墜ちる㕶星、拾う百萬星。 〜22
人民解放軍・ロケット軍は、偉大なる党の命ずるままに、ただ、ただ、ただ服従の精神をこれ見よがしに発揮し続けた。
たった一匹の蝿を殺す為に、市街地一つをまるごとどころか、三〜四つは余裕で瓦礫の山へと変えるに足りる、質量共に過剰な弾道兵器が真っ赤な大陸から、インドシナ半島に付け根に当たるラオス山岳地へ向けて離床した。
その結果、偉大なる党が夢見た通りに、ラオス・タイ連合軍側勢力である「ナム・ウゥー水力発電所・配備部隊」の、三分隊の中の二つを完全に消去する事に成功した。
海岸線沿いのミサイル基地から打ち上げられた個体群の中の一部は、途中で燃料系やノズル部で不具合を生じさせた。本来なら、目標地点へ届く見込みの無い不良品は途中で自爆させて無差別攻撃を避ける。しかし、途中で墜ちるなら、「きっとラオス領内に墜ちるだろう」と直感して、なすがままに放置した。
それによって、ラオスの何カ所かで予定外の無制限破壊が実行された。そして、それらもまた、余剰ミサイルを活かしたラオスへの懲罰の一端であると宣言した。
ーーー弾道兵器とは、たった一発であっても、小国の軍事予算一年分に相当するかも知れない程に高価な兵器であるに関わらずだ。
偉大なる党は、自分達が作り上げた状況をフカシも交えて語る事で、世界に向けて自分達が「獅子は兎を狩るにも全力を尽くす」と証明したと自負した。高い満足感を得て悦に入っていた。
しかし、世の中、そう思い通りに進む事ばかりではない。期待と結果は時に正反対に目が出る。主観と客観は大抵の場合一致しに。そうであるべきと確信すると、ほとんどの場合はそうであるべきではない方向に事態は流れる。
彼等の主観によれば唾棄すべきほどに悪辣な「世界」は、辛辣にも偉大なる党の期待に応えてはくれなかった。むしろ、「世界」の客観は、ラオス・タイ連合軍が、突然に実行された大打撃攻撃を前に我を失ったり、屈したりしない事の方に注目した。
ラオス・タイ連合軍の強さの由来は、どこかの歴史的な名言に則り、「始めは処女の如く後は脱兎の如し」と言う姿勢に徹し続けたせいだと評価した。偉大なる党が受けたくて堪らない「感銘」は、困った事にラオス・タイ連合軍へ向けられていた。
何と言っても、ラオス・タイ連合軍は、三つに分けた「ナム・ウゥー水力発電所・配備部隊」の分隊の一つの救助には成功している。次から次へと奇策を用いる事で少ないリソースを十二分に使い切った末に掴んだ勝利である。圧倒的な戦力差をものとせず、大型の予想に反して手にした成果である。利害関係にない者達であれば、誰もが思わずその晩の夕食の話題に上らせてしまう様な快挙である。
ーーー大人と子供の勝負で、大人が子供に出し抜かれて負けた。
それが大方の評価だった。偉大なる党の破格の攻撃は、自分達の評価を上げるどころか、彼等が格下の三下とみなしているラオス・タイ連合軍の評価の方を押し上げてしまった。これでは、まるで、ラオス・タイ連合軍の為に見せ場を作ってやった様なものだった。
実際、ラオス・タイ連合軍が今回行った戦闘は、中央アジア東部地域に巣くう、圧倒的に不利な立場で戦うテロ組織たゲリラ部隊に多大な影響を与えた。その手の人々だけに、声を大きくして強い支持を示す事はなかったが、それでも高く賞賛するムードだけはアンダーグラウンドな世界全体へと波及した。
ーーー頭の使いようによって、小戦力でも巨大な国家の面子を十分に傷付けられる。
人民解放軍による、極めて先進的且つ不経済な戦術の行使に目を奪われている裏側で、多数の反政府組織、民族解放運動組織、分離独立主義者達がまとめてラオス・タイ連合軍の戦略や戦術の研究を始めてしまった。
また、人民解放軍の各司令部は、それらとはまた異なるベクトル方向の問題に直面して、人知れず、一丸となって頭を抱えていた。
ーーー一丸となって。
戦闘部隊だけでなく、支援部隊も含めて、同様の問題に直面していたと言う事である。
彼等は進むべき道を失った。文学的な話ではなく、物理的な話で。
ロケット軍自慢の短距離弾道弾が消滅させたのは、逃げ遅れた「ナム・ウゥー水力発電所・配備部隊」だけではなかった。人民解放軍がこれから栄光に向かって進むべき「道」までを、キレイさっぱりと崩し尽くしてしまったのだ。
ラオス山岳部の険しさが始まるポーンサワンの北側の各所で、大質量弾着弾の衝撃が多数の崖崩れを引き起こしていた。
