第61話:先生と、かつての生徒達
ヴェラリスが持ってきたのは白身魚と小麦粉の香草フライ入りのミルクスープだった。
塩味がいい具合に利いているが、どっちかっていうと淡水魚の味だ。上流で取れる川魚だろうか。
「落ち着きましたか?」
ヴェラリスの問い掛けに、ダンとエミールは、
「「……はい」」
とうなずく。
「おかわりもありますから、遠慮なくおっしゃってくださいね」
これを無料で振る舞うというのだから恐ろしい。
ヴェラリスはそのまま、鉄扉の小部屋と談話室を、鍋をもちながら往復し、他の冒険者にも配っていく。
そんな彼女に思うところがあるのか、エミールとアレットが顔を見合わせる。
「……おかん?」
「近所の世話好きなお姉さんでは?」
どちらにせよ、手料理と母性を直結させた暴論に他ならないと思うけど。
……エミールと一緒にいたメンバーは、かつて俺の受け持っていた付与術学科の生徒達だった。
手作りの木製の仮面を付けている男子生徒が、クゥト・ウェッジバルト。
かつて、他の生徒から容姿についていじめを受け、自分の顔を晒すことに忌避感を持ってしまった生徒……それが彼だった。
俺と一緒に作った仮面、大切に取っておいてくれたんだね。
三角帽子を目深に被った緑色の髪の少女が、ヒルダ・ラグザー。
彼女も、かつて俺が受け持った付与術学科の生徒だ。
ただ……あの頃に比べてかなりやさぐれた雰囲気を出していて、今だって誰とも目を合わせようとせず、手の爪に筆塗りしている。
料理には手を付けない。どころか、エミールに押し付けていた。
本当は合わせる顔なんて無いけれど、言わなきゃ。
「……クゥトさん、ヒルダさん。お二人とも改めて、お久しぶりです。最後まで教えられず、申し訳ございませんでした」
でも俺の言葉に、クゥトは。
「せ、せせせ、先生も、げげげ元気そうで、あの、そそその」
俺がいた頃は、こんなに吃ってなかった。
原因に思い当たるフシが多すぎて絞り込めないよ……。
そこにローディが余計なことを言ってくれる。
「情けないわね、もっとハキハキ喋りなさいよ。美少女だったらさぞかしモテたでしょうけど、あんた男でしょ?」
「――大丈夫ですよ、クゥトさん」
俺はローディに視線で釘を差した。
ヒルダは、そんな俺を一瞥する。
「相変わらずお優しい人だぁね。生徒に敬語使うのも。もう私達、付与術学科ですらなくなっちゃったのに」
「どういう事ですか……?」
「付与術学科は解体したよ。クゥトは精霊術学科で、私は霊薬学科」
「そう、でしたか……」
「少しは安心したら? せっかく肩の荷が下りたんだからさ」
……ヒルダは鼻で笑って、爪の塗りに戻る。
ダンが横目でその様子を見て、舌打ちした。
「おい、それが久しぶりに会った教師への態度かよ」
「そうだけど」
「ルクレシウスに惚れてたんだろ? そんなんじゃあ、こいつの気を引くためにお前に罪を着せられたあいつが浮かばれないぞ」
「ふーん。私が誰に罪を着せたって?」
「しらばっくれるな。オスカー・テラネセム以外の誰がいるんだよ」
オスカー・テラネセムだって!?
「じゃ、じゃあ冤罪って……!」
……この事件は、内容が内容だから、アレットにも言っていなかった。
ヒルダは友人に呼ばれて部屋の持ち主のオスカーを含め、複数人で課題をやろうとした。
だが、いざ辿り着いてみると友人達はおらず、オスカーと2人きりとなった。
オスカーに「俺だけじゃ課題が終わらない。そのうち友達も来るから」と頼み込まれ、ヒルダは断りきれず部屋に上がる。
実は事前に通知付与を掛けておいたから、俺はその通知を受けてヒルダの部屋に急行していた。
丁度その時にヒルダは、乱れた衣服もそのままに、息も絶え絶えに自室にまで逃げてきた。
差し出された飲み物に混入されていた睡眠薬は、俺の教えた“免疫付与”で無効化できたという。
薬が効かないことで逆上したオスカーに暴行を受けそうになったから、部屋を脱出したそうだ。
あの時の彼女の打ちひしがれた表情は、とても忘れられるものじゃなかった。
急いで医務室に連れて行って、オスカーの担当教師にも話をした。
オスカーの部屋からは、彼の指紋の付いた睡眠薬のビンもあったし、飲み物のコップにも薬品は付着していた。
そうか……あれが、今は冤罪だと言われているのか。
「犯行に使われた薬品だって、毒性は検知されなかったんだろ」
というダンの言葉から察するに、睡眠薬が機能せず眠りに落ちなかった事が、でっち上げの根拠ということだろう。
「だいたい友達に呼び出されて課題をやる、なんて言いながら男の部屋に入るかフツー?」
そこにローディも便乗する。
「そ、そうよ! 事情はよく知らないけど……断らずに部屋に入ったらそれは同意しているのと一緒じゃない! ふしだらよ!」
「いやいや。惚れてないし、騙してもいないから。最初に聞いた時は友達も一緒って話だったし」
「どうせ作り話だろ」
もう許さないぞ。
「これ以上ヒルダさんの被害を軽視するのは、許さ――」
ここでアレットに遮られる。
「――ダンさん、それにローディも! ほんっといい加減にしてくださいよ! さっきから聞いてると、パッと見の印象とか噂話ばっかりじゃないですか」
「「えっ……」」
ダンとローディめ。思わぬ所からの反撃に驚いているな?
