幕間:バルコニーの一幕
今回もアレット視点です。
前回で妄想全開からの、クールダウン。そして賢者モードへ……
2階の屋外席――つまりバルコニーから見下ろす通りは、何とも活気に満ちている。
パンを抱えた小さな女の子と、それを追いかけるパン屋さん。
空は、ゾンビの事なんて知ったことじゃないとでも言いたげな晴れ模様だ。
わたしの内心も、これくらい晴れ渡っていてくれれば少しは生きやすいだろうに。
先刻のわたしは、ちょっと調子に乗りすぎた。
反省、反省……男の影に隠れないと物申すにも事欠くのが、わたしだ。
指輪を通したネックレスを、じっと見る。
チェーンは、しっかりした作りだ。そうそう千切れることはない。
わたしと先生の、絆の証……。
再び、通りを眺める。
杖とか魔導書とかを持った、わたしと同い年か少し上くらいの一団が歩いている。
パーティ、にしては人数が15人と多い。
王立魔術学院の人達だろうか? 思ったより沢山来てるんだね。
「――ねぇ」
「は、はい!」
声を掛けられ振り向く。
確かヒルダさん、だよね。
「ちょろっと小耳に挟んだけど、マジで付き合ってるの?」
声音が暗いから、いまいち機嫌の良し悪しがわからない。
多分、単純に気になっているだけだと思うけど……言葉は選ばないと。
無意識に、ネックレスに触れていた。
「えーっと、わたしが大人になるまで待ってくださっているといいますか……」
「ふーん。意外。あの人が、ね……」
「もしかして恋愛NGな人だったとか?」
「まさか。単にあの人自身は興味ないのかなって。生徒同士の恋愛相談には普通に乗ってたよ」
「優しい感じのアドバイスしてくれそうですよね」
「うん。ただ、セクハラには人一倍厳しかった」
「やっぱりそうなんですか」
デイジーさんと会った時も、冒険者がスカートめくりしてたのをカウンター技で容赦なく懲らしめてたもんね。あれは惚れ直したなぁ……。
「最初の授業でクソ男子が、落っことしたペンを拾うフリして私の足を触ろうとしてきてさ。
あの人、それまでの優しそうな顔が嘘みたいに怖い顔になって、そいつの手を掴んで言ったんだよ。“他人の学習を阻害することは許しません”ってさ」
「あ~……」
すごい、その表情めっちゃ想像できる……っていうか先生の怒った顔は実際見たことある……。
ゾッとするほど冷たい表情なんだけど、両目には煮えたぎるほどの怒りが籠もっていて、普段ふわふわニコニコな先生があんな怖い顔するんだって、忘れられなかったなぁ。
でもそんな顔になるのは決まって、理不尽な暴力を目にした時だ。
わたしにその怒りを向けた事は、今のとこ一度もない。
「わかります。先生、他人が傷付けられる事には敏感ですよね」
「ね。女子一同ガッツポーズだった。前任の先生はそのへん口出しできなかったから」
さぞかしモテたんだろうなぁ。
わたしにとっては、先生しかいない。
けれど先生にとっては、そうじゃない。
……もしかしたら、わたしより先に、先生を好きになっていた誰かがいるかもしれない。
ふと、不安が胸を締め付けた。
「やっぱり、周りの皆さん、告白とかしたんですか?」
「みんなして恩義だけで惚れてたら、今頃あの人はハーレム作ってるでしょ。告白された回数、あとで訊いてみたら?」
ヒルダさんが無表情だ。
……冷静に考えたら、まずい質問だったよね。
そう、だよね……ヒルダさは、先生に惚れた事にされて、暴行の被害を冤罪扱いされたんだから……面白い筈がない。
やっぱりわたし、ちょっと調子に乗ってた……。
「……ごめんなさい、軽率でした」
「あー……いや、惚れるなって意味じゃないからね。プラスの感情には、信頼とか、尊敬とか、親愛とかもあるって事。孤児院ってそのへん、ちゃんと教えてくれないところ多いらしいからさ……」
「……」
「誰にでも優しいバロウズ先生が、とびきりの愛情を注ぐ相手……それがキミなのは間違いないと思うよ」
「そう、でしょうか……」
「誠実なあの人のことだから、キミ以外と付き合っていないという辺りから何となく察せると思うけど。あの人、ほっとくとどんどん首突っ込むだろうから、勘違い野郎に殺されないよう、手綱をしっかり握ってやって」
「――! はいっ」
今日初めて出会ったけど……本当はすごく優しい人なんじゃなかろうか。
でなければわたしのような、不躾な質問をしてきた小娘に対して、こんなに綺麗な笑顔は出てこないと思う。
でも、だからこそ気になることがあった。
わたしはつい“素敵な復讐”なんて言ったけど……
「……女体化の薬、本気なんですよね」
たとえ不躾が連続したとしても、これだけは訊いておかなかきゃ。
「そのために霊薬学科を選んだからね。飲み物に薬を入れる馬鹿共が後を絶たない、じゃあこっちが反撃してやろうと思ってさ。騙されて一服盛られるのが自己責任なら、連中にも同じことが言えるよね」
「そう、ですか……」
「あ、内緒ね。表向きは冗談って事になってるから」
「……わかってます。そろそろ戻らないと心配させちゃうかもなんで、このへんで」
「ちょい待って。じっとしてて」
急に頭を掴まれた!
小瓶から薬指で何かを、わたしの顎の吹き出物のところに塗られる。
軟膏? 半透明の、蜂蜜にも似た色をしているけど……。
「あ、あの、何を……?」
「吹き出物に効く塗り薬」
ホントだよね? と一瞬だけ疑ったけど、大丈夫だ。
嘘をついている音がしないって事は、ちゃんと小瓶の中身が“吹き出物に効く塗り薬”であると認識して使ってくれているって事だ。
「……おいくらですか? 材料費だけでも結構しますよね?」
材料を買い揃えるだけでも、今わたしが付けている安物スカーフの50倍くらいはする筈。
「いらないよ。口止め料だから。お幸せにね、バロウズ夫人」
そう言って口元に人差し指を立てたヒルダさんの笑顔は、どこか悲しげとも苦しげともつかない、なんだか複雑な陰があった。
惚れていないという言葉にも嘘は無かったということは……或いは、きっと言えない恨みなんかもあるんだろう。
先生が介入しなければ、おおごとにならなかったとか、そういう……。
いつか、この人の力になれたら……女体化薬を使った復讐もしなくて済むのかな。