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和国世崎の生ひ成り帳  作者: 六曲
11/12

親と子

 五色祭りが終わり、桜の木々も花を散らしきった頃のことだ。


「まあ、佳乃様。また菜の煮浸しが残っておられます」

先日、好き嫌いをしないようにと別所で食事の席を共にした藤に言われた言葉を思い出し、稲が見た佳乃の膳にはまだ青い菜物が残っていた。

「腹がいっぱいだ」

「またそんなことを仰って……」

 何を言おうとどう工夫をしようと、佳乃は一向に箸をおいたまま手を伸ばそうとしない。稲は頬を膨らませて注意を促すが、聞く耳ももたないといった様子だ。

「まるで私が、佳乃様のお母様ではないですか」

「そういうものか」

「そうでございますとも」

 苦い顔をして一口も箸をつけないのを、とうとう稲がさっと口に入れてしまい、「こんなに美味しゅうございますのに勿体ない」と幸せそうな顔で頬張った。これで残しものはなくなっただろうと言わんばかりに、笑顔で。佳乃はぽかんとした後、ふっと顔を伏せた。怒られるかと思いきや、上げた顔はやや口角が上がっており、初めてまともに笑った顔を見た稲には衝撃的だった。


 後日、それをどこから知ったのやら、佳乃の小姓は御代様のお気に入りの女姓たち、もとい元側室たちに「犬奉公」だとからかわれるのが聞こえた。通りすがりに聞いていた四人分の影は、淡々と歩いていく。稲の仕える主人と、頼定という友人だ。その立場を知らぬ者はこの城内にはいない。女姓はさっと二人へ頭を下げたが、ぼそりと呟く者がいた。

「まあ嫌だ、この辺りは獣の匂いがいたしますわ」

「ええまるで……犬のような……」

 とそう稲を示唆するのは女の声だ。主人とその友人の手前、口を閉じて真っ赤になるも何も言い返せない稲。だが佳乃は顔色一つ変えず、ぴたりと足を止めたかと思うと、すっと女の傍らへと寄った。

「そうさな、獣というのは、…………このような顔か!」

 気の無い声に女がはっと顔を上げた時には既に遅く、があっと歯を剥き出し顔を突き出す犬の仮面をつける佳乃に、女達はきゃあっと悲鳴をあげた。その様子を見て満足気に、にやりと笑って佳乃子は大股で目の前を横切ってさっさと行ってしまった。慌てて顔を下げた稲のほうをちらりと見てから佳乃はふんと鼻を鳴らす。頼定はすまなかったなと腰を抜かした女に言い残し、友の後を追って行った。

後に残ったのはここぞとばかりに飛び交う非難の口々だった。まるで野蛮人、野良犬よりも質が悪い、恐ろしや恐ろしやと甲高い声が廊下中に響き渡る。その中でただ一人、稲だけが内なる思いを秘めていた。

「佳乃、女人には程々にしてやらないか」

「はん、何を今更。全くあの女狐……生娘じゃあるまいし。頼定、あの女狐共からは娶るなよ、何を孕むかわかったもんじゃないからな」

 頼定は友の、容姿に相反した口悪さを目の当たりにするたび、藤のため息を思い出すのだ。これさえなければ、もう少しだが女らしく振る舞えばと藤は言う。だが佳乃子のなりふり構わぬ立ち振る舞いが、頼定は好きだった。頼定がこうして大らかなひとであるのは、佳乃子のおかげといっても過言はない。

「ああそうだ、今から城を下りるぞ」

「は? え……?」

「支度をしておけと言ったはずだが」

「確かに昨晩仰られました、ですが、ですが今日などと。籠も用意していないというのに」

「それはもう頼定が手配済みだ」

 ええっ、と驚く稲の理由は「昨晩に次の日城下へ下りる決行を下したいたのか」という驚きと「それを天ヶ崎である頼定様に申し付けたのか」という二つが入り混じったものだった。だがしかし、もちろん稲がここで抗議したところで佳乃のふらりとした言動は変わらないだろう。稲は仕方なく、慌てて自室へ戻り城下へ下りる準備をまとめた風呂敷包みを手にするしか、他なかったのであった。


