幕間:遠き日の誉れ
それがしは耳を疑った。
一介の冒険者に過ぎぬ我々が翌日の晩に斯様な、やんごとなき食事処に呼ばれるとは思わなんだ!
劇の鑑賞を終えた手前どもは、王室御用達の高級レストランへと招待された。
シャノン・フランジェリク女史から「この人達もお願いします」と、我々にお声がかかったのだ。
こうして我々と、シャノン女史と、演者の方々までをも交えての食事会が開かれたのだ。
「ピーチプレート卿……良かったのですか? 鎧を脱いでしまっても……」
ルクレシウス殿の気遣わしげな声音。
この御仁は、いつだって立ち振舞いから優しさが滲み出ておられる。
「ワハハ! 流石にやんごとなき御方との会食ともありますれば、それがしとて兜を脱がぬ訳にも行きますまい!」
正直、気は乗らぬ。
視線を落とせば、礼服越しにも解る程のでっぷりした腹。
首も腕も脚も、布に締め付けられているかのようだ。
如何に筋肉があったとて、種族的特徴までは覆せぬ。
ふと、手を握られた。
包み込むような柔らかさと、男子らしい骨ばった感触が同居している。
おおルクレシウス殿……。
「もしもつらくなったら、すぐ教えて下さい。あとは、そうですね。ピーチプレート卿を悪く言う輩を見かけたら、教えて下さい。必ずや成敗してご覧に入れましょう」
ルクレシウス殿はそれがしの顔を覗き込み、静かに微笑む。
……それがしは殿方に恋する性質であるが、この御仁に対してだけはどうにも恋慕の情を抱く気になれぬ。
たとえアレット殿がいなかったとしても、である。
なんというか、こう……恋慕より先に崇拝が来るというか。
顔は良い。
顔は、良いのだが……いかんせん優しすぎる……ッッッ!!!
身を挺して、それがしを守るために戦ってくださった。
ルクレシウス殿は、その時に命を奪おうとしてきたカレン・マデュリア殿を、ついには許してしまわれたのだ。
如何にカレン殿が学院に見捨てられたという点で同情できる部分もあるとはいえ、である。
少なからぬ葛藤はあっただろうに、この御仁の懐の深さたるやッッッ!!!
もしや、神……だろうか?
「お師匠様! 今日は本当にありがとうございます!」
「こちらこそ、いい劇でしたよ。エミールさんもお疲れ様でした。すごく勇気の要る役柄だったでしょう?」
「ボクの“苦しんだ過去”なんて、他の人達の“苦しんでいる今”に比べればまだまだですよ」
「そんなことはありません」「そんなことはありませんぞ!」
……おお。
それがしとしたことが、他者との会話に割って入るなどと。
「失敬いたした」
「いや、ボクのほうこそごめんなさい。そうですよね、比べちゃいけなかった。うん」
「王女殿下のスピーチが始まるようですね」
壇上に立つ殿下は先刻の赤いドレスから、今度は夕焼けのような紫と橙色の見事なグラデーションのドレスへとお召し物を直されていた。
「諸君、よく集まってくれた」
「こうして集まってもらったのは他でもない。妾に感動を与えてくれた対価を、そなたらに払いたかったのだ」
「――待ってくれ」
ダン・ファルスレイ殿の挙手により、王女殿下のスピーチが遮られる。
一瞬にして空気が凍りついた。
それがしは鈍感なほうであるが、それでも解る。
ダン殿が如何程の無礼を仕出かしたかを。
案の定、大臣が瞠目する。
「無礼だぞ!」
「良い、許す」
だが王女殿下は鷹揚な口調で、大臣を制された。
「申してみよ、ダン・ファルスレイ。口の利き方は、この際だ。不問としてやろう」
ダン殿が名乗っていないにもかかわらず、王女殿下は言い当てた。
殿下は……他者の顔を覚えるのが得意であられるのかもしれぬ。
「対価を払うと言ったが、結局その金は俺達の税だろ?」
「税は砂金一粒も使ってはおらぬ。妾が手ずから、海外との商談で稼いだものである」
胸を張り、鼻息をひとつ。
威風堂々たる振る舞いだが、ダン殿はなおも食い下がった。
「貧しい人々を救うのが先だ」
「既に何割かは施しへと回しておるよ」
この絵面を額面通りに受け取れば、きっと――
“傲慢なる為政者に義憤を露わにする勇者”
とでもなろうなあ。
だが悲しいかな、ダン・ファルスレイ殿。
そなたのそれは単なる世間知らずが礼節を忘れて噛み付いているに過ぎぬ。
故に!
