第55話:先生のデート帰り
……アレットの話を聞いて、彼女の行動の理由が全て繋がった。
やっとピースが嵌った。
――『ごめんね……呪いをかけられちゃって、教典じゃないと読めない身体になっちゃったの……』
――『あーあ……持ってたら、読んでもらえたのかな……先生は優しいし……』
文字が読めない理由。
焦げた本を見たときの苦しげな顔……。
――『あなたには捨てさせない。何があっても、いつか、この本は直しますので! いいですね!』
あのとき見せた執念。
やっぱり、君の傷跡と地続きだったね。アレット。
大角鬼熊と戦っていた理由が陰謀じゃなくて本当に良かった。
でも、それ以外の境遇は想像を絶するものだ。
見せかけだけの穏やかな空間で封殺されながら、逃げ場のない毎日を怯えて過ごすことがどれだけ残酷か。
知識や想像力を育ててこなかった人達は、アレットの話を荒唐無稽だと嘲笑うのだろう。
だが、俺は……。
人の悪意に限界なんて存在しないことを、俺は知っている。
教会が貞操を捧げる男を探すよう巡礼者の少女達に言い渡すような組織であるならば、アレットがされてきたような“戒め”とて決して作り話ではないだろう。
「……」
「……」
もう落ち着きましたか?
体を離したアレットに、そう問いかけようとした時だった。
「好きです。先生……」
何かを掴まされる感触。
それと同時に――
「え? あっ……――」
俺の口は、アレットの唇で塞がれた。
突然の事で俺の両手は、暫し空中を掻き分けるように置き場所を失っていた。
鼓動が暴れ回って制御できない。
嫌なわけじゃない。それは断言できる。
ただ……秘密を打ち明けてくれた時点で予想しておくべきだったかもしれない。
唇が離れるまでそんなに時間は経過していない筈なのに、丸一日そうしていたかのような錯覚すら覚えた。
それもその筈で、恋心を伴う口付けなんて生まれて初めてだった。
額や耳の先まで熱を帯びて、思考が空転する。
あぁくそ! なんて答えりゃいいんだ!?
もしもここで『大人をからかうのはやめなさい』なんて言ったら確実に『本気です!』って返ってくるぞ。
そもそもあの指輪の件から考えるに、アレットは本気に決まっている!
とはいえこちらも15歳の女の子という、絶対的にこちらが優位な関係性の中で今すぐ彼氏面するのは正直ありえないぞ……!
18歳になったら改めて応じるということを伝えなきゃ駄目だ!
それも、なるべく傷付けない、拒絶しない言い方で!
以上のことを鑑みて導き出される返答は、こうだ!
「……次回は、3年後までお預けですからね」
「あ、あのっ、先生……い、嫌でしたか? ごめんなさい、つい……軽率、でしたよね」
「いえ、そんな事は! その……なんだ! ええっと、きっ、君の“好き”は充分に伝わってきました! 僕も君が好きだ! だからこそ今はまだ、恋人にはなれないだけです!」
……あー……うわぁー。言っちまった……俺の、馬鹿……!
現時点では胸に秘めておけば良かったのに、つい、口が滑った……!
ああ、ほら見ろ……泣かせちまった……――って、口元ちょっと笑ってるぞ。
「良かった……“周りから見たらいい年こいた大人が年端も行かない子供を誑かしているみたいで迷惑だからやめろ”なんて思われていたらどうしようかと……」
「どれだけマイナス思考なのだろうか! いえ、君の境遇を考えれば無理もありませんが!」
「だってほら、その……わたしが先生のことが好きなのは間違いなく本気ですけど、やっぱり、心の何処かで、利用しようとしていたと思うんですよ……」
「――アレットさん」
両肩を掴むと、アレットはビクリと震えた。
いつもどおりに、やるだけだ。
泣いている人がいるならば、泣かないで済むように、周りに協力してもらう。
「いつかに君が言っていた通り、アレットさんを縛り付けるそれは“戒め”なんかじゃない……――呪いです」
「……――ッ」
はっとした表情だった。
両側の頬を涙で濡らしていながらも、どこか明るさを見せているようにも思えた。
「次の目的地は決まりました。まず解呪屋を探しましょう。それから、アレットさんから文字を奪った教会へ」
「いえ、そんな、悪いですよ……わたしのことは後回しでも、いいですから! 学院の事が終わってからでもいいんです。先生の邪魔になってしまいます!」
「僕が納得行かないからじゃ、駄目ですか? もちろん、それまでに本を読むことが待ちきれなければ、僕が代わりに音読します。ちゃんと声音を分けて、それっぽく聞こえるように頑張ります」
「ありがとうございます……先生って、ほんとうに優しいですね」
それは違うよ、アレット。
「僕はきっと、誰かに手を差し伸べることを通して、子供の頃の自分自身を救おうとしているだけなんですよ」
「でも、それが今のわたしの支えになっている。いつか、先生の心の傷を全部、わたしにも教えてくださいね……恩返し、たくさんしたいんです」
「既に充分、恩返しをしてくれていますよ。でも、もしも僕に貸しを作りたいとお考えなら……そのうち、お願いするかもしれません。その借りを返すアテを作ってから、ね!」
「――っ! ……はいっ」
「さあ、屋敷に戻りましょう」
日が沈んでいく。もうすぐ夜だ。
手の中に渡された巾着袋を見る。
「それで……こちらは?」
「プレゼントです。開けてみてください」
「ここで開けちゃっていいんですか?」
「いいからいいから」
……へぇー、タルトか!
