第38話:先生も実は機能不全家族の生まれでして……
はい。タイトルからお察し頂けます通り、エグい過去話がチラッとだけ出てきます。
それまでにも小出しにしてきたので大丈夫だとは思いますが、どうかご容赦頂けたらなと思います。
「――という事情があったんです!」
アレットは気を利かせて、俺とグレンを冒険者ギルドに残して、ウスティナとピーチプレート卿を呼びに行ってくれた。
ついでに事情も説明してくれたようだ。
……その間ずっと俺は黙したまま、テーブル席でグレンと相席していた。
何を話していいのか、どう言葉を掛けたらいいのか、俺にはもう、よく解らない。
「今度からなるべく早く報告に来てくれよ。いかに薄情な私とて、多少の心配はする」
既に普段のビキニアーマーに着替え終わっていたウスティナは、口元を苦笑で歪めた。
相変わらず目は鉄仮面で解らないけれど。
「しかし、弱りましたな。家庭環境の窮地ゆえ、それがしでは如何とも……」
とはピーチプレート卿の発言だ。
これには俺も半分は同意する。
「あの、本当に、良いのです。そもそもは私の至らなさが招いた事態ですから……それに夫は、普段はとても優しいお方なのです。
今回だって、私が娘を危険に晒したから、それで怒ったのですよ。だから、娘への愛情です」
なにせグレンはこんな状態だ。
確かに家庭問題というものは、無闇に首を突っ込むべきものではないのだろう。
今まで教師生活をしていた中でも、他の教師に散々言われてきた。
けれども、怖気付いてそのままにする選択肢は、無い。
だってあいつの放った言葉は『娘への愛情ゆえに妻に掛ける言葉』なんかじゃあり得ないからだ。
「グレン……僕達に出来る事があったら何でも、言って下さい」
くそ、我ながらいまいち他人行儀が抜けないな!
「……どうか、今はオストラクル夫人とお呼びになって下さいませ。私はもう、個人ではないのですから」
いったい何が君をそこまで加工しちまったのかは、解らないけれど……。
「僕は、そういう“嫁いだ女は家のモノ”なんて前時代的で閉塞した考え方は好きではありませんよ」
「けれど、浮気と思われたらいけませんから」
「……では、オストラクル夫人。どうか、介入する無礼をお許し下さい」
「そんな。あなたさまは他人ではありませんか……私の問題は、私で何とかしないといけないのよ」
自分が妻だから、自分の家の問題だから。
……何から何まで、よく似ている人を、俺は知っているよ。
「オストラクル夫人……僕はね。そう言って頑張り続けた結果、壊れてしまった人を知っています。
境遇こそ違えど、僕の母もまた、あなたと同じように抱え込んでいた」
「……」
もう、勿体ぶる理由も無いだろう。
話す理由が無くて話してこなかったけど、丁度いいタイミングかもしれない。
みんなにも、明かすとしよう……。
まず俺は「かつて母から聞かされた話ですが」と前置きした。
「――僕の父は商売人で、立ち寄った村の酒場の看板娘だった母に惚れたそうです。
初めは素っ気なく振っていた母でしたが、周囲の声により、引くに引けない状態になった。
また熱心な父のアプローチに自然とほだされて、プロポーズを受け入れた」
だが、それがそもそもの間違いだったと、よく母は愚痴をこぼしていたっけ。
「父は酒癖が非常に悪く、毎晩のように深酒をしては、母に暴力を振るっていました。
母が僕を身篭っていた時も。僕が生まれて間もない頃であっても。
母を連れ出している間は仲睦まじい夫婦のように振る舞っていましたが」
「まあ! そんな事が……」
「父が母を殴るのは決まって、僕のいない所でした。けれど、物心ついた頃、夜中にトイレに立った時、僕は、父が母を殴っている瞬間を目の当たりにしてしまった。
