第91話:先生とグレンとフラン
俺とアレットは、教会の中で軟禁生活だ。
枯れ葉だらけの古い倉庫には暖炉も無い。
といっても、別段それが不便とは感じなくなった。
アレットはもちろん、俺もたいがい人間離れしてしまったらしい。
少し寒くなった程度では、びくともしなくなっていた。
それから、精神操作系の付与術を封印できる首輪が俺達の首に付けられている。
これにより、聖堂騎士団の人達と対等な立場で話し合う事が可能だ。
「――各地の魔力の履歴を調査したが、やはり本人の魔力は魔物の討伐以外で使われた形跡が見られなかった」
テーブルを挟んで向かい側に座るザナット・ブランキーは、開口一番にそう言った。
「ありがとうございます。調査報告書はどこまで配布済みですか?」
「王宮と、各地の自治体に。ただ、アリバイ証明をしただけだ。真犯人までは証明できていない」
「そうなんですよね……」
「それと。魔剣について解析したが、興味深い事実が判明した」
「興味深い、ですか?」
「ああ。どうやら何者かの腕の骨らしきものが混じっているようでな。付与術は使ったか?」
俺の右腕の義手を見て言う。
半ば確信しているかのような口ぶりだ。事実そうだけど。
「ええ、まあ。僕にとって唯一の得意分野なので、それを使って動きを止めようと」
ここでアレットが身を乗り出す。
「あの時の先生、ほんっっっっと健気で甲斐甲斐しくて……美味しかったなぁ……♡ 二度と味わえないのが悲しいけど、いいんですよ、先生、ふふ……わたし、あの幸せをずっとずっと噛み締めていきますからね」
今日もかわいいなぁ。
「お役に立てたなら何よりです」
だが俺達のやり取りを見たザナットは、顔を青くした。
「少しは引けよお前の腕だぞ喰われたの」
「何か問題が? 僕の腕だけで済んだなら、安い代償では?」
「いやまぁそうなのかもだがなぁ!? ……まあいい。とにかく。腕が付与術を使ったままちぎれたせいで、魔王の体内に術式が拡散。魔剣の支配を遅延させ、精神汚染が軽度で済んだ……というのが当研究所で出された仮説だ」
「なるほど。精神汚染の度合いまでは計測できないんですよね?」
「元の精神状態がどのようなものだったかというデータが残っていない以上、何も言えない。が……入っていいぞ」
ザナットに促され、ふたりが入ってくる。
「そこは! あたしが証人になりますよ!」
「同じく、私も」
「デイジーさんと、カティウスさん」
カティウスはぺこりと一礼する。
対するデイジーは、両手をひらひらと振りながら笑顔を向けた。
「やー久しぶりですー! アレットちゃんも……あー……すっかりイメチェンしちゃって」
「わたしはもう、アレットではありません。魔王リリザレットです」
「あ、あ、そ、そうなんだ……そう、だよね……うん……」
冷徹な声で否定されたら、そりゃあショックだろう。
デイジーは涙目になって、しどろもどろに言葉を紡いだ。
俺は当然、アレットを叱る。
「こら! 駄目ですよ! 伝え方に気をつけないと!」
「……はーい」
アレット……。
ふてくされてもダメなものはダメだからね。
そんな俺達を見て、カティウスも深刻な顔で頷いた。
「何とかして戻す方法を探さねばなりませんね」
「戻す、ねぇ……ダン・ファルスレイって知ってます?」
「もちろん!」「ええ。学院で決起の演説をしていたのは記憶に新しいですね」「こちらでもある程度は情報を掴んでいる」
デイジー、カティウス、ザナットが頷く。
「あいつがなんか言ってたんですよ。わたしを魔王じゃなくす為には、交尾して産まれた子供を殺すしかないとお告げで聞いたって。これホントですか? わたし、血縁上は実の妹らしいですけど」
「「「――……」」」
あ、みんな絶句した。
なんか必死に色々と飲み込もうとしているな。
特にザナットは、苦虫を噛み潰したような渋面だ。
「実の妹を相手に……? にわかには信じがたいが」
「嘘みたいでしょ? わたしだって信じたくないですよ。あの野郎、顔を赤らめながら大真面目に言ってくるんですよ? ちょっと前まで他人だったような奴が! まるで、ずっと前から自分の女だったみたいな事を言う! あまつさえわたしの、先生に対する好きって心まで否定して!」
「すまない、貴殿の心の傷を掘り返すつもりでは」
「いーえー? いいんですよぉ? 先生に愚痴るだけじゃ、ちょっと吐き出し足りないところだったので。あんなヤツに付いていくクソビッチ共は頭に何を詰め込んでいるんでしょうね? こじ開けて食べてみたいですよ。いやお腹壊しちゃうかな」
3人ともドン引きだ。
ダンの所業とアレットの変わりよう、どちらにも言葉に困っているようだ。
「ううむ、私がセルシディアで診た時から、本質的なところはあまり変わらないように見受けられますが、しかし……」
「か、変わったよね……アレットちゃん……」
「アレットではなく、魔王リリザレットですってば。なぁーんで解ってくれないかなぁ」
そりゃ難しいと思うよ。
姿かたちこそ人間じゃなくなったけど、顔と声は原型をとどめている。
肌は青白くなったけれど、頬を膨らませていじける仕草は……アレットだった頃のままだ。
まして、今のアレットは魔剣の依代“魔王”としては不完全で、非常に不安定だ。
どうやら魔剣によって付与される筈だった“魔王としての習性”は俺の腕(物理)によってかなり減衰しているらしい。
アレットが直接、人間を殺害したという記録も残っていない。
ここ数日間での魔物被害は、ほぼ全て“魔王軍を名乗る魔物達”からだけだ。
その魔王軍だって、アレットが俺と協力して大量に叩き潰してきた。
そんな愛しいアレットを、俺はこう呼ぶ。
「魔王様。今にして思えば、生け捕りにでもして尋問用に突き出してやれば良かったかもしれませんね」
「殺すほうが手間も無いし、楽しいですよ」
ちょっと会話の内容が不穏すぎただろうか。
周りが顔を見合わせて、少し震えている。
「あの強さの魔物を生け捕りに? Aクラスの冒険者が束になってようやく倒せる相手だぞ?」
「でも先生は大角鬼熊を素手で殺しましたよ」
「……」
そんな目で見ないで欲しい。
「差し支えなければ、生け捕りに協力する事もできますが」
――バタンッ
ドアが乱暴に開けられる。
「伝令!! 正門前に魔王軍幹部と思しき魔物が現れました! 数は2体! どちらも、魔王を出せと主張しています!」
「我が方の被害状況は!?」
「負傷者が若干名! 死者はいません!」
「よし、向かわせる。ふたりとも、行けるな?」
嬉しいけど、仮にも取調べ中の容疑者を事態の収拾に当たらせるのは法規的にアウトなんじゃなかろうか?
