第60話:先生と新たなる波乱
冒険者ギルドの建物は、古い砦を改装したもののように見える。
ゴツゴツした石のブロックを積み上げた傷だらけの壁が、その推察に説得力を与えていた。
ラウンジは、結構な広さの大部屋にソファとテーブルが並べられている。
更に、小部屋も幾つかあるようだ。
酒を奢るなどして冒険者達から細かい情報を集めてみたところ……
スラム街のゾンビ達は散発的に出現している。
野垂れ死にした浮浪者がゾンビ化している他、下流から川を遡ってやってきている個体も。
人間以外のゾンビは見かけない。
セルシディアの人口は9000人程度で、うち約1500人は西側のスラム街暮らし。
挙げ句、外からは流れの盗賊たちまでもが流入しているため、基本的に人手が足りていない。
ざっとこれくらいか。
もうちょっと情報が欲しいが……
「あ、この鉄扉だけ他と雰囲気が違いますね」
「こら、アレットさん! 勝手に入っちゃ――」
追いかけて、絶句した。
……これは、なんだ。
窓のない部屋でヴェラリスが一心不乱に、取っ手の付いた深めの鍋で何かをグツグツと煮込んでいる。
なんだろう、あのあからさまに怪しいものは……。
しかも何か呟いてるし。
「――連中……存外、興味深いじゃないか……ふへへ……」
などと……ああ、マジかよ……。
「「「――ぁ」」」
まずい、目が合った!
「す、すみません!」
「ふふ……戸締まりを忘れていましたね。私としたことが迂闊でした」
どうやって言い訳する!?
出入り口に臭い消しの石柱があるから「いい匂いがしたので」は通じない、くそ、考えろ!
考えているうちに、俺とアレットは肩を掴まれて扉の外まで押し出される。
結構、腕力あるな……。
「お二人は何もご覧になられなかった。いいですね?」
「「あ、はい……」」
「では」
容赦なく閉ざされた鉄扉の向こう側から、カンヌキを掛ける音が聞こえた。
ゾンビの発生と何か関係があったりしたらマズいな……。
と、その前に!
「ダンジョンじゃないのですから、無闇に扉を開けちゃ駄目ですよ」
「はい……反省します」
しゅんとするアレットに、横合いから声がかかる。
「――相変わらずおっちょこちょいね、アレット」
呼びかけられたアレットが、目を見開いた。
声の主は、法衣にコートや金属製の胸当てを足した姿から神官と推察できる。
「……ローディ」
彼女が、アレットの話に出てきたローディなのか。
ローディは、緊張するアレットに反して、気さくな様子で片手を上げて挨拶する。
「久しぶり。元気してた?」
「……仲間のおかげでね。ローディは?」
「この街を拠点にバリバリやってるわ。ヴェラリスにでかい面させてられないもの」
「そうなんだ」
「何よ、暗いわね。あ! もしかしてあなたが、ルクレシウス・バロウズさんですか?」
「はい、僕ですが」
急に詰め寄られ、両手を掴まれる。
なんだなんだ。
「噂はかねがね聞いてますよ! 弱者を救済して回る、聖人様だとか!」
「じゃ、弱者って、聖人様って……」
その言葉には、何処か上から目線な感じがある。
どっちかっていうと“虐げられた人々”と表現すべきだ。
「呪術を得意とする陰湿な種族のダークエルフでありながら前線で魔物と戦い続けた、戦闘のプロフェッショナルなウスティナさんでしょ。
それに、性欲の強い種族でありながら清廉潔白にして紳士的、なおかつ種族由来の耐久力に加えて全身鎧と比類なき防御力とヒールで継戦能力の高いピーチプレート卿。
どっちも種族的なハンデを補ってあまりあるわ! それを従える力量もまた尊敬です!」
随分と偏見に満ちた感想だな。
という俺の内心を他所に、更にとんでもないことを訊いてくる。
「……そういえば、アレットはもうこの人と、したの?」
「まだ、だけど」
「ええええええ!? あんた、女として見られてないんじゃない? 昔っからどんくさくって、気が利かないし。どうせヒールの特訓も、私がいなくなってから全くやってないんでしょ?」
「その、うん……」
「そんな事は決してありません。いつも助かっていますよ。それに僕はアレットさんを、女の子としてよりもまず、仲間として敬意を払って接していきたい」
俺は、アレットの背を撫でる。
敬意を払って接しているかどうかは、相手がどう思うか次第だ。
どんなに自分で出来ているつもりでも、相手に伝わっていないならそれは敬意じゃない。
だからあくまでも“接していきたい”という願望だけ。
「アレット! リーダーに気を使わせちゃってどうするの? ちゃんと役に立ってるの?」
「……」
「ちゃんと答えられないって事は自信がないみたいです。でも私を入れていただければ、アレットが粗相しないように、私が隣でフォローしてあげて――」
もう限界だ。言わせてもらうぞ!
「――お断りします」
「えっ……?」
「いいですか、ローディさん。ウスティナさんはアレットさんが声を掛けたからこそ僕達に興味を持ってくれたし、一部の人達の心無い暴力からピーチプレート卿を救ったのは他でもない、アレットさんの身を削った奮闘です」
「えっ、それは……」
「あなたがどれほど有能であっても、僕の大切な仲間達をけなすような人と、僕は一緒に仕事したくはありません。直ちに発言を撤回してください」
「先生……!」
アレットが感涙しているのに対し、ローディは……。
「ごめ――ごめん、なさ……私、そんなつもりじゃなくて……ひっ、ぐっ、うあ゛ああああああああん!!! ごめんなさあああああいいいいい!!」
ああ、ちくしょう! 思わず俺は頭を抱えた。
アレットはといえば、数秒前とは打って変わって無表情――いや、虚無だ。
落ち着け、まずは冷静に状況把握だ。周りを見てみよう。
周りの突き刺さる視線に、ひそひそと語らう「なにあれ? 痴話喧嘩?」などといった言葉。
それから、俺を睨めつけながら肩を怒らせ一直線に早歩きしてくる黒髪の少年……?
