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第54話:先生の休日・アレットの欲しいもの編

 これも、ずっと書きたかったシーンでした。


 アレットを通りに待たせて並んでいる間、周りの女性達は俺に奇異の視線を向けていた。

 ざわめきが聞こえてくる。


 確かに俺は、明らかな異物だ。

 けれど、ここで引いたらアレットは、欲しいものを手にできないじゃないか。


「――!」


 俺は、遠くのアレットにサムズアップを見せる。

 アレットもまた、俺にサムズアップを返してくれた。

 心なしか緊張した面持ちだ。



 ……よし、俺の番が来たぞ!

 売り子さんは真っ黒なローブに身を包んだ女性で、顔にはスマイルマークのお面を付けていた。


「一冊、拝見してもよろしいですか?」


「ど、どうぞ……!」


 その声音は警戒からか、震えている。

 迷惑をかけたなら申し訳ないが……これを買わねばならない理由があるんだ。


「ありがとうございます。では……」


 それは大きめの紙に刷られた薄い装丁の本だった。

 見たことのない形をしている……いや、劇場で見かけたパンフレットに近いのかな?


 巻物スクロールの印刷を応用したのかな。興味深い。

 タイトルの『いつかその海原に架かる橋』と、背を向けた二人の男の絵は……何とも意味深だ。

 ふと視線を戻すと、ローブの女性は(お面で表情こそ見えないものの)両手をわたわたと動かしていた。


「あ、あのぅ……えっと、焚書をしにいらしたのでは、あ、ありませんよね……!?」


「いや、まさか! むしろ、芸術を手前勝手な基準でその形を損ねさせるのは、重大な背信行為に他なりません」


 なんて大見得を切ったからには、ちゃんと中身も見ないと。

 ふむ……ふむ……絵本形式か。




 黒髪と赤毛、身分の違う二人の男は幼馴染で、遊んでいくうちに絆を深めていった。

 赤毛の男が家を継ぐため、違う領地へと離れてしまった。


 やがて黒髪の男は兵役について、領土と領土の戦いになった。

 黒髪の男は勇敢で、隣の領地に攻め入った。


 屋敷で待ち受けていた赤毛の男との戦い……離れ離れになっていた二人は、自分達の抱いていたあの感情が恋心だったことに気付く。


 赤毛の男は戦いのさなかに事切れる。

 窓を突き破った無数の矢が、彼を射抜いたのだ。


 悲恋だった。

 せっかく巡り会えたのに、ようやく解り合えたと思った矢先に、誰のとも判らぬ矢によって殺められる。



 ……思わず少し涙ぐんでしまった。


「んほぁ!? 涙しておられる!? あああああのぅ、お、お口に合いませんでしたか!?」


「いえ……少し没頭しすぎてしまって……」


「そそそそそそんな畏れ多い!」



 ふむ。しかし男性同士の恋愛……か。

 図書館では皆無といっていいほど見かけなかった。


 官能小説や官能劇で女性同士が描かれることはたびたび見かけるにもかかわらず、だ。

(これは現実の女性が市民権を得ているというよりも、そのシチュエーションそのもので官能を得ようという目的によるものだろう)


 現時点においてもなお、俺の知る範囲において本というものは、書くのも読むのも“男たちのため”または“男たちの望み通りの(・・・・・・・・・)女たちのため”だ。


 今こうして売っている彼女達は、その内容もそうだが、さぞかし肩身の狭い思いをしてきたことだろう。

 のびのびと売っているなら焚書なんて言葉が出てくるわけがない。


 近い将来、そんな悲しい抑圧が取り払われるよう、俺の買い物がその一石を投じられたなら。


 だって、素敵な関係性を描いたそれらに、性別による優劣をつけるなど、愚かしい後退に他ならないのだから。

 俺は買うよ。今この瞬間も、そしてきっとこれからも。


「……他のも合わせて、おいくらですか?」




 なるほど。

 この界隈の用語で“新刊”と“既刊”というらしいけど、セットで買うとお得になるのか!


