最終話:先生は幸せです
月日はあっという間に過ぎ去っていく。
魔術学院の武装蜂起を鎮圧した事について王女様から勲章を授与されたのも、昨日のことのような、遠い昔のような、曖昧な記憶になりつつある。
アレットの魔物化は……整形の過程で因子を埋め込まれていたグレンやフランとは違い、2週間で人間の姿に戻れるなんて事にはならなかった。
かなり深部まで魔剣に侵蝕されていたために、完全には除去できなかった。
瞳は赤くふち取られた金色のまま、髪の色は白いまま、肌の色だって少し血色が悪いくらいの色だ。
そのせいで随分と偏見の目で見られたが……アレットは、都度それを退けていった。
そんな中でアレットは、無事に王立魔術学院を卒業してみせた。
一時期は魔剣の影響が無くなった事でまた文字を読むことができなくなってしまったけど、そもそも教典以外の文字が認識できない原因であった“戒め”を解呪してもらってからは、驚くほどの速度で成績を上げていった。
解呪を担当してくれたのは、カティウスだった。
最終的な成績はあくまでも中の上から上の下くらいではあったが、それでも入学前から英才教育を受けてきた生徒たちに比肩するレベルだ。
とんでもない努力家だという事は、よくわかる。
特に、付与術学科は、俺の贔屓目を抜きにしても良好な成績だ。
(一度、何か秘訣でもあるのか訊いてみたら、すごい形相で睨まれた……一体どうしたんだろう……)
卒業式が終わってすぐに中庭まで呼び出してきたのには、びっくりした。
グループワーク授業での行動力は確かに目をみはるものがあったが、まさかこれほどとは、この時の俺は思わなかった。
――『覚えてますか? 約束』
――『……覚えてはいますけど、本当に僕で――』
言いかけた俺の唇は、アレットのキスに塞がれた。
何かを、手に握らされる。
唇が離れると同時に、俺は握っていたものを見た。
……それは、指輪だった。
俺の目の前に差し出される、アレットの左手。
――『……っ』
見上げれば、アレットは顔を逸らしつつ横目で俺を見ていた。
魔物化していた頃の名残でやや尖っている耳は、ほんのりと赤みを帯びている。
――『それとも、わたしのこと、たいして好きじゃないですか……?』
アレットは自分で言って泣きそうになっていた。
だから俺は、慌ててアレットの手を握る。
――『あー、いや、そんな事は断じて無くて。誰よりも好きで、大切だからこそ、後悔しない相手を選んで欲しくて……伝わりますよね? 僕が、本当のことを言っているの』
くそ……こっちの耳まで熱くなってきた。
実を言えば俺は、アレットの気が変わる事を恐れていた。
心のどこかで、俺を選んでくれる事を期待していた。
(……本当は大人げない考え方だけど)
そして事実、その通りだっていう状況下にいる。
急に心が落ち着かなくなってしまう。
――『僕を選んでくれますか?』
――『……はい!』
指輪を薬指につけてあげると、アレットは両目に涙を浮かべて、強く抱きしめてきた。
――『責任を持って幸せにしてみせます』
――『今でも充分幸せです……!』
噛みしめるように発せられた言葉が、積み上げてきた感情の熱量がどれほどのものかを教えてくれた。
* * *
結婚式を挙げてから、5年の歳月が経った。
つまり……あれから8年だ。
今、俺は学院での仕事から帰ってきて、自宅で夕食の準備をしているところだ。
王国から支払われた報酬の何割かを、家の購入に充てた。
伯爵という爵位は有って無いようなものだし、実質的にはおまけだ。
領土だって、余計なしがらみが増えるのは本位ではないし、そもそも今この王国には空白地帯が無い。切り分けてもらうのも本意ではない。
結果、殆ど今まで通りの生活に、理事長としての責任が加わった。
数年かけて、王立魔術学院の環境は格段に改善できたという自負はある。
けれどいつかは、俺よりも若い人達に座を譲る時が来る。
