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第87話:先生と魔王の新生活


 目がさめて最初に見た光景は、苔生した石壁と錆びついた鉄格子だった。

 無造作に重ねられたシーツの上で、俺は横になっていたらしい。


「うっ」


 鈍い痛みに驚いて、右腕を見る。

 ……そうだ。肩口から切られたんだ。


 誰にやられた?

 いや、忘れられるものか。

 俺の腕を切ったのは……――


「――! そう、だ……アレットは……!」


 ややあってから、すぐに返事は来た。



「もうっ。魔王リリザレットだって言ったじゃないですかぁ……でも初めて呼び捨てでしたね? これは距離が縮まったと解釈してもいいって事ですね? 嬉しい……フフフ、うっふふふふ」



 ……少し。期待していたんだ。

 これまでの事が全部、悪い夢だったら、なんて……。


 でも、そんな事にはならなかった。

 ならなかったよ。


 髪は白く、そして長くなっていた。

 頭の2本の大きなツノ、真っ赤な目。死体のように青白い肌。

 背中には6本の赤黒い翼。


 身体は薄く黒い膜に覆われ、その上に白い下着のような奇怪で妖艶な鎧をまとっている。

 その体型も、かつてのアレットからかけ離れた、大人びたものへと変化していた。


 自分のことを魔王リリザレットとして認識しているようだし、メンタリティだって魔物のそれだ。


 ……声と、顔。

 面影を残しているのは、それだけだ。


 他は何もかも、別の何かへと塗り替えられてしまっていた。

 一体、俺は、どうすりゃ良かったんだろう。

 或いは何も……すべきじゃなかったというのだろうか。


 ……駄目だ。弱気になっちゃ駄目だ。

 諦めるものか。こんなところで膝を折ってたまるか。



 まずは、機嫌を損ねないように接して、機を伺って、情報を集めるんだ。


 誰がアレットをこのような姿にしたのか?

 どんな理由で?

 どのような方法で?

 何を用いた?

 それは、いつから用意していた?

 どこで用意されていた?

 ひとつだけなのか?


 これだけは解明して、アレットの無実を証明してみせる。

 たとえ何年かかったとしても。

 たとえアレットが元に戻せなかったとしても。



「んもう、呼び付けといて放置です? やいやい、このいけずぅ!」


「すみません、考え事をしていたもので……」


「へぇ? 教えて下さいよ。隠し事、できると思ってるんですか? こっちには審問官インクィジタースキルがありますし、そもそも今のわたしは圧倒的に――強い」


 アレットは鉄格子を蹴り飛ばす。

 錆びているから、何本かが根元からポキリと折れた。


「……僕のせいでそんな姿になってしまった。きみが、きみ自身を取り戻せるように、そのためにできることを考えています。巻き込んでしまって、すみませんでした」


「恨んでなんか、いませんよ……だって、わたしは、先生の全てを手に入れられる。叶わない理想の世界をいつまでも追い続ける先生だったけど、ようやくわたしだけを見てもらえる。最高じゃないですか」


 鼻で笑いながらアレットは言う。

 だが言葉とは裏腹に、悲しそうな顔をしていた。


「きみを愛していからこそ、きみが安心して生きられる世界に、少しでも、近づけたかった……」


「先生……! 先生だいしゅき!」


 アレットは鉄格子を破壊して飛び込み、俺を力強く抱きしめた。

 自分で閉じ込めておいて、檻を使い物にならなくしてしまうとは。


 やはり正常な判断ができない状態なのかもしれない。


 しばらく、抱き合う。

 顔を除く殆どが光沢のある何かに覆われているから、頬を触れ合わせる事でしか温もりを感じ取れなかった。


 ……そうしてやっとわかる体温も、秋頃の川の水みたいに冷たい。



「ああそうだ。案内、必要ですよね。ここが魔王城――そしてわたしと先生の、愛の巣になるわけですからねっ」


 アレットに促されるままに、握った手を引っ張られながら進んでいく。

 背も高くなったからなのか、俺の体力が落ちているからなのか、アレットの歩く速度は随分と速く感じる。


 時折、振り向いては微笑むアレット。

 その時の表情だけは、人間だった頃と変わらなかった。



 あちこち歩いて回る。

 改築を繰り返したようで、たくさんの通路を追加した形跡があった。

 内部がまるまる書庫になった塔なんかも。


 何らかの実験をするための設備があちこちで朽ち果てていた。

 それらを鑑みるに……ここは砦を改築して、研究施設にでもしたのだろう。


 外の景色だけは見させてくれなかった。

 なにか不都合があるのだろうか?