実際、俺にとっても想定外の助け舟だったから、様子を窺っている。
アレットは尚も続ける。
「特にダンさん!」
「あ、俺!?」
「現場検証はしたんですか? データの矛盾は調べましたか? 本人から訊くのは……トラウマを抉るかもだから難しいにしたって、自分の受けた印象を正当化するために意図的に無視してる部分が無いと果たして本気で言えますか?」
「あ、その、はい」
「だったら、ヒルダさんの前でそういうこと言えませんよね。この嘘つき。最低野郎はあなたのほうです。今すぐヒルダさんに謝ってください」
……どうしよう。
アレットが俺の言いたいことを代わりに全部言ってくれた。
「あはは、私は気にしてないから大丈夫だよ。慣れてるし。元に戻れなくなる女体化薬をいつか作ってあいつらに同じ目に遭ってもらうから」
「なるほど、それは素敵な復讐ですね……」
だがここでローディが立ち上がる。
「に、女体化ですって!? そんなの駄目よ! 神の摂理に反してるわ!」
「何お前。摂理とやらにおとなしく従った結果がこれなんだけど。お前の惚れた男のチンコが腐れ落ちるところ見せてあげようか?」
「ひっ……」
「……なーんてね。冗談でーす。もしかして真に受けちゃった?」
冗談には聞こえなかったんだけど……。
「あ、あのっ! 確かに気持ちはわかりますけど! お、女の子が、その、おち……言っちゃうの、どうかと思いますっ!」
「私が今まで言われてきた不名誉なあだ名を知ったら同じこと言える?」
「ど、どんなあだ名ですか……?」
ヒルダがアレットに近づき、耳打ちする。
またたく間にアレットの顔が赤くなっていく事から、とんでもない内容なのは想像に難くない。
「ひゃああ……ご、ごめんなさいぃい!」
「覚えといてよ。男も女もそういうこと平気で言うからね」
「ヒルダさん。アレットさんには僕のほうから言っておきますから、あまり意地悪しないであげてくださいね」
「……ほーい」
それにしても、まさかアレットがここまで言えるなんて。
嬉しくはあるけど複雑な気分だ。どうせならもっと違うタイミングで、心をひらいてくれたことを実感したかった。
「ダン。不服なのか」
「え? ああ……」
「ならば、貴公。含む所あらば闘技場で仕合をするという解決方法が最も単純明快だが、如何だろうか」
ほんっと隙あらば闘技場を勧めてくるな!?
一理あるけどさ!
「武で語らえば、相手の本質というものが……そうだな、最大でも半分くらいは解る」
「考えとくよ――あ」
ダンが立ち上がって手を振った。
みんな一斉にそっちの方角を見ると、二人の女性がやってきて、ダンのもとに集まった。
「隊長! 動きがあったのであります!」と、身の丈の倍はあるハンマーを担いだ小柄なドワーフ。
「お姉さん、頑張っちゃった♪」と、弓矢を持ったエルフ。
「今行く!! あ、そうだヴェラリス」
「はい?」
「チーズと胡椒を入れれば美味しくなると思うよ。はい、これ改善レシピ」
あんだけたくさん食べといて結構ぶっきらぼうにダメ出しするんだな……。
「ありがとうございます。お優しいですね」
ヴェラリスはその手書きのメモ紙を両手で受け取りながらお辞儀する。
「これくらいどうってことないよ。俺も、趣味で料理やってるからさ。それじゃ! 良かったら俺のパーティ来てよ!」
「趣味で。なるほど。趣味ですか。ふふ……」
……手を振って見送る笑顔が怖い。
何が怖いって、目が全く笑っていない。その上、ダンはもうヴェラリスに背を向けているから気付いていない。
「わ、私ちょっと用事を思い出したから帰るわね! それじゃアレット、くれぐれも粗相のないようにね!」
「……」
ローディこそ、粗相ばかりだったじゃないか。
いや、第一印象だけで判断するのは早計だけど、それにしたってあんまりだ!
「……私も、食後の一服をしてきますね」
「あ、レシピ破り捨てた」
「手が滑りました」
「直接、本人に言いづらいですよね。思うに、チーズを使わなかった理由って、この容量の鍋だと食べきるまでにチーズが固まって洗いづらいのと、冒険者であるゆえにそこまで時間を割けないから、ですか?」
「お察しの通りですよ。ルクレシウスさんも趣味でお料理を?」
「僕は、生活の一環で、ですかね」
「なるほど。道理で」
「引き止めてすみません。お気をつけて行ってらっしゃい」
「いえいえ。理解してくれて嬉しいです。お鍋はそこに置いといてくださいね」
見送って振り向くと、エミールとアレットが凄まじい形相で出入り口を睨んでいた。
喩えるなら、そう。牙を剥く猛犬のような……。