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(6)

「・・・・・!」

 狭い路地。暗い路地。聞こえるのは自分の足音と荒い息づかい。なぜここにいるの?私はなぜここにいるのだろうか?

 シトは走りながらもそんなことを考えていた。

 最初に出会った人は一見物腰が穏やかそうな人だったけど、自分とは合わないと分ると手のひらを返したように攻撃的になる人だった。

 ただ自分は笑うか無表情に彼の言葉に頷いているだけでよかった。

 その人は言っていた。私はその人のお金で買われたものだから、その人のものなのだって。

 私は何も思わなかった。別に私を殺したりするわけではないのだから。時たま私が彼の意にそぐわない表情をするとひどく殴りつけた。飽きたときのために値下がりすると行けないから顔はぶたなかった。

 私はもう何も感じなかった。いつしか殴られることにも慣れてきたようにも思える。痛みは感じるし、それが快感だと思ったことなど一度もない。むしろ不快だったけど、その一時の不快を我慢するだけでよかったのだから私は私の知っている仲間達よりは恵まれているのだなと思った。

 彼は私を手元に置いて自由にするだけで満足だったらしく私をひどく陵辱したりすることはなかった。

 今思えば彼にはそれだけの甲斐性(いまいち意味はよく分らないが)がなかったのかもしれない。

 だけど・・・。

「・・・・・!」

 だけど、変化は突然訪れた。

『行こう!』

 といって差し出された手。

 私はそれにすがってしまった。なぜ?

 なぜ、私はそれにすがってしまったのだろうか?もう、私はすべてを受け入れられるはず。どんなにひどいことをされても一時の苦痛さえ逃れれば後はそれでもよかったはずなのに。

『大丈夫だってこと。君を縛り付けるものはもうない・・・君は自由ってことさ。』

 私は・・・自由?自由・・・自由・・・。

 突然現われて私を救ってくれた。

 彼は・・・・。

「・・・・・!?」

 暗い路地に突然明光が差し込んでくる。シトは思わず目を手で遮った。

「あれ?先についちゃったか・・・。目測を誤ったかな?」

 まるで太陽を背に背負っているように彼はそこに立っていた。

「・・・・!」

 ロザリオ!

 シトは目を見開く。

「大丈夫だったか?」

 その言葉はとても優しく穏やかで。

「あ・・・ああ・・ろ・・ロザリオ・・・。」

 シトはいつの間にか頬を涙で濡らしていた。

「???い、今・・・なんて?」

 ロザリオは驚愕の瞳を向ける。

「ろ・・・ロザリオ!」

 それは何年かぶりに聞いた自分の声だった。そして、ロザリオにとっては初めて聞いた声・・・。

「シトが・・・しゃべった?」

「わ・・・私・・しゃべ・・れる・・・。しゃべれるよ!」

 涙が止まらない。

「よかった。でも・・なんで?なんでいきなり?」

「分らない・・・けど・・・ロザリオと会ったときのことを・・・かんが・・えてたら・・急に・・・。」

 ロザリオは思わずシトを抱きしめいていた。

「よかった。これからは・・・いっぱいな話そうね。いろいろ話をしようよ。」

 シトはしきりに頷いて彼の肩口に顔をなすりつけていた。



「しゃべれなかった女が喋れるようになったんでやすか?」

 薄暗い店内。月も沈み込んでしまった、ミッドナイトに染まる店内に声が響く。

「まあ、そういうこったな。」

 グラスの露を払いながら男は呟いた。

「ですけどね。そんなこと、ありえるんですかい?」

 マスターは半信半疑だった。

「そりゃ、俺も驚いたさ。だが、あいつは確かに喋れるようになったんだ。きれいな声でさ。」

「はあ・・・不思議なこともあったもんでやすね。」

 そんな彼のグラスをナプキンでぬぐって返したマスターはため息をつくように座り込んだ。

「まあ。結局あいつがシトの心を解きはなったんだろうが・・・。俺は学者でも何でもねえから詳しいことは分らん。」

 男は口に含む程度に酒を飲む。

「それで・・・そのあとはどうなったんで?」

「んーーー。そうだな・・・。まあ、俺たちの最悪な旅はようやく始まったってところかな。」


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