幕間:どいつもこいつも
引き続きエミールくん視点です。
追手を撒いて、廃船置き場へ辿り着いた。
馬車はちょうど保護色になっている。
手綱を引いていたクゥトも、休憩だ。
「……で? 何で助けたの? 女の涙?」
ヒルダは到着するなり、笑顔で訊いてくる。
(ただし目は笑っていない)
「お師匠様があの状況に出くわしたら、きっとそうしていた筈だ」
「呆れるくらい予想通りな答え。ほんっとあの人のこと大好きなんだからさ」
「ほっといてくれ。それに、あんな怒り狂った奴の近くにいたらどうなるか解らないだろ。“失いたくない”なんて抜かしてやがったが、あいつが一体何を失ったっていうんだ……?」
疑問が、口をついて出る。
すると当のミサナ本人がボクの独白を聞き取った。
ボクの声、そんなに大きかったか?
「自分が説明するであります。隊長――ダン・ファルスレイは、妹のアレット殿が魔王になった事に加え、ご自身と、何よりも信頼を寄せていた筈の家族が、錬金術の実験で作られただけの偽物だという事実を知ってしまったのであります……それが、この計画書であります」
ミサナが大きな鞄から取り出したのは“ファルスレイ計画”と題された、一冊の本だ。
ページをめくってミサナが見せてくれた。
つまり、培養された魔物とかと大差ない方法で作られて、あらかじめ決めてあった親役に育てさせただけと。
それを無邪気に信じて、暢気に毎日を過ごしてきたと。
そして現実を知ってしまったと。
「……あいつも大変だな」
実を言うと、笑いを堪えるのが大変だった。
ざまあみろ!! ざまあみろクソ野郎!!
奴は、さんざっぱら邪魔をしてきて、たくさんの無辜の弱者達を悪者にしてきた!
加えて個人的な恨みの中でも特大級のネタが一つあったな。
かつて、まごうことなきあのクズはボクにこう言った。
――『エミール。お前も両親が生きてさえいれば、そんなに荒れる事は無かっただろうな』
クソ喰らえだ。ボクはあいつに家族の事なんて一言も伝えていない。
何も解っちゃいないくせに、いっちょ前に家族への盲信をべらべら語るあのクソ野郎は! しかし!
なんと、偽物の培養家族の生まれだったと!!
滑稽だな! まるで喜劇じゃないか!
そりゃあしんどさのあまり、ボインなエルフのお姉さんに甘えたくもなるよな!
で、代償を立て続けに支払う時が来たという事だ。
「……今までまったく訊く機会が無かったが、そもそもキミは何故あの男について行ったんだ? 確か、あの島でいつの間にか仲間になっていたみたいだが」
ミサナに訊いてみる。
あいつのどこに惹かれたのか知っておけば、あいつの意味不明な人気の秘訣がわかるかも。
「ストームドラゴン討伐で食べられそうになった所を助けていただいたのであります。そのあとすぐ聞いた話で、隊長は王立魔術学院の殆どの部門でトップだったとか……まるで勇者の生まれ変わりであります。そんなすごいお方に、他の人達を差し置いて、自分がパーティに誘われるなんて」
途中で、ヒルダが吹き出してしまった。
「ふはっ! 恐悦至極だったワケか。初々しいこって」
「茶化すな。ああ、すまない。続けてくれ」
「実家の家族達も、きっと喜んでくれるだろうと思っていたのでありますが……思っていたのと全然違ったのであります。自分は腕力こそありますが、どうも鈍臭い奴に見えるようで……それが、隊長とフレイヤ殿には滑稽に見えたようであります」
声音は弱々しく、いつも見かける溌剌とした様子からは程遠い。
……ずっと、無理をしていたのか?
「何かやらかすたびに、白痴のように言われる。ローディ殿の加入で先輩風を吹かせられるかというとそうでもなく……“こいつちょっとおっちょこちょいだから見てやって”なんて目の前で指をさされる始末……」
ダンにとっては“いじり”の範疇だったのだろう。
だが、言われる本人が不快かどうかを見ていなかった。あいつは、やっぱり馬鹿だ。
「いつからか、物をよく失くすようになった。初めは、自分がおっちょこちょいだからなのかなと思ったのであります。だけど、次第に……他の生徒さんから物を隠されていた事が解って」
「文句、言わせてもらえなかったんだ?」
「隊長に相談したら“考えすぎだ”とか“周りを疑うな”とか……自分は、次第に居場所を失っていたのであります。だったらせめて下の世話だけでもと、隊長に話をしたのでありますが……聞き流されて」
ここで、ミサナは小さな体で精一杯におどけてみせた。
「結果はあの通りであります。自分は、大切にされるキッカケを与えられはしないのだなと。それで内心ヤケになっていたところ、ちょうど隊長のご友人であるオスカー殿から“悲しそうだね、気晴らししない?”と声をかけられ……」
ヒルダが身を乗り出す。
「……で、のこのこ出向いてヤッちゃったと」
「ヤッちゃったのであります。何をされるのかは理解していたのであります。ですが自分は道化でありますゆえ。パァーッとハメを外してしまおうと」
……傷ついてヤケっぱちにでもなっているのか、随分あっけらかんと言い放つよな。
そしてヒルダもヒルダだ。大笑いしている。ボクとて笑いたいが、少しは神妙なフリをしとけよ!