「こうして、功労者を称える分くらいは残しても良かろう? さあ! 食事が冷めてしまう前に、盃を傾けよ!」
ダン・ファルスレイ殿。そなたの完敗ですぞ。
「輝かしき英雄譚に!」
「「「「「乾杯!!」」」」」
これが、きっと幸福なのだろう。
幼き日に観た騎士物語の劇……奴隷として虜囚の身であったあの頃に感じた、眩しさを追憶する。
故郷の集落はそれがしの両親もろとも灰燼に帰し、昏く淀んだそれがしの心に、あの騎士物語は光を与えてくれた。
――『ああ、沈黙卿よ! この誇り高き騎士は、眼前のあまねく暴虐を、悲劇を、叩き伏せていくのだ!』
あの騎士物語を観た時の、木漏れ日のような優しい気持ちと、底冷えする程の悪意に満ちた現実……
以来それがしは「人になりたい」と密かに希った。
生まれの醜さを捨てたいと思っていた、あの頃。
生まれの醜さと向き合いながら、それ以外を高めんとする今。
悪意に満ちた現実は未だ打倒されていないが、それでもかつての頃よりずっと、沢山の仲間たちが見えるのだ。
その沢山の仲間たちもかつては、繋がっておらず個々人が孤独を強いられた時代があったのだろう。
エミール殿も、きっとそのうちのひとりだったのだろう。
「エミール殿。改めて、お疲れ様ですぞ」
「ありがとうございます! 食べ方きれいですね……どこかで習ったんですか?」
「独学ですな」
「すごい頑張ったんですね。ボクは、そういうの勉強してこなかったから、この並んだ食器もどれから使うのかイマイチ判らなくて」
「これはですな、外側から……――」
それがしの言葉に眉をひそめることなく、エミール殿は聞き入れて実践してくださる。
そんな様子を見るだけで、それがしの今日に至るまでのあらゆる事は報われたのだと思える。
「楽しんでおるな。善哉善哉」
「これは王女殿下ッッッ!!! お声を掛けて頂けるとは、身に余る光栄ですぞッッッ!!!」
「当然よ。そなたとて歴とした王国の民。まして、駆け出し冒険者達を守るために奮闘してきたというではないか。あそこで談笑中のシャノンより、幾らか話は聞いておるぞ。劇中の騎士団長は、そなたに着想を得たともな」
……!
確信は持てなかったが、まさか本当にそれがしがモデルだったとは。
「そなたは誠の騎士よ。然るべき武勲を挙げた暁には、きっと、父上に頼んで叙勲式を開こうな」
「身に余る光栄にございッッッ!!!」
殿下は微笑んで、他のところへ向かわれた。
ああ……やはり、ジェイミー殿の言う通りでしたな。
――『今の今まで言い損ねたのだけどもね。アナタからもジャスティスを感じるわ……ゾンビに噛まれそうになった冒険者を助けたりもするものね。でもどうしてかしら。格好いい決め台詞の割には、いつも他人との距離を測りかねている感じがするのよ』
他者との距離が判らず、だから当たり障りのないことだけをしてきた。
だからあまり、見えてこなかった。
……本当のそれがしを尊重してくれる人達は、きっと、それがしが認識してきたよりもずっと多かったのかもしれぬ。
もっと、人を信じよう。
少なくとも、それがしを信じてくれる相手の事は。
そろそろ、進まねばならぬ。
今一歩。
宴が終わり、解散する頃合い。
それがしはルクレシウス殿と、アレット殿、ウスティナ殿をお呼びする。
バルコニーに吹く夜風は、鎧を脱いだ身には少し肌寒い。
「実は、そなたらに、ずっと隠してきた事がありましてな」
「差し支えなければ、続けて下さい」
「そなたらのジェイミー殿への反応から、それがしもいつか必ず打ち明けんと心に決めてはおりましたが……それがしは、男の身でありながら、男に恋をする心を持ってしまったようなのです」
顔を見ることが恐ろしくて、それがしはうつむいた。
……だが、しばしの沈黙を経て。
「あなたの勇気ある告白に、敬意を評します」
「――!」
両手を包み込む小さなぬくもりに気付いて視線を移せば、ルクレシウス殿がそれがしの手を握ってくれていた。
そしてその両目は、それがしをしっかりと見てくれていた。
優しく、見守ってくれていた。
ああ……男が男に、女が女に、恋をして悲劇に至る……そのような話を旅路の中で何度も耳にしてきた。
たとえそれを、恋い焦がれる相手以外の誰かに打ち明けたとしても、容易く転げ落ちる者達が後を絶たないという。
されども、そなた達は……――
「……奇異に思われないのですかな? ましてや、それがしはオークですぞ」
「この世の全ての生き物は、同じ生き方を義務付けられてなどいませんよ。ジェイミーさんとゴステトゥーロさんのように、ピーチプレート卿も誰かを愛する事を、誰に咎められましょうか?」
「わたしも賛成です。言いたいことだいたい先生が言っちゃったから、わたし言うこと無いんですけど……」
「私も異論はない。私の目的を阻害するものでなければ、どう生きようと知ったことではない。知ったことではないが、そうだな……生きる意味と己が定めたものを誰かが邪魔立てするのは……あまり見ていて気分のいいものではないな」
……。
ああ…………。
気づけばそれがしは、皆を抱き寄せていた。
「友よッッッ!!! どうか今しばらく、この抱擁を許して頂けるだろうかッッッ!!!」
そなた達と会えた事を、心より誇りに思う。
それがしは初めてそなた達に救われた時、雪解けの訪れを垣間見た。
春など無いと思っていた。
雪の中で凍ったまま枯れるのだろうと思っていた。
次に冬が来ても、きっと希望の中で耐えられよう。
何があっても、そなた達を守り続けよう。