その時は、馬鹿げた騒動も無駄な抵抗もしない。
粛々と立ち去るのみだ。
アレットは孤児院の仕事についた。
周りからは、審問官スキルや退魔スキルを活かすべきではと言われたりもしたが……俺はアレットの自主性に任せたし、アレットも自分で進路を決めていた。
何度か職場を見に行ったことがあるが、子供達からは非常に慕われているようだった。
半人半魔じみた外見を最初は警戒されるけど、すぐに打ち解けていた。
孤児院で辛い目に遭ってきたアレットが、ああして誰かが二の舞にならないように環境作りをしている……。
それを思うと、胸に熱いものが込み上げてくるな。
時々、グレンやフラン、それからシルヴェストラやチェルトも遊びに来てくれる。
アレットの提唱する孤児院のコンセプトは“たまには帰って来ようかなと思える場所”だという。
――ガチャ、パタン
ドアの開閉と、パタパタという小さな足音。
「ただーいま!」
そして馴染み深い声と共に、後ろから抱きつかれる。
結婚当初は心臓が跳ね上がるくらいドキドキしていたけれど、今はどちらかというと、このぬくもりを感じて落ち着く。
「おかえり、アレットさん。お夕飯もうすぐだから、くつろいで」
ややあってから、アレットは俺の頬にキスしてきた。
「わたしにもやらせてよ~」
結婚したからって事で、お互いかしこまった口調はやめにした。
最初はちっとも慣れなかったけど、気がついたら距離が縮まっていた。
「ありがとう。じゃあ、お皿を並べてもらおうかな」
「はぁーい! あ、そういえばね、ウスティナさんとピーチプレート卿が久しぶりに王都寄ってくんだって!」
「明日、差し入れ買っていこうかな。どの辺にいるって言ってた?」
「明日は一日中、修練場にいるらしいよ。差し入れ、わたしも一緒に選んでいーい?」
「もちろん。ちょうど、誘おうと思っていたんだ。はい、料理できた」
「いよっしゃー!! デートだデート! 気合い入れるぞー!」
ガッツポーズで喜ぶ姿は“飾り気のない等身大のアレット”という感じがする。これがまた、たまらなく愛しいんだ。
一応「目的は差し入れを買う事で、デートはついでだからね」とツッコミを入れるけど、小躍りしながら料理を盛り付けているアレットには、聞こえていないらしい。
可愛いから許す。
テーブルに並んでいく、サラダ、焼き魚、それからスープ。
特にこの日替わりスープは、アレットからは美味しいと評判の一品だ。
実際、今日もアレットは真っ先にスープを口へ運んだ。
「んー……高度にバランス良く調合されたエキスの味わい……! んっ、今日は鳥の骨を使ったんだね……あとは、これ……ハーブ? 酸味がほどよく利いてる!」
「よく気付いたね。本当に少しだけしか入れていないのに」
「ふふーん! 毎日、ルクレシウスさんの料理を食べさせてもらってるからねっ! ……自慢する事じゃないけど」
「アレットさんが他の家事をやってくれているからね。その分、せめて食事とお掃除くらいは俺がやらないと」
「たまにはわたしもやる! 孤児院で炊き出し作ってきた経験を生かして、めっちゃ美味しいやつ作ってみせるもん!」
「それは楽しみだ」
「っていうか毎回思うけど、具材に付与術使って芯から温めるとか常人の発想じゃないよね!?」
「味と時間効率と安全性を追求したら使ったほうがいいという結論に至っただけだよ」
「常人の発想じゃない……」
食べきった後は、ふたりで皿洗いを始める。
手が荒れないように付与術で防御する。
日常生活動作で微量の魔力を消費し続ける事は、魔力回路を衰えさせず維持し続ける事にも繋がる。
「前から伝えていた通り、来週はナジャーダまで出張してくるよ」
「おー。もしかしてジュドーさんの魔道具工房が正式に認可された件、本決定になったとか?」
「うん。カレンも同席する」