「これ、アレットさんが?」
「概ね、わたしです。グレンさんとシルヴェストラさんにも手伝ってもらいましたけど……。ほら、食べてください」
「いただきます……ん、クリームチーズとピスタチオですか! これは、美味しい……好きな味です」
「まっすぐなように見えて一筋縄ではいかない先生の人柄をイメージしてみました」
……うん。
関連性がよくわかんないけど、美味しいことだけは確かだ。
◆ ◆ ◆
オストラクル家の屋敷に戻り、エントランスホールから応接室を通って食堂へ。
食堂では、既にウスティナとピーチプレート卿が戻ってきていて、第一夫人シルヴェストラやチェルト達と卓を囲んで談笑中だった。
流石に第二子クロムゼルサはちっちゃいし、おねむだ。
マルギレオの実母も、部屋の隅の椅子で寝ている。
グレンは……いないみたいだな。
ウスティナは俺達がドアを開けるなり、手を振ってきてくれた。
「貴公ら、デートは楽しんできたか」
ウスティナの問い掛けに、アレットは両手いっぱいの荷物をガバっと掲げた。
ネックレスの指輪が、チャリンッと音をたてて跳ねる。
「バッチリですよ!」
「やっぱりおねーさんたち、コイビトなんだね!」
否定する材料も無いから、もういいかな。
その、キスまで、してしまったのだし……。
でも、釘は刺しておこう!!
「少なくとも僕とアレットさんの場合は将来的にそうなる予定ですから、それでも問題ありません――が! 恋人同士でなくてもデートをする人達もいるということは覚えておいて下さいね!」
「はーい!」
この子は賢いから、きっと解ってくれるだろう。
……む。
シルヴェストラが花束を見つめている。
「アレットさんの花がどうかしましたか?」
「ヨダカソウの花言葉ってご存知かしら?」
「いえ、お恥ずかしながらわかりません」
「“あなたの全てが欲しい”なんだけど」
……。
…………。
アレットがおずおずと手を挙げる。
「あ、あの、買ったの、わたしです……」
何だよその「意外とやるねぇ」みたいな視線は!
「んゴホンッ」
気を取り直して食卓に加わる。
次の目的地について話をしないと。
BL本については上手い具合にぼやかして、それ以外を伝えた。
「――そんなわけで、訳あって解呪屋と、アレットさんの孤児院に向かうことにしました。どなたか、解呪屋をご存知ありませんか? あいにく、冒険者時代のツテはからっきしで」
みんな首を振る。
最初に口を開いたのはウスティナだ。
「残念だが私もアテが無い。なにせ呪いで困ったことといえば、私達のような肌の持ち主への仕打ちくらいのものだったからな。
クククッ……もっとも、貴公のお蔭で随分と和らいだよ。未だに見る目のない輩なんぞは“ダークエルフが善人に拾われて改心した”などと抜かしているがな」
「今後も対等な関係へと少しでも近付けられるよう、善処します」
「いつもどおりで構わんさ。貴公なら私から何か言わずとも、私の同類に手を差し伸べるだろう。解呪屋については、力不足で悪かった」
「いえ、すみません……」
次はピーチプレート卿。
「それがしも同じく。バロウズ殿のいたという、学院……という設備には無いのですかな?」
「確かに講義で解呪については習いますが、教会のものは取り扱っていないんですよ……それに、僕が追放されている以上、生徒からの協力は望み薄です」
「ムッ。然様であったかぁ~……」
ピーチプレート卿の大袈裟な動きに、周りは苦笑する。
「そういえば先生、あの協力してくれてるシャノンさんって人は学院の関係者さんじゃないですか。巡礼者のカティウスさんとも同じパーティですし」
ああ、そっか。
船の中で会って面識があるんだっけ。
「明日、シャノンさんに相談してみましょう」
今夜から行くのは流石にちょっとだからね。
と、ここで「たでぇーま」と気の抜けた声とともに、グレンが帰ってきた。
ドレスの上に丈の短いジャケットを肩で着流した姿は、何ともグレンらしい。
「グレンおかえりー!」「おかえり、グレン」
「グレンさんおかえりなさーい!」
「おかえりなさい」
口々に出てくる挨拶にグレンは、まだ少しむず痒そうに手を振る。
シルヴェストラとは初めの方こそぎこちない感じだったが、今ではすっかり関係を修復している。
「……ういっす、戻ったぜ」
空いているテーブルにゆっくりと腰掛ける。
その際の仕草は、口調に反して丁寧だ。
「フランソワーズは3年間の禁固刑だとよ。精一杯の情状酌量で、それだ。マルギレオは来年には戻るってのにな」
そう、か。
「あまり役に立てなくてごめん」
「ンな事ぁねーよ。充分だろ――あっ、そうだ、チェルト」
グレンは、ふと思い立ったように、チェルトを見た。
わざわざ背を曲げて視線を落とし、チェルトの高さに合わせている。
「んー?」
「ルクレシウスには伝えたか?」
「んー……いそがしそうだし、やっぱりやめようかなって」
チェルトには色々と助けられたし、なるべく力になってあげたい。
スプーンでスープをゆっくりとかき混ぜながら、視線を泳がせる。
「遠慮なくどうぞ。まずはお話だけでも聞かせて下さい」
「ほら、ルクレシウスも、こう言ってるぜ」
「えっとね、えっとね……付与術をね、教えてほしいの。ママをたすけたいんだ」
真剣な眼差しに嘘は感じられない。
……かつて俺が母さんを助けたくてスキルを獲得したことと重なった。