しかも、いくら俺がアレットの無罪を証明する為にあらゆる協力を惜しまないとしてもだ。
「裏切るリスクを少しでも考えたりはしないんですか?」
「頼む相手がお前でなければ考えるが……どうせ、しないだろう?」
ああ、よくわかってらっしゃる。
しないよ。
* * *
もちろんザナットが同伴しているとはいえ、俺は久しぶりに外の空気を吸った。
正門に出る。
ふたりの人影には見覚えがあった。
肌は青く、髪は白に近くなっていて、服装も最低限の部分しか覆っていないけど……
「「魔王様、お待ちしておりました!」」
……そう、か。
きみ達がそうなってしまうのか。
「グレン……それに、フランさんも」
「久方ぶりですね……私達に埋め込まれた因子が覚醒したらしいのです」
「ルカ。あなたも魔王軍にいらしたのですね」
訊きたいことは山ほどある。
「教えてくれるか。どれくらい殺した?」
「目覚めて少しして、あなた達を見付けた。一心不乱に追い掛けた。ザコを殺している暇なんて無いわ……ウフフ」
良かった……もしそうなっていたら、仮に彼女達が元に戻ったとき、罪の意識に苛まれ続けるだろう。
俺は、自分の胸を撫で下ろす。
その横で、アレットがズビシッと指さした。
「さては! 先生のお嫁さんになりに来たんですね!?」
その言葉に、グレンとフランは急に恍惚とした表情へと変わった。
「ああ! なんて甘美な響きなのでしょう……ねぇ、フラン?」
「ええ! 私達の間に、どうかお入り下さいませ……」
……。
ふたりは互いに指や脚を絡ませ、身体を密着させている。
だが媚びるような眼差しは、ふたり揃って俺へと向けていた。
本来なら、彼女らだけで互いに見つめ合ってしかるべきだというのに。
「……」
言葉を失うよ。
フランソワーズ。きみはグレンを深く崇拝していたじゃないか。
グレン。きみだって一度は自分を取り戻していた。
……こんな風に変えてしまった理由は何だ?
きみ達を加工した錬金術師は、きみ達に何をしてしまったんだ?
いよいよもって、まるきり別人へと塗り替えられてしまったじゃないか……。
「ご不満? あなたの昔の顔をよく知る私達が、たっぷりもてなしてあげるというのに」
あまり、べったり俺にくっつかないで欲しい。
それから俺の顔を人差し指で扇情的な感じに撫でないで欲しい。
正直、グレンとフランに関しては一番やってほしくない事だ。
せめてもの抵抗だ……
俺はアレットに、じっとりした視線を向けつつ抗議する事にした。
「きみが余計なこと言うから、すっかりその気に……」
「だって! 先生が喜ぶかなって思ったんですよ! 今わたし魔王脳なんで! 人間だった頃の倫理観が塗り潰されてるんで!」
う~~~ん!! 魔王脳って何だ!?
――って言おうと思ったけど、今までの言動からだいたい解ってしまうのが悲しい!
いや、でも、待て!
「ちゃんとそれを俯瞰して認識できているので、偉いですよ」
「やった~! 褒めて褒めて♪」
ああ、これでべったり3人目。
「よしよし」
「ごろにゃーん♡」
よし、今のうちにみんなから離れよう。
――サッ
「ふぅ」
「「「あっ!」」」
今どこからか「もったいない!」とか「羨ましいなぁ」とか聞こえてきた。
だけど勝手知ったる長い付き合いの人達が魔物に変えられた状況、喜ぶほうがどうかしているというものだ。
少しはわかってほしい!
「はぁ………………とにかく、ふたりが僕らと合流したって事で悪さするのやめてもらえませんか? ほら魔王様。命令して」
多分、俺は自分で認識している以上に投げやりに言い放ったんだと思う。
「魔王として命じます。今後は先生の許可なく魔王軍としての活動をしないように」
アレットは腰に左手を当て、右手の人差し指をピンと立てて命令をする。
グレンとフランは一瞬で無表情になり、片膝を付いて頭を垂れた。
「「仰せのままに」」
その機械人形にも似た仕草は、やはりかつてのグレンとフランからは大きく乖離していた。
これ以上、見たくない。
……けど、目をそらしてはならない。
しっかりと目に焼き付けて、本当の敵への憎悪を滾らせねばならない。
――ピシッ、ミシッ
胸の中で、ひんやりとした音が小さく響いた。
信じたくない。認識、したくない。
平気なふりをしていただけで、とっくのとうに限界を迎えていたなんて。