第52話:先生の休日・冒険者ギルド編
パロディとはいえ、ずっとやりたかったシーンのひとつが、ようやく書ける。
私としては、実に喜ばしいことだったのです。
フィッツモンドの内陸側にある、オストラクル家の城。
客室として充てがわれた部屋で、俺は報告書に目を通していた。
(第一婦人達の身の安全を約束した際に、貸し出してくれた部屋だ)
セントイゴール号への海賊襲撃事件から数週間。
世間の興味は夏の暑さと共に、その存外に短い日々ですっかり引っ込んでしまった。
大衆が望むような処分が下されなかったというのが、おそらく大きな原因のひとつだろう。
丸く収まった、とでも言うべきだろうか。
反オストラクル派の貴族達について尻尾を掴んだため、国防騎士団は海賊団との癒着についての追求を決定。
オストラクル家もろとも何らかの制裁措置を加えるということだった。
「――っ」
報告書を読み終えた俺は、ベッドに倒れ込んだ。
この数週間の激動が、ようやく片付いたという実感は、まだ少し薄い。
重要参考人として証言や証拠提出。
暴れていない善良な乗客へのカウンセリング。
第一婦人と第一子チェルトおよび第二子クロムゼルサの保護。
フランソワーズへの情状酌量のための根回し、など。
とてもじゃないが、俺ひとりじゃあ回り切れたものじゃない。
当事者であるグレンも事情聴取でほとんど出ずっぱりだから、手を借りる訳にはいかなかった。
そこで、シャノン・フランジェリクの協力を仰いだ。
各方面の婦人会というところに顔が利くらしく、女性の頼みに下心抜きで付き合ってくれる人達が俺に手を貸してくれた。
ろくに眠れないほどに目まぐるしい日々から解放された。
それで緊張の糸がプツンと途切れて、身体中から力が抜けた。
しばらくはベッドから動けそうにない。
昼、いや、夕方まで二度寝しようかな……。
アレット、ウスティナ、ピーチプレート卿には、俺がここで奔走している間に資金を稼いで貰っていた。
今度、ねぎらいも込めて何かご馳走をこしらえないといけないな……。
* * *
「きれーな寝顔だなぁ……」
アレットの声に、目が覚める。
窓から差し込む光の角度を見るに、どうやら昼下がりまで寝ていたらしい。
寝室への侵入を許すのは我ながら不用心だとは思うが、万一の敵襲があっても反射付与を事前に掛けてあるから問題は無いだろう。
「ん……アレットさん、おかえりなさい」
俺が身を起こすと、ベッドに腰掛けていたらしいアレットが飛び退いた。
「うぁ!? ごごごごめんなさい、起こすつもりは無かったんです! よ、良かったら、もうしばらく寝てて大丈夫ですよ!」
「いえ、大丈夫です。丁度お腹が空いたので、市場で買い食いでもしようかなと」
「! 行きましょう」
アレット……そんな唐突に手を掴まなくても、予定をひっくり返してやっぱやめたとかしないから大丈夫だよ……。
そっとしておいたら、アレットは俺の手を見つめながら赤面し始めた。
「えっと、先生、あの、いや、これは違くてですね……」
なんとも忙しいなぁ、アレットは。
でも、久しぶりにじっくり見ることができて、その嬉しさを否定できない自分がいた。
――……いや、何を考えているんだ俺は。
相手は15歳。本来なら同年代の友人と仲良くしていたほうが望ましい筈だというのに。
それとも、俺は親代わりにでもなっているつもりなのか?
「……先生?」
「大丈夫です。行きましょうか」
「はいっ♪ あぁ、そうでした。討伐報酬の査定が終わった頃だと思うので、先に冒険者ギルドへ寄ってっていいですか? ちなみに今日一日、個別に行動したらどうだって、ウスティナさんも言ってました」
「もちろん、いいですよ。ご厚意に甘えます」
もうすぐ秋になるというのに、薄着の人が結構な数に登るのは、日当たりの良い地形と比較的温暖な気候によるものだろうか。
(それを言ったらウスティナのビキニアーマーは薄着どころじゃないけど)
ここフィツモンドの冒険者ギルドは、港町なだけあって結構繁盛している。
「すみませーん、報酬受け取りに来ました、アレットですけども」
「おお! さっきのべっぴんなお嬢ちゃんかのう! 後ろにおわすのは旦那さんかの?」
爺さん、その発言内容は若干セクハラ気味だけど大丈夫かな。
……いや、多くは語るまい。爺さんだもんな。
「いやですぅ旦那さんなんてえへへ~お上手なんですから!」
デレデレしないでもらえないだろうか。
……まぁいいや、自己紹介しよう。
「訳あって依頼に同行できませんでしたが、僕がパーティリーダーのルクレシウス・バロウズです」
「ルクレシウスじゃと……!? 聞いたぞ、おぬし! 海賊達やクラーケンまで倒したそうじゃないか!」
――バシィッ
背中を強く叩かれて咽せる。
「痛ッ!?」
「ちなみにフィッツモンドの冒険者ギルドを率いる名物ギルド長――ダムソンとはワシのことじゃ!! ぶいっ!!」
ぶいっじゃないよ。
「ところで小僧よ、クラーケンに捕らえられたオナゴはしっかり鑑賞したか?」
「危険な状況を放置して眺める趣味はありません」
「おぬしは真面目じゃのう! ほっほっほ!」
真面目じゃなくてそれが普通だっつーの!