結果、ラオスの東西南北を貫く山岳国道が完全に寸断されてしまった。戦闘部隊も支援部隊も、これから攻略すべき南進を続ける為に不可欠な陸上輸送手段を失ってしまったのだ。
ラオスへ侵攻中の戦闘部隊や活動中の支援部隊の一部は、前方と後方の両方の自動車道が寸断してしまって、前進も転進も後退も出来なくなってしまっていた。これは、敵中にではないにしても、孤立状態にある事だけは間違いない。もし、ラオス・タイ連合軍にこれらのピンチを悟られれば、最優先の爆撃対象としてピックアップされてしまう。
もし、人民解放軍が孤立した部隊の回収を徹底しようとすれば、「ナム・ウゥー水力発電所・配備部隊」をエサにラオス・タイ連合軍への嫌がらせ攻撃に徹したのと同様の戦術でしっぺ返しを喰らう知れない(偉大なる党が、孤立部隊の回収を優先する戦術を解放軍へ下知する可能性が皆無な事は、両陣営の誰もが重々承知しているが)。
しかし、最終的な目的地である、そこら辺に無造作に転がっている核の不発弾、それが放置されている筈のメコン川湾曲部地域まで繋がっているべき自動車道が、飛行中に推力を失ったミサイルの落下事故に巻き込まれて、完全に消失してしまった事は大問題だ。
まずは、偉大なる党の手脚として動く栄光を達成する為には、この交通問題を何が何でも解決しなければならない。
1) 測量から始めて、山岳道路施設計画を立てて、計画図面の通りの道路を施設する。
2) 全ての地上戦力をポーンサワンの南側へと航空輸送する。またはタイランド湾の適当な上陸地点まで海上輸送する。
3) ミャンマー連邦共和国またはヴェトナム社会主義国の領土へ迂回して攻撃軍を進める。
4) 侵攻を止めて祖国へ帰る。
問題を解決したいならば、以上の4つ可能性の中のどれかを選択して努力するしかない。二番と三番は論外だ。ラオスと同様に、領国の北部領土は地形がとても厳しい。仮に輸送が全面的に開放されたとしても、高規格道路ではない為に、大量戦力の一斉投入出来る程の輸送量があるとは思えない。
面子を優先するあまり、全体の進行を阻害してしまった。
後先考えないで大打撃力を行使すると、こう言う情けない想定外に陥り易い。
この問題の原因はどこにあるのか? もちろん、大量の短距離弾道弾を行使し大質量攻撃ではなく、それを決断してしまった短慮にこそある。
全ては脊髄反射的に下された懲罰が、叩き付けた拳である短距離弾道弾が引き起こした余波であるのだから。
貧乏根性で、不良品まで自国領空を通過中に処分せずにラオスへと着弾させてしまった事も、自動車道の要再建箇所をイタズラに増やしてた。
すぐーにかっとなるしてやったーらけるなぐーるしてしまったが故に生じた不始末。上部構造がお爆発あそばされた癇癪の後始末に、下っ端は翻弄され続ける。
構造的に極めて脆いラオスの山岳構造物を、広範囲に渡って大質量弾による大打撃を加えら、当然、すべてが倒壊・崩落する。
地表表面だけを破壊する爆撃よりも深刻で、地表を支える構造物そのモノを傷付けてしまった。
倒壊・崩落は、直ちに更地になるわけではなく、持ち堪えた山岳構造物は罅だらけで、何時二次崩落が起こるとも知れない。切り立った崖ばかりになり、人一人が空身でやっと通れる程に細いルートも通しでは全く見当たらない。
仮に、クライミング用の器具を各所に打ち込んで強引にルートを開通させても、補助具はすぐに弛むか、打ち込んだ箇所がそのまま崩れて抜け落ちて、すぐに不通状態へと戻ってしまいそうだ。
麓には巨大な岩がゴロゴロと転がっている。雨が降れば、所々で水が堰き止められダム湖となり、何時鉄砲水となって下流を襲うのかも予想が付かない。
手の付け様がないとは、この様な惨事を指して言う。
しかし、現場指揮官も後方指揮官も、偉大なる党へその責任を追求出来る筈もなかった。彼等は、政治的に自殺するには時期尚早だと判断していた。
逆に、偉大なる党が、万が一だが、殊勝な事にも責任を取るべきは自身にあると気付いたとしても、それは実行不能だ。人民共和国を所有する偉大なる党そのものが、人民国家成立以前より無謬性を売りにしている組織であるが故にそれは叶わない。既に多くの責任を強引に回避して来た長い歴史があり、一度でも責任を取ると、あれもこれもと次から次へと過去のあれやこれやの責任の追及が始まりかねないからだ。
