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ある初夏に、ふたりの部屋で。  作者: 遠藤 良一郎
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弟の心情

「僕はさみしい」


 早く夏休みにならないかなーなどとひと月以上先のことを考えながらあと少しで終わりそうな数学の課題を進めていると、ぽつり、と、背後で兄、(リョウ)が洩らした。

 誰か転校する予定とかあっただろうか。それとも今現在放置されている状況が問題だろうか。俺のベッドを汗で濡らすなとか指摘するべきだろうか。

 この部屋は小学生のころから良とふたりで使っている。床の有効活用のために二段ベッドをという案もあったらしいが、どちらかが嫌だと言ったらしく、初めから部屋の両端にそれぞれのベッドを置いていた。それが部屋のスペースを多く埋めてしまったため、勉強机は折り畳み式のテーブルを部屋の中央に置くことでその役目を代えている。自分のベッドに背を向ける形でひとつのテーブルを利用するのが俺らの常だけれど、そもそも良は「勉強キライ」と言ってほとんど使っていなかった。


「……なにか起きるのか?」

「決めたの。」


 なにかとの決別だろうか。

 寂しくなるのなら、離れなくてもいいんじゃないか?

 思っても口にはしない。

 決めたのなら、そこには何かしらの理由があるはずで、できる限りそれは尊重されるべきだと思うから。

 言葉の続きを待っていても、良に言う気がないのは明らかなので。とりあえず課題を終わらせると、静かだけれど何をしているのか背後のベッドを窺ってみた。

 その気配を感じたのか、うつ伏せになっている良が顔を上げた。


「なにを決めたんだ?」


 何も言いたくなさそうだった。

 それより、手をのばして俺の髪をいじるのは何か楽しいだろうか。


「なーいしょ」


 薄く笑ったその顔は、すぐ下の弟の梗一郎に瓜二つ。これで髪型を合わせたならば、きっと見分けはつかない。事実とは相反して、俺と良よりも双子らしい。ふたりとも天才肌だから、勉強キライと口にして実際に机に向かっている姿をほとんど見ないのに、試験では必ず高得点を出す。それは運動でも同じ。気を抜くと埋められない溝ができてしまいそうで、いつもなにかに手を着けていないと不安でたまらない。

 気まぐれに俺のすることを真似ると、それはもちろん、俺よりも精度が高い。そしてどんどん先へ進んでしまう。

 そこで待っていてほしかった。先に行かないでほしかった。追いつくまで。

 それはただの、持たざる者の願望。

 思うのは勝手だが、押し付けてはならない。そう自分に言い聞かせる。

 持つ者の足を引っ張ってはならない。


 本人が言いたくないことを言わせても、その決心が変わることもないだろうし。


「暑くないのか?」


 もう夏だ。冷房をきかせていないし、そこは布団の上だし、良は汗をかいて、頬には癖のない髪が張り付いている。

 熱中症になってはいけない。水分と、塩分も摂らなければ。リビングなら冷房も効いているだろうし、移動しようか。


「暑くて死にそう」


 それを言う元気があるのならまだ大丈夫か。頬に触れても普段と変わりは無いし。

 良はなにか吠えて大の字になった。

 まだベッドから動く気はなさそうだ。


「なにか冷たいものとか持ってくるよ」


 部屋を出ると、廊下のフローリングも生ぬるい。


 階段を下りてリビングに入ると、誰もいないのに冷房が効いている。食品の鮮度を保つためといって、母がここだけは年中空調を切らさない。その母は妹を連れて買い物にでも出かけているのだと思う。弟たちはそれぞれの用事で、父も仕事に出ているのでいまこの家には俺と良のふたりだけ。なにか小腹を満たすものを探したら、棚に我が家での通称塩レモンケーキ(レモンのママレードの入った一口サイズのケーキ)があったから、いくつか拝借して。さて飲み物はと冷蔵庫を覗いたら麦茶が切れていた。さてどうするか。あまり冷たいものを飲みすぎておなかを壊してもいけないし、暑い時こそ熱い物を飲みたいからお茶を淹れよう。母直伝の、おいしいお茶の淹れ方で。


 淹れたてのお茶と母お手製塩レモンケーキ、ついでに涼をとるための保冷剤をトレーにのせて部屋に戻ると、良は俺のベッドで眠っていた。風の通りが良いからこちらの方が涼しいのだと一度言っていたけれど、それが本当かどうかはわからない。

 とりあえず持ってきた塩レモンケーキをひとつ頬張り、まだ熱いお茶を口に含むと、あまりうまく淹れられなかったことが判明する。まあいいか。次は慎重にしよう。


 物心ついたときから前を行っていた良と梗。ふたりに挟まれて劣等感はもちろんある。努力をしても補えない才能はもちろん感じる。歳が近いからなおさら。

 それでも。

 彼方(かなた)にいる彼らの隣に並べなくとも、近くに立つためには、才能に乏しい俺には、努力を続けることが必要だった。

 努力をするためには、目標として背中を捉え続けることが必要だった。

 だから、ずっと、近くにいてほしかった。

 知らないうちに置いていかれないように、いつもその姿を、声を探していた。

 今までも、これからも、その背中を追い続けたい。

 別の道を歩む(諦める)という選択は、ない。距離を置けば比べられることは無くなるけれど、一度見失ってしまえば、もう巻き返すことはできないから。



 これは、俺たちがまだ受験する高校を決めていなかった頃の話。


 あのときの良のさみしさの理由は未だに明かされていないけれど。

 大学を出た今もこうしてその背中(同じ目標)を追い続けているあたり、我ながら兄離れできない(諦めが悪い)なぁと思ってしまうのだ。


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