第56話:先生と付与術のレッスン
チェルトは、意を決して口を開いた。
「えっとね、えっとね……付与術をね、教えてほしいの。ママをたすけたいんだ」
チェルトだってあのシージャック事件の生存者でもあることだし、きっと生半可な覚悟で俺に付与術の教えを請うてはいないだろう。
それに俺だって、過去の自分と比べて『俺と同じように苦労して一人で覚えろ』なんて前時代的な精神論を説くつもりはこれっぽっちもない。
けど、彼女の実母シルヴェストラは魔術が使える。
「……僕から教わるという事で間違いないですね?」
だから、こう訊いておく必要はあると思う。
チェルトは「うん」と小さく頷いた。
「だってママ、付与術はだれにでもできるって言ってたのにおしえてくれないんだもん」
水を向けられたシルヴェストラは、くたびれた笑みを見せる。
「ええ。壁を透けさせるレベルの付与術なんて、私じゃ無理だもの。バロウズさん、あなたの凄さを思い知らされたわ」
いや、それほどでも……。
パーティメンバー以外にそこまでストレートに評価されたことないから、なんだかこそばゆいな。
アレットが首をかしげる。
「でもチェルトちゃん? まだ6歳じゃなかったっけ? もう開花したの?」
「今みせるね! ん~~~、えいっ! 光源付与!」
チェルトが唐突にそう唱えると、全員分のスプーンが光る。
「できたっ」
「「「――!?」」」
「ふむ」
「マジかよやるじゃねぇかハハハハハ!!!」
アレットとシルヴェストラ、それからピーチプレート卿がびっくりしている。
ウスティナは微笑ましく見守っているし、グレンに至っては、大爆笑している。
悪いけど……俺は物心ついた頃にはスキルを習得していたから、別に8歳未満で習得していようと驚いたりはしないよ。
チェルトの場合は、過酷な環境がそうさせたのか、それとも、持って生まれた資質なのかはわからないけれど……。
とりあえず褒める時の基本を思い出そう。
どの性別でも関係ない事柄で、なおかつ他人と比べない。
「すごいじゃないですか、チェルトさん! どうやって覚えたんですか?」
褒める時の最適解は、これだ。
個別のケースだけで完結する褒め方をしよう。
「見ておぼえたの!」
「それでは、もう教えてもいいかもしれませんね。全ては教えられませんが、構いませんか?」
「うん!」
「実母である私からも、お願いするわ。その間の生活費は、こっちで負担するから」
「助かります」
あとは、他の人達にも訊かないとね。
ここまで話をしておいて今更かもしれないけど。
「それでは、10日後まで教育期間を設定し、期日を過ぎたら出発しようと思います。
僕が教育に専念、その間、他の皆さんにはシャノンさんと協同で解呪屋の情報収集をお願いしたいのですが、異論ありませんか?」
「ああ、問題ない」とウスティナ。
「それがしも予定を合わせますぞ!」とピーチプレート卿。
「あの……先生、わたしもいいですか?」とアレット。
……? “わたしも”とは?
ああ、もしかして!
「アレットさんも付与術を?」
「はいっ!!」
なるほど。
拒否する理由は無い。
「あなたのやる気を尊重します。ですが……理由を伺っても?」
俺の問いに、アレットは視線を泳がせながら両手の人差し指をツンツンと突き合わせる。
「その……どうすれば先生のお役に立てるのかを考えていたところ、丁度チェルトさんに触発されまして。
本職さんの先生には到底かなわないにしても、概要を覚えておけば誰かに伝えられるかもしれないじゃないですか? それに、先生との共通点、増やしていきたいなって……」
触発って、本職って……共通点って……。
いや、でも付与術を使いこなせばアレットの言うところのヒールの特性(俺は断じて欠陥とは言わないぞ!!)をなんとかできるかもしれない。
む。シルヴェストラの視線を感じる。
「私からも、いいかしら」
「どうぞ」
なんだろう。
「うちのチェルトだけでなく、あなたのところのアレットさんにも攻撃魔術を幾つか教えたいわ。船であなたを見た限りでは、直接的な攻撃魔術は、付与術に比べるとそんなに得意でもないんでしょ?」
「……お見通しでしたか、お恥ずかしい」
まったく。
あんたが敵じゃなくて助かるよ。
「チームワークの基本は得意分野に応じた作業の分担と心得ているわ。もっとも、あの馬鹿旦那は少しも理解していなかったみたいだけど……」