「それで、暇であるから城を下りてきたと」

「そうだ」

「構いませんとも! ちょうど今日、俺もこいつも仕事がないんでどうしようか暇を持て余していたところでさぁ! さ、どうぞどうぞ、おかけになって!」

 籠を降りたのは城下の入口で、そこから二人は歩いて澤村と古賀のいるであろう長屋へと足を運んできた。主人が下りるのに特に用事はないというから、稲は何処へいくのかと思いきや、やはりここかと少し肩を落とす。せめて買い物にでも行ってくれれば、流行りの着物や簪を見て回るだけでもこちらとしては楽しいというのに。

「へぇ、それでこの娘を小姓に?」

 小里会の件ではついてこなかった顔ぶれに、じろじろと余所者を見るような目つきで稲を見回し、澤村が口を尖らせる。

「小姓ってんなら、俺のほうが役に立つってぇのに」

「まあ! 佳乃様は私をご指名なさったんです!」

「へっ、そんなの消去法だろう。どうせ他に身近な側付きがいなかったんだ。俺が城に奉公してたらとっくにお小姓間違いなしだね」

 やいのやいのと言い合っている二人を見て、佳乃は古賀がいれた茶をすすった。稲をここまで連れてきたはいいものの、さて何をしようか。二人共仕事が無いという、それが良いのか悪いのか佳乃には判断し兼ねなかった。何故なら城内にいるより、何か起こる頻度が城下のほうが高いのではと踏んでやってきたのだから。これは外へ出て見なくてはわからないか、と思っていたそのときだった。


 またしても偶然か必然か、突如長屋に男が転がり込んできた。戸口で足を引っかけ、本当に転がってくるのではないかという勢いで。

「あ、あの、この長屋に、柳小僧を退治したお方がいらっしゃるとお聞きしたもので」

 澤村と古賀は顔を見合わせ、中にいる佳乃様を見てやった。男はまさかと言う表情を一瞬見せるが、藁にも縋る勢いで佳乃の足元へ駆けて行く。小奇麗な身なりからしてここらの長屋住まいではなく、武家の者だというのが分かった。だがその青ざめた顔といい、砂埃を裾に付けた姿は必至な様子を表している。茶を飲み始めたばかりであった佳乃は、一度男を見てから湯呑みをぐいと傾ける。

「貴方様が、あの、佳乃様で、」

「……だとしたら何だ」

 佳乃は茶を飲み続けるのを一向に止めず、再び急須からとくとくと湯呑みに傾けている。澤村と古賀、それと稲は佳乃に縋りつくような男を覗き込んだ。

「その、ああ、今すぐ私の屋敷へ参って頂きたく」

「何故」

「な、何故と。その、……」

 ごくりと唾を飲みこむと、男は青ざめた顔のまま話を始めた。

「屋敷で、見知らぬ男が死んでおりまして。柳小僧や、小里会のお話は耳にしております。ですので、佳乃様ならば、どうにか致してくれるかと、どうか、お願いいたします」

そう、男は佳乃の評判が良くないことを知りながらも、最近戻って来てからというもの柳小僧や小里会での手柄を立てた佳乃の瓦版を覚えており、その家来だという澤村と古賀の長屋を聞きつけてやってきたのだという。それがたまたま、今日居合わせた日に重なったのだが。

「殺しは私の性分ではない。さっさと奉行所へ行け」

「ええ、ええ、もちろんそうしたいのは山々なのですが……その……」

口ごもる男を横目に、また一口酒を飲み下す佳乃は、全く興味も利益もない話に乗る必要がないといった顔だ。だが次の男の一言で場の空気は一変した。

「……父が、その男を、殺したのです」


 しん、と静まり返る一室。それを告げた男の声も一際静かで冷静なものであった。


 一行は男の後をついて行くように、武家屋敷の通りを歩いていった。稲は殺しと聞くなり肩を竦めていたが、澤村に馬鹿にされたことで行く気になったらしい。

佳乃は仕方なく渋々と対応するしか、他は無かった。ここで無下にすることでまた厄介な噂を立てられても困るし、何より蓮杖から雷を落とされるのが面倒でたまらない。屋敷では女中たちが青い顔をして黙っており、依頼人の奥方が泣いている子供をあやしている。

案内された部屋の中には一人、年老いた男がおり、血塗れでぼーっとしている。その一室では男が一人うつ伏せに刺されて死んでいた。老父も腕を斬りつけられているらしいが、傷は浅く手当をされた痕が見られた。

「それで、お前の父親はどこだ。逃げたのか」

「いえ……そこに」

「其処だと?」

 そう言った先には、呆けた老人しか見当たらない。老人は頭をかき、血に濡れた着物も気にせず、ぽかんと口を開けて佳乃がいる方を向いている。その瞳は灰色に濁っており、何を思うのか何処を見つめているのかも分からない。かと思いきや「あー」「うー」と赤子のような音を発し、何かを伝えようともしてきた。

