幕間:胸中の雷雲にて紫電は咆える
今回はエミール・フランジェリクの視点です。
ボク――エミール・フランジェリクは、学食のテラスで放課後を過ごしていた。
「ん~、うまいっ」
頑張った後のミルクティー味クリームケーキは最高だ。茶葉の香りが程よく加えられたクリームと、バニラが僅かに感じられるスポンジ。
ああ、なんという美味ッ……!!
クソ老害共は『大人の男が自分を労る時は酒と女以外あり得ない』などとほざいていた。
ボクにとっては、いつだって甘味と空想こそが自分へのご褒美だ。
今日一日を生きたご褒美くらい、他人に指図されてたまるかよ。
そんなわけで至福のひとときを終えたボクは、寮への帰路についた。
大きな窓から運動場が一望できる、渡り廊下。
窓の一部は補修された形跡がある。いじめに耐えかねた生徒が割ったからだ。
(割った奴は謹慎処分になったらしいが、どう考えても、いじめを握り潰したクソ教師の責任だ)
教師が2人して話をしているところを、横目に見やる。
上司が、部下の顔に書類の束を叩きつけていた。
散らばった書類には見覚えがあった。
「何故だ! 先月までできていた事が、何故、期日までにできない!?」
「そ、それは……」
期日までにできるわけないだろ。
だってその書類、他のクソ教師共がお師匠様――バロウズ様に振っていた仕事なんだぜ。
相談に乗ってもらっていたときお師匠様は『作業しながらでも大丈夫ですか?』と苦笑していた。(クソ、なんとお労しいッ……!!)
そのときお師匠様の手元には、表紙のサイン以外は空白の書類の束があった。
……サインはどれも例外なく、他の教師ものだった。
なんでもかんでも任せるから、いなくなった時に苦労する。
「場合によってはルクレシウスと同じ道を辿ってもらうぞ」
「そ、それだけはご勘弁を!」
「ならば休日返上で事に当たれ。人材不足が深刻化している。外人や亜人共を雇うわけにもいかんからな」
「はい!」
クソが。
……次は西棟のバルコニーにでも行こう。
と思っていたのに、右肩を誰かに掴まれた。
「こんなところにいたのか、探したぞ?」
近接魔術学科のゾヴェロ・ホプキンスとは……また嫌なやつに絡まれたな。
この四角いツラに分厚い眼鏡とオールバックが絶妙に噛み合って、いかにも堅物といった見た目をしているクソ野郎だ。
こいつ、ボクが意を決して会議室に突撃した時も、一人だけ余裕ぶっこいたツラしてやがったんだよな……代わりは幾らでもいるとでも言いたげに。
「……何でしょうか」
「単刀直入に要件を伝えるが、降誕祭に向けてのポスターとタペストリーのデザインを頼まれてくれ」
どう考えても頼み事をするようなトーンじゃないよな?
「期日と予算だけ教えてもらえますか?」
「期日は来週だ。塗料代は出してやるが、今期は支出が多くてな」
タダ働きかよ。くたばっちまえ。
「ならばお受けできかねます」
「君も本校の生徒だろう? これも勉強だと思ってやればいい。それとも何かね。生徒達を相手にあんな下らん低俗なものばかり取引する為にその技術を使うのか? 若さは有限だ。勿体無い真似をするな」
娯楽の少ない寮では、春画は何よりもの宝だ。あんたに解るか!?
ボクの生み出した作品が、日々のルーチンに貢献しているその幸せを!
「ボクのすることの価値はボク自身が決める。あれこれ理屈を捏ね繰り回して、結局タダ働きさせたいだけではありませんか!」
「君の出した署名を焼却炉に放り込んでやってもいいんだぞ? あんなお遊びに付き合ってやっているんだ。対価を求めるのは当然じゃないか」
「こ……の……!!」
挙げ句に人質とは……!
あの署名は氷山の一角だったとしても、いじめに苦しむ人達が挙げた声だ。それを、お遊びだと……!?
「――オッス! 何、喧嘩っすか?」
怒りに震えるボクを他所に、横合いから見知らぬ同年代の男が、赤いローブをはためかせてやってきた。艶のある黒髪の後頭部を、ポリポリと掻いている。
どういう思考回路をしたら、この様子を見て喧嘩と判断できるんだ? 馬鹿か?
ホプキンスは、眼鏡のズレを指で直しながら、微塵も表情を変えずに言葉を濁す。
「君は、確か転校生の……いや、頼み事をしたのだが、断られてしまってね。彼は、せっかくの才能を私利私欲に使おうとしているのだよ。綺麗な絵を描くというのに」
「それは……それは良くねぇな。なあ、お前。この先生がこんなに頼み込んでいるんだし、引き受けてやろうぜ?」
はああああああああああああああああああああ!!!!!!????!?!?!?
事情もよく知らないくせに、よくもいけしゃあしゃあと抜かしやがってブッッッ殺すぞ新顔ッ!!
はぁ……。
「……金銭の取引無しに、責任は発生しませんよ」
「バロウズの受け売りか。あいつは騒ぐしか能のないクズだ。忘れなさい。君は、まだ子供なのだから、今のうちに思想を修正しておきたまえ」
この野郎!! お師匠様に、なんてことを……!!
くッ……だが、耐えよう。今は雌伏の時だ。
「……従いますよ。少なくとも今回は」
姉さんとの計画だって、順調に進めている。
教師としての責務も果たさないまま、甘い汁が吸えると思うなよ。
お前達が舐め腐っていた筈の子供達による叛逆を思い知れ。
「ふん。魔術基礎学科のワイアッツ先生は、君を御し難いと評価していたが、存外と素直に聞いてくれるじゃないか」
あー……代わりの抱き枕なら幾らでも用意するとか抜かしやがったあいつね。
金ワカメもといギャベ公の代行だが、あの日和見主義も、ボクの私物がみんなの目の前で焼かれた事について「自業自得だ」などと言っていたっけ。
日和見主義なんて、何もかもを内側から腐敗させる毒だ。
現に、この学院だって崩壊の兆しを見せているのに、ひた隠しにしようとしている。
そのまま崩壊しちまえ。
◆ ◆ ◆
……クソ最低な気分だったから、ひとしきり運動場でゴーレム数体に八つ当たり――もとい組み手をした。
かなりブッチブチにキレていたので、あまり記憶がない。覚えている事は、粉々になったゴーレムの残骸を蹴飛ばしたら、ちょうどさっきの転校生の足元に転がっていった事だ。
部屋に戻ったボクは、日課である召喚魔術を行使した。
召喚専用の円盤石に手をかざしてキーワードを唱えれば、契約者に限り特定の召喚獣を呼び出せる。
――お!
手紙が、2通?
1通は姉さんからだ。もう1通は……。
――お師匠様……ルクレシウス先生……!?
“ご無沙汰しております。バロウズです。
エミールさんのお姉さん、シャノンさんのツテで手紙を送って頂ける運びとなりました。
こちらはロビンズヤードから、フィッツモンド湾に行くところです。
今後はシャノンさんを通じて、近況を報告しあいましょう。
あなたの学生時代が、少しでも穏やかで健やかなものになるよう、今できる精一杯の事をさせて欲しい。
あなたのお友達にも、どうかお伝え願います。
――ルクレシウス・バロウズ”
「お師匠様……――」
言葉にならないまま、頬を涙が伝う。
ああ、お師匠様……何かを告げる暇もなく、この学院を去ってしまわれた、誰よりも尊きお方……。
あなたという柱を失った学院は、刻一刻と崩壊へと近づいています。
いつか、彼らは自らの愚行を悔いる事でしょう。
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