幕間:我が魂は地の底に在りて・後編
前回に続いてフランソワーズ視点です。
グレンはオストラクル家への嫁入りに際して、数年間の教育が施された。
赤毛は桃色へと脱色され、低身長で胸と尻それからウエストのメリハリがあり、可憐な姿に育つよう、加工された。
加工されたのは身体だけでなく、心も。意志の強い眼差しは虚ろに薄められた。
かつて反骨精神と共に立ち向かっていたグレンは、こうしてカビ臭い因習に圧殺されてしまった。
その死骸を捏ね繰り回して“都合のいい女”として作り変えられたのが、メルグレーネ・オストラクルだ。
あんなの、グレンじゃない!!
……嘘、ごめんなさい、許して……グレンは、グレンだものね……大丈夫、大丈夫……どんな姿になったって、わずかに残った面影から、あなたの残滓を探してみせるからね。
ああ、それと……。
このオストラクル家に入るにあたって、グレンに合わせて私も加工された。
私の顔を弄くり回した錬金術師は「ブサイク女はオストラクル家のメイドに相応しくない」と言っていた。
逆に言えば、顔以外は及第点だというわけだ。
施術が終わるまでそれなりの日数を要したけど、その甲斐はあった。
誰もが振り向く美女ではないけど、オストラクル家第一夫人メルグレーネの後ろに立つのに相応しい顔にはなった。
控えめながらも、醜くはない。もう誰にもブスとは言わせない……。
良かった。もう、泣き顔を殴られることもなくなるのだ。
華やかな式場で食事を配りながら、私は見せかけの涙を流した。
――『ついに報われたのですね、これからは幸せになりますね』
などと、白々しい祝いの言葉などを吐き出したが、内心は煮えくり返りそうだった。
原型を留めないほど加工してでも、奴らは魔術の素養を持つ“血”と、従順な“女”と、それを従える“箔”が欲しいのか。
傾いた家を立て直すために、時代錯誤な価値観で個人の心を殺してしまうというのか。
……まあ、そこまでなら許そう。
グレンの子供なら、きっとグレンによく似た素敵な子に育ってくれるだろうから。
――けれど、子宝に恵まれる事は無かった。
殴られて謝り続けるグレンを、私は庇うことすら許されなかった。
このオストラクル家の長はマルギレオ。あの男に背けば、いよいよどこにも居場所は無い。
……ところが。
跡継ぎ問題を解決すべく新たにオストラクル家にやってきた第二夫人も、はじめのうちは子を孕む気配を見せなかった。
すぐに察した。
マルギレオのクソ野郎は、種無しであると。
何せ、私にまで手を出して、何も無いのだから。
……私に手渡された金と、翌日の何食わぬ顔。
あれほど「私では醜い子しか産めません」と忠告したのに、それでもこの男は止まりはしなかった。
何度も、数えきれないほど、夜をあいつと過ごした。
そういう夜は、決まって、あいつがグレンにケチを付けた後だった。
……まあ、お陰様で、検証するサンプルが増えたのは喜ばしい事だったのかもしれない。
私は、第二夫人に入れ知恵をしてやった。
――『他の男の子種を受け入れてしまえば良いのです。大丈夫……私のほうから、口利きしておきましょう。帰ってきたら、旦那様のお相手をしてあげれば、問題はありません。この方なんて如何ですか?』
――『あら。良さそうね』
そうら落ちろ。堕ちろ。墜ちろ。
どうせ閉塞した、未来のない世界だ。全てを道連れにしてやる。
私は許すのをやめてやる。
グレンから力を奪った何もかもを。
そして、目論見は成功。第二夫人はまんまと子を孕み、彼女自身の、心の拠り所も手に入れた。
……けれど、今度は子を成せぬグレンが迫害を受けた。
こんな状況を望んではいなかった。こんな筈じゃない!!
私のグレンを傷つけるやつは絶対に許さない。
もっとだ……もっと痛みを与えなくては……! 思い知らせてやらねば!