「あ、あぁ、ありがとうございました! あの、あのっ、レポート本にあなたのこと書いてもいいですか!?」


 レポート本……という文化はよくわからないが、断る必要は特に無さそうだ。

 ここは緊張をほぐすために、笑顔で応対しよう。


「僕なんかで良ければ」


 と返答しただけなのに、何故か拝まれた。


「ンはぁ~~~神対応~~~……!! 推せるッ!! あなたのことは忘れません! 絶対に、絶対に!! またのお越しをお待ちしておりますー!!」



 んな大袈裟な……とは思ったが、とにかくこれでアレットの欲しいものを買い逃がさずに済んだ。


「先生……ありがとうございます。まさかBL本を買っていただける日が来るとは思いませんでした。改めて、先生の懐の深さを思い知った気がします」


「懐はどうだかわかりませんが……素敵な本が二度と手に入らないのは悲しいと思いましたので」


「先生みたいにそう言ってくれる人なんて、めったにいないですよ」


「ところで、その……びー、える……というのは何かの略称でしょうか?」


 大仰な褒め言葉よりも、そこが気になった。

 アレットは目を見開いて飛び上がる。


「――はいいぃ!? 嘘でしょ!? そこから!?」


「すみません。まったくの門外漢でして……」


「てっきりご存知のものかと……えっとですね――男同士の恋愛を描いたもの全般であり、昔から女子の1割から2割くらいが嗜んでいると言われる、芸術のジャンルです。ちなみにそれを嗜む女性を、自虐を込めて“腐女子”と呼んでいます」


「なるほど……お恥ずかしながらまったく知りませんでした」


 教員時代には欠片も耳にしなかったことから、みんなよっぽど上手く隠れていたんだろう。

 ……あの学院の環境じゃあ、隠し通さないと何が起こるかわかったものじゃないし

 エミール・フランジェリクの私物の抱き枕が見せしめとして燃やされたのを、俺は忘れない。



「差し支えなければ、もっと教えてもらってもいいですか? その楽しさや、思い出、体験談が聞きたいです」


 と俺が問えば、


「――……体験談、ですよね」


 アレットは壁に寄りかかって、自分自身の両肩を掴むように、花束を抱える。

 なんだか、ただならぬ雰囲気だった。

 まずいな……少し時期尚早だったか……?


「……ごめんなさい。まずいことを訊いてしまいましたか?」


「いえ、そんな事ないです。いつか伝えたいと思っていました……でも、その……あまり面白い話ができないだろうなって」


 ふと視線をやれば、アレットの足は震えていた。

 何かを言いたくても言い出せない、そんな時に勇気を与えられるものは無いだろうか。

 できれば、お酒ではなくて、精神作用系の付与術エンチャントでもなくて……――

 ああ、そうだ。


「手を、握ったら、勇気を与えられますか?」


 と、問いかけると。

 アレットは花束で顔を隠しながら、上目遣いに囁いた。


「――っ、お願いしても、いいですか? 初めて他人に話すから、その緊張しちゃって……」


 実際その告白は、多大に勇気を要することだろう。

 腐女子と呼ばれるカテゴリーに属しているという事実は、きっと彼女ら当人にとってそう簡単に口外できなかった筈だ。


 俺は包み込むように、ゆっくりと両手を握った。

 アレットは足だけじゃなくて両手も震えていた。

 彼女のトラウマの根深さが伺える。


「大丈夫です。どんな話でも、僕はアレットさんを馬鹿にしません。嘘の音は聞こえますか?」


「聞こえ、ないです」


 呼吸が浅いな……かなり抵抗感があるようだ。


「少し、喉が渇きましたね」


 アレットが無言で頷いたのを見て、俺はベンチに座るよう促した。

 水を飲むだけでも、かなり変わる筈だ。



 アレットは水筒に口をつけながら、神妙な面持ちで見上げてくる。

 不安なことがいっぱいあるのかな。

 大丈夫。いくらでも待つよ。



 そんなに長くないうちに、アレットは口を開いた。


「――心の準備、できました」


 声は震えていたけれど、両目はまっすぐ俺を見据えていた。



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