無謬性とは厄介だ。そこに道理はない(部外者の目からは微塵も存在しない)。どちらかと言えば、「鰯の頭も信心から」としか見えない異世界である。しかし、それだけに、無謬性の体現者は「過ち」を認める自由を持ってない。最初から最後まで何を為ても正しいのだ。
もし間違ってるのだとしたら、それは無謬性を持たない付き従う者達の解釈の間違いに過ぎないのだ。そんな理屈で、大なる党が「過ち」認める日が来るとしたら、それは偉大なる党の最後に日、侵犯の日、アホカリプスであるに違いない。
民主主義は、衆愚政治に陥った場合に、政権がコロコロと変わるので一貫した国家方針を持てずに、国力を無駄に消費して、やがては滅亡すると言われている。一方で、独裁政治がそうではないと言われている。これをもって、独裁政治は民主主義よりも優れているとかなんだとか(※)。
突然、人民解放軍の「現場」はこんな知恵を承った。
ーーー現場で最善と思う方針を採れ。
どうしたら良いのか、偉い人達にも分からなくなってしまったのかも知れない。
これまでは圧倒的な指導力を誇っていた偉大なる党に、ここに来て初めて揺らぎが見えた。
これまでは圧倒的な優勢を誇っていた人民解放軍に、ここに来て初めて陰りが生じた。
どれもこれもそれも現場が力尽きたせいではなく、後先考えない偉い人達が勢いに任せた雑方針を乱発したせいでである(客観視によればだが)。
権力保持者が何も責任を取る必要がない社会では、最初は冒険主義的な攻めが多く見られ、その後は徐々に現状維持を目的とした消極的な攻めへと転じがちだ。
それは、無作為で無適当に幅広く行われた開発が最初は持て囃されながらも、やがてはそれらが収拾が付けられない程の乱開発だったと判明するせいだ。そうなると、最初はイケイケドンドンで開発の先頭にやっていた人々が徐々に、現場の声を取り上げ始める。最後に、責任を取らせるべき彼等が姿を隠し、全ての責任を現場へ擦り付ける段取りが付いてしまっている。
先にも述べたが、無謬性を売りにしている国家指導層や会社組織上層部が、指導部が責任を負うことは極めて稀だ。ほとんどない。あるとすれば、指導部内の派閥争いに破れた非主流派を処分する際にスケープ・ゴートとする時だけである。
そんなこんなで、偉大なる党と人民解放軍はメイン・プレイヤーを陸軍から空軍へと変えた。「飛行機ならば、道が無くとも攻撃に何の支障はないだろう」と言う安直なコンセンサスに基づいて。
陸軍としては、空軍が敵軍を引き付けてくれている間に、どれだけの期間を費やすべきかは見当も立たないが、何とかロケット軍が破壊し尽くした山岳道路を再開通させたいと願っていた。
戦争とは、空軍が落とす爆弾や海軍による海上封鎖だけで勝利出来る単純なイベントではない。最終的には、陸軍が大規模上陸して、泥臭い戦いを延々と耐え切った後に土地を占拠し、住民を従属させてやようやく終わるものだ。
戦争は、陸軍さえあれば始められるし、終わらせる事も出来る。しかし、空軍や海軍で終わらせる事は絶対に出来ない。特に、占拠した土地や獲得した人間を思い通りに利用して利潤を追求すると言う動機で戦争を行う場合は、空軍も海軍も等しく、陸軍を支援する為の組織でしかない(非経済的な、敵勢力の殲滅や絶滅を唯一の目的とした戦争であれば、この例には含まれない。ただし、その種の大きな戦争は、人類の歴史上ほとんど実行まではされていない)。
そんな訳で、人民解放軍・空軍とラオス・タイ連合国軍・空軍の正面初突が再開した。
とても、場当たり的に。
※= 待て待て。独裁政治が誤った国家方針を一貫して発揮し続けたらどうなるんだ? しかも、独裁政治の場合は政権を入れ替える手段が皆無なんだぜ。そうなると誤った国家方針を改める日ってのは、その国家の最後に日である可能性が激高だぜ。だから、人類は悩む。また、民主主義国家であれば思想の自由も保障されている場合が多いので、悩んでそれを他人に打ち明けるのも自由だ。さて、どっちの制度がマシなんだろうね。いずれの側の制度であっても、必要なのは柔軟性であることは分かっているけれど、政治的な振れ幅をどこまでに止めれば「柔軟」に留められるものか。状況によってそれは変わるのだろうから、数値を基準にした制度化は不可能だろう。なお、この議論成立の条件は、毎日決定的に飢える事無く充分な栄養を摂取出来ていること。