 居住空間は、施設内各所にベッドやテーブルが無造作に置いてあるだけ。

 とてもじゃないが、まっとうに生活できる環境とは言い難い。


 あと、ところどころに、魔法陣が描かれていた。


「あれは?」


「施設の防御機構みたいですよぅ。色々呼び出して使役する――って、この子が言ってまぁす」


 アレットは右手に禍々しい大剣を作り出しながら、説明してくれた。

 やはりあの大剣がアレットに影響を与えているのだろうか。

 ……怪しまれない範囲で訊いてみるか。


「他にも色々、教えてもらっているのですか?」


「はい! 新しい魔術とか、この身体のパワーアップの方法とか、それこそ先日お伝えした、女体化とか! ああ、文字も読めるようになったんですよ!」


 文字も!?


「それは、喜ばしい事ですね」


 唯一、それだけは。

 ……皮肉なものだ。


「あれあれ~? これじゃあわたし、何でもできちゃいますねぇ? 先生の出る幕は? わたしの抱き枕! 愚痴聞き相手! ん~サンドバッグは~……どうしようかな~? ッフフフ」


 どこまでが、自我を歪められて出た言葉だろう。

 どこからが、奥底に隠し続けてきた本音だろう。

 俺には向き合う義務がある。


「怖がらないんですね。殺しちゃうかもしれないんですよぉ?」


「きみが俺に対してどれほどの敵意を抱いていたとしても、受け入れて、応えたい」


「え~……つまんなぁ~い。ガクガク震える先生を調教してあげようと思ったのに!」


「ご期待に応えられず残念です」


「も~しか~してっ、親の虐待に慣れてるからですねぇ? 立場ってやつを教えてやる! え~い☆」


 首と左腕を捕まれ、押し倒された。

 俺は右腕を失っているから、抵抗できない。

 せいぜい、頭を前にして後頭部強打を回避するくらいだ。


 アレットは舌なめずりをして、俺を見つめる。

 両目は焦点が合っておらず、息も荒げている……理性を失いかけているようだった。


 アレットの眼球が、黒く変色していく。

 開いた口はギザギザした牙が覗いているし、長く伸びた舌で喉まで舐めていた。

 魔物としての性質がどんどん強くなっている……。


「過去の思い出なんて……塗りつぶしてやる……先生……先生ぇ……欲しい、過去も、……はぁ、はぁ……っ、み、未来も――無茶苦茶にしてやる……食べ……喰、あ――」


 と、ここでアレットは目を見開いた。


「――っ、あ、ちがっ……ひっ、違うんです……わたし、わたし、何を……! こ、こんなの、わたしじゃない……」


 それから慌てて俺から距離をとって、尻餅をつく。

 両目を押さえ、のたうち回る姿は、魂を蝕む邪悪な怪物に一生懸命抗っているようにも見えた。


 ……呆気にとられている場合じゃない。

 誰が寄り添ってやれるんだ? 責務を果たせ、ルクレシウス!


「……大丈夫。僕は、ちゃんと解っていますよ」


「ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさい……」


 アレットの両目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれる。

 眼球は、いつもの白に戻っていた。

 こんなに震えて……なんとか、精神を安定させる方法だけでも早めに確立しておかないといけないな。


 ひとまず応急処置だ。

 ただ……右腕を失ったから、付与術は使えない。

 例えるなら、大鍋から小皿に移す為のお玉が無いのと同じようなものだ。

 今は使えないなりのやり方を考えるしかない。



 俺はアレットの肩に手を置いた。

 一定以上の親しい間柄なら、こうしたほうがいいと思った。


「僕の目を見てください。それから、深呼吸を。そう、ゆっくりと……」


「すぅー……はぁー……」


 アレットの表情が、少しずつ明瞭さを取り戻していく。


「落ち着きましたか?」


「行かないで……わたし、わたしじゃなくなって……抑えが、効かなく……ぐッ、うううぅ!」


 頭を抱えてうずくまるアレットの背中を、さする。

 なるべく、ゆっくりと。


「よしよし……大丈夫ですからね。僕はどこにも行きませんよ」


「頭、なでて……わたしの気が済んだら、お肉、焼いて……」


「……お肉、ですか?」


「近所の農家を……脅しつけて、巻き上げた牛さんいるんです……あ、農家のおじさんは、殺してない、から……」


 手間の掛かる魔王様だ。

 待っていてね、アレット。


「いつか、きみをそんな姿にした真犯人をしっかりと突き止め、言い逃れできない程に確実な証拠を突きつけて、報いを受けさせてやろうね……」


「うん……」


 アレットは、しなだれかかりながらまどろむ。

 たとえ二度と元には戻れなかったとしても。

 きみの無実と、真犯人の存在だけは証明してみせる。


 穏やかな沈黙の中で、俺は自分自身に問いかける。


 ――ルクレシウス。今、お前はどんな気持ちだ?


 答えは決まっている。

 彼女を狂気に陥れた奴が、憎い。


 俺の胸の中は、憎悪で焼け焦げそうになっていた。



アレット「悪堕ち展開なのにあんまり悪堕ちらしい事をしていない件について」


ルクレシウス「駄目です」(圧倒的保護者力)

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