第92話:先生とザナット・ブランキー
グレンとフランが合流してから数日後。
証拠が集まったことで、国王へ説明する段取りも整った。
俺は、隣で眠るアレット、グレン、フランと共に鉄檻に入れられ、それを搭載した大きな荷馬車に揺られて運ばれている。
壁に遮られて外は見えないが、むしろ望むところだ。
内省する時間は、大切だ。
聖堂騎士団の庁舎では、何かと苦労した。
初めは聖堂騎士団の面々も、グレンとフランが俺を誘惑しているところを見て難色を示すなり茶化すなりしていた。
――『下手を打てば王国が滅びかねない状況で何をイチャイチャと』
だの、
――『口では嫌がっているが、実のところ満更でもないだろ?』
だのと、まあ事情を知らなければそうも言いたくなるだろうありがたいお小言を拝聴したりもした。
が。そのうち、俺が本気で今の状況に苦慮している事が伝わったのか、慰められる回数のほうが多くなった。
その都度、根気よく説明した甲斐があったというものだ。
ただ、頭痛とか吐き気とか、胸に大きな風穴が空いたような寂しさとか不安感とか、少しも眠れないところとか、思考がどんどんバラついていく状態とか、そういった不具合は日増しに酷くなっていった。
アレットは気を使って膝枕なり何なりしてくれてはいたけれど、気分が晴れるのはほんの一瞬だけだった。
こうして馬車に揺られ王都に向かう道中、自分がぬかるみの中に頭を突っ込んでいるような気分だった。
状況は確かに前進している筈なのに、実感がまったく無い。
これじゃあ良くないな。
俺は、まだ限界を迎えてなんかいない筈なんだ。
……耐えなきゃ。
「おい。ひどい顔色だぞ」
そう声をかけてくれたのは、聖堂騎士団第8巡礼隊・隊長のザナット・ブランキーだ。
眉間のシワを深めながらも、彼はコーヒーのマグカップを鉄格子の内側へと差し入れてくれた。
いつの間にか馬車は停まっていたようで、荷台の天窓から陽の光が差していた。
俺はそのマグカップを受け取り、口をつける。
「……ついに僕にも魔物化の徴候が? 確かに、失った腕が生えてくるなどの徴候はありましたが」
「違う、そうじゃない。体調不良のほうだ。私も人のことを言える状態ではないが。誰かさんのせいで寝不足だ!」
「不甲斐ない被疑者ですみません」
「冗談だよ。まあ……これだけの逆境だ。並大抵の神経では平然としていられまい」
心を失っていない証拠なのかもしれないけれど、へばっていたら前に進めない。
それだと意味が無い。
「そういえば、ザナットさんはどうしてドーチック商会の捜査を?」
「あまり面白い話ではないが、聞くか?」
「ぜひ」
ザナットはコーヒーを飲み干して口元を拭うと、重々しくため息を付いた。
「私にも妹がいた。あいつは聖堂騎士団に入団して、それから少し後に恋人を見つけて結婚した。式には私も出た。相手の男……つまり義弟はそのとき初めて見た。勤勉で実直な奴だったよ。だが……」
その視線は遠く、どこか祈るようでもあった。
「とある作戦に関わっていたドーチック商会によって義弟が暗殺され、妹は娼婦として売られた。巧妙な隠蔽工作で発見が遅れ、また明確な証拠があったにもかかわらず上層部はこれを黙認した。何故だと思う?」
「教会の孤児院から聖堂騎士団に志願する方が多いと伺っています。これば僕の憶測ですが、孤児を斡旋する事業ならば、人身売買ではなく人命保護という名目ができますよね」
「お察しの通りだ。国防騎士団とは異なり、貴族達の支持基盤は脆弱で、またアンデッド被害も昔に比べ随分と減った。賃金は年々減りつつあり、副業でもせねば装備の手入れすら事欠く者もいる。もしも、初期投資以外はほぼ無償で、信仰心だけで命を投げ打つ忠実な兵士がいたら? その答えがドーチック商会だ」
