第二部(1)
夜にも勝る暗い闇が広がっていた。
シルバースター山脈にはかつて大きな炭坑があったことは街の人間であれば誰でも知っていることだ。
今は既に過去の遺産となってしまっている。
かつての戦争は人々からすべてを奪い去ってしまった。すむ場所、生きる糧、そしてその命や誇りさえも。
ロシナンテが言っていたことだった。
「そういえば昔、カルボナーラっていうパスタが流行ったって知ってたか?」
そんな闇の中でふとティオはそんなことを口にした。
「は?いきなりなんだっていうんだい?」
先を歩いていたロザリオは手持ちの役に立たない地図を片手に道を探し出していた。
「カルボナーラ?」
ちょうどティオとロザリオに守られるように二人の真ん中を歩いてたシトは首だけを振り向かせた。
「そ。卵の黄身とクリームとチーズを一緒に煮立ててそこにパスタを入れて食べるってやつ。結構美味かったな。」
「・・・おいし・・そう・・。」
「お?そうか?今度作ってやろうか?っても材料が手にはいらねえがなあ・・。」
そんな二人の会話を聞いていたロザリオはいきなり立ち止まった。
「あのねえ。ティオ?今はそんな話をしているときではないでしょうが!」
ロザリオは少し起こっている様子だった。暗くてその表情を性格に伺うことはできないが。
「だけどよう。自動警備システムが稼働してるってところはまだ先の方だろう?それまで暇だしよう。」
ティオはあくびをした。炭鉱内で粉塵爆発が起こる可能性も否定できないためこの中で煙草を吸うことはできない。
しかも登山の荷物削減のため、せっかく買っておいた酒類も没収となった。これで敵が出てこずにただ単にしんがりを務めるティオの緊張はゆるみまくっていたのだ。
「だけど。その情報でさえも古いものなんだよ?もしもその範囲が拡大してたらどうするのさ?それにこの地図だってもう既に当てにならない。わかる?もう僕たちは未知の世界に踏み込んでいるってことなんだよ?」
ロザリオは熱く語っている。
「ああ。その通りだ。そのことは実に魅力的だな・・・。」
「ティオ!」
この期に及んでなおも緊張感を持とうとしないティオにロザリオのいらだちは頂点に達した。
「だがな。俺だってそれなりに危機管理意識は持ってるつもりだぜ?そうして俺はこの辺り一帯はまだ安全だって考えている。それに道はお前が造ってくれているからな。だから、せめて場を取り持とうとしたわけよ。常にピリピリしてたら身がもたねえぜ?」
「それは・・・そうだけど・・・。」
そのことはロザリオもよく知っている。ティオは本当の危機が訪れたときは誰よりも早くそれを察知し、誰よりも確実にそれを処理する。
「・・・仲良く・・・しよう・・・よ?」
終始居心地の悪そうにしていたシトは二人をなだめるように視線を送った。
「まあ。そうだね。・・・ごめん・・・少し臆病になってたみたいだ・・。」
「んーーー。そうだな。俺も悪かったな。確かに緊張感がたらんかった。」
こんなことで仲違いをするような二人ではなかったのだが、シトがいることにより二人の関係はさらに潤滑しているようだ。
「ところでよう・・・腹へったと思わねえ?」
ティオは話が終わったところで腹をさすっていた。
「そうか・・もうそんな時間か?」
ティオは手持ちの時計を見た。暗闇の中でもぼんやりと光るそれは今が昼飯時だと言うことを示していた。
「そうだね・・・ご飯にしよう。」
「・・・・・♪」
シトはうれしそうに微笑むとリュックの中から敷物と人数分の弁当を取り出した。
朝早く起きて作ったらしい。なんというか・・・手際がよいというか用意周到というか・・・。
「シトが作った弁当か・・・結構楽しみだな。」
ティオは既に舌なめずりをしていた。
「・・・・たぶん・・味は大丈夫・・・だと思う。」
シトは二人に同じデザインの弁当箱を手渡すとそれより二回り小さな自分のものを取り出した。
「ふーん・・。鯨肉の揚げ物に、鳥皮の煮物。それに・・これはパスタか?」