叩くなってば!
「しかしおぬしも罪な男じゃ……ダークエルフに銀髪メガネっ娘、巡礼者のロリっ娘まで連れておったとは!」
「あの、銀髪の人は正確にはパーティメンバーではなくてですね」
……駄目だ、聞いちゃいない。
しかもさり気なく、近くを通った受付嬢の尻を触りやがった。
「ま、かくいうワシも若かりし頃は、おぬしの倍くらいの規模のハーレムパーティじゃったな! 今じゃすっかり口うるさいババアばかりになってしもうたがの!」
「でしたらダムソン氏。彼女達には感謝しないといけませんよ。いつまでもやんちゃ坊主気取りの“手のかかるジジイ”を見放さないでくれているのですから」
「ふほほ! 生意気な小僧じゃわい! ますます気に入ったぞ、ルクレシウスよ! 式を挙げる時は声を掛けてくれい!」
またしても背中を叩かれる。
ナメやがって、このカビ臭ぇクソジジイが。誰がテメェの世話ンなるかよ。
俺の新作の付与術を喰らいやがれってんだ。
――“腰痛付与”
「ほほ……ほッ、うッ、ぐぐ……こ、腰が……」
真っ青になって、迷物ギルド長は倒れた。
「男性スタッフさん、ちょっと運んであげてください」
「わ、ワシは、レディに運んでほしい、か、にゃあ……」
「レディの腰を痛めさせるおつもりですか? かつてハーレムを築いた紳士ならば、そんな非道は働きますまい」
「……アッハイ」
にっこり。
ざまあみろ。
ちょっとしたアクシデントはあったが、とりあえず報酬受け取りも済ませたし……
「何か食べましょう」
「そしたら先生、あれ見てください! カルツォーネですよ、カルツォーネ!」
「トマトとチーズの香りが食欲をそそりますね。あれを買って、どこか公園のベンチで食べますか」
「そうしましょう!」
チーズとトマトと玉ねぎとオリーブ、きのこ……それに厚切りのベーコン、胡椒とパセリか。
うわっ、なんだこれ……思った以上に贅を尽くした軽食だな、これ。
味わって食べよう……結構、好きな味だ。
「美味しいですね、先生っ」
「もっと買えばよかったです。或いは、携帯カマドがあればいつでも冒険中に作れたかも」
「あはは、先生、珍しく気に入っちゃったんじゃないですか? 初めて聞きましたよ、そこまでのコメント」
「アレットさんの嗅覚がいけないんです。こんな美味しいものを買うことになるとは」
「またまた~」
変顔で腕をつつくんじゃない。
どういう照れ隠しだ、それは。
「先生は、結婚についてどう思いますか?」
「結婚、ですか……」
また唐突だな。
「もっと自由が欲しいとは思います。女性を“所有する”という意識しかない輩のところに嫁げば、どうなってしまうかはご存知の通りです」
「はい」
「欲を言えば、同性婚と夫婦別姓を推し進め、結婚に対するハードルをもっと下げて欲しいですけど……僕にはそんな力が無い。悔しいです」
「……先生って、すごく真面目ですよね」
「面白みがなくて申し訳ない」
「いえ、そ、そうじゃなくてですね! だからこそ一緒にいて安心するっていうか……」
それはどうも。
顔を赤らめたまま、アレットは黙り込んでしまった。
俺は俺で「たまにはアレットさんの話も聞かせてもらえませんか」なんて言えたら良かったのに、臆病風に吹かれて言えなかった。
代わりに俺は、別の提案をすることにした。
「町で、買い物してもいいですか?」
「! はい、喜んで!」
そうだ、それでいい。今は、まだ踏み込まなくていい。
これだけ注意深くサインを探っていても見当たらないなら、今はまだ“その時”じゃない。