第80話:先生VSウスティナ
ホプキンスの不躾な訪問の、その翌日。
王都の闘技場で一番大きいところを使わせてもらった。
この時期はオフシーズンなのか閑散していて、当日で予約が取れた。
石柱の立ち並ぶリングの上で、俺とウスティナが向かい合う。
観客の数はまばらだ。
が……仮面を外したウスティナの姿に、観客達の殆どが動揺している。
「貴公、良かったのか。この柱のおかげで、私の独壇場だぞ」
「僕はどこでも戦えますよ」
「おふたりとも、準備よろしいかしら?」
と問いかけてくるのは、審判を務めるシャノンだ。
「はい、大丈夫です」「同じく」
「相手を降参させたか、戦闘不能にさせたほうの勝ちとします。それでは、試合――開始!」
――ゴウッ
強い風圧を纏いながら、ウスティナは飛び上がる。
幾つもの柱を三角跳びしながら距離を詰めてきた。
身の丈ほどの大剣を上手くスタビライザー代わりにしているのだろう。
驚くほどスムーズに、柱から柱へと飛び移る。
もしも目にも留まらぬ速度でなかったなら。
ひょっとしたら直接ウスティナに付与術を掛けて、動きを封じるという戦法も通用したかもしれない。
けれど、現実は無理だ。とてもじゃないがそんな術式を構築する暇なんてない。
真上から来るので、俺は自己強化用の複合術式の構築を行う。
ウスティナは今まで沢山、俺と戦ってきた。
お互い、手の内をある程度は知っているだろう。
だから俺も、無為無策のままでは戦わない。
ウスティナは柱を蹴りながら、投げナイフの雨を降らせてくる。
俺は、そこに対抗だ。
両手を掲げる。
――複合術式“瞬絶防壁”!!
バキンッ、ゴキンッと重苦しい金属音を辺りに響かせながら、ナイフを弾く。
彼女の一撃一撃は、大角鬼熊など比較にならないほどに強烈だ。
たとえ投げナイフであっても、容易く岩や鋼を穿ち、突き崩す。
そして、その並外れた膂力こそが、彼女がウスティナであるという何よりもの証明となる。
俺が投げナイフを弾いている間も、ウスティナは距離を詰めてきている。
真正面から振り下ろされる大剣。
これも、弾く……――ッ!!
「うッ――」
俺は怪我をしていないけれど、それでもリングの端まで両足の轍を作りながら押し出される。
まったく、馬鹿げた強さだ。
ウスティナも弾かれた大剣に額を打って天を仰いでいたが、すぐさま顔をおろした。
額からは血が出ているが、それをペロリと舐める表情は、喜色満面とでも言うべきだろうか?
「――ッ」
思わず、恐怖に呑まれそうになる。
強い。
あまりにも、強い……常識はずれだ。
今まで俺は、こんな相手と一緒に旅をしてきたんだな。
それでいて……アレットは、これほどまでの相手に声をかけていた。
Aランク冒険者だし、剣士としての経験だって大戦時代からの大ベテラン。
もしかしたら今は、本気ではあっても本調子でないかもしれないし、実はスロースターターだからウォーミングアップがまだなのかもしれない。
俺だって本気でやってはいるけれど……万一、死んだらどうしようか。
咄嗟に柱の陰に隠れる。
もちろん、ちょっとした時間稼ぎだ。
呼吸を整えて、心を落ち着かせる。
それから。
――“接着付与”
そして……
――“方向付与”!!
柱に手を付け、そしてその柱に沿ってスライドする。
つまり柱を即席の発射台にして、俺は自分自身を空中に打ち出した。
すぐさま飛んでくる投げナイフは、これまた弾く。
すると、ウスティナは直接、柱を蹴飛ばして斜めに倒し、凄まじいスピードで駆け上ってきた。
跳躍。
空中で激突する、俺の足と、ウスティナが横に薙ぎ払った大剣。
互いの持ちうる運動エネルギーは、しかし互いに反発して、それぞれリングの端に着地した。
「貴公……」
「……来い!」
「応さ」
今度は低空で三角跳びをしつつ、ジグザグに近付いてくる。
怒涛の勢いで繰り出してくる突きは、上半身を左右に傾けて、相手の後ろを取るようにして回避だ。
そして至近距離で大量に放たれる投げナイフが、周りの柱を穴だらけにした。
砂埃で視界を塞ごうとしているなら、こっちも対抗だ。
砂埃を対象に!