まったく……。
「ぷはっ! あっはっはっは! それをファルスレイの坊っちゃんは“寝取られた”などと騒いでいると!」
「のであります」
それからもヒルダは質問攻めにしていく。
「ふぅん。避妊は?」
「生であります」
「私は、あいつらとヤるくらいなら死んだほうがマシだけど。何か見返りは?」
「……実は自分、腹に毒を仕込んでおいたのであります。蛇咬石を粉末状にして他の神経毒と調合した、人間の男にしか効かない猛毒でありますよ」
「へぇ~! 毒! 効能は?」
急にテンション上がったな。
「数時間以内に陰茎が腐り落ちるのであります。時間的には、そろそろかと。ちなみに、人間の体内に入っちゃうともう解毒はできないのであります」
……。
…………。
聞いてるボクまで嫌な脂汗が出てきた。
ボクの股間まで腐り落ちるかのような錯覚に陥る。
クゥトも同じく腹を押さえている。
対するヒルダは気楽なもので、大はしゃぎだ。
「うっは! オスカー御一行様終了のお知らせじゃん!」
「いやいやいやいや……下手したらボクもアウトでは? 助けた時に手で触れたけど?」
「毒が効果を持つのは、粘膜が触れ合う時だけであります。それに空気中に数時間晒したり水で洗うなどすれば、毒性はすぐ弱まるのであります」
「ならいいんだけど……」
想像するだけで背筋が凍る。
だが一方で……胸の内に込み上げる愉悦の感情を、否定できないでいる。
ああそうだとも……ようやく、奴らに報いが訪れる!
代償を払う時が、やってくるのさ!
可及的速やかに、そしてたっぷり苦しんでくれ!
憎悪と嘲笑に囲まれ、何一つ逃げ道を見いだせないまま、懇願する両の手も捩じ切られ!
そんな感情が、ドス黒く渦巻く。
これは良くないなと自戒しようとしたその時だった。
「動かないで」
声に振り向けば、ローディがクゥトを人質にしていた。
ナイフを喉元に突きつけている。
「ミサナを返しなさい。このお面野郎と交換よ」
「た、たたた、たすけ……」
「動かないで、手が滑るでしょ」
手が滑るのもあり得なくはない……実際ローディの手はガクガクと震えていた。
下手すれば、うっかり喉を切ってしまうかもしれない。
このクソボケならやりかねない。
ミサナがパーティ内で笑い者にされていたとは聞いたが、ローディだって大概だろう。
むしろ、思い込んだらどうやっても思想を固定する分、ローディのほうがよっぽど駄目だ。
「彼の名前は、お面野郎じゃなくてクゥト・ウェッジバルトだ」
「し、知ってるわよ! ほらミサナ! ダンはもう怒ってないから、早く戻ってきなさい!」
「今は怒っていなくとも、どうせ後で怒るのであります」
「そんな先の事なんて知らないわよ! あんたが迂闊な事を言わなければいいんじゃないの!?」
「迂闊は、あなたでありましょう?」
その通り。
「な、なんですって!? あなたねえ――」
――プシュッ
後ろから忍び寄ったヒルダが、霧吹きで眠り薬をローディに吹き掛ける。
ローディはまともに吸い込んで、ナイフを手放し卒倒した。
ちなみにクゥトはお面のおかげで巻き添えを免れた。
「ちょろいでありますね」
平然とつぶやきながらしゃがみ込み、鞄から縄を取り出して手際よく結んでいく。
もしかして、ショック状態で感情が消えたのか?
ボクも覚えがある。だが……性的な事件の後なら、男のボクが介入するのは得策とは言えまい。
「で? どうしようか、このバカ女」
ヒルダは、うんざりした様子で溜息をつく。
ボクはある種の確信を以て、その問いに返答した。
「宿屋に放り捨てておこう。何を喚き散らしたところで、こいつの信頼度なんて知れたもんだ」
馬車で通りがけに、放り投げた。
一応、顔をぶつけない角度で。