種類は少ないがそれなりの分量のある弁当にティオは舌鼓を打った。
「うん・・・パスタを・・・ピザみたいにしたの・・・。」
「なるほどね。」
ロザリオはピザパスタを8等分するとそのひとかけらに鯨肉の揚げ物をたっぷりのせてほおばった。
「あ、これ結構おいしい。」
味の濃い鯨肉にほとんど味のないパスタが絶妙なハーモニーを生み出している。
「よかった・・・。」
シトはうれしそうに微笑むと自分も弁当の中身をほおばり始めた。
「ふーん。こんなくずみたいな材料でここまで美味くなるんだ。やっぱり料理は料理人の腕だな。」
ティオはよっぽどピザパスタが気に入ったのか。脇目を振らずにむしゃむしゃと口にほおばっている。
「ティオ・・行儀が悪いよ。」
ロザリオはティオと違って僅かにそういったマナーを気にしているのか。口に付いたソースをナプキンでぬぐっていた。
「こんなところで、それに今時テーブルマナーを気にする奴なんていねえよ。」
対するティオはまるでルージュをひいたような唇になっていた。
「・・・くすくす・・・ゆっくりと・・・食べてね。」
シトはそんな二人を満足げな笑みで眺めると自分もそろそろとピザパスタをほおばっていく。
「そういえば。シトは料理できたんだねえ。どこかでそういうことやってたの?」
ロザリオは半分ほど食べ終わった弁当を見下ろしてふと気がついた。
「ロザリオ。こいつの境遇を考えてみな。そういうチャンスはいくらでもあっただろうが?」
「あ・・・そうか・・・ごめん。」
ティオの指摘にロザリオは口を噤んだ。
シトは売られてしまった人間だった。買った方の人間にとってはシトはいわば奴隷のようなもの・・・。自分の食事を作らせるなどさせて当たり前のことだった。
「・・・・ううん・・・かまわない・・よ。・・・それに・・。」
シトは首を横に振ると少し恥ずかしそうな眼差しで二人を見つめる。
「それに?」
ティオは言葉を促す。
「それに・・・今は・・・みんなと一緒・・・だから・・・。」
シトの頬が夕日のように赤く染まる。
「・・・うれしいこと言ってくれるよね・・・。」
ロザリオも不意に頬が赤く染まりそうになった。
「全くだぜ。」
ティオはふと思いついた。
「なぁ。この仕事が終わったら三人でブリタニアにいかねえか?」
ロザリオは”ああ、いいね”と真っ先に賛成した。
「ぶりたにあ?」
シトはまだブリタニアに言ったことがないのだろう、小首をかしげた。
「そうさ。ブリタニアって言うのはこの大陸で一番栄えた街なんだ。海に近いからいろんな物が入ってくるし、食べ物も比べ物にならないほどおいしい。」
ロザリオは熱っぽく語った。
「うみ?」
「そう。海だ。言ってみればでっかい水たまりだな。本当にでっかい。世界のあらゆる大陸につながっている。世界一でっかい水たまりだ。」
「大きいの?」
「そうさ。本当に大きい。その港から船が出ていてね。そこは他の大陸の首都、ジャルパニアっていう古い都に続いているんだ。そこの文化が一種独特でさ。」
「ふね?」
「その海に浮かんでいる乗り物だ。言ってみれば海の列車みたいなものだな。船の旅か・・・もう4年はしてないな。」
「楽しい?」
「楽しいよ。本当に・・・世界にはまだまだ僕らの知らない物がいっぱいある。見てみたいよね。」
「いつかジャルパニアにもな・・・。」
二人は夢を語り合った。シトは始終驚いたようなあこがれのような表情で耳を傾ける。
そう、このときは一番幸せだったような気がする。後から考えてみても。まだまだ夢があったから。彼らを縛り付ける物がまだ何もなかったときだったから。まだ、彼らは大空を自由に舞う鳥のような物だったから。
「さてと・・・そろそろ行くか?」
会話を中断することを名残惜しそうにティオはそういうと、空になった弁当箱をシトに預け立ち上がった。
「そうだね。これ以上こうしていると時間が過ぎていってしまうもんね。」
「残念・・・。」
三人分の弁当箱をリュックにしまい込みながらもシトはロザリオの手を借りながら立ち上がった。




