第41話:先生に、聞かせて貰えませんか?
リストカットする登場人物は、絶対に書きたいと思っていました。
護身用の武器を使ってロンググローブの内側がズタズタっていう、人間を人間たらしめる要素、私は好きですよ。ありのまま、素材の味って感じがして。
「ああ……見て、しまわれましたのですね……」
グレン、もといオストラクル夫人(慣れないな、この呼び方は……)は苦々しく言って、自身の足元にある護身用短剣を拾い上げた。
アレットは慌てて駆け寄った。
「ごめんなさい、でもやっぱり、その、身体を傷つけるのって――もががっ!」
そんなアレットの言葉を、俺は物理的に口を塞ぐことで遮った。
悪いけど俺は、このまま肯定するよ。
「僕は。僕は止めませんよ。世の中には“親から貰った身体”などと言う人もいますが、誰だって望んで生まれた覚えなど無い筈です――親が望んで産むことはあってもね」
「……」
面食らうかい、グレン。俺が止めるとでも思ったかよ。
身体の傷はいつでも治る。でも心は、変形したら二度と元に戻らない。
「自分の体をどう使おうと、あなた自身が決める事です……ただ、深く刺しすぎないようにだけ、気をつけて下さい。それと刃先はしっかり消毒していますね?」
「どうして止めないんですか!」
「自傷行為というのは、現状の苦痛に対する抗議でもあります。
痛めつけることで気持ちを落ち着かせ、いつか発見された時に“こんなに自分は傷ついている”と知らしめうる。様々な事情で、己の苦痛を口に出せない事が、ままあります。そういった人達の逃げ道を、第三者が塞ぐべきではないと、僕は思います」
「……先生が、そう言うなら」
ごめんね、アレット。
理解してくれとは言わないし、反論しづらい言い回しだったかもしれないけれど。
「もうっ。そんな悲しい顔しないでくださいよ。わたしだって、そのうち呑み込めると思いますし」
「……ありがとうございます」
さて。
では、どうしたら自傷行為に頼らずストレスを発散できるのか。
それについても、俺のような若輩者では明確な答えに辿り着けていないし、きっと答えを決めてはいけないものだろう。
せめて軽減することはできないか――という問については答えられる。
とにかく、相手に信頼されて、話を聞く。
頼る相手がいない、または極めて少ない場合は、自分の中で抱え込むしかなくなる。
ならば、その状況を改善するように動くのがいいのでは、というのが俺の持論だ。
「それに僕だって、思わず自傷行為に走りたくなる事は、いっぱいあります」
俺の発言に、アレットが渋い顔をする。
「あれストレスでやってたんですか……?」
アレットは渋面のまま、自身の腹を親指で掻き切る仕草をしてみせた。
彼女が言いたいのは、地下墓地で俺がスケルトンの大群を鎮める為にやった、あの切腹の事だろう。
「鎮魂の儀式は、また別口です。あの時は必要だったからそうしただけです」
「ホぉントですかぁ……?」
こら、アレット。変な顔で覗き込むな。
夢に出てくるだろ。
「僕の言う自傷行為というのは、たとえば杭を腕の骨に何本も打ち付けたりとか、そういう内容で……」
「ねぇ、怖くないですか!? 軽く引くレベルなんですけど!?」
アレット。そんなに揺らさないで欲しい。
よいしょっと……引き剥がす。
「今はそんな事ありませんが……まあ、その。ここだけの話ですよ。内緒ですからね」
ゴクリと、ふたりがそれぞれ違った表情で息を呑む。
アレットは目を見開いて。グレンは神妙な面持ちで。
「魔術学院に勤めていた頃、人数不足が深刻すぎて、熱を出しても代わりがいないなんて事態が結構ありました。なんでも“多少の不調であろうと物ともしない姿勢を生徒達に示すことで、規範となる”とか……」
「ありえないですよねー……70年前だったらまだ解りますけど、代わりにやって貰えば良くないですか普通!?」
「それがですね……駄目でした。打診して返ってきた言葉が“他人に頼らず完結した状態を保つ事こそが、一人の大人として最後まで責任を取る事”でした。ありがたいにも程がある」
「よく無事に生きてこられましたよねぇ……ちなみに親族の冠婚葬祭は?」
「両親不在の僕は判りませんが、周りは手紙だけで済ませる事が多かったですね」
「……むごすぎる」
ほら、こんなふうに話していいんだよ。グレン。
「少しでも不満を表明すれば、やれ軟弱だの何だのと。ゴーレムにやらせれば済む事すら、人間の手でやるというそれだけの事にこだわり続けて、無駄ばかりでした。いや、今となっては懐かしい思い出には……したくないかな。つい考えてしまう」
「この前だって、元同僚さんに絡まれましたもんね」
「はい。かなり迷惑な人でした。何だったのでしょうね?」
カレン・マデュリアが絡んできたお陰でピーチプレート卿に出会えたという見方もできるが……正直それがなくたって、ピーチプレート卿とは別の形で知り合えたと思う。
まあ、どっちにしたって学院は、いずれ事を構える相手だ。
因縁が生まれる分、何かしらの口実には使いやすいだろう。
「メルグレーネさんは、そういうのありませんか?」
「そう、ですね……――」
そこからグレンは堰を切ったように、現環境への愚痴をこぼし始めた。
新型の魔導船と銘打っておきながら従業員用の設備は30年も前の方式がそのまま使われたり(俺もその不便さには同意だった)、冷蔵庫が存在しないから鮮度を保つ為に手動で氷属性の魔術を使わなくてはならなかったり、推進力が人力(本質的にはオールで漕ぐのと変わらない!)なせいで体調不良者が出た時のカバーが大変で、寄港するたびに人材確保に奔走しなくてはならなかったり、メイド長もそういったスタッフの纏め役であるために愚痴をこぼす事が憚られたり……。
とにかくグレンの愚痴から、そりゃあ気が変になりもするよと思えるだけの情報が山程あった。
「大変でしたね……よく耐えきれたと思います」
「それでも私、そこまですごい体験をしたとは思えません」
追憶しているグレンは、不思議そうな表情だ。
「うんうん。それはどうしてですか?」
俺は相槌をうって、続きを促す。
グレンは少し考えて、口を開いた。
「耐えることは別に偉いことでもなんでもないという認識があるからかもしれません」
「差し支えなければ、そうなるに至った経緯を教えて貰っても?」
……その質問によって得られたグレンからの返答は、俺の想像を超えたものだった。
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