あちこちに交渉して回った。
身分を隠して密会し、交渉材料として船――“セントイゴール号”の設計図の写しを財布に忍ばせて持っていった。
何分、誰もメイドの財布なんて興味を示さなかったものだから、これがまた上手く行った。
他の(ただでさえ数が少ない)使用人共は皆、やりがいなどといった曖昧な概念と引き換えに安い金で使い倒されることに辟易していた。
有り体に言えば、私に気を配るだけの余裕が無かった。
不満を溜め込んだ民衆が君主に対して何をするか?
……それはもちろん、革命だ。たっぷり吹き込んで、半分以上は仲間にしてやった。
もちろん言葉は濁して「いつか、こんな澱んだ環境を何とかしよう」などと。
反旗を翻すとは言わず、自助努力で解決するという言い草で。
オストラクル家の男は、そういう言い回しが大好きだからね……。
それに私はマルギレオをあの手この手で懐柔したし、表向きは人格者で臆病に見えた私を、誰も疑わなかった。
……オストラクル家の失墜を狙う貴族は多い。
正確には、それをダシにオストラクル家を屈服させる事が目的だ。
落ち目とはいえ保有する領地は広く、隣接する戦後空白地帯も開拓していけば、資源の回収もしやすい。
……これほどの、金のなる木……オストラクル家に持たせておくには、宝の持ち腐れというものだ。
適切な分配が必要じゃないか。あんなケチな斜陽貴族なんぞが後生大事に抱え込むのはあまりに勿体ない……!
おやおや? もし万が一、計画が成功したらみんなが得をするじゃないか!
計画は入念に練られた。海賊はあくまでも、デモンストレーションの一環として投入され、乗客の命までは奪わない。
……オストラクル家の人達を除いては、ね。
グレン。あなたはもちろん例外だ。
私を暗闇から救い出してくれる人。
あなたは怪物の腹の中に飲み込まれているだけだ。私が、引きずり出して、助けなくては。
さあ、怪物オストラクル家よ。
私が一滴の毒になってやる。悶え苦しみ、泡を吹いて死ぬがいい。
チェルトにも容赦はするまい。この小娘は、グレンが宝箱にしまっておいた“静寂の騎士”を奪った。
(宝箱を壊した庭師には、しっかりと責任をとってもらった)
あの本は、私とグレンの絆だった! それを、この小憎らしい小娘は、勝手に……本が、穢れるじゃないか!
私は、利用されるだけの捨て駒でもいい。ただグレンを救えるなら、私はどうなったっていい。
怒りも悲しみも許されずに壊れて、護身用のはずである短剣で自らの腕を切り刻む人事不省の白痴に成り果てたグレンの、その復讐を代行できるなら。
私は……捨て駒でも、スケープゴートでも構わない。
……その一方で、足が震えている。
私が死んだら、地獄で、どんな罰が待ち受けているのだろう?
それとも、今まさに私は地獄にいるのだろうか。
後者、だろうね……。
ルクレシウス・バロウズ。
お前が、またしても……余計な真似をしようというのだから。
戻ってくるなんて、夢にも思っていなかったよ。
まぁ、いい。
お前達がチェルトにも目をかけているのは、私もよく知っているからね。
だから、利用させてもらった。
簡単だったよ。自警団っていうのはね、ゴロツキを縄でくくる技量においてはとにかく鍛えられる。
たかだか6歳そこらの小娘なんて、ちょっとひねってしまえば数秒で片付く。
あとは、抱えて持っていくだけ。
もはや手勢は壊滅状態で、オストラクル家の殲滅にも失敗した。
けれど、けれどね。もういいんだ。
だって損害は充分与えたし、奴もあれだけ悲惨な目にあって立ち直れるはずがない。
あれだけ杜撰なことをして周囲の信頼が残っているはずがないんだ。
本土に戻れば否応なく、商人達の告発で、議会で吊し上げを食らって財産の半分以上は賠償金で消える。
だから、もはや私が直接どうこうすべきなのは、お前だけだ。
……決着をつけようじゃないか。