プロローグ
安っぽいドアベルの音と共にやさぐれた男が店に入ってきた。
マスターはゆがんだ笑みを浮かべると、カウンターに寄っかかりまるで友人を向かい入れるような口調で話しかけた。
「よう。ダンナ。いい酒が仕入れてありやすぜ。」
しかし男は仏頂面を崩すことなくカウンターの隅に腰を下ろした。
懐に何か忍ばせているのか、いやに重そうな音が店内に響く。
「いつものだ。シュワルツ=メルセイン。」
マスターはやれやれと表情を落とすと、グラスを取り出し、背後の棚から古くさい酒瓶を難儀に引っ張り出すと、それに注ぎ込んだ。
ボトルの外見からは想像のできないような薄いバラ色の液体がグラスの中に注がれていく。
「相変わらずあんたに似合わねえ酒でやすな。」
マスターはため息混じりにそれを投げつけるように男に手渡した。
「ふん・・・。」
男は見事な手さばきでそれを受け取り一口飲んだ。
「その酒にしてもアルビレオとかサジタリウスとかあるんでやすぜ?よりにもよってメルセインたあ・・・。なんか思い入れでもありやすのかい?」
男はため息をつくと、グラスをおいた。バカに軽い音でそれはカウンターの上にのせられた。
「その質問、これで何回目だ?」
鋭いにらみつけもマスターは自然に受け流し、にやにやと口の端を持ち上げた。いやみったらしい笑みだ。
「うんにゃ。覚えてやせんね。何せ物覚えが悪いほうなんで。」
マスターはわざとらしくグラスを磨き始める。
「72回目だ。覚えとけ・・・バカ。」
「ダンナは相変わらず物覚えがいいでやすな。」
マスターはそういうとカウンターに乗せられたグラスにボトルに残った酒をすべて注ぎ込んだ。
「その分の金は持ってねえぞ。」
男はそういいながらもそれを飲み干してしまう。
「いえいえ。これはあっしのおごりでさ。別に話を聞かせてほしいなんてこれっぽっちも思ってやせんぜ。」
マスターは相変わらず嫌みな笑みを浮かべていた。
「白々しいんだよ。第一こんな話、聞いたっておもしろくもねえ。」
「いえいえ。この街にはおもしれえことが多すぎやすから。たまにはそういう話も悪くねえんじゃねえですかい?」
男はグラスから目を上げた。暗い店中に唯一の光はだらしなく垂れ下がった、カビの生えたような電灯のみ。
この店名にぴったりの雰囲気だ。
「月の光の方がまだまだ味があるわな。」
男は曇りガラスを横目に眺めていた。そこには濁った光が映るのみだ。
「そうですかい?」
マスターは特に不機嫌になることなく、相変わらずの笑みを浮かべながらグラスをこすっていた。
「まあ。今夜は思ったより酒の回りが早いみてぇだ。酔うと口が軽くなっちまう。」
マスターはわざと興味を失ったかのような表情でグラスをおいた。
「さて・・・どこから話したもんかな・・・。」
マスターは新しいボトルを取り出し、男の前に置いた。そのラベルにはシュワルツ=メルセインと書かれている。
マスターは無言で栓を抜く。ポン!という小気味のいい音が店中に響いた。
「17年前か。おそらくあれが始まりだったな。」
男は酒の注がれたグラスを手に取り、一気に飲み干した。
「そういえば、ずっとつけてやすね?そのペンダント。何かいわれがあるもんなんですかい?」
カビの生えたような光に照らされているのは小さな宝石のついたペンダントだった。
今は男の首に無造作にぶら下げられている。
「まあ聞いてろ。こいつも、その時に縁のあるもんだ。」
男はポケットから煙草を取り出した。手元には既に灰皿が用意されている。
古くさいオイルライターの放つ光がゆらゆらと揺れる。
「・・・・いい夜だったな。本当に・・いい夜だった。」
吐き出された煙が視界を遮る。
男は目を閉じた。そこに広がる闇。今はただ穏やかな闇が広がるのみだが、あのとき、そこにはいったいどのような闇が広がっていたのだろうか。
「まあ、なんというか。今から考えればあれは・・・宇宙一のバカ野郎どもが奏でる愚曲みてぇなもんだったな。」




