幕間:カレン・マデュリアの葛藤
ひょっとしたら誰得かもしれませんが……カレンの幕間です。
わたくし、カレン・マデュリアは、困惑している。
恋……――そんな在り来りな女が夢に敗れて手を出すようなものなど、わたくしには縁遠いものだと思っていた。
つい昨日までは。
「はぁ……ピーチプレート卿……わたくしは今この瞬間こそが窮地ですわ……」
重い鎧から繰り出される尋常ならざる膂力。
薄暗い中でも桃色とはっきり解る輝き。
内側にレールと鉄板を仕込んで自在に展開できる大盾。
そして、空中に投射され絶妙な魔力処理によって回転力を得る騎兵槍。
あれは、まさしく全身が魔道具!
どれもが高度に完成されていて、まるで身体の一部のよう。
あんなに使いこなしているなら、魔道具への理解も段違いでしょう……。
そのようなお方に命をお救いいただいたばかりか、魔導書を褒めていただいた。
ああ、わたくし、それだけで昨夜の生徒ふたりの失態も水に流して差し上げてよ!!
……ある程度はね。間抜けが素材を無駄にして、そのうえ予備の調達にも手間取ったとあらば、本来なら追い出してやるくらいの背信行為だけど、今回は見逃してあげるわ。
「では、昨晩にお伝えした通り、先日の遅れを取り戻すべく各自奮闘するように。わたくしは素材の調達に向かいますわ」
そう生徒達には宣言。
ではそろそろ、行かねばなりませんわね。イチヤソウを探しに。
ウスグレソウと区別がつかないという難点は、形状の近いものを全て採取してしまえばいい。
もちろん、日程にはまだまだ余裕があるし、いざとなればジュドーの工房を借りるとしよう。学院の名を出せば街の統治者から通達が行くのだから。
◆ ◆ ◆
森を越え、湖の沿岸部を周って、更に奥へ。
昨夜の通報をうけてギルドが派遣したであろう冒険者の皆さんがそこかしこをうろついており、うち何人かは不遜にもわたくしに話しかけて来た。
「お一人では危ないよ」
「ふん。努力を知らぬ尻軽な馬鹿女共と一緒にしないで下さる?」
そう、例えばあなたのパーティメンバーみたいな。
……ああ、愛しのピーチプレート卿。
あなたはあんな凡愚共とは全てが違って見えますわ。
総身の知恵は如何ほどか。わたくしに、たっぷりと教えて下さらないかしら。
――駄目、駄目よ、カレン。
あくまでも目的はイチヤソウの調達……何を浮かれているの?
疾走長靴のヒールから魔術回路を発生させ、滑走する。
この疾風の如き速さ、誰の追従も許させはしない。
目的地に辿り着くまで、さほど時間は掛からなかった。
小鳥たちのさえずりが耳に心地いい。
確か、この辺りの岸壁の側面に……ありましたわ。
では根こそぎ持っていくとして。
……あら? 土に足跡が。この大きさと形は、もしかして。
わたくしは、胸の高鳴りに身を任せるまま、足跡を辿った。
自然と、足取りは軽く。
「すぐ近く、ですわね」
坂道を登っていくと、大きな木があった。
幹の中心に大きな穴が穿たれたような、奇妙な大樹だ。
「――!」
果たして、その木に背を預け、ピーチプレート卿は座して休んでいた。
木漏れ日に照らされながら、小鳥たちを腕や肩に乗せるその姿……まるで、名画のよう。
神よ、もしご覧になられているならば。
美しき光の中に足を踏み入れる不遜を、どうかお許しください。
「――ピーチプレート卿」
小鳥たちが飛び去って、ピーチプレート卿がわたくしを見る。
「おお。昨晩の素敵な魔導書の君――カレン・マデュリア殿でしたな」
「ええ。またお目にかかれて光栄ですわ。フフ……今は、お休憩を?」
「然り。リザードマンは夜行性ゆえ、暫し休息を」
隣に座る。
鞄から2人分のマグカップと魔導ポットを取り出す。
「でしたら、わたくしとお茶にしませんこと?」
「いえいえ。それがしは結構。今ならそなたのお声だけで腹が膨れましょう」
「まあ、お上手。フフ……では、少しお話をしても?」
「何なりと」
そして、わたくしとピーチプレート卿は、うららかな午後のひとときを過ごした。
わたくしは、魔道具の理論とこれからの構想を。
きっと難しい内容もたくさんあったというのに、あなたは沢山うなずいてくださった。
わたくしが作って、あなたが実用試験……嗚呼、なんて完璧な連携なのかしら!
熱が入りすぎて、何を話したか忘れてしまうほど。
ピーチプレート卿は旅の話を。
あなたの語るものは全てが新しく、研究漬けのわたくしには解らない事もあったけれど。
あなたの語る数々の冒険譚は、きっと凡百の役に立たない物語などよりずっとずっと。
わたくしの心を揺さぶるのでした。
楽しい話は、あっという間に時間を押し流していく。
此処に辿り着いたのは昼過ぎだったけど、気が付けば夕方になっていた。
ああ、名残惜しいけれど……。
「そろそろ帰らないと」
「承知。では、そなたの旅路に祝福を!」
名残惜しい……あ、そうだ。
「ねえ。最後に、お顔を見せて頂けませんこと?」
「なりません、なりませんぞマデュリア女史……それがしの顔など、醜悪で見るに堪えない」
「そんな事はありませんわ。心の綺麗なお人は、顔立ちにもそれが現れますもの。うふふ」
機動魔導書を使えば、トラッキングビームで対象を引っ張り上げる事など造作も無くてよ。
「えいっ」
いたずら心が鎌首をもたげ、わたくしは開けてしまった。
けれどそれは――
――けれどそれは鎧の兜というより、地獄の釜の蓋のようで。
「……え?」
緑色の肌。
腫れぼったいまぶた。
黄色い眼球。
豚のような鼻。
下顎から伸びる牙。
ピーチプレート卿の正体は、人型の醜い怪物……オークだったのだ。
何かが一瞬にして崩れ去った。嗚呼、わたくしはまるで、夜が明けたら次の夜まで光を失う、イチヤソウ……。
「おおお……何ということだ……み、見て、しまわれましたか……」
「動かないでッ!! 醜悪な怪物が騎士の真似事とは、恥を知りなさいッ!! さては、そうやって人心を惑わすつもりでしたのね!?」
すぐに立ち上がり、6基の機動魔導書で狙いを定める。
「神に誓って申し上げるなら、それがしの騎士道精神は――」
「――言い訳無用!! あなたを……誅伐するわ!!」
胸中で、殺意が急激に膨れ上がる。
もちろん、こんな事に浮かれていた自分自身にも苛立っていた。
失敗の許されない仕事でありながら、恋心に惑わされるとは!
いや、まだだ……まだ失敗してなんか、ない。
ここでこいつを討伐すれば、ピンチはチャンスになる……!
けれど。
心の何処かで、恋心を否定する言い訳が見つかってどこかで安堵してしまっていた自分もいた。
恋など不要だと証明する論拠として尤もらしいものを、今こうして目の当たりにしてしまった。
――ああ……それでわたくしは、安堵してしまっていたのだ。
真に醜悪なる者は。相手の秘密を暴いた、わたくしのほうだというのに。
本当の恥知らずは。刹那の恋心に浮かれた、わたくしのほうだというのに……。
皆さまの応援が作者の励みになります。
感想、ツッコミ、王立魔術学院へのクレームなど、心よりお待ちしております。
たくさん感想が増えても必ずお返事いたします。
よろしくお願い申し上げます。