――“静止付与”
アレットのように完全な停止ではなくとも、足止めにはなる。
もしも相手がこの停止した砂埃に突っ込んでくるなら、身体のあちこちに微小な穴を開ける事になる。
引き換えに、粒の量が多いから魔力の消費がえげつない。
ウスティナも流石にこれに突っ込んだらまずいようで、砂粒の壁を蹴って距離をとった。
付与術の効果が切れ、空中に浮かんでいた砂粒が一斉にザァアアアっと落ちる。
「ぜぇ、はぁ……」
「ふぅ……ふぅ……クククッ、いいなあ、貴公。そのような隠し玉をあとどれだけ持っているのだろうな。今まで影も形も無かったというのに」
「まぁ、隠し玉ですからね」
「しかし、これでは埒が明かんな。ふんっ――」
ウスティナは、大剣を空中に放り投げる。
両手を構えながら腰を落としている……
――ブォン、ブォン、ブォン……ガチンッ
リングに大剣が刺さったと同時に、俺達は走った。
互いに、振りかぶるは右手。
ああ、そんな気はしていたんだ。
此処から先は徒手空拳だろうなって。
互いの左手が、互いの右手を防ぐ。
付与術を乗せた俺の右拳は、ウスティナの左手のひらに受け止められる。
その逆に、ウスティナのよく鍛えられた右拳は、付与術を込めた俺の左手のひらに受け止められた。
額と額なんて、互いの流れる汗が混じり合うほどにぴったりとくっついていた。
砂煙が、ブワァと舞う。
石柱が揺れたような気がした。
「「……」」
沈黙。
でも、なんだか笑えてきた。
ウスティナも同じように、口元を吊り上げている。
少し間をおいて――それから雨のように繰り出す、拳、拳、拳。
付与術で強化していなかったら、俺の両手は容赦なく砕かれていただろう。
正直、強化込みの今であっても死ぬほど骨が痛い。
だから距離を取る。
ウスティナは俺の意図を察してか、次は蹴りを何発も繰り出してきた。
俺も同じように足で受け止める他に道はないだろう。
ぐらりと視界が少し揺れた。
いや、違う――これは残像か!?
認識した瞬間にはもう、胃液が逆流するほどの衝撃を腹に受けていた。
タックルだ。
そのまま俺は左足を掴まれ、柱や地面に何度も叩き付けられる。
それこそ革製のムチみたいに軽々と。
――まだだ。
対象をウスティナのグローブに設定!
――“放電付与”!!
……嘘だろ!?
なんで手から煙を上げながらも掴み続けていられる!?
供給魔力量を増大、最大出力放電!!
よし、手放したな!
“鬼火付与”!!
“砲性付与”!!
「砂が光って――否、燃えているのか」
まだだ!
“重力付与”!!
「ほう……!!」
膝をつかねば立っていられないほどの重力だろう。
この瞬間までが長かった。
動きを封じたなら、次は!
助走をつけて……ドロップキック!!
両足はしっかりと、ウスティナの腹筋に打撃を与えた。
内臓も無事ではないだろう事は、大量に吐き出した血液が物語っていた。
だが。
「ふんっ」
リングに凹みを与えるようにして、ウスティナは再び両足で立つ。
俺の両足が掴まれた。
「ぬうぅんっ!」
凄絶な笑みだった。
ヤバい――と思ったときには、俺はリングに背中を打ち付けていた。
ウスティナの振りかぶった拳が、やけにゆっくりと動いているように見える。
咄嗟の判断で横に避けた。
すぐ近くを、ウスティナの拳がリングの地面を叩き割る。
ミシミシともバキバキともつかない音から、地面にはヒビ割れが発生しているようだった。
蹴飛ばす。
ウスティナは立ったまま後ろに滑り、そして、少しだけよろめいた。
ああ、そろそろ限界だ。
次の一撃で、どっちかが倒れるだろう。
「「……うおおおおおおおッ!!」」
雄叫びを上げながら、勝敗を決するために走る。奔る。
そして――
――ズグンッ
肉の抉れる音と、柔らかい感触が、俺の右手から伝わってきた。
「き、貴公……!! フフフ……」
「――ウスティナさん」
膝から崩れそうになるウスティナを俺は支えようとした。
「ぐぅ、お、お……くそッ……!」
けれど、だめだった。両足が力を失って、俺も一緒に倒れた。
「フフ……貴公、立てないか……フハハハハ……!!」
「……実はまだ余裕あったりしませんか?」
「まさか! やりきったよ。ありがとう」
「……こちらこそ」
俺は大の字に倒れたまま、ウスティナを横目で見る。
その向こうで、アレットとピーチプレート卿がすごい勢いで駆け寄ってきていた。
気づけば、大歓声が降り注いでいた。
俺達が試合をしている間に、随分と観客が増えていたようだ。
死力は尽くしたし、みんなが喜んでくれたなら俺も嬉しい。
けど、もう二度とウスティナとは戦わないぞ。