幕間:我が魂は地の底に在りて・前編
今回はメイドのフランソワーズ視点です。
その昔、私――フランソワーズは、小さな町の自警団にいた。
顔も良くない、気が利かない、力仕事はできるけど家に畑は無い……そんな私が家に貢献できる方法は、自警団くらいのものだった。
しかしながら、やはり要領の悪い私では、自警団の中でも数合わせ以上にはなれなかった。
……せめて顔が良ければ、受付嬢なんかをやらせて貰えたかもしれないかなと思うと、酸の壺に顔を突っ込みたい気持ちでいっぱいになった。
町の自警団では唯一の女性とあれば当然、色々と期待される。
主に、自警団には不要な部分を。それがことごとく外れるとなれば、落胆もするだろう。
閑職に追いやられてから、月日を経て……ある日。
どこからかやってきた赤毛の少年が、興味深げに話しかけてきてくれた。
少年は、将来は騎士になりたいと、拙い言葉ながらも熱っぽく語り、そして私に教えを請うた。
小脇に抱えた古めかしい本は、どうやら少年が養子になる前に実母が読み聞かせていたものだという。
私も窓際なのをいいことに、読み聞かせてみた。
どうせ片田舎の小さな町には、自警団の仕事なんてそんなに無いのだから。
訓練だって、他の人と一緒にやらせて貰えないから、ひとり隅っこでやっていた。
だからなのか、この少年と一緒にやっても、何も咎められなかった。
――『お名前を教えていただいても?』
――『オレはグレン……グレン・ダシークっていうんだ。あんたは?』
――『私はフランソワーズといいます。気取りすぎた名前のせいで、よく馬鹿にされますけど……』
――『教えてくれてありがとう。フラン。オレ、絶対に剣技をマスターして、フランの隣で戦いたい。オレ、きっといい相棒になれるぜ』
その日を境に、青空と春の景色が広がったように思えた。
それまで私の世界は、どんより曇った灰の中だった。
こんな私でも認められていいのだと、この頃の私は無邪気にも信じていた。
恋? それとも、憧憬? 安堵?
風に揺られて舞うだけだった宙ぶらりんな私に、グレンは止まり木になってくれた。
何一つ取り柄のない私に、生きる意味を与えてくれた。
私が私でいられる事を、誰よりも肯定してくれた。
私の、この、団員から見向きもされない顔ですら「素敵だ」と褒めてくれた。
ほとんど全く嘘をつかない、というより嘘をつけない性格は、安心感があった。
嘘といえば……せいぜい、女の子であることを隠していたくらいのものだ。
――『股から血が出てくるんだ』
ある日そう言って、グレンは困惑を露わにしていた。
月のものが来たのだということは、少し見ればすぐに解った。
グレンが女だったことを、そこで初めて知った。
――『この件は誰もご存知ありませんか?』
――『ああ。たぶん家族も知らない。ここに来る途中で、急に腹が痛くなってよ。そしたら、こんなになった』
少し驚きはしたが、不思議と怒りは湧いてこなかった。
漠然と、そんなこともあるだろうという妙な達観だけが胸中にはあった。
――『こちらへ。綿瓜の使い方を教えます』
私物を詰め込んだロッカーのある部屋へ連れていき、中から綿瓜を取り出す。
この綿瓜にしたって、周りの自警団からは「自慰行為にでも使うのか?」などと揶揄されていた代物だ。
私はその都度、屈辱に耐えながら「月のもので流れ出た血をこれでせき止めるのです」と説明せねばならなかった。
さて、使い方を教えながら色々と話を聞くに、グレンは、ご家族からあまり顧みられていない様子だった。
それ故に学の無い状況を強いられていたのだろう。
私は、独学とはいえ無教養ではない。少しでも伝えるくらいはできた。
たとえば簡単な読み書きを、一緒に“静寂の騎士”を読みながら教えるなど。
それから数ヶ月を経た、ある日の事だった。
グレンとの出会いを一度目とするなら、二度目の転機が訪れたといえるだろうか?
私が巡回していた地区に暴漢が現れた。
私は、被害者の市民をかばった時に、足の腱を鈍器で思い切り打ち据えられた。
三日三晩ずっと激痛に苛まれた末に、とうとう復帰は叶わず。
足が思うように動かず、剣を振るうにもふらついてしまった。自警団の仕事はもうできなかった。
……今度こそ、死のうかな。
なんて、一瞬でも思ってしまった。幸い、家族は既にみんな土の下だ。
私が消えたところで、誰も悲しまない。いや、最初から誰も悲しまなかっただろう。
家族にとっても、どこにも嫁に出せなさそうなブサイク女など、せいぜい数合わせ程度にしかならなかっただろうから。
一応、人としての挟持で私を養ってくれたに過ぎない事は、これまでの人生で何度も味わってきた。
もう終わりにしよう。グレンも、いよいよ役立たずと化した私など不要だろうから。
一切の家財を売り払い、それで作ったなけなしの金で痛飲した。
口の周りを吐瀉物まみれにしながら地面に横たわり、このまま死ぬのかなと思った。
……けれど。グレンが頭から離れなかった。
もしかしたら。もしかしたら……こんな私を、まだ見捨てずにいてくれるのかな。
そんな僅かな期待を抱いて、以前一度だけ足を運んだことのある、ダシーク家の屋敷……その勝手口の門前にもたれかかった。
――『フラン? 怪我、したのか……?』
その気遣わしげな声は、グレンのものだった。
買い物をした帰りだったようで、小麦粉を詰めた麻袋を、少し重たそうに抱えていた。
――『職を失うほどの怪我をしました……せめて、死ぬ前にあなたの顔だけはひと目、見ておきたいと思って』
普段、私は弱音を吐かないように努めてきた。だって少しでも弱音を吐けば“甘えるな”だとか“愚痴をこぼすな”とか“他の人だって同じ環境で頑張っている”と叱られ、ただでさえ不細工な顔が更に腫れ上がるほど殴られる。
けれど、グレンは怒らなかった。
――『……オレ、ちょっと親父に頼み込んでくる。絶対、死なせないから、そこから動かないでいてくれよ』
それがきっかけで私は、ダシーク家のメイドになった。
賃金は以前の半分にも満たないけれど、食費が浮くならそれでいい。
どうせ市政の女どもみたいなお洒落にだって興味がないから、給仕服だけで事足りる。
グレンが、私の教えた剣術で、いじめられっ子を助けた。
野生の猛獣を追い払う、自警団も顔負けの活躍をした。
私の教えた読み書きを、今度はグレンが子供たちに教えた。
そんな満ち足りた日々は、少しずつ剥がれ落ちていった。
ルクレシウスなる少年の介入によって、グレンは魔術の才能が開花した。
あの時、戦えなくなっていた私を助けてくれたことに恩義はあるし、何かと激しやすいグレンを諌めるのは心苦しかったから、あれは便利な歯止め役だと言えただろう。
だが、なんてことをしてくれたんだ。
魔術が使えると判って、グレンはオストラクル家に嫁ぐことになってしまった。
ルクレシウス。
きみを見送った時、私はきみを呪い殺したくて仕方がなかったんだ。
……魔術の才能さえ開花しなければ。
グレンは、私だけの相棒でいてくれたかもしれなかったのに。