あ、目が合っ――
「――ふウゥお゛ッ!?」
顔面に全力パンチ、だと!?
「せ、先生!?」
当然ながら付与術なんて間に合うはずもない。
よろけて倒れ込みそうになった俺を、ピーチプレート卿がすかさず後ろから支えてくれた。
「この最低野郎! お前なに女の子を泣かしてんだよ!?」
少年は胸ぐらを掴んで凄んでくるが、こっちは状況を飲み込むのに精一杯で返答なんてできる筈がない。
明滅する視界に、彼の襟元の王立魔術学院の校章をあしらったバッジを捉えた。
知らない顔だが、転校生だろうか。
ウスティナはギルドの係員に報告していたが「子供のすることですし」などと相手にされていない様子だった。
踏んだり蹴ったりだ……むしろ俺が泣きたいよ。
アレットが黒髪の少年を突き飛ばし、俺の前に両腕を広げて立つ。
「やめてください。先生は、わたしを庇ってくれたんです。そこで泣いてる人は、反論に困ってそういう手段に出ただけです」
「へっ!? ……そうなの? マジで?」
少年は、目を点にして首をかしげる。
「マジで、ってあなた……事情も知らずに殴ったんですか?」
あ、これ喧嘩になるかも……止めなきゃ。
「――お師匠様!」
懐かしい声に振り向けば、エミールの姿があった。
後ろにも二人ほど、かつて俺の受け持っていた生徒達がいた。
「ふたりを止め――うッ」
いたたた……口の中を切ってるな……。
「ヒールッッッ!!!」
「ピーチプレート卿、ありがとうございます」
「礼には及びませんぞ」
ただ、痛みはまだ消えないな……。
短縮術式呼び出し……対象を自身の口の中に設定。
“鎮痛付与”!
これでよし。
「“お師匠様”ってことはエミール、コイツがお前の言ってたルクレシウス・バロウズなの?」
コイツ呼ばわりはひどくないかな?
あと、人に指をさすなって教わらなかったのかな?
対するエミールは、うやうやしく片膝を付いて両手で指し示す。
それはそれで極端だ。
「そうだ! この御方こそが! 学院で唯一のS級教師であり! 数多のいじめから生徒たちを救い出した、男の中の男だ!」
……いやいや、その言い方もどうなんだ。
俺は自分が男だから助けたんじゃないよ。
「いいか、ダン! お前のような奴が軽々しく殴っていいような相手ではないんだ!」
黒髪の少年――もといダンは、エミールの説明により一層、表情を険しくした。
「なるほどな……お前がルクレシウスか。お前さ、どれだけ冤罪を生み出して追い込んできたか、知ってる?」
「待ってください。初耳ですが……」
「お前が告発した沢山の生徒達は、調査の結果その殆どが冤罪だったと判明してる。どうせその女の子やエミールだって、言葉巧みに誑かしたんだろ?」
俺そんなに口達者じゃないんだけど、何処からそういう情報って伝わってきたの?
って聞こうとしたらエミールがダンの胸ぐらをつかんだ。
「お師匠様に向かって不敬だぞお前ェ!! 黒焦げにしてやろうかァ!!」
「学院トップの座にあぐらをかいてストームドラゴンの群れを俺の半分も倒せなかったクソ雑魚がイキってんじゃねぇーよ。竜殺しの二つ名が聞いて呆れるぜ。
だいたい、男が男のことをあんな情感たっぷりに語らうの、気色悪いからやめたほうがいいぞ」
「いやいや! ダンさん!? あなたがどんなに強くても頑固で馬鹿じゃないですか! 先生の顔面の恨み、晴らさせて頂きます!」
「やめなさいアレット! 男同士の戦いに女が割り込むのはマナー違反よ! 不満があるならまず私を倒してからにしなさい!」
まずい、みんな臨戦態勢……ここでやりあうつもりだ。
(元はと言えばローディが絡んだせいなのに、何故かローディはアレットに先輩面してるし……)
ここは、俺がきちんとした形で止めなきゃ――
――バァンッ
鉄扉が蹴破られ、ヴェラリスが大鍋を運びながら現れる。
テーブルに置かれた鍋の黄緑色の中身が、ドプンッと波打つ。
ヴェラリスは手袋を口にくわえ、素手を鍋に突っ込んだ。
「私はヴェラリス。争い合うあなた方に太陽の恵みを届ける女……」
呆然と立ち尽くす俺達を尻目に目にも留まらぬスピードで鍋の中身を手掴みし、軽やかなステップを交えながらダンとエミールとローディの口にねじ込んでいく。
ヴェラリスは俺達に向き直りながら、満面の笑みで自身の指を舐めた。
「皆さんお腹すきましたよね。ご飯にしましょうか」
などと言って、ぽんと軽く両手を叩くヴェラリス。
折しもアレットが丁度ここで腹をグゥと鳴らしたものだから、誰も反論できなくなってしまった。
アレットの心の声(冷静に考えると、言う時は相手がどうなろうとズケズケ言うくせに、いざ言われる側に回った瞬間に泣いて同情を誘うの結構ヤバくない……?)