「似たような経験はしてきたので、なんとなくはわかります……どうか、あなたがたの傷跡が少しでも早く塞がりますように」
「……ありがと。あいつも、あなたのような人だったら良かったのに。ねえ、メルグレーネ」
「んー……? うーん……」
えっと、グレン……そんなにまじまじと見つめないで欲しい。
息を呑んで声が出なくなっちまうだろ。
「ツラ貸せ。どれどれ……うーん……」
グレンの両手が俺の頬を挟み込む。
俺の視界いっぱいに広がる、グレンのじっとりとした半眼と、一文字に結ばれた唇。
やっと昔の君に戻れたんだね。仕草の節々から感じられる。
「――いや、ねェな。ないない」
俺は、顔を掴む手から解放される。
「えええええ!? そこまで先生をガン見しといてそれですか!?」
アレットのツッコミは相変わらず意味不明だ。
「今のオレじゃあ恋人だの結婚だのというテンションじゃねーんだよ。だいたい、他人の婚約者に惚れねーし、惚れたとしても言うようなゲスじゃねーよ」
「あ……ご、ごめんなさい」
「ただ、まぁ。コイツの人柄の良さは、ダチ公のオレが保証する。式には呼んでくれよな、アレット」
「は、はいっ! 3年後に予定してますっ!!」
「覚えとく。もしこの野郎が悲しませるようなことをしやがったらオレに言えよ。ぶん殴って説教しといてやるからな」
「いやそれは結構ですからねっ!?」
……お後がよろしいようで。
さて。レッスンだ。
初日の夜は、とりあえず基本から教えよう。
「まず使う側へ、僕との約束事です。既にご存知のこととは思いますが、魔術は自分や誰かを傷付ける恐れがあります。
感情に任せて大切な存在を傷付けるためにだけは、絶対に使わないと約束して下さい」
「はいっ!」「はぁーい!」
魔術学院には大人であってもそれを守れない奴がいっぱいいた。
あんなのは、もうまっぴらごめんだ。
「次は教える側へ。シルヴェストラさん」
「は、はい……」
いや、そんなに身構えなくても。
「教え子は、時に僕達が思っているよりずっと、自身の至らないところに悔しさを感じていることがあります。
たとえ教え子が、教えた通りにできなかったとしても、嘲笑したり怒鳴りつけたりなどは決してしないと約束して下さい」
「えっ――そ、そそそ、それは、まぁ? 当然じゃない?」
ならどうしてそんなドギマギしながら、したり顔で頷いているのか。
頼むから俺の目の届かないところでも心掛けてくれよ……やらかした自己嫌悪っていうのは、大抵その後に悪循環を生み出すんだ。
「それでは、10日後が期限ということで」
「「はい」」「うん!」
3日目。
「――ではこれまで座学でお勉強してきた内容を踏まえて、実践に移ってみましょう」
「はいっ」「はーい!」
屋敷にほど近い裏山の空き地にて。
ここからは実技の勉強だ。メンバーは俺と、アレットとチェルトとシルヴェストラ。
「まずは付与術の基礎である障壁付与と、俊足付与から初めます。
魔力を腕の骨の中で螺旋を描くようにして練り込むイメージです。できますか?」
説明を聞いて、アレットとチェルトは首をひねる。
「当然といえば当然なのかもですけど、やり方が全然違いますね……うーん、こう、かな、えいっ、このっ! ん~~~でやぁ!!」
……。
…………。
特に何も起きない。
「……うぅぅぅ……ぐすん。駄目でず……」
いやいや、何も泣かなくても……。
仕方ない。あまり気は進まないが、俺はアレットの腕をそっと掴む。
「僕が指でゆっくりなぞりますから、それをイメージしながら魔力を動かしてみて下さい」
「は、はい……っ、あっ、くすぐった……んんっ」
……鼻にかかる甘い声が、ひどく鼓膜に残る!
くそっ、だから嫌だったんだ!!
「――アレットさん」
「はぁ……はぁ……はい?」
「教育上よろしくないので、喘ぐのはなるべく我慢してくれませんか?」
「へっ!? あっ、喘いでました!?」
無自覚だと……!? とんでもない壁だ!!
じゃあ、そうだな……強く揉み込むような感じでどうだ!?
「いだだだッ……あ、でも、なんとなく伝わってきたような……!? いや、どうだろう……」
たとえ結果が出なくとも、大丈夫だよ。
俺は、君という個人を尊重したい。
でも喘ぐのはやめようね!?