幕間:疵痕は黙して語らず・前編
グレンことメルグレーネ視点です。
オレは、ダシーク家の正当な生まれじゃない。
当主のフォルメオ・ダシークが、女中と不倫してデキちまった不義の子。
……それがオレ、メルグレーネ・ダシークだ。
当時そのフォルメオの不倫にキレた本来の嫁アストレーヌは、メイドを全員解雇した。
だから、オレが生まれた時にはもう、オレの本当の母親は家にいなかった。
婚前交渉は輪星教じゃあ御法度だった。
かといって捨て子を出すのも外聞が悪い。
それでオレは、ダシーク家の子として正式に数えられるようになった。
……といっても、オレは味噌っかすの末っ子で、しかも上の兄弟どもと違ってたった一人の女だ。
これが、家が家なら紅一点だの何だのと可愛がられたのかもしれないけどよ。
あいにく、そんな愛嬌はこの家には無い。
傾きかけた魔術師の家が、外聞を保つ為に不義の子を腫れ物みたいに育てる。
物心つく頃にゃあ、辺りからの視線が冷たいと嫌でも気付くもんさ。
だからオレは、ちょくちょく家を抜け出して遊びに行った。
名前を“グレン”と偽りながら。
誰も何も言ってこなかったから、むしろ好都合だった。
“自由な男・グレン”のお気に入りの場所は、自警団の訓練場だ。
どうにも、同じ世代の女が「これがいい」と言うようなものを、オレは好きになれなかった。
人形遊びも、ママゴトも、花や木の実を集めに行くのも。
それよりオレは棒きれ振り回してケンカするほうが、ずっと楽しいと思えた。
おふくろが残していった本のほうが、ずっと意味のあるものだと信じてた。オレには学がなかったから読めなかったが。
そんなオレの相手をしてくれたのが、フランだった。
自警団の中では底辺扱いされているフランは暇な部署に押し付けられていたからか、ガキのオレが訓練したいと申し出ても、嫌な顔せず応対してくれた。
本――“静寂の騎士”だって、オレの為に読んでくれた。
フランは他の自警団から“太っちょ”だの“ノロマ”だのとよくコケにされていたが、アイツの本質はそんなんじゃない。
真面目で、思いやりがあって、ガッツもある。
フランは実際、信頼できる奴だった。
口は堅いし、いつだってオレの話をちゃんと聞いてくれた。
だがフランは仕事中の事故で足の腱をヤッちまって、戦えなくなった。
剣を振り回すにもへっぴり腰になっちまうようじゃ、自警団じゃやっていけない。
クビになったフランは、オレの家を訪ねた。
親父は、大した給金は出せないと渋ったが、小麦粉のたっぷり詰まった麻袋を事もなげに持ち上げる姿を見て、格安で雇った。
フランはお人好しだから、よくナメられた。
オレはそのフランの冷徹になれない性格に付け入るクソ野郎共が、許せなかった。
スカートをめくってくる奴も「ブス!」と詰ってくる奴も、一人残らずブチのめしてきた。
互いに鼻血が出ようと爪が剥がれようと、知ったことじゃない。
そんなある日、ルクレシウスと出会った。
フランに絡んだクソ野郎をボコボコにのしてやろうと思った矢先に、クソ野郎の仲間がフランを人質に取った時の事だった。
オレは、男はみんな同じような奴だと思っていたから、コイツがそうでない性格だった事を最初は信じられなかった。
ところが、周りのクソ野郎共を残さず片付けて、オレはようやく確信できた。
ルクレシウスもまた、筋金入りのお人好しなんだって事を。
オレとしても歳の近い友達っていうのは初めてだったから、嬉しくて舞い上がっていたんだと思う。
とにかく連れ回したし、なかなか現れない時なんかは呼びに行ったりもした。
ずっと続いてほしかった日々は、あっけなく終わった。
――あの日……ルクレシウスに別れを告げた時。
既にオレは、マルギレオ・ウィン・オストラクルの婚約者になっていた。
魔術の才能を見込まれて、魔力の素養を持つ血を欲しがったオストラクル家に、嫁に出された。
フィッツモンドの港町に来た理由がそれだと、オレはその段になってようやく知らされたワケだ。
……とにかくオレが“グレン”でいられたのは、その日が最後だったのさ。
それからは、オレはグレンじゃなく“メルグレーネ・ダシーク”に戻らなきゃならなかった。
花嫁修業をする女学校は最悪だった。一言で言うなら“クソを煮詰めた鍋”だ。
つま先を締め付けるヒールの靴を一日中ずっと履かされるし、もちろん言葉遣いだって直させられた。
親を恨んで、慣れない手紙で問いただしてみた。
だが返ってきた答えは“これもお前の為なんだ”なんてクソの役にも立たない言葉を、いい具合に飾り立てただけのものだった。
下らない派閥争いに巻き込まれて嫌がらせを受けたりもした。
すぐに下手人を見つけて、張り倒してやったが。
問題は、調教師共はそれを単なるオレ個人の暴力沙汰と決めつけやがって、お陰で毎日のように目をつけられてはグダグダと難癖をつけられた。
少しでも嫌な顔をすれば鏡を目の前に出されて、笑顔の練習もさせられた。
それで鏡を拳でブチ割った時は、折檻部屋で宙吊りにされたっけな……。
嫌がらせをしてきた連中は、他の奴らも標的にした。
オレはそのつど、殴り込んでは止めさせた。
いつしかオレは、人気者になった。
オレ個人としても、あの静寂の騎士みたいなヒーローになれたんだと思って、まんざらでもなかった。
そんなささやかな幸せすら、現実ってもんは容赦なく踏み潰しに来る。
近所の図書館が火事になって、その原因がオレの煙草だという。
オレは他人の煙草に火をつけることはあっても、オレ自身が吸うわけじゃない。
――『アホ抜かせ!! オレは吸わねぇぞ!!』
――『だが彼女達は見たと言っているぞ』
そう言って先公が開けた扉から出てきたのは、オレが今まで助けたと思っていた奴らだった。
……なんで?
……どうして?
愕然としたオレに、先公は言ってのけた。
――『本当のことを言うまで、お前には罰を受けてもらう。それから、もう魔術は使わせないぞ。なに、オストラクル家の方々は魔力を含んだ血が欲しいだけで、お前が魔術を使える必要は無い』
オレは折檻部屋に連れて行かれ、逆さになって吊るされた。
調教師気取りの先公は、焼きごてをそいつらに持たせて言う。
――『音を上げるまで、焼きごてを当て続けなさい。乱暴な女に愛など得られません。ここで再教育してあげなくては、彼女はずっと不幸なままです』
――『ごめんね、グレン。あなたが悪いのよ。女の本分を果たしていれば、あなただって……』
足の裏を焼かれながら後悔した。
オレは――……
……――私は、抗うべきではなかったのだ、と。
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