「誰ぞ、父上のお着物も交換いたせ」

 そう言われて真っ先に、近くにいた女中二人が血で汚れた老人の着物を直しに隣の部屋へと連れて行った。起き上がらせてから手を取り、別室へ連れ込んでいくまででも時間がかかるようだ。


その屋敷の老父は、息子が言うには仕事熱心な人間だったが、つい最近、脳卒中で倒れて以来、ずっとああしてぼけてしまっているのだとか。老父は、以前佳乃子が島流しにされる際、佳乃を炊い罪人と称して唾を吐いた男だった。それをも佳乃は覚えておらず、ぼけてしまっている当人と、互いに見知らぬままなのはこの場にいる誰もが知らないであろうし、知る由もなかった。


「それで? お前の父親が殺したというのは本当か」

「あの爺様、かなり頭がきてますがねぇ」

 澤村の言う通り、先ほどのぼけ具合は演技ではないだろう。表情や動きを見ればわかる。それでも息子は首を縦に振る。

「あの男の胸に刺さる小刀は、父のものです。父が倒れる前から大事にしていた小刀で、普段は危ないからと、以前から引き出しの奥にしまってあったものです。知っているのは屋敷の者だけ……」

「ならまだこの屋敷の人間の仕業って線も残っちゃいるのか」

 ふむふむ、と死体となった男の傍にしゃがみ込み、澤村が背中に突き刺さる小刀を見て回りも見回した。辺りは縁側向きの障子が閉じてはいるが、開きかけであり、箪笥や机の引出しの中が全て荒らされている。要らない書類が辺りに散らされて、子供をあやす電電太鼓が一つ転がっている。

「父は……仕事熱心でしたが、代わりに家に根付くことのない方でした。私にも厳しく、褒められたことなど覚えがありません。私めが妻と一緒になり、母を亡くしてからもそれは変わらず……。ですので、正直、どこかほっとしているのです。私は自分の父が大罪人であるのに、私は……」

 もういいというように、佳乃が呆れた顔でため息をついた。べそべそと男の泣きごとを聞くのはどうやら耐えられないらしい。

「そろそろ始めるか」

「奉行所でいうところの、現場検証というやつですね」

 何故か、今回ばかりは、古賀の目が輝いているように思えた。結託しているのが四人ということもあって、今回はそれぞれに分担が割り振られていく。古賀と澤村は死体の周りに不自然な部分がなかったかどうか、そして男が何者なのかを調べる係。稲は屋敷内の人間に、事件が起こった時刻のことを尋ねる係。そして佳乃はというと、本人曰く頭を使うのは苦手なので事が分かり次第、それぞれ報告に来いといって屋敷内をふらついていた。


 早速、といって古賀はまず障子を開けた。そこは庭に面する縁側で、下には人ひとり分の草鞋が落ちている。大きさからみて男のものだろう。そして庭からは屋敷全体を囲む塀があるが、その塀の下に植わっていた草陰の一部が押しつぶされたようにくしゃりとしているのが古賀にも見えた。次に室内だが、引き出しという引き出しが開けられては中を引っ掻き回すように荒らされている。この荒らし方だと、何かを探していたようだ。


 人の口に戸は立てられぬというが、これも時間の問題だなと佳乃は玄関を出た。女中や門の前で中を覗こうとしている、近所の人々を見ながらそう思ったのだ。誰もかれも人の不幸を知りたがるものだ、と、その門を覗いているうちの一人に何やら怪しい匂いを嗅ぎつけ、佳乃はゆっくりと近づいていく。その一人、男も見つかったと言わんばかりに駆けだしたがもう遅い、佳乃の駆け足に敵うはずもなく、首根っこをむんずと掴まれてしまう羽目になった。男の背中には何か物を売り買いするための箱が背負われており、これならば佳乃でなくとも逃げられるわけがなかっただろう。