「ああ……つまり……そういう事ですか」
「そう。お前が今、思い浮かべた内容で間違いない。なるべく費用を抑えた上で望み通りの結果が得られるなら、そういったものにも縋り付きたくなるのだろう」
そりゃそうだよな。
この国で上に立つのは、何故か知らないけれど揃いも揃ってケチばかりだ。
そうしてコストを抑えようとする方法を模索し続けた結果、順当に支払うよりずっと多くの対価を支払ってしまった事に、後になって気づく。
或いは……自分が責任を取らねばならない間だけはそのツケを先延ばしにして、惰眠をむさぼる。
「だが義弟は、ドーチック商会のやり口を知っていた。奴らは集落などに意図的に魔物を差し向けて壊滅寸前に追い込み、保護と銘打って人身売買まがいの事をしていた……義弟は、それを告発しようとした。そうして、墓場でゾンビになっていた」
言葉にならない。
「なあ、ルクレシウス。私が報復を受けなかったのは何故だと思う?」
「あなただけを残して、妹さんとその旦那さんを見せしめとして殺したとか……あとは、ブランキー家の根絶やしまではできなかったとか。ザナットさんも、それなりの地位にいたならば、尚更……」
「実際、当時は副隊長だったよ。だが、奴らはそれでも、私は歯向かわないと思ったのだろう。だからなりふり構わず情報を集めた。戦果は格段に上がったし、隊長へと昇格した。妹のものとなっているべきだった戦果も、私の所に統合された……不本意極まりないが、」
指を一本ずつ曲げて、まるで地の底から這い出たような声を出していた。
「私は彼らの厚意を有り難く受け取り、ドーチック商会の所業をひとつずつ白日の下に晒してやった。そうして奴らを執拗に追い詰めて、追い詰めて、尻尾を掴んだのが、ロビンズヤードで開かれたお前の裁判だったというわけだ」
「ああ、あの時の……」
「本来、まだ仕上げの段階では無かったのだがな。奴は、私が想像していたよりずっと疲弊していたらしい。あまりにも杜撰な作戦は、或いは最後の賭けだったのだろう。結果は知っての通りだ」
そう。
デナーシュ・ドーチックは私腹を肥やすためだけに奔走した末、投獄された。
あれきり罪を償っているものとばかり思っていたのに、まさかアレットが魔王にされた原因の一端を担っているとは。
「ちなみに、この話にはオチがある。聞きたいか?」
「……差し支えなければ」
「妹は生きていた。娼婦をやっている間に右目を失いはしたが、故郷の近くにあるセルシディアの街で冒険者をやっていた」
――……。
それだけの共通点があるなら、思い当たる節はある。
「ヴェラリスという名前に聞き覚えは?」
「ある。妹の名前だ。どこで知った?」
「セルシディアにいた時、かなりお世話になりましたので。優しい人でした」
「なら、良かった。あいつは昔から物の見方がひねくれているから、兄としては少し心配だったが……あいつは、あいつなりの“ジャスティス”とやらを守っているようだな」
そう言って頬を綻ばせる。
こんなに優しい表情は、初めて見たかもしれない。
それからザナットは自分の馬車へと戻っていった。
再び、馬車は動き出す。
「……」
俺のしてきた事は、果たして一人も見捨てずに成し遂げられるのだろうか?
正しい事なんて何一つ無いと言い切れるか?
誰かにとって幸せかどうかだけだ、などと断言できるか?
――ガタンッ、ガタタタッ
急停車したような強い振動で、思考が現実へと引き戻された。
アレット、グレン、フランも目を覚まし、寝ぼけ眼を手で擦っていた。
荷台のカーテンが開けられ、ザナットが顔を出す。
「すまないが緊急事態だ。手を貸してもらうぞ」
……そうだ。
悲嘆に暮れている暇は無い。