「今や王国内でも有数の義肢工房の持ち主だもんね……あの頃からは考えられないや。生徒を持つよりひとりで研究していたほうが似合うって自覚したのも大きいのかな」
ぽつりとこぼすアレットの表情からは、まだカレンへの複雑な感情が見て取れた。
カレンはアレットにとって恩人であると同時に、かつて俺を殺そうとした人でもあるから、感謝と恨みがないまぜなのだろう。
「ウェスト・セルシディア復興支援の立役者として、補助金が出たからね。それに……セルシディア東部で火災が起きた時、アレットさんが彼女の背中を押したのが何より強いきっかけだと思うよ。アレットさん、結婚式の時に俺のこと“色んな人の運命をいい方向に変えてきた人”って言ったけど、アレットさんも」
「……もう。何かにつけて褒めてくるんだから」
アレットは口を尖らせつつも、まんざらでもない表情をしている。
そんな表情が可愛らしくて、俺は手を拭いてアレットの頭を撫でた。
「おべんちゃらだなって思ったら、審問官スキルを使ってみてよ」
「使ったよ。全部本心で褒めてくれているのがわかるから尚のこと照れくさいの! ったく、よくそんなにたくさん褒め言葉が思いつくよね……」
「好きだからね」
「わたしだって好きだもん」
いや、そこを張り合われても困るよ!
……まったく。可愛いな。
と、ここで窓からコツンと音が鳴る。
開けてみると――
「お。シャノンさんの使い魔……?」
使い魔から渡された封筒を開くと、それは手紙だった。
「エミールさんからだ」
「どれどれ……」
“お久しぶりです。
エミール・フランジェリクです。
王立魔術学院で学んできた日々、今も忘れず胸の中に息づいています。
パーティを追放された人を助けたり、極めて親しい関係にある者から虐待を受けている子供を助けたりしました。
これは、お師匠様の教えのおかげに他ならない!!
でも、まだまだお師匠様の領域には辿り着けません。
昨今における王国は、少子化から回復傾向にあり、また景気も右肩上がりであると言われているようです。
きっと、お師匠様が地道に軌道修正をしてくださったおかげでしょう。
救国の英雄……その称号に相応しい、後世まで語り継がれるべき偉業といっても過言ではありません。
そういえば、ダン・ファルスレイの近況、ご存知ですか?
奴は、王国内をあらかた回りきったということで、世界中を旅しています。
ローディいわく、お師匠様の境地を目指しているとのこと。
あのバカは野放しにしておくと何をしでかすかわからないので遠巻きから監視します。
それでは、あまり長いお手紙でお師匠様の貴重なお時間を使わせてしまうのは本位ではないので、この辺りで失礼します”
「相変わらず熱量すっごいね……?」
「うんうん」
それに、ダンも少しは成長してくれたのかな。
ダンは、あれから黙々と修業や訓練に打ち込むようになって、あまり周囲と関わらないまま卒業を迎えた。
あの時の彼自身にとっては“なるべく顔を見せない”という事が償いだったようだ。
……今は、自分の心の置きどころを探しているのかな。
詳しく問いただす方法は無い。何かあったら駆けつけるけれど、今は横槍を入れないほうがいい。
今すぐに世の中の全てを変えられるわけじゃない。
俺ひとりで変えられるほど、簡単じゃない。
けれど少しずつ、ひとつずつ前進しているのは、確かだ。
そして、ひとりきりで進められなくても、みんなで進めばいい。
「……」
アレットの唇に、キスをひとつ。
真正面から抱きしめる。
「これからも、よろしくね」
「うん」
……俺達は、前に進む。
虐げられた人々がこれ以上、停滞に押し潰されないように。
ひとりひとりが、自分らしくあることを恥じなくていいように。
……俺は、前に進む。
アレット……きみが、きみの望んだきみで在り続けるために。
拙作は、今回で最終話です。
皆様、長らくお付き合い頂きまして本当にありがとうございました。
読後感いかがだったか、よろしければお聞かせ願います。