「ひ、ひぃ、俺ぁ何も知りません、知りませんよう」

「なら何故あそこの屋敷を覗いていた」

「あ、あ、あそこには、ちょっとした仲間内で噂になってることがあって」

「ほう、どんな噂だ」

「それは、…………」

「言えぬということは、後ろめたい証拠だ」

「待ってくだせぇ! 言います、言いますから!」

 観念したように、金時売りの格好をした男はがっくりとその場に項垂れこんだ。


「はぁ、あのお部屋には乳飲み子の若様しかおらなかったと……」

「ええ、ええ。ですから本当に、この子が無事と分かった時は胸がすく安心でした。賊に入られたうえに、この子に何かがあっては私は……」

「……そうですものね。奥方様にとっては、そのお子様こそが何よりの宝物……」

「ええ! もちろん!」

 ふっくらとした頬をした乳飲み子は、あぶあぶとまだ言葉にならない声を発しながら、その母の腕の中にいる。依頼人の奥方である女はうっと泣き声を詰まらせながら、そんな小さな命を大事に抱きかかえて頬を撫ぜていた。稲は女中全ての話を聞かねばならなかったが、その母と子の姿を見ていると忙しさも少しは報われる気持ちになった。

「お爺様にも、時々話しかけてもらっていましたもの。分からずとも、きっと、この子のことはどこかで受け入れられていましたわ……」



「分かったぞ」

「こちらも」

「わたくしも出来る限りの事は……」


 四者が顔を合わせ、男の遺骸の隣である、つまり老父がいる部屋で話を始めた。依頼人である男とその妻、そして乳飲み子と女中がその場に居合わせた。先に話を始めたのは佳乃である。

「私は門の前に不審な動きをする者がいたので問い質してみた。すると、どうやらこの屋敷が最近盗人の間でもっぱら標的にしやすいとの噂があったらしい。勿論、その理由はぼけた老人だ。昼間は老父に奥方とその子、そして女中しかおらぬ屋敷ともなれば盗みに入りやすいと、盗みを生業にしている者らからすれば格好の餌食だったそうだ」

「では続いてわたくしめが。屋敷にいた者で不審な動きをした者は居なかった、というのがわたくしの検証にございます。奥方様は、呉服屋から届いた品を受け取るため、お子様を一度となりの部屋に寝かせていたそうですが、他の女中も同じことを仰られております。勿論、呉服屋の使いの者からも証言を頂きました。その間に何やら騒がしい音が聞こえ、事を終えて襖を開けると、男の……死体と、ご老体様が血塗れになっていたと」

「その間、赤子はどうされたと」

「無事であったそうです。傷ひとつもなく……泣き声がするもので、奥方様が駆けつけたというのですが。あ、どうやら自分で這っていったのか、寝かしつけた場所から位置はずれていたと」

「結構」

「あ、それと。死体となった殿方の顔は女中の幾人かが見たことあると。それが何処でかはわかりませんが」

 古賀は淡々と、二人が述べた証言をさらさらと手元の紙に書き写している。恐らくこれもまた瓦版として取り上げるのだろう、澤村は古賀のいつもの手慣れた手つきを見ながら、ではと口を開く。

「オレの見立てだと、この男は物取りですね。それも初犯じゃねぇや、さっき佳乃様が仰ってたように、仲間内での噂を聞いてここに目をつけたって感じだ。それも前科あり、ここの、腕の付け根に小さい点で刺青が彫られてました、これは窃盗の前科持ちが入れられる墨でさぁ」

 なんなら遺骸を見ても、という澤村の発言は稲によって却下された。古賀がくるりと振り向いて依頼人に問う。

「隣の部屋に、何か大切なものでも保管されておりましたか?」

「な、何故それを」

「あの部屋だけを抑えたということは、事前に何か情報を仕入れていたということ。そして女中が男の顔を見かけたというのは、何度かこの屋敷に顔を出していたのでしょう。例えば呉服屋の使いだとか、石屋だとか……」

「石屋?」

 石屋というのはここでいう石工の大工で、金槌とたがねという道具で灯篭や敷石などを造る人間である。古賀が見た庭には真新しい敷石が幾つも敷かれていた。すると、後ろにいた女中が「ああ、もしかして、あの石屋さん……」と声を漏らす。

