眉を上げて訝しげに顔をしかめた。彰房の頼みようといったらそれは必至でもはや藁にも縋る勢いである、それほど大切な品を盗まれたというのか。息子も横で父に続いて頭を下げていた。
「そう簡単に頭を下げるものではない、なんと言われようとこれ以上は御免だからな」
「お願い致します、勿論報酬は初めの倍はお出し致します」
「金銭の問題ではない」
「お上へも喜ばしい報告が通達できることでしょう」
その言葉を出してくるとは卑怯だ、佳乃の顔が曇る。夕餉と寝泊まりは堀田の屋敷に招かれた。食事は美味で、こんなにも物を盗まれ風評被害にも会おうにも、佳乃へ、いやお上へのごますり様は心得ているようだ。堀田は中々に抜け目のない男であった。