その時には既に付与術の才能が開花していたのか、僕は反射付与を母に掛けた」
「先生……」
「父は己の拳が跳ね返された時、咄嗟に僕の目を見ました。それから、暴力はしばらく止みました」
「……」
「やがて、頻繁に仕事仲間を家に呼んで宴会を開くようになり、そのたびに母は僕を背負いながら食事も配膳も、後片付けもしていたそうです。
父は“さすがは俺の息子だ!”などと自慢げに、仲間たちに言いふらしていました。
おかげで暴力は鳴りを潜めましたが……暴言のほうは相変わらずだった」
俺が幾ら「耳を貸すな」と言ったところで、所詮は子供。
母の破滅的な自己犠牲に対しては、無力だった。
「僕が10歳になる頃には、すっかり母は心を病んで、ことある毎に僕の首を掴んでは“お前はあの男に似てきた”と呪詛を浴びせてきた。しまいには熱したハサミを手に、僕の身体の一部を……――」
――思い出すだけで背中の脂汗が、だらり、だらりと湧き出てくる。
そうだ、母さんは、熱したハサミで俺の股の間のものを、切り落とそうとしたのだ。
「けれど僕は、すんでのところで、付与術でハサミを弾き飛ばした。結果、そのハサミは母の喉を掠めて傷付けた。母は声を失い、苦しみを言葉にできないまま、父に引きずられ、家から出て行った。何処に行ったかまでは、わからない」
周りは沈痛な面持ちで、俺の話を聞き続けている。
俺は俺で、さっきから手の震えが止まらない。
過去に向き合う事が、こんなに気持ち悪いものだったなんて。
「……手遅れになる時は必ずやってきます。僕はあの時、母を救えなかった。
あの時ほど、生まれて来なければ良かったと後悔した瞬間は無かった。
僕さえ――俺さえ生まれてこなければ、母さんはいつでも逃げられたかもしれなかったんだ、って」
君の協力を得ようとは思わない。
これは単なる俺のエゴだ。
「だから、押し通る……たとえ余計なお世話と言われようとも! 君は、母さんの代わりじゃないけれど、君の代わりもいないんだよ、グレン!」
……俺の頬に何かがふわりと優しく触れた。
それがアレットの手だと気付いたのは、その数秒後だった。
「きっと一番つらかったのは先生です。だって、こんなに泣いているじゃないですか」
俺は……そっか、俺は、今、泣いているのか。
ちっとも気付かなかったよ。
「今、一番つらいのは、俺じゃなくてグレンだよ」
何も言わせてもらえなくて、我慢し続けて、あらゆる重みを背負い続けるしか無いなら、そんなのって一番、悲しいじゃないか。
だから、俺のことはいい。
だが、俺がどんな思いで首を突っ込もうとしているのかは、それだけは1割だけでも伝わっていて欲しい。
「――っふふ、もう。世話焼きなのは、昔から変わりませんね」
やっと、笑ってくれたね。随分と様変わりしてしまったけれど、覚えていてくれてありがとう。
そしてアレットは、俺の髪をわしゃわしゃと両手で撫でながら、返答する。
「そうなんですよ! 先生ってば行く先々でこうだから、ほら!」
アレットは順番に手で指し示す。
ウスティナと、ピーチプレート卿と、そしてアレット自身を。
「こんなに仲間が増えちゃいました。すごいでしょ!」
「ええ。すごいです」
「だから“生まれてこなければ良かった”とかこの先ゼ~ッタイ言わないで下さいよっ!」
――グリグリグリグリ
俺のこめかみが両側から拳でグリグリされている。
「あ――あ痛ッ、あ、アレットさん、やめてください!」
「い~や~で~すぅ~」
しばらくアレットのグリグリ攻撃はやまなかった。
皆さまの応援が作者の励みになります。
感想、ツッコミ、ルクレシウスへの「お前いままでよくグレなかったな?」など、心よりお待ちしております。
たくさん感想が増えても必ずお返事いたします。
よろしくお願い申し上げます。