「その、旦那様がいらっしゃらない時にお茶を出すと、毎回世間話に花を咲かせていたので、珍しくお喋りな石屋さんだなと印象深かったのを覚えております。もしかして……」

「貴方か他のご女中だかはわかりませんが、恐らく、金目になるものの話はそこで耳にしたのでしょう。そしてあの部屋に目をつけた」

 そこまでは成る程、合点がいく。だが引っかかるものがある、それを稲が口にした。

「物取りに、痴呆のご老体が立ち向かわれたというのですか?」

そうなのだ、あの痴呆で歩くのも一苦労な人間が、若い窃盗犯に立ち向かい、隠してあったという小刀を引っ張り出し殺人まで犯したというのか。

「……それですが、奥方様、ご女中の方々。ご老体が時々話すとおっしゃられていましたね」

「ええ、思い出話であったり……時には孫の、この子に話しかけたり……」

「ご老体は物取りが侵入してきたその時、正常だったのではないでしょうか」

 はい? とその場にいた屋敷の者らが目を丸くした。


「ご老体、何かお返事ができますでしょうか。もし今正常な頭をお持ちであれば、何かお話を」

 そう言って古賀は、布団に横たわっていた老人の傍に腰かけた。老人は横になって、それまでずっと目を閉じて眠っていたものと思われたが、古賀の呼びかけにすぅっと目を瞼を開いた。そして、肘をつき、自分の力で上半身を上げたではないか。その瞬間は、皆があっと声をあげそうになった。

「一端の浪人よ。何故、そう思った」

「指についた土です。貴方は隣の部屋に置かれている『何か』を物取りから隠そうとして、床下を掘った。正常な頭の際には何度と繰り返したのでしょう、それも手で。そうして片付け終わったあとに物取りがやってきた。初めこそ呆けたフリをしていた……もしくは本当に呆けてしまったのかもしれないが、部屋が荒らされている最中に正気を取り戻し、物取りを刺した」

「ああ、そうだ、そうだ……全てお前さんの言う通り」

「けれど分からないことがあります。何故、わざわざ隠し刀を使ってまで物取りを殺したので? そのまま見過ごしてしまえば、宝を見つけられなかった物取りは帰ったでしょうに」

「ああ……それは……孫がな……」

 そういえば、古賀は隣で遺骸となった物取りが倒れていた状況を思い返す。物取りは子供の寝ていたであろう、座布団の上に突っ伏していた。

「孫が……あのままだとあの物取りに……蹴り殺されてしまいそうでな……」

 恐らく物取りは慌てたことだろう、宝があると知って機会を見計らいわざわざ前もって位置を把握し、侵入へ踏み込んだ部屋に何もないとわかり。だからこそ引出しを片っ端から開けては中の着物や羽織、書類を全て辺りへ散らしたのだ。そして足元にはまだ幼く一人で歩けもしない子供。老体は、そんな子供が八つ当たりにあいそうだったのだと言う。小さな体など、大人のひと踏みでどうにでもできる命だ。だから、刺したのだと。

老体が正常であったという証拠である箱が、床下となる庭の土の下に乱雑に埋まっていた。澤村が土にまみれながらそのこんもりと土が山になった部分を探ると、小さな箱が出て来た。箱の中身は、幼い頃ご老体が息子へ作ってやった竹トンボであった。

「父上、父上は……それを知っていて……息子のことも……お守りに……?」


 だがそれを知った時には既に遅く、老父はもう呆けが回ってしまい、息子を息子だとも認識していなかった。半濁した瞳で宙を見、何も言わずにぽっかりと口を開けている。

「うう、う、父上……っ、ああ……!」

 やがてどこから騒ぎを聞きつけたのか、近くの奉行所からやってきた岡っ引きが殺人の罪で老父を引き連れて言った。最後の最後まで、息子がなんとか引き留めようとするも、その手は虚しく、皺くちゃになった手をすり抜けて同心たちに抑え込まれてしまう。息子は大声で泣き、それは隣で抱かれている赤子のよう。赤子はというと、何故自分の親が二人共涙しているのかもわからないといった顔で、連れて行かれる祖父の背中を、その黒くて丸い瞳で見つめるだけだった。


「まぁ、なんともうすら寂しいねぇ」

親子の情についてふむと考え込み、ため息をつく澤村に対して、前々回からの教訓を踏まえて、一通りの事情を手元で書きしながら言う古賀。

「相容れなかった親子の情が、人殺しでやっと分かち合えた……というオチか。親と子というものは、つくづく難しい仲だ」

「爺さんの厳しさってのも、子を思ってなんだろうが。今となりゃ憎しみも愛情もわからなくなっちまったか……どう思います、佳乃様」

 さあな、と佳乃はいつもより素っ気なく返した。

「……私には、恨みを抱ける相手の顔すら思い出せん。ましてや親子の情愛など、全くもってわからんよ」

 まだ夏と呼ぶには早い夜の風が、しっとりとした湿気を帯びてその場にいる者